学位論文要旨



No 115275
著者(漢字) 吉田,誠
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,マコト
標題(和) 渦鞭毛藻Alexandrium属の分類学的研究
標題(洋)
報告番号 115275
報告番号 甲15275
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2120号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 福代,康夫
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 助教授 西田,周平
 長崎大学 教授 松岡,數充
内容要旨

 麻痺性貝毒は、以前は北米や日本など一部の海域で知られているにすぎなかったが、1980年代以降発生件数および発生海域共に急増しており、世界各地で深刻な問題となっている。その原因生物には約10種の海産渦鞭毛藻が知られているが、中でもAlexandrium属は発生頻度が高く、分布域も広い種を多く含むために最も代表的な原因藻類となっている。

 同属の種はいずれも細胞が小さいため観察が難しく、明瞭な分類形質にも乏しいため、分類学的な検討がなされていないだけでなく、実用的にも種の同定が困難で、世界各地で出現する種の異同の判定に信頼性が欠けるという問題が生じていた。しかし近年になって蛍光染色剤により鎧板を観察する手法が開発され、より多くの試料を短時間に、しかも詳細に観察することができるようになった。

 そこで本研究ではこの蛍光法を用いることにより、Alexandrium属について、種レベルでの分類学的研究を行って各種の異同を明らかにするとともに、属内の分類体系を整理することを目的として、模式産地や主要な麻痺性貝毒発生地で採集された天然試料と、これまで毒組成や分子生物学的研究に用いられた主要な培養株をできる限り多く収集し、これらの形態を観察した。培養株には一般に種名がついているが、新種記載に用いられた株以外は同定の根拠が明らかでないため、形態によって類別し、改めてそれぞれの種名を明らかにした。この結果、既存の種22種と数種の未記載種を観察することができたので、それぞれの種の記載を行い分類形質を明確にした。またそれぞれの種が持つ形態形質について、種間での類似点・相違点を整理することにより属内の分類体系を構築し、近縁な属と形質を比較して他属との類縁関係についても考察した。同時に実用的な同定のための検索方法を確立することができた。

1.これまでのAlexandrium属の分類とその問題点

 現在Alexandrium属に所属する種の中で、最も古い記載はPaulsen(1904)によるA.ostenfeldiiで、Goniodoma属の一種として記載された。また代表的な有毒種であるA.tamarenseは、Lebour(1925)によってGonyaulax属に記載された。しかしA.tamarenseにもA.ostenfeldiiにも似た種がWoloszynska and Conrad(1939)によってPyrodinium phoneusとして記載されるなど、個々の種の所属や種の異同が明らかでないまま別々の属に記載された。1970年代になってこれらの種の属名の統一化が検討されるとともに、鎧板の微細な特徴、例えば頂孔板の形態や腹孔の有無などの形質を用いて分類基準の明確化が試みられた。しかし複数の研究者で分類形質の選定や種の定義についての意見が異なり、1995年になってようやくBalechによりいくつかの分類形質がまとめられたものの、観察例が少ない種を中心に未だに分類上の問題が残されている。

 これまでのAlexandrium属の分類学的研究は、観察精度が記載者によってまちまちであることと、たとえ詳細な観察を行っていても特定の少数種間の判別に用いられる形質に限った、局所的な観察例が多いことが分類の混乱の原因となっている。このため属全体に体系づけられた分類基準がなく、実用的な検索方法も欠いているのが現状である。

2.観察結果と分類形質の評価(1)観察された種

 観察の結果、既知の種のうち表1に示した22種が観察され、個々の種について記載を行った。また既存の種とは異なる特徴を持った形態型(morphotype)が複数観察され、これらのうち3つの型は未記載種であると考えられたが、その他の型については観察個体数が少なく、独立種あるいは既知種とも判定できなかった。この点は今後の観察で明らかにする必要がある。

(2)細胞の外形と鎧板配列

 細胞の外形に関する形質のうち、腹面観における肩部の張り出しや下端部の凹みの深さや幅に種ごとの特徴がみられた。そして下殻全体の形態形成に密接な関係があるのが後縦溝板の形態であり、この形質によりAlexandrium属は4つのタイプに分けることができた(図1)。

 A型:後縦溝板は小さく、横方向に長い。左・右後縦溝板と接する辺は凹凸が少ない。後縦溝板が細胞の下端に達しないために腹面観は下端部が拡がらず、下端部は丸みを帯びているか、わずかに凹む。

 B型:後縦溝板の左・右後縦溝板と接する辺は凹凸が少ない。その他の各辺は直線的である。細胞の腹面観は丸みが強い。第2底板はほぼ左右対称である。横溝は浅く、第6前帯板と前縦溝板の縫合線は細胞の長軸方向に対して大きく傾いている。

 C型:後縦溝板は縦に長いか、逆正五角形に近い形態である。多くの種では後縦溝板が下端部を占めており、このような種では細胞の下端が大きく凹む。左・右後縦溝板と接する辺は凹凸が明瞭である。第3頂板が左右非対称な種が多い。長い連鎖群体を形成する種はすべてこの型に含まれる。

 D型:後縦溝板は第4後帯板方向に長く伸びる。左・右後縦溝板と接する辺の形状は種によって大きく異なり、凹凸が少ない種からV字型に深く切れ込む種まで多様である。

 さらにAlexandrium属の上殼には4種類の鎧板配列がみられることから、それぞれのタイプの配列を以下のように定義した(図2)。

 1型:第1頂板が頂孔板と接する。

 2型:第1頂板が頂孔板と接しない。

 3型:第1頂板が頂孔板にも第6前帯板にも接しない。

 4型:第1頂板が頂孔板にも第2頂板にも接しない。

 後縦溝板と上殻の鎧板配列のタイプを組み合わせることによりグループ分けすると、A型の後縦溝板を持ち、上殼の鎧板配列が1型であれば、A1型と表記することができる。このグループ分けによりAlexandrium属はA1、A2、B1、C1、C2、D2、D3、D4の8種類に分けられた。

図表表1 観察されたAlexandrium(括弧内はその鎧板配列のタイプ) / 図1 後縦溝板のタイプ / 図2 上殼のタイプ APC:頂孔板、1’:第1頂板、2’:第2頂板、6":第6前帯板
(3)各鎧板の形態やその他の形態的特徴

 縦溝を構成する鎧板や第1・第3頂板には、属内で形態が連続的に変化する形質があり、これらの形質を用い、近縁な属とも比較することによって、ある程度種分化の過程を推定することが可能であると考えられた。

 第1頂板の近傍にみられる腹孔は、微小な特徴ではあるが、その有無は種によって決まっていた。その他頂孔板の形態と前部・後部接続孔の位置、第6前帯板の幅などは安定した形質であり、これらの特徴は各タイプ内での種を分ける分類形質として有効であった。

3.Alexandrium属の形態による分類と分子系統解析の知見との比較

 これまでの分子系統解析は形態的にごく近縁な2種間の識別や、近縁種あるいは同一種の有毒・無毒株の識別などを目的として行われてきたために、系統解析が行われている種には偏りがあり、現状では属内の系統関係は明らかでない。これまでの知見では、Alexandrium属全体は単系統にまとまり、属内ではそれぞれの種は、後縦溝板を用いて定義したA-Dの各グループごとに分岐していることから、基本的には本研究の分類は分子系統解析の結果によって支持されていることが示唆された。

審査要旨

 麻痺性貝毒は、以前は北米や日本など一部の海域で知られているにすぎなかったが、1980年代以降発生頻度増加、長期化、広域化の傾向が見られ、世界各地で深刻な問題となっている。その原因生物には約10種の海産渦鞭毛藻が知られているが、中でもAlexandrium属は発生頻度が高く、分布域も広い種を多く含むために最も代表的な原因藻類となっている。同属の種はいずれも細胞が小さいため観察が難しく、明瞭な分類形質にも乏しいため、分類学的な検討がなされていないだけでなく、実用的にも種の同定が困難で、世界各地で出現する種の異同の判定に信頼性が欠けるという問題が生じていた。

 本研究は、このAlexandrium属について、種レベルでの分類学的研究を行って各種の異同を明らかにするとともに、属内の分類体系を整理することを目的としたものである。研究試料として模式産地や主要な麻痺性貝毒発生地で採集された天然試料と、これまで毒組成解析や分子生物学的研究に用いられた主要な培養株をできる限り多く収集し、これらの形態を観察している。一般に培養株には種名がついているが、新種記載に用いられた株以外は同定の根拠が明らかでないため、形態によって類別し、改めてそれぞれの種名を明らかにする方法をとっている。

 この結果、既に記載されていた種22種と数種の未記載種を観察することができたので、分類形質を明確にして、それぞれの種の記載を行っている。また、それぞれの種が持つ形態形質について、種間での類似点と相違点を整理することにより属内の分類体系を構築するとともに、近縁な属と形質を比較して他属との類縁関係についても考察しており、同時に実用的な同定のための検索方法の確立を試みている。本研究によって明らかになった内容は次の諸点である。

 1.従来のAlexandrium属の分類学的研究とその問題点

 従来のAlexandrium属の分類学的研究は、観察精度が記載者によってまちまちであることと、たとえ詳細な観察を行っていても特定の少数種間の判別に用いられる形質に限った、局所的な観察例が多いことが分類の混乱の原因となっている。このため属全体に体系づけられた分類基準がなく、実用的な検索方法も欠いているのが現状である。

2.観察結果と分類形質の評価(1)観察された種

 観察の結果、既知の種のうち、A.acatenella、A.affineなど22種が観察され、個々の種について記載を行った。また、これら既存の種とは異なる特徴を持った形態型が複数観察され、これらのうち3つの型は未記載種であると考えられたが、その他については観察個体数が少なく、独立種あるいは既知種とも判定できなかった。

(2)細胞の外形と鎧板配列

 細胞の外形に関する形質のうち、腹面観における肩部の張り出しや下端部の凹みの深さや幅に種ごとの特徴がみられた。また、下殼全体の形態に密接な関係がある後縦溝板の形態によりAlexandrium属を4つのタイプに分けることができた。Alexandrium属の上殻には4種類の鎧板配列がみられることから、それぞれのタイプの配列もグループ分けの形質として用いた。

(3)各鎧板の形態やその他の形態的特徴

 縦溝を構成する鎧板や第1・第3頂板には、属内で形態が連続的に変化する形質があり、これらの形質を用い、近縁な属とも比較することによって、ある程度種分化の過程を推定することが可能であった。

 第1頂板の近傍にみられる腹孔は、微小な特徴ではあるが、その有無は種によって決まっていた。その他頂孔板の形態と前部・後部接続孔の位置、第6前帯板の幅などは安定した形質であり、これらの特徴は各タイプ内での種を分ける分類形質として有効であった。

3.Alexandrium属の形態による分類と分子系統解析の知見との比較

 これまでの分子系統解析は形態的にごく近縁な2種間の識別や、近縁種あるいは同一種の有毒・無毒株の識別などを目的として行われてきたために、系統解析が行われている種には偏りがあり、現状では属内の系統関係は明らかではない。これまでの知見では、Alexandrium属全体は単系統にまとまり、属内ではそれぞれの種は、後縦溝板を用いて定義した各グループに分岐していることから、基本的には本研究の分類は分子系統解析の結果によって支持されていることが示唆された。

 本研究は以上のように、世界各地で養殖貝類等の毒化や麻痺性食中毒事件を引き起こしている海産渦鞭毛藻Alexandrium属の分類を,プランクトン試料と既往文献を精査して明らかにしたもので、学術的価値の極めて高いものと考えられた。よって、審査委員一同は本論文は博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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