学位論文要旨



No 115281
著者(漢字) ヨハネス アリス プルワント
著者(英字) Yohanes Aris Purwanto
著者(カナ) ヨハネス アリス プルワント
標題(和) 気体水和物による液状食品の濃縮に関する研究
標題(洋) Studies on the Concentration of Liquid Food by the Use of Gas Hydrate
報告番号 115281
報告番号 甲15281
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2126号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬尾,康久
 東京大学 教授 岡本,嗣男
 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 木下,誠一
内容要旨 はじめに

 味とともに香りが重要な品質構成要素となる液状食品では、高品質の製品を得る目的で一部に凍結濃縮が利用されているが、消費エネルギの面で問題がある。そこで、気体水和物の形成過程を利用した濃縮法について検討した。本方法では、水和物形成能がある無極性ガスとして、不要な化学的影響を及ばさない不活性ガスを用いることとし、その中で最も低圧で水の構造化を図ることができるキセノンガスを供試ガスとした。本研究では、1)プロトン緩和時間の計測、2)気体水和物の形成、および、3)液状食品の濃縮について検討し、凍結濃縮法に比べて、消費エネルギの面から有利である方法を提案した。凍結濃縮法は操作温度を凍結点以下に保つことが必要であるのに対し、本方法では常温で濃縮操作が可能であることから、消費エネルギの面で利点があると思われる。

プロトン緩和時間の計測

 水にキセノンガスを溶解させると水和物が形成され、水素結合で結ばれた水分子集団が増加する。これを水の構造化と呼ぶ。水素結合が十分に発達すると、気体水和物が形成される。そこで、液状食品中に水和殻形成に伴う水分子の動的変化を生じさせ、プロトン緩和時間T1とT2を通して水の状態について検討した。試料には蒸留水および濃度1.5,5.1,9,9と14.7wt.%のコーヒー溶液を用いた。T1およびT2の測定には共鳴周波数25MHzのNMRスペクトロメータ(JNM-MU25)を用いた。約0.5mlの試料溶液をNMR試料管に入れ、緩和時間を測定した。次に、キセノン分子による疎水性水和の影響を検討するため、同じ試料量をNMR試料管に入れ、キセノンガスを圧入し、24時間後に緩和時間を測定した。

 蒸留水、コーヒー溶液ともに温度が低下すると緩和時間が短くなった。これは、温度低下と共に水分子間の相互作用が強くなり、一部に水素結合した水分子の割合が増加し、緩和時間が短くなったと理解される。コーヒー溶液の場合は、コーヒー成分と水分子との相互作用の影響によると考えられる。蒸留水にキセノンガスが溶解した場合にも緩和時間が短くなったが、これは、キセノンガス溶解に伴い水素結合した水分子集団が増加したものと理解される。コーヒー溶液の濃度を一定にした場合にも、キセノン溶解量の増加に伴い緩和時間が短くなる傾向が分かった。キセノンガス分圧が高いほど溶解量が増加し、水分子とキセノン分子の疎水性水和による水の構造化の程度が高くなり、緩和時間が短くなると考えられる。このことから、キセノン溶解量が増加すると、水和物の形成が期待される。この結果に基づいて、キセノン水和物の結晶形成プロセスについて検討した。

気体水和物の形成

 水和物の形成は溶液へのキセノンガス溶解量に依存しており、これはキセノンガスの圧力と温度によって、決定される。そこで、気体水和物が形成されるときの圧力および温度条件と結晶形成に要する時間および結晶のサイズ分布について検討した。試料には蒸留水および濃度1.5、5.1、9.9および14.7wt.%のコーヒー溶液を準備した。内径20mm、高さ12mmのステンレス製円筒の上下面を耐圧ガラスで密封した試料セルに試料を0.3ml注入し、キセノンガスを所定の分圧になるよう圧入した。結晶形成時のキセノンガス平衡圧測定では、蒸留水と5.1および14.7wt.%のコーヒー溶液を試料とし、所定の温度でキセノン初期分圧0.2MPaを与えた。24時間経過後に透過型顕微鏡を介して結晶の有無を観察した。結晶が認められない場合は、キセノンガス分圧を0.03-0.05MPa刻みで高め、同様の手順で結晶が確認されるまで観察を行い、結晶が認められたときのキセノンガス分圧をその温度におけるガス平衡圧とした。結晶形成に必要なキセノンガス平衡圧を2℃から10℃の範囲で決定した。また顕微鏡写真から2次元平面に投影された水和物結晶の等価円直径を求め、結晶のサイズ分布を決定した。

 蒸留水とコーヒー溶液を比較すると、キセノンガスの溶解に与えるコーヒー成分と水分子との相互作用の影響がはっきりと出て、コーヒー溶液では、水和物結晶を形成するために高いキセノンガス分圧が必要であることが分かった。温度8℃、キセノンガス分圧0.7MPaの条件下で、蒸留水および濃度5.1と14.7wt.%コーヒー溶液を用いて、水和物が形成されるまでの時間を検討した。蒸留水、濃度5.1および14.7wt.%のコーヒー溶液中には、それぞれ、5、7および60分後に水和物の形成が観察された。溶液濃度が高いと水和物の形成時間が長くなることが示された。次に、コーヒー溶液濃度と水和物結晶のサイズ分布との関係を温度8℃,キセノンガス分圧0.7MPa、経過時間3時間の条件下で検討した。コーヒー溶液濃度の増大に伴い、小さな水和物結晶の割合が多くなることが示された。更に、濃度14.7wt.%のコーヒー溶液にキセノンガス分圧0.7MPa、温度8℃の条件で水和物を形成させ、結晶の成長の様子を観察した。その結果、時間の経過と共に結晶が成長することが認められた。

 一方、キセノンガス溶解量が同一になるような温度-キセノンガス分圧の組み合わせを3種類設定し、各条件下で水和物結晶のサイズ分布について検討した。その結果、溶解量が同一であれば、高い温度と低いキセノン分圧の組み合わせの方が結晶のサイズが大きくなることが判明した。以上の結果に基づいて、濃縮実験を行った。

液状食品の濃縮

 ここではコーヒー溶液の濃縮について実験的に検討した。試料には20gのインスタントコーヒーを380gの蒸留水に溶解させたコーヒー溶液を用いた。内径60mm、内容積700mlのステンレス製耐圧容器にコーヒー溶液300mlを注入し、キセノンガスを圧入した。容器の内部にはU字形のテフロン製攪拌機を設置した。溶液の温度測定にはサーミスタを使用した。気体水和物が形成された後、気体水和物と溶液の混合物を交換可能なステンレス製のスクリーンを通過させて、溶液のみを排出した。操作温度は装置を恒温室に設置することにより、設定した。24時間経過後に、圧力をかけたままで溶液を排出して、105℃、24時間の常圧加熱炉乾法を用いて、排出溶液濃度を決定した。

 実験区1は、溶液温度9.0℃、キセノンガス分圧0.9MPa、攪拌速度200rpmとし、100,200および280メッシュのスクリーンを準備した。まず、キセノンガスの圧力低下からキセノンガスの溶解量を求め、これが溶質をすべて排除した純粋なキセノン水和物(8Xe・46H2O)を形成したと仮定した場合の、残った溶液の濃度を理論濃度と定義した。次に、これと実際の濃縮液の濃度を用いて濃縮効率を決定した。その結果、三つのスクリーンサイズの中で、200と280メッシュのスクリーンサイズは100メッシュより高い濃縮効率が得られることが分かった。この理由は、100メッシュの場合は、ポアサイズが150mと大きいため、小さい水和物がスクリーンを通り抜けたと考えられた。その結果により、スクリーンサイズを200メッシュに決定した。

 実験区2では、スクリーンサイズを200メッシュに固定して、攪拌速度の影響について検討した。他の実験条件は実験区1と同じである。攪拌速度は100,200および400rpmに設定した。その結果、100と200rpmでは濃縮効率が同じになったが、400rpmではキセノンガスの溶解速度が高く、濃縮効率が低下した。すなわち、水和物の形成速度が高い場合には、小さな水和物が形成されることが示された。小さな水和物は分離が難しいので、濃縮効率の低下につながったと考えられる。

 実験区3では、濃縮効率に与える濃縮温度の影響を検討するため、キセノンガス溶解量が同一になるような温度-キセノンガス分圧を与えて、攪拌速度を100rpm、スクリーンサイズを200メッシュに固定して、濃縮実験を行った。与えた温度-キセノンガス分圧は9.0℃-0.9MPaおよび14.8℃-1.09MPaである。その結果、キセノンガス溶解量が同一条件下では、コーヒー溶液温度が高い場合は濃縮効率が低下した。高い温度条件下では水和物が崩壊しやすいので、濃縮液の排出操作中に崩壊する水和物が増大したものと考えられる。その結果、濃縮効率が低下した。

 実験区4では、300mlのコーヒー溶液中に占めるキセノン溶解量、すなわち、水和物の量を増加させたときの濃縮効率について検討した。攪拌速度は100rpm、スクリーンサイズは200メッシュ、溶液温度は9.0℃,キセノン分圧は0.9MPaに固定した。キセノンガス溶解量を増大させると濃縮効率は低下するが、濃縮液そのものの濃度は高くなることが示された。したがって、目標とする溶液濃度に対応して、効率を優先させるか、実際の溶液濃度を優先させるかの判断が必要となる。

まとめ

 コーヒー溶液中にキセノンガス分圧が溶解すると、水素結合した水分子集団が増加し、キセノンガス分圧が高いほど溶解量が増加するため、水分子とキセノン分子の疎水性水和による水の構造化の程度が高くなることが緩和時間T1、T2の測定により確認された。この結果に基づいて、水和物の結晶形成を実験的に検討し、水和物形成ためのキセノンガス分圧-温度条件、水和物結晶のサイズおよびその成長を明らかにした。キセノン分圧が低く、温度が高い方が結晶のサイズが大きくなる傾向が示された。この結果から、コーヒー溶液を用いて、濃縮過程を実験的に検討し、溶液の濃縮が可能であることを示した。キセノンガス溶解量を増大させると濃縮効率は低下したが、一回の濃縮操作に限定すると濃縮液そのものの濃度は高くなることが示された。したがって、目標とする溶液濃度に対応して、効率を優先させるか、実際の溶液濃度を優先させるかの判断が必要となる。本研究では、コーヒー溶液濃度5wt.%程度しか用いなかったが、もっと高い濃度の溶液についても同様の濃縮が可能であるかどうかを今後検討する必要がある。

審査要旨

 高品質な液状食品の濃縮に用いられる凍結濃縮法は、氷結晶の形成過程で溶質が排除されることを利用している。一方、気体水和物の形成過程でも溶質の排除が可能であると考えられる。そこで、本研究では、氷結晶の形成過程を気体水和物の形成過程で置き換えることによる省エネルギー濃縮法の開発を目指した。気体水和物は、無極性ガスの溶解量に依存して凍結点以上の温度でも形成されるので、凍結濃縮法と比べて低温維持のエネルギーが少なくなると考えられる。無極性ガスとして、食品に化学的影響を及ばさない不活性ガスを選定し、その中で最も低圧で水の構造化を図ることができるキセノンガスを供試ガスとした。気体水和物の結晶形成を利用した濃縮技術を確立するため、まず、キセノンガスの液状食品への溶解に伴う水の構造化を明らかにする研究を行った。次に、濃縮操作に必要な基礎的データを得るため、気体水和物の形成条件について検討した。これらを基に、液状食品のモデルとして用いたコーヒー溶液の濃縮実験を行い、本方法による濃縮の可能性を検討した。

 はじめに、キセノンガスの液状食品への溶解に伴う水の構造化に関する結果を述べる。蒸留水および濃度1.5、5.1、9.9と14.7wt.%のコーヒー溶液にキセノンガスを溶解させ、水和殻形成に伴う水分子の動的変化の有無を、共鳴周波数25MHzのNMRスペクトロメータでプロトン緩和時間を測定することにより検討した。実験で用いたコーヒー溶液の濃度範囲では、キセノン溶解量の増加に伴い緩和時間が短くなる傾向が示された。プロトン緩和時間の減少は、キセノンガス分圧が高いほど溶解量が増加し、水分子とキセノン分子の疎水性水和による水の構造化の程度が高くなったことを示すものと理解された。以上のことから、コーヒー成分と水分子との相互作用が存在する条件でも、キセノンガスの溶解により、疎水性水和が生じることが明らかになった。

 次に、コーヒー溶液中におけるキセノン水和物の形成実験について述べる。試料には蒸留水および濃度1.5、5.1、9.9と14.7wt.%のコーヒー溶液を用い、水和物の形成条件、結晶のサイズ分布と結晶の成長について検討した。その結果、コーヒー溶液ではコーヒー成分と水分子との相互作用の影響があるため、蒸留水に比べて高いキセノンガス分圧が水和物形成のために必要であることが分かった。これと同時に、水和物の形成時間は溶液濃度が高いほど長くなることが示された。また、コーヒー溶液濃度の増大に伴い、小さな水和物の割合が多くなることが示された。更に、時間の経過と共に結晶が成長することが認められた。一方、キセノンガス溶解度が同一になるような条件下では、高い温度と低いキセノン分圧の組み合わせが、大きなサイズの結晶形成に有利であることが判明した。

 これらの結果を踏まえて、濃度約5wt.%のコーヒー溶液を用いて濃縮実験を行い、コーヒー溶液の濃縮が可能であることを示すと共に、濃縮操作条件、すなわち濃縮効率に対する、スクリーンサイズ、撹拌速度、温度およびキセノンガス溶解量の影響を明らかにした。スクリーンは濃縮溶液と水和物の分離に用いたが、ポアサイズが大きすぎると水和物がスクリーンで排除されず、また、小さすぎても小さな水和物が崩壊しやすいためにスクリーンの効果が発揮されないことから、200メッシュのスクリーンが最適であることが示された。一方、速い撹拌速度では水和物の形成速度が高く、小さな水和物が形成された。小さな水和物は分離が難しいので、結果的に濃縮効率が低下した。逆に、遅い撹拌速度を与えると水和物の形成速度が遅く、高い濃縮効率が得られることが分かった。次に、キセノンガス溶解量が同一になる温度とキセノンガス分圧の条件下では、温度が高い場合に濃縮効率が低下した。高い温度条件下では大きな水和物が形成されるので濃縮効率が向上するはずであるが、予測と反対の傾向が示された。この理由は明確ではなく、水和物の分離操作の際に結晶が崩壊しやすくなる原因について、更に検討する必要がある。一方、キセノンガス溶解量を増大させて溶液中に占める水和物の割合を大きくすると、初期濃度と操作後の濃度比が大きくなり、濃縮に有利であることが示された。

 以上、本研究では、気体水和物を利用した液状食品の濃縮が可能であることを示し、水和物形成時の温度及び圧力と水和物のサイズとの関係、ならびに撹拌速度の影響など、種々の要因から高い濃縮効率を得るための操作条件を提示した。これらの成果は、高品質を維持しつつ、少ないエネルギーで液状食品を濃縮するという新たな方法を示し、農学学術上貢献するところが少なくない。

 よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク