棲息域が特殊な環境下にある水圏生物は、ユニークな活性や構造をもつ天然化合物の宝庫で、近年、海綿やホヤなどの海産無脊椎動物から様々な新規物質が単離されている。これらの化合物は、医薬品のリード化合物および生化学の研究試薬としての有効利用が期待されているが、その多くについては現在のところ作用機序が明らかでない。そこで本研究では、海産無脊椎動物由来の化合物につき、より多く薬剤として開発するため、その作用機序の解析を行うことを目的とした。 まず、海産無脊椎動物から単離された化合物約30種類および粗抽出液約300種類を用い、細胞機能に影響を及ぼす物質のスクリーニングを行った。ラット由来3Y1線維芽細胞の形態に対する影響を位相差顕微鏡により観察したところ、全サンプルの1/10程度のものにより、多様な影響がみられた。このうち、アクチン脱重合剤として知られる数種の化合物は、樹状突起の形成を誘導し、その活性は既存の薬剤より強力であった。また、theonellamide類は液胞群を発生させる作用を示したが、細胞毒性は低かった。したがって、それらの化合物群は既存の薬剤に代わるアクチン脱重合剤、あるいは細胞内膜構造の研究試薬としての開発が期待されたため、作用機構の検討を行った。 海綿由来のmycalolide B、bistheonellide A、およびウミウシ由来のkabiramide Dで3Y1細胞を処理したところ、既存のアクチン脱重合剤に比べ10倍以上高い形態変化誘導活性が示された。Bistheonellide Aは他の化合物に比べ細胞毒性が低く、アクチン脱重合剤としての開発が特に期待された。そこで細胞骨格や細胞周期への影響について検討を加えた。Bistheonellide Aは、0.1mMでストレスファイバーを数時間以内に消失させた。また、bistheonellide Aで処理した細胞には2核のものが多く確認された。S期開始点およびG0期に同調した3Y1細胞を用い、bistheonellide A処理による細胞内DNA量の変化を解析した結果、G0期とS期の間にbistheonellide Aにより細胞周期の進行が阻害される点が存在するものと考えられた。Bistheonellide A除去後の細胞では、数時間でストレスファイバーが再構築されたが、多核化した細胞が単核に復帰するまで約20時間を要し、それらの細胞は4倍体となっていた。標識化が可能なmycalolide Bとkabiramide Dをビオシチン化し、各種標識化アビジンを用いてそれらのアクチンとの結合の特異性について調べた。その結果、mycalolide Bには多くのタンパク質が共有結合し、kabiramide Dにはアクチンのみが非共有結合的に結合した。また、kabiramide Dおよびbistheonellide Aはアクチン分子内の同一部位に結合し、その部位がcytochalasin Dやlatrunculin Aの結合部位とは異なることが示唆された。実験においてこれらの薬剤を併用することにより、細胞内のアクチンの機能に関するより正確な結論が得られるものと判断された。 Theonellamide類は、細胞毒性や抗カビ性を指標に海綿より単離されたペプチドである。Theonellamide Fは3Y1細胞の核周辺に液胞群の発生を誘導し、処理濃度および時間の増加に伴い液胞は巨大化した。アミノ酸欠損培地中での処理結果より、本物質が細胞の自食作用を阻害することが示唆された。Theonellamide Fは酵母Saccharomyces cerevisiaeに対しては2mM以下で増殖阻害活性を示したが、形態変化はみられなかった。Theonellamide Aを固定したアフィニティービーズを作製し標的分子を探索した。ウサギ肝臓抽出物中では、17-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼIVおよびグルタミン酸デヒドロゲナーゼがこれに特異的に結合した。Theonellamide Fは、グルタミン酸デヒドロゲナーゼによる-ケトグルタル酸の還元反応を活性化した。3Y1細胞抽出物中では、2つのタンパク質が特異的にアフィニティービーズに結合し、そのうちの一つはグルタミン酸デヒドロゲナーゼと同じ分子量を示した。酵母抽出物中ではビーズに結合するタンパク質が多数存在したが、その一つはエノラーゼと同定された。 以上、本研究により、海産無脊椎動物由来の幾つかの物質の作用機構の一端が明らかとされた。これらの成果は生化学および細胞生物学の基礎研究に資するのみならず、これら各分野における薬剤の利用法を示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |