学位論文要旨



No 115278
著者(漢字) 孫,永昌
著者(英字)
著者(カナ) ソン,ヨンチャン
標題(和) キンギョの生殖腺刺激ホルモンおよび甲状腺刺激ホルモン遺伝子の発現に関する分子内分泌学的研究
標題(洋) Molecular Endocrinological Studies on Expression of Gonadotropin and Thyrotropin Genes in Goldfish
報告番号 115278
報告番号 甲15278
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2123号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 小林,牧人
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 魚類においても、他の脊椎動物と同様、生殖活動は視床下部-下垂体-生殖腺からなる内分泌系による調節を受けている。このうち下垂体で産生される糖タンパク質ホルモンに属する生殖腺刺激ホルモン(GTH)は生殖腺の発達に重要な役割を演じている。従来魚類のGTHは1種類であると考えられていたが、近年サケ科魚類を始め数種の魚種において2種類のGTH、すなわち濾胞刺激ホルモン(FSH)様構造を示すGTH-Iおよび黄体形成ホルモン(LH)様構造を示すGTH-IIが単離・同定された。しかし、この2種類のGTHの生理作用および合成・分泌の調節機構には、まだ不明な点が多い。また、哺乳類では下垂体で産生されるもう一つの糖タンパク質ホルモンである甲状腺刺激ホルモン(TSH)は甲状腺ホルモンを介して、基礎代謝を調節することが知られているが、魚類では代謝調節よりもむしろ変態や性成熟への関与が示唆されている。また魚類におけるこれらの下垂体ホルモンの生理作用および合成・分泌に関する研究のほとんどは年一回産卵魚であるサケ科魚類が中心で、多回産卵魚においてもサケ科と同等な生理作用を有しているかは不明である。これまでのところ魚類の内分泌学研究の分野において、GTHおよびTSHの合成・分泌に関しては以下に挙げた点が未だに明らかにされていない。1)サケ科以外の魚種においてGTH-Iの生理作用は何か、2)多回産卵魚では、2種類のGTHおよびTSHの合成・分泌は生殖腺の発達とどのように関わっているか、3)2種類のGTHおよひTSHの合成・分泌は環境要因、生理的要因によりどのような調節を受けているか、4)2種類のGTHおよびTSHをコードする遺伝子の発現調節機構はどうなっているか、5)魚類のGTHおよびTSH遺伝子の発現調節機構は他の脊椎動物の機構と比べてどのような特徴がみられるのか。

 これらの問題点を明らかにすることにより、魚類の生殖機構が一層解明され、また魚類の成熟・産卵の人為的制御のための基礎的知見が得られる。さらに脊椎動物の下垂体ホルモン遺伝子の分子進化といった比較内分泌学的情報も提供される。

 そこで本研究では、GTH-Iの生理作用については精製された標品がないため調べられなかったが、多回産卵魚であるキンギョを材料とし、はじめに性成熟過程における2種類のGTHおよびTSH遺伝子の発現動態を調べ、次に生殖腺の発達に影響を与える種々の要因とこれら遺伝子の発現との関連を調べた。そして、得られた結果からGTH・TSHの生殖活動における関与および合成の調節機構を推察した。さらに、これら遺伝子の発現調節機構を明らかにする端緒として、2種類のGTHおよびTSH分子に特異的な各サブユニット遺伝子をクローニングし、遺伝子上流の発現制御配列を調べた。

1.GTHおよびTSH遺伝子発現の季節変動

 生殖腺の発達過程におけるキンギョのGTHおよびTSH鎖遺伝子の発現動態を明らかにするため、雌雄のキンギョを自然条件下で飼育し、GTHおよびTSH分子に共通である鎖、GTH-I、GTH-II、TSH鎖のmRNA量の季節変動について調べた。雌では、GTH-I、GTH-IIおよび鎖のmRNA量は春の産卵期に同期して増加し、産卵期終了後の夏は減少した。このことから、雌キンギョにおいて生殖腺の発達にはGTH-IおよびGTH-IIの両方が同時期に作用していることが示唆された。雄でもGTH-IIおよび鎖は雌同様のパターンを示したが、GTH-I鎖は著しい変動を示さなかったことから、雌雄間ではGTH-Iについては異なる制御を受けていると考えられた。TSH鎖のmRNA量は雌雄ともに冬から春にかけての生殖腺発達の初期に増加し、夏の生殖腺が退縮した時期に減少したことから、TSHは生殖腺発達過程の初期に作用していると思われた。

2.GTHおよびTSH遺伝子発現に及ぼす環境要因の影響

 多くの魚類では水温により生殖腺の発達が制御されることが知られている。キンギョにおいて水温が2種類のGTHおよびTSH遺伝子の発現にどのように関与しているのかを明かにするために、成熟したキンギョを異なる水温(10、20、30℃)で2週間飼育し、GTHおよびTSH遺伝子のmRNA量の変動を調べた。2種類のGTH鎖のmRNA量は10、20℃で増加傾向を示した。このことは卵黄蓄積期と産卵期に相当する水温で2種類のGTHの合成が活発となり、生殖腺の発達を促進していると推測された。一方、TSH鎖のmRNA量は10℃で高値を示したことから、TSHの合成は低水温により促進されるものと考えられた。

 生殖腺の発達は栄養状態にも依存していることが知られている。そこで、GTHおよびTSH遺伝子の発現と栄養状態との関連性を明かにするために、成熟したキンギョを給餌群と絶食群とに分けて2週間飼育し、生殖腺重量指数(GSI)とGTHおよびTSH遺伝子のmRNA量の変動を調べた。雄のGSIと2種類のGTH鎖mRNA量は絶食により減少したが、雌では顕著な変化はなかった。一方、TSH鎖のmRNA量は雌雄ともに変化しなかった。これらの結果から,雄は雌に比べ,生殖活動において絶食の影響を受けやすい可能性が示された。

3.GTHおよびTSH遺伝子発現に及ぼす生理的要因の影響

 数種の魚類で、GTH-IIの合成・分泌は,脳の視床下部から分泌される生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)により促進的に調節されているが、このほかに生殖腺で産生される性ステロイドによっても正または負の調節を受けていることが知られている。ここでは、2種類のGTH遺伝子の発現調節を明らかにするために、テストステロン(T)、エストラジオール(E)、11-ケトテストステロン(K)およびGnRHがキンギョのGTH-IおよびGTH-II鎖のmRNA量に与える影響について調べた。性的に未熟な稚魚では、GTH-I鎖mRNA量はT、E、Kの投与により減少し、GTH-II鎖mRNA量はTおよびEにより増加した。成熟開始期でも同様な結果が得られた。しかし、成熟期では,顕著な変化を示さなかった。

 次に,TおよびGnRHの下垂体への直接的な作用をみるために、キンギョの下垂体細胞の初代培養系を用いたin vitroでの実験を行った。T添加により、未熟魚の細胞ではGTH-II鎖mRNA量が、成熟開始期の細胞ではGTH-I鎖mRNA量がそれぞれ増加したが、成熟魚の細胞ではGTH-I鎖およびGTH-II鎖両方のmRNA量が増加した。またGnRH添加により、未熟魚の細胞でGTH-I鎖mRNA量が増加したが、成熟魚の細胞ではGTH-I鎖およびGTH-II鎖両方のmRNA量が増加した。性ホルモンの作用はin vivoとin vitroで必ずしも一致しなかったが、この相違は、in vivo場合はin vitroの場合と異なり、結果が投与された性ホルモンと内因性のGnRH(促進系)およびドーバミン(抑制系)との総合作用としてあらわれることに起因すると考えられた。

 TSHの合成・分泌は、脳からの甲状腺刺激ホルモン放出ホルモンにより促進的に調節され、甲状腺の機能を維持する上で重要な役割を果たしていると考えられている。一方、TSHの作用により甲状腺から分泌される甲状腺ホルモン(T4、T3)によってもTSHの合成・分泌は抑制的な調節を受けていることが知られている。ここでは、魚類のTSH鎖遺伝子の発現に対する甲状腺ホルモンの作用を明らかにするため、キンギョの下垂体培養系を用い、T3がTSH鎖mRNA量に与える影響について調べた。その結果TSH鎖のmRNA量はT3添加により減少した。このことから,キンギョにおいても甲状腺ホルモンは、下垂体に直接作用し、TSH鎖の遺伝子発現を抑制的に調節していることが明らかになった。

4.GTHおよびTSH鎖遺伝子の上流域における発現制御配列

 キンギョのGTH-I、GTH-IIおよひTSH鎖遺伝子は3エクソン-2イントロン構造を示し、哺乳類のFSH、LHおよびTSH鎖と同様な構造であった。遺伝子の発現は,主にその遺伝子上流の制御配列とそこに作用する転写調節因子によって制御される。そこで、魚類における2種類のGTHおよひTSH遺伝子の発現を調節する転写調節因子を推察するために、GTH-I、GTH-IIおよびTSH鎖遺伝子の上流域の制御配列を調べた。GTH-IおよびGTH-II鎖遺伝子の上流域にはGTH細胞特異的配列(GSE)、GnRH応答配列(GnRH-RE)、性ステロイドホルモン応答ハーフ配列(1/2ARE、1/2ERE)が存在したことから、これらの配列がGTH遺伝子の発現に重要な役割を果たしていると考えられた。さらに、GTH-IおよびGTH-II鎖遺伝子におけるこれらの配列の局在性には著しい違いがあることから、両鎖遺伝子の発現は性ステロイドやGnRHのような細胞外情報により転写レベルで異なる調節を受けているものと考えられた。また、GTH-I鎖遺伝子の上流域にはGSE、GnRH-RE、1/2AREおよび1/2EREが密集している部位が存在した。このような特徴は哺乳類のFSH鎖遺伝子の上流域には存在していない。一方、キンギョのTSH鎖遺伝子の上流域には抑制性のT3応答配列、下垂体転写因子1応答配列,GATA-2因子応答配列が存在した。これらの配列は哺乳類のTSH鎖遺伝子の配列と同様であること、また哺乳類と同様なT3の抑制的調節機構の存在を考えると、キンギョにおけるTSH鎖遺伝子の発現調節機構は哺乳類の場合と類似していることが強く示唆された。

 以上、本研究においてキンギョのGTHおよびTSHに関して性成熟過程に伴う遺伝子発現の動態、環境要因および生理的要因による遺伝子発現の調節、遺伝子の構造および上流域の制御配列を明らかにした。今後、GTH-Iの生理作用に加え、これらの遺伝子の転写調節に関わる新たな制御配列、転写因子および細胞外因子の同定が魚類の生殖内分泌機構を明らかにするうえで重要であると考えられる。

審査要旨

 本研究は、多回産卵魚であるキンギョを材料として、まず始めに性成熟過程における2種類のGTHおよびTSH遺伝子の発現動態、次に生殖腺の発達に影響を与える種々の要因とこれら遺伝子の発現との関連、さらにこれら遺伝子の発現調節機構を明らかにする端緒として、2種類のGTHおよびTSH分子に特異的な各サプユニット遺伝子をクローニングし、遺伝子上流の発現制御配列を調べたものである。その大要は以下の通りである。

1.GTHおよびTSH遺伝子発現の季節変動

 生殖腺の発達過程におけるキンギョのGTHおよびTSH遺伝子の発現動態を明らかにするため、雌雄のキンギョを自然条件下で飼育し、GTHおよびTSH分子に共通である鎖、GTH-I、GTH-II、TSH鎖のmRNA量の季節変動について調べた。雌では、GTH-I、GTH-IIおよび鎖のmRNA量は春の産卵期に同期して増加し、産卵期終了後の夏は減少した。このことから、雌キンギョにおいて生殖腺の発達にはGTH-IおよびGTH-IIの両方が同時期に作用していることが示唆された。雄でもGTH-IIおよび鎖は雌同様のパターンを示したが、GTH-I鎖は著しい変動を示さなかったことから、雌雄間ではGTH-Iについては異なる制御を受けていると考えられた。TSH鎖のmRNA量は雌雄ともに冬から春にかけての生殖腺発達の初期に増加し、夏の生殖腺が退縮した時期に減少したことから、TSHは生殖腺発達過程の初期に作用していると思われた。

2.GTHおよびTSH遺伝子発現に及ぼす環境要因の影響

 成熟したキンギョを異なる水温で2週間飼育し,GTHおよびTSH遺伝子のmRNA量の変動を調べた。2種類のGTH鎖のmRNA量は10、20℃で増加傾向を示した。このことは卵黄蓄積期と産卵期に相当する水温で2種類のGTHの合成が活発となり、生殖腺の発達を促進していると推測された。一方、TSH鎖のmRNA量は10℃で高値を示したことから、TSHの合成は低水温により促進されるものと考えられた。成熟したキンギョを給餌群と絶食群とに分けて2週間飼育したところ雄のGSIと2種類のGTH鎖mRNA量は絶食により減少したが、雌では顕著な変化はなかった。この結果,雄は雌に比べ、生殖活動において絶食の影響を受けやすいことが明らかになった。

3.GTHおよびTSH遺伝子発現に及ぼす生理的要因の影響

 稚魚では、GTH-I鎖mRNA量はテストステロン(T)、エストラジオール(E)、11-ケトテストステロン(KT)の投与により減少し、GTH-II鎖mRNA量はTおよびEにより増加した。成熟開始期でも同様な結果が得られたが、成熟期では顕著な変化を示さなかった。培養下垂体細胞ではin vivoの結果と必ずしも一致しなかったが、この相違は、in vivoの場合はin vitroの場合とは異なり、結果が投与された性ホルモンと内因性のGnRH(促進系)およびドーバミン(抑制系)との総合作用としてあらわれることに起因すると考えられた。さらにGnRH添加により、未熟魚の細胞でGTH-I鎖mRNA量が、成熟魚の細胞ではGTH-I鎖およびGTH-II鎖両方のmRNA量が増加した。キンギョの下垂体培養細胞におけるTSH鎖mRNA量はT3添加により減少した。このことから、キンギョにおいても甲状腺ホルモンは、下垂体に直接作用し、TSH鎖の遺伝子発現を抑制することが明らかになった。

4.GTHおよびTSH鎖遺伝子の上流域における発現制御配列

 GTH-Iおよび-II鎖遺伝子の上流域にはGTH細胞特異的配列(GSE)、GnRH応答配列(GnRH-RE)、性ステロイドホルモン応答ハーフ配列(1/2ARE、1/2ERE)が存在した。さらに、GTH-Iおよび-II鎖遺伝子におけるこれらの配列の局在性には著しい違いがあることから、両鎖遺伝子の発現は性ステロイドやGnRHのような細胞外情報により転写レベルで異なる調節を受けているものと考えられた。また、GTH-I鎖遺伝子の上流域にはGSE、GnRH-RE、1/2AREおよび1/2EREが密集している部位が存在した。このような特徴は哺乳類のFSH鎖遺伝子の上流域には存在していない。一方、キンギョのTSH鎖遺伝子の上流域には抑制性のT3応答配列、下垂体転写因子(Pit-1)応答配列、GATA-2因子応答配列が存在した。これらの配列は哺乳類のTSH鎖遺伝子の配列と同様であること、また哺乳類と同様なT3の抑制的調節機構の存在を考えると、キンギョにおけるTSH鎖遺伝子の発現調節機構は哺乳類の場合と類似していることが強く示唆された。

 以上、本研究は、キンギョのGTHおよびTSHに関して性成熟過程に伴う遺伝子発現の動態、環境要因および生理的要因による遺伝子発現の調節、遺伝子の構造および上流域の制御配列を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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