学位論文要旨



No 115277
著者(漢字) アグス オマン スダラジャット
著者(英字)
著者(カナ) アグス オマン スダラジャット
標題(和) 魚類のチトクロムP-450アロマターゼに関する分子生物学的研究
標題(洋) Molecular Biological Studies on Cytochrome P-450 Aromatase in Fishes
報告番号 115277
報告番号 甲15277
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2122号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 長澤,寛道
 日本大学 教授 朝比奈,潔
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 チトクロームP-450アロマターゼは、生殖腺と脳に存在し、アンドロゲンからエストロゲンへの生合成を触媒する酵素として、生殖線の発達、性分化、性行動の発現などに重要な役割を演じているほか、様々な組織にも存在し、各組織の特異的な機能発現に関与しているものと考えられている。本論文では、こうしたアロマターゼの魚類における生理的な役割を解明する一助として、生理学的研究のモデル魚で、多くの知見が蓄積されているキンギョを用い、卵巣および脳からそれぞれアロマターゼcDNAのクローニングを行い、一次構造を解析した。その結果、キンギョの卵巣と脳では、それぞれ異なる構造を持つアロマターゼ分子が存在することが明らかとなった。さらに、この2種類のアロマターゼ分子の様々な組織における発現状況を検討した。またキンギョにおいて明らかとなった2種類のアロマターゼ分子の存在、すなわちアロマターゼ分子の多重性がキンギョ以外の魚類にも認められる現象であるか否かを明らかにするため、他の魚類についてもアロマターゼ分子のcDNAクローニングを行い、それらの一次構造を解析し、魚類におけるアロマターゼ分子の多重性について考察した。

第1章キンギョ卵巣および脳からのアロマターゼcDNAのクローニング

 キンギョを含めた数種の魚類の脳におけるアロマターゼ活性は卵巣よりも約10倍高く、さらに哺乳類の脳より100-1000倍高いことが報告されていることから、魚類の脳では卵巣に比べて活性の高いアロマターゼ分子が存在している可能性が考えられている。そこで、まずキンギョの卵巣および脳に存在するアロマターゼ分子の構造を明らかとすることを目的として、それぞれの組織からアロマターゼをコードするcDNAをクローン化し、それらの一次構造を解析した。その結果、キンギョ卵巣および脳のcDNAライブラリーのそれぞれから異なる構造を持つアロマターゼをコードするcDNAが得られた。卵巣から得られたcDNAは、全長1918bpであり、アミノ酸518残基をコードしていた。ホモロジー解析の結果、この演繹アミノ酸配列はアロマターゼの機能的な領域をよく保存していた。また既知の魚類の卵巣由来アロマターゼ(ナマズ、ニジマス、メダカ)と比較したところ高い同一率(68、68、64%)を示し、哺乳類および鳥類とは48-51%の同一率を示した。一方、脳からのアロマターゼcDNAは2906bpであり、アミノ酸510残基をコードしていた。この演繹アミノ酸配列はキンギョ卵巣アロマターゼとは異なっていたが、アロマターゼの機能的な領域をよく保存していた。この卵巣および脳由来のアロマターゼを比較した場合、全般にわたるアミノ酸配列の相異(40%の相異)に加え、後者はN末端19残基を欠いていた。この欠失は既知の魚類卵巣アロマターゼには見られず、哺乳類のアロマターゼにのみ認められている。また既知の魚類卵巣由来アロマターゼ(ナマズ、ニジマス、メダカ)とそれぞれ、58、59、56%の同一率を示し、哺乳類、鳥類とは51-53%の同一率を示した。さらに、それぞれのアロマターゼに特異的なcDNAプローブを用いたサザンブロット解析の結果、一個体のキンギョのゲノムに少なくとも2種類のアロマターゼ遺伝子が存在することが示された。これらのことから、哺乳類で得られた知見とは異なり、キンギョでは脳と卵巣で異なった遺伝子にコードされたアロマターゼが発現していることが明らかとなった。そこで本論文では、この2つのアロマターゼ分子をそれぞれ卵巣型および脳型アロマターゼと命名した。

第2章キンギョ卵巣型および脳型のアロマターゼ遺伝子の各組織での発現

 第1章でキンギョにおいて少なくとも2種類のアロマターゼ分子が存在し、それぞれが卵巣と脳で発現していることが明らかとなったが、これら2つのアロマターゼ遺伝子の各組織での発現状況は不明である。そこで各組織における卵巣型および脳型のアロマターゼ遺伝子の発現をノーザンブロット解析およびRT-PCR法により調べた。まず卵巣、精巣および脳のmRNAに対して卵巣型および脳型アロマターゼ遺伝子に特異的なcDNAプローブを用いてノーザンブロットを行った。その結果、卵巣型アロマターゼmRNAは、卵巣においては3.0kbと1.9kbの2種類の転写産物として、脳においては発現量は卵巣に比べて非常に少ないものの、3.0kbの転写産物として認められた。また精巣では発現が認められなかった。一方、脳型アロマターゼmRNAは、脳において3.0kbの転写産物として認められ、その発現量は前述の脳における卵巣型アロマターゼmRNAの発現量の比べて、多かった。また、生殖腺(卵巣および精巣)での脳型アロマターゼmRNAの発現は認められなかった。従って、キンギョの卵巣では卵巣型アロマターゼmRNAのみが発現し、一方脳においては卵巣型および脳型の両方のアロマターゼmRNAが発現しているが、優勢に発現しているアロマターゼは脳型であることが明らかとなった。またRT-PCR法によってもほぼ同様の結果が得られたが、精巣では卵巣型の非常に弱い発現が認められた。さらにこれら以外の様々な組織での発現をRT-PCR法で調べた結果と併せると、卵巣、精巣、心臓および脾臓では卵巣型アロマターゼのみが発現し、脳および下垂体では卵巣型アロマターゼも弱く発現しているものの、脳型アロマターゼが優勢に発現していた。また眼、鰓、表皮および筋肉では両方のアロマターゼが同程度発現していた。一方、肝臓および腸ではどちらのアロマターゼの発現も認められなかった。これらのことから、2種類のアロマターゼ遺伝子の組織特異的発現パターンは異なり、それぞれの遺伝子は異なる発現調節を受けていることが示された。

第3章魚類におけるアロマターゼ分子の多重性

 キンギョにおいて卵巣型および脳型の2種類のアロマターゼ分子が存在することが明らかとなったが、このアロマターゼ分子の多重性は一部のコイ科魚類(キンギョ、コイ)に認められる染色体の倍化、すなわち四倍体化によるものとも考えられる。そこでアロマターゼ分子の多重性が倍数体化によるものではなく、他の魚類にも認められる現象であるか否かを明らかにするため、卵巣由来(卵巣型)のアロマターゼの構造がすでに明らかにされている二倍体性魚類のメダカを用い、脳型アロマターゼのcDNAクローニングを試みた。その結果、メダカの脳から既知のメダカ卵巣型アロマターゼと異なる構造を持つアロマターゼをコードするcDNAが得られた。さらに、この演繹アミノ酸配列は、いくつかの領域で既知の魚類卵巣型アロマターゼよりもキンギョの脳型アロマターゼと類似性が認められたことから、得られたcDNAはメダカの脳型アロマターゼをコードするものであると判断した。また演繹アミノ酸配列を基した系統樹解析を行った結果、メダカの卵巣型と脳型のアロマターゼは、キンギョの卵巣型と脳型のそれぞれのアロマターゼとクラスターを形成した。これらのことから、メダカにおいても、キンギョと同様に、脳型および卵巣型の2種類のアロマターゼ分子が存在し、アロマターゼ分子の多重性が倍数体化によるものではないことが明らかとなった。このアロマターゼ分子の多重性は少なくともキンギョとメダカが分岐する以前の共通祖先魚類においてすでに存在していたことが示唆された。

 以上の結果、キンギョおよびメダカにおいて、卵巣型および脳型の2種類のアロマターゼ遺伝子の存在が明らかにされ、魚類におけるアロマターゼ分子の多重性が示された。この知見はアロマターゼ遺伝子が1種類である哺乳類とは異なるものであり、魚類においては独自にアロマターゼ分子が多重化し、哺乳類とは異なるシステムで、アロマターゼの機能的な発現調節機構が獲得されてきたと推察された。さらに魚類におけるアロマターゼ分子の多重性と本酵素の機能との関連が注目された。今後、これらの遺伝子の発現状況を詳細に調べることで、魚類の成熟現象のみならず、様々な生理的現象の解明に大きく寄与するものと期待される。

審査要旨

 チトクロムP-450アロマターゼ(P-450arom)は、主に卵巣と脳に存在し、アンドロゲンからエストロゲンへの生合成を触媒する酵素である。哺乳類では、単一のP-450arom遺伝子から組織特異的プロモータを介して各組織で同一分子が産生される。一方、魚類では卵巣由来のP-450arom分子の構造が一部の魚種で明らかにされているが、脳および他の組織で発現しているP-450arom分子が、哺乳類と同様に、卵巣由来のものと同一であるか否かは不明である。本研究は、コイ科魚、メダカ、ウナギおよびアロワナを用い、脳および卵巣からP-450arom cDNAを単離し、その一次構造を解析し、組織特異的発現を明らかにすることにより魚類におけるP-450arom分子の進化について考察したものである。

1.コイ科魚類におけるチトクロムP-450アロマターゼcDNAのクローニングと組織特異的発現

 まずキンギョ卵巣および脳のcDNAライブラリーのそれぞれから異なる構造を持つP-450aromをコードするcDNAを得た。両者ともに、P-450aromの機能的な領域をよく保存していたが、両者間のアミノ酸配列には、約40%の相異が認められた。ホモロジー解析の結果、キンギョの卵巣由来のP-450aromは、既知の魚類卵巣由来のP-450aromと相同のものであるが、本研究で脳から得られたP-450aromは、既知の魚類卵巣由来P-450aromと異なる新しいタイプのP-450arom分子であった。そこで本論文では、この2つのP-450arom分子をそれぞれ卵巣型および脳型P-450aromと命名した。また、サザンブロット解析の結果から、一個体のキンギョのゲノムに少なくともこの2種類のP-450arom遺伝子が存在することが示された。これらのことから、哺乳類とは異なり、キンギョでは脳と卵巣で異なった遺伝子にコードされたP-450aromが発現していることが明らかとなった。

 キンギョの卵巣では卵巣型P-450aromのみが発現し、一方脳においては両方のP-450aromが発現していたが、優勢に発現していたのは脳型であった。さらに、これら2種類のP-450arom遺伝子の組織特異的発現パターンが異なることから、それぞれの遺伝子は異なる発現調節を受けていることが示された。

 さらにコイ(四倍体性)とタナゴ(二倍体性)について、2種類のP-450arom cDNAのクローニングを行ったところ、キンギョの脳型および卵巣型に相同な2種類のP-450arom分子が存在することが明らかとなった。この結果、このP-450arom分子の二元性は、コイ科魚類における染色体の倍数化に起因するものではないことが判明した。

2.メダカにおけるチトクロムP-450アロマターゼcDNAのクローニングと組織特異的発現

 P-450arom分子の二元性が系統的に異なる他の魚類にも認められる現象であるか否かを明らかにするため、卵巣由来(卵巣型)のP-450aromの構造がすでに明らかにされている二倍体性魚類のメダカを用い、脳型P-450aromのcDNAクローニングを試みた。その結果,メダカの脳から既知のメダカ卵巣型P-450aromと異なる構造を持つP-450aromをコードするcDNAが得られた。この遺伝子は、脳と下垂体のみで発現し、卵巣での発現は認められなかった。この演繹アミノ酸配列は、魚類の卵巣型よりも脳型P-450aromと類似性が認められたことから、得られたcDNAはメダカの脳型P-450aromをコードするものであると判断した。すなわち、メダカにおいても、コイ科魚類と同様にP-450arom分子の二元性が存在することが明らかとなった。

3.原始的真骨魚類におけるチトクロムP-450アロマターゼcDNAのクローニングと組織特異的発現

 上述のP-450arom分子の二元性が魚類進化の過程のどの時点において、獲得されたかは不明である。そこで、原始的真骨魚類であるウナギおよびアロワナを用い、P-450aromのcDNAクローニングを試みた。その結果、ウナギの脳および卵巣からそれぞれP-450arom cDNAが得られたが、それらは同一分子であった。さらにアロワナのP-450aromはウナギで同定された分子と構造が類似していた。またウナギのP-450arom遺伝子の発現状況を調べたところ、脳と卵巣で同一のP-450arom遺伝子が発現していた。これらの結果から原始的な真骨魚類では、P-450aromは一元性であることが示唆された。

 以上、本研究は、魚類のP-450aromが原始的な真骨魚類では哺乳類と同様に一元性であったが、その後の魚類進化の過程で分子が多重化し、哺乳類とは異なるP-450aromシステムを獲得したことを示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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