麻痺性貝毒は、以前は北米や日本など一部の海域で知られているにすぎなかったが、1980年代以降発生頻度増加、長期化、広域化の傾向が見られ、世界各地で深刻な問題となっている。その原因生物には約10種の海産渦鞭毛藻が知られているが、中でもAlexandrium属は発生頻度が高く、分布域も広い種を多く含むために最も代表的な原因藻類となっている。同属の種はいずれも細胞が小さいため観察が難しく、明瞭な分類形質にも乏しいため、分類学的な検討がなされていないだけでなく、実用的にも種の同定が困難で、世界各地で出現する種の異同の判定に信頼性が欠けるという問題が生じていた。 本研究は、このAlexandrium属について、種レベルでの分類学的研究を行って各種の異同を明らかにするとともに、属内の分類体系を整理することを目的としたものである。研究試料として模式産地や主要な麻痺性貝毒発生地で採集された天然試料と、これまで毒組成解析や分子生物学的研究に用いられた主要な培養株をできる限り多く収集し、これらの形態を観察している。一般に培養株には種名がついているが、新種記載に用いられた株以外は同定の根拠が明らかでないため、形態によって類別し、改めてそれぞれの種名を明らかにする方法をとっている。 この結果、既に記載されていた種22種と数種の未記載種を観察することができたので、分類形質を明確にして、それぞれの種の記載を行っている。また、それぞれの種が持つ形態形質について、種間での類似点と相違点を整理することにより属内の分類体系を構築するとともに、近縁な属と形質を比較して他属との類縁関係についても考察しており、同時に実用的な同定のための検索方法の確立を試みている。本研究によって明らかになった内容は次の諸点である。 1.従来のAlexandrium属の分類学的研究とその問題点 従来のAlexandrium属の分類学的研究は、観察精度が記載者によってまちまちであることと、たとえ詳細な観察を行っていても特定の少数種間の判別に用いられる形質に限った、局所的な観察例が多いことが分類の混乱の原因となっている。このため属全体に体系づけられた分類基準がなく、実用的な検索方法も欠いているのが現状である。 2.観察結果と分類形質の評価(1)観察された種 観察の結果、既知の種のうち、A.acatenella、A.affineなど22種が観察され、個々の種について記載を行った。また、これら既存の種とは異なる特徴を持った形態型が複数観察され、これらのうち3つの型は未記載種であると考えられたが、その他については観察個体数が少なく、独立種あるいは既知種とも判定できなかった。 (2)細胞の外形と鎧板配列 細胞の外形に関する形質のうち、腹面観における肩部の張り出しや下端部の凹みの深さや幅に種ごとの特徴がみられた。また、下殼全体の形態に密接な関係がある後縦溝板の形態によりAlexandrium属を4つのタイプに分けることができた。Alexandrium属の上殻には4種類の鎧板配列がみられることから、それぞれのタイプの配列もグループ分けの形質として用いた。 (3)各鎧板の形態やその他の形態的特徴 縦溝を構成する鎧板や第1・第3頂板には、属内で形態が連続的に変化する形質があり、これらの形質を用い、近縁な属とも比較することによって、ある程度種分化の過程を推定することが可能であった。 第1頂板の近傍にみられる腹孔は、微小な特徴ではあるが、その有無は種によって決まっていた。その他頂孔板の形態と前部・後部接続孔の位置、第6前帯板の幅などは安定した形質であり、これらの特徴は各タイプ内での種を分ける分類形質として有効であった。 3.Alexandrium属の形態による分類と分子系統解析の知見との比較 これまでの分子系統解析は形態的にごく近縁な2種間の識別や、近縁種あるいは同一種の有毒・無毒株の識別などを目的として行われてきたために、系統解析が行われている種には偏りがあり、現状では属内の系統関係は明らかではない。これまでの知見では、Alexandrium属全体は単系統にまとまり、属内ではそれぞれの種は、後縦溝板を用いて定義した各グループに分岐していることから、基本的には本研究の分類は分子系統解析の結果によって支持されていることが示唆された。 本研究は以上のように、世界各地で養殖貝類等の毒化や麻痺性食中毒事件を引き起こしている海産渦鞭毛藻Alexandrium属の分類を,プランクトン試料と既往文献を精査して明らかにしたもので、学術的価値の極めて高いものと考えられた。よって、審査委員一同は本論文は博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |