学位論文要旨



No 115276
著者(漢字) 和田,俊一
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,シュンイチ
標題(和) 海産無脊椎動物由来の生物活性物質の作用機序に関する研究
標題(洋) Studies on modes of action of bioactive metabolites from marine invertebrates
報告番号 115276
報告番号 甲15276
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2121号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 助教授 松永,茂樹
 東京大学 助教授 小林,牧人
内容要旨

 棲息域が特異な環境下にある水圏生物は、ユニークな活性や構造をもつ天然化合物の宝庫で、近年、海綿、ホヤなどの海産無脊椎動物から様々な新規物質が単離されている。これらの化合物は、医薬品のリード化合物および生化学の研究試薬としての有効利用が期待されているが、その多くについて現在のところ作用機構が明らかでない。そこで本研究では、海産無脊椎動物由来の生物活性物質につき、より多く薬剤として開発するため、その作用機序の解析を行うことを目的とした。まず、ラット由来培養線維芽細胞の形態変化を指標としたスクリーニングにより、顕著な活性を示す物質を探索した。次に、特に興味深い活性のみられた数種のアクチン脱重合剤とtheonellamide類化合物について、細胞の形態、増殖、および細胞内タンパク質の機能に及ぼす影響を詳細に調べ、作用機序を検討するとともに、有効利用法について考察した。本研究による成果の大要を以下に述べる。

1.ラット胎児由来3Y1線維芽細胞に形態変化を誘導する物質のスクリーニング

 海綿を中心とした海産無脊椎動物から単離された化合物約30種類、およびそれら生物からの粗抽出液約300種類について、細胞機能に影響を及ぼす物質のスクリーニングを行った。対象細胞としては、薬剤処理や培地成分の変化などに応じて様々な形で顕著な形態変化を示すラット胎児由来3Y1線維芽細胞を用い、DMEM培地中、5%CO2下、37℃で培養し、各サンプルによる細胞形態、増殖への影響を位相差顕微鏡により観察した。各サンプルにつき終濃度約10g/mlで細胞を処理したところ、全サンプルの1/10程度のものが細胞に対して何らかの影響を及ぼした。それらの影響としては、細胞周期の同調、細胞形態の紡錘形化、細胞内への小粒状物質の蓄積、ネクローシス様の膨張死、およびアポトーシス様の小粒化に続く細胞死と、多様なものが観察された。このうち、アクチン脱重合剤として知られる数種の化合物は、細胞に対して樹状突起の形成を誘導し、その活性が既存の薬剤より強力であった。また、theonellamide類化合物は細胞内に液胞群を発生させる作用を示したが、細胞毒性は低かった。したがって、それらの化合物群は既存の薬剤に代わるアクチン脱重合剤、あるいは細胞内膜構造の研究試薬としての開発が期待されたため、以下に述べる作用機構の詳細な検討を行った。

2.海産アクチン脱重合剤の有効性の検討

 海綿由来のmycalolide B、bistheonellide A、およびウミウシ由来のkabiramide Dなど、アクチン脱重合作用を示すことが確認されているマクロライド系化合物、またはその類縁体で3Y1細胞を処理したところ、0.1M以下の濃度で細胞に樹状突起の形成がみられた。その活性は陸上菌類に由来する既存のアクチン脱重合剤、cytochalasin Dに比べ10倍以上高く、海綿由来のlatrunculin Aと比べても高いことが示された。これらのうち、bistheonellide Aは他の化合物に比べ細胞毒性が低いことから、細胞生物学的研究でのアクチン脱重合剤としての利用が特に期待された。そこで、その開発に向けた基礎データ収集のため、bistheonellide Aによる細胞骨格や細胞周期への影響を調べた。まず、各種蛍光標識プローブあるいは免疫蛍光染色法により、細胞内成分に及ぼすbistheonellide Aの影響を調べた。その結果、0.1M濃度でアクチンを主成分とするストレスファイバーを数時間以内にほぼ完全に消失させたが、微小管や中間径フィラメントへの影響はみられなかった。また、bistheonellide Aで処理した細胞には2核のものが多く存在することが確認された。次に、ヒドロキシ尿素および0.5%牛胎児血清を含む培地の処理により、それぞれS期開始点およびG0期に細胞周期を同調させた3Y1細胞を用い、bistheonellide A処理による細胞内DNA量の変化をフローサイトメトリーにより解析した。その結果、S期同調細胞のほとんどが多核化するのに対し、G0期同調細胞は多核化しにくいことが明らかとなった。また、両細胞群とも細胞増殖が停止していることから、G0期とS期の間にbistheonellide Aにより細胞周期の進行が阻害される点が存在するものと考えられた。Bistheonellide A除去後の細胞では、3時間ほどでストレスファイバーの再構築が観察されたが、多核化した細胞が単核に復帰するまで約20時間を要し、復帰した細胞の核のDNA量は通常の2倍で、4倍体となっていた。

 アクチン脱重合剤としての効果的な利用のためには、アクチン以外のタンパク質との相互作用の可能性についても検討を加える必要がある。低分子化合物とタンパク質の相互作用の解析には、低分子化合物標識体の使用が有効であるが、bistheonellide Aは標識化が困難であった。そこで、構造の一部が類似し、標識化が可能なmycalolide Bおよびkabiramide Dにつきビオシチン標識体を作製し、アビジン結合ゲルビーズや蛍光標識アビジンを用いて、3Y1細胞に内在する結合タンパク質の単離を行うとともに、その局在を調べた。その結果、mycalolide Bでは、SH基を介してミカエル付加により多種タンパク質が共有結合し、アクチンに対する特異性が低いことが示された。一方、kabiramide Dはアクチンとの結合に高い特異性を示し、その様式は非共有結合的であった。競合的結合実験を行った結果、kabiramide Dおよびbistheonellide Aはアクチン分子内の同一部位に結合することが示され、さらにその部位が、cytochalasin Dやlatrunculin Aとの結合部位とは異なることが示唆された。したがって、培養細胞に対するアクチン脱重合剤の処理実験においては、kabiramide D、cytochalasin D、およびlatrunculin Aを併用し、実験結果の共通点および相違点を明らかにすることにより、細胞内のアクチンの機能に関するより正確な結論が得られるものと判断された。

3.海綿由来細胞毒性物質theonellamide類化合物の作用機構の解析

 Theonellamide類化合物は、白血病細胞に対する細胞毒性や抗カビ性を指標に海綿より単離された、異常アミノ酸を含む2環性のペプチドである。3Y1細胞に対して、theonellamide AおよびFを6M濃度で24時間処理したところ、核周辺に位相差顕微鏡で観察可能な巨大液胞群を誘導した。放線菌由来のNa+イオノフォア、monensinによる処理で3Y1細胞に類似の液胞が発生したことから、theonellamide類処理により発生する液胞群は、主にゴルジ体が膨張したものと考えられた。処理濃度の増大および処理時間の延長で液胞は巨大化したが、この液胞中にはオルガネラと思われる小粒状物質が蓄積されていることが多かった。アミノ酸欠損培地を用いてtheonellamide F処理実験を行った結果から、本物質が細胞の自食作用を阻害することが示唆された。12Mでの処理によっても細胞の増殖が確認され、3Y1細胞に対するtheonellamide Fの毒性の低さが示された。なお、theonellamide Fは酵母Saccharomyces cerevisiaeに対しては2M以下で増殖阻害活性を示したが、形態変化はみられなかった。

 標的分子の同定のため、theonellamide Aをアルデヒド化し、ヒドラジド基を有するゲルビーズに結合させ、アフィニティービーズを作製した。ウサギ肝臓抽出物中、2つのタンパク質がこのビーズに特異的に結合したが、リシルエンドペプチダーゼ分解断片のN末端アミノ酸配列分析の結果から、これらは17-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼIVおよびグルタミン酸デヒドロゲナーゼと同定された。グルタミン酸デヒドロゲナーゼについては市販のウシ肝臓由来の標品を用いてtheonellamide Fの影響を詳細に検討した。Theonellamide Fは、-ケトグルタル酸のグルタミン酸への変換反応を活性化したが、その様式は、既知の活性化物質ADPによるものに比べて低く、また、逆反応に対する活性化作用もごくわずかであった。3Y1細胞抽出物中の多くのタンパク質がアフィニティービーズに結合したが、2つのタンパク質が特異的に結合することが確認され、そのうちの一つはグルタミン酸デヒドロゲナーゼと同じ分子量を示した。酵母抽出物中にもこのビーズに結合す墓タンパク質が多数存在したが、そのうちの一成分はN末端アミノ酸配列分析でエノラーゼと同定された。

 以上、本研究により、海産無脊椎動物由来のアクチン脱重合剤の細胞内でのアクチンとの結合の特異性が明らかとなり、細胞生物学的研究での有効性が示された。また、細胞周期の進行におけるアクチンの機能についても、その一端が示された。Theonellamide類化合物については今まで細胞内における作用機構がほとんど明らかでなかったが、本研究は細胞の自食作用への阻害作用を示唆するとともに、3種類の標的タンパク質を同定し、細胞内膜構造の研究試薬としての有効性が示された。これらの成果は生化学および細胞生物学の基礎研究に資するのみならず、これら各分野における薬剤の利用法を示したもので応用上での貢献も大きいものと考えられる。

審査要旨

 棲息域が特殊な環境下にある水圏生物は、ユニークな活性や構造をもつ天然化合物の宝庫で、近年、海綿やホヤなどの海産無脊椎動物から様々な新規物質が単離されている。これらの化合物は、医薬品のリード化合物および生化学の研究試薬としての有効利用が期待されているが、その多くについては現在のところ作用機序が明らかでない。そこで本研究では、海産無脊椎動物由来の化合物につき、より多く薬剤として開発するため、その作用機序の解析を行うことを目的とした。

 まず、海産無脊椎動物から単離された化合物約30種類および粗抽出液約300種類を用い、細胞機能に影響を及ぼす物質のスクリーニングを行った。ラット由来3Y1線維芽細胞の形態に対する影響を位相差顕微鏡により観察したところ、全サンプルの1/10程度のものにより、多様な影響がみられた。このうち、アクチン脱重合剤として知られる数種の化合物は、樹状突起の形成を誘導し、その活性は既存の薬剤より強力であった。また、theonellamide類は液胞群を発生させる作用を示したが、細胞毒性は低かった。したがって、それらの化合物群は既存の薬剤に代わるアクチン脱重合剤、あるいは細胞内膜構造の研究試薬としての開発が期待されたため、作用機構の検討を行った。

 海綿由来のmycalolide B、bistheonellide A、およびウミウシ由来のkabiramide Dで3Y1細胞を処理したところ、既存のアクチン脱重合剤に比べ10倍以上高い形態変化誘導活性が示された。Bistheonellide Aは他の化合物に比べ細胞毒性が低く、アクチン脱重合剤としての開発が特に期待された。そこで細胞骨格や細胞周期への影響について検討を加えた。Bistheonellide Aは、0.1mMでストレスファイバーを数時間以内に消失させた。また、bistheonellide Aで処理した細胞には2核のものが多く確認された。S期開始点およびG0期に同調した3Y1細胞を用い、bistheonellide A処理による細胞内DNA量の変化を解析した結果、G0期とS期の間にbistheonellide Aにより細胞周期の進行が阻害される点が存在するものと考えられた。Bistheonellide A除去後の細胞では、数時間でストレスファイバーが再構築されたが、多核化した細胞が単核に復帰するまで約20時間を要し、それらの細胞は4倍体となっていた。標識化が可能なmycalolide Bとkabiramide Dをビオシチン化し、各種標識化アビジンを用いてそれらのアクチンとの結合の特異性について調べた。その結果、mycalolide Bには多くのタンパク質が共有結合し、kabiramide Dにはアクチンのみが非共有結合的に結合した。また、kabiramide Dおよびbistheonellide Aはアクチン分子内の同一部位に結合し、その部位がcytochalasin Dやlatrunculin Aの結合部位とは異なることが示唆された。実験においてこれらの薬剤を併用することにより、細胞内のアクチンの機能に関するより正確な結論が得られるものと判断された。

 Theonellamide類は、細胞毒性や抗カビ性を指標に海綿より単離されたペプチドである。Theonellamide Fは3Y1細胞の核周辺に液胞群の発生を誘導し、処理濃度および時間の増加に伴い液胞は巨大化した。アミノ酸欠損培地中での処理結果より、本物質が細胞の自食作用を阻害することが示唆された。Theonellamide Fは酵母Saccharomyces cerevisiaeに対しては2mM以下で増殖阻害活性を示したが、形態変化はみられなかった。Theonellamide Aを固定したアフィニティービーズを作製し標的分子を探索した。ウサギ肝臓抽出物中では、17-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼIVおよびグルタミン酸デヒドロゲナーゼがこれに特異的に結合した。Theonellamide Fは、グルタミン酸デヒドロゲナーゼによる-ケトグルタル酸の還元反応を活性化した。3Y1細胞抽出物中では、2つのタンパク質が特異的にアフィニティービーズに結合し、そのうちの一つはグルタミン酸デヒドロゲナーゼと同じ分子量を示した。酵母抽出物中ではビーズに結合するタンパク質が多数存在したが、その一つはエノラーゼと同定された。

 以上、本研究により、海産無脊椎動物由来の幾つかの物質の作用機構の一端が明らかとされた。これらの成果は生化学および細胞生物学の基礎研究に資するのみならず、これら各分野における薬剤の利用法を示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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