学位論文要旨



No 115289
著者(漢字) 黄,湘萍
著者(英字)
著者(カナ) ファン,シャンピン
標題(和) アスペルギロペプシンII(非ペプシン型酸性プロテイナーゼ)の活性部位残基の部位特異的変異法による同定
標題(洋) Identification of the Active Site Residues of Aspergillopepsin II,a Non-pepsin-type Acid Proteinase,by Site-directed Mutagenesis
報告番号 115289
報告番号 甲15289
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2134号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 反町,洋之
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 1.序章

 自然界における酸性プロテアーゼの分布は広く、動・植物から微生物にわたって広範に存在している。1836年に、T.Schwannは、タンパク質の消化を触媒している胃液中の物質をペプシンと命名した。それ以来、一次構造や触媒機構に関して、ペプシンと高い相同性を持つ類縁アスパラギン酸プロテアーゼである、キモシン、カテプシンD、カテプシンE、レニン、HIVプロテアーゼなど数多くのタンパク質について構造機能相関の研究が詳細になされた。これらのプロテアーゼはペプシン型酸性プロテアーゼ・ファミリーとして総称され、医薬品開発の標的酵素として現在も世界的に研究が進められている。一方、アスペルギロペプシンII(EC.3.4.23.19)を初めとする、ペプシン型酸性プロテアーゼ・ファミリーとは全く異なる性質を持つ酸性プロテアーゼ(非ペプシン型酸性プロテアーゼ)が糸状菌等の微生物から見出されているが、これらの非ペプシン型酸性プロテアーゼの触媒残基ならびに酵素反応機構は不明である。アスペルギロペプシンIIはクロコウジカビ(Aspergillus niger var.macrosporus)由来の分子量22kDaのエンドプロテアーゼである。遺伝子レベルでの解析から本酵素は一本鎖のプレプロ体として生合成される。翻訳後、シグナルペプチドが切断され、264残基の一本鎖のプロ酵素となる。その後プロセシングを受けて軽鎖(39残基)と重鎖(173残基)の二本鎖が非共有結合している活性型成熟体酵素となる。本酵素の等電点は低く、酸性では安定であるが、pH6.5以上では不可逆的に変性を起こし、軽鎖と重鎖が解離する。ペプシン型酸性プロテアーゼと同様に酸性条件で活性を持つ(変性ヘモグロビンを基質とした最適pH<2)が、基質特異性、阻害剤に対する感受性、及び一次構造は全く異なる。また、CDスペクトルから、ペプシン型酵素に見られる-ヘリックスは非常に少なく、構造に富むことが示されている。これらのことから、アスペルギロペプシンIIは従来にはない新しいタイプの酸性プロテアーゼである。本酵素の活性部位残基を同定し、反応機構を明らかにすることは、ペプシン型酸性プロテアーゼの構造機能相関の理解についても、新たな視点を与えるものと考えられる。本研究では、非ペプシン型酸性プロテアーゼの触媒機構を明らかにすることを目的に、アスペルギロペプシンIIをモデルとして、部位特異的変異法による活性部位残基の同定を行った。

2.アスペルギロペプシンIIの異宿主発現、リフォールディング及び自己触媒活性の検討

 上記のように、アスペルギロペプシンIIはペプシンと同様にプレプロ体として生合成され、シグナルペプチドが切断されてプロ体を生じる。プロ体は中性条件下において不活性であり、酸性条件下では自己触媒的にプロ配列を切断して、活性型となる。活性化したアスペルギロペプシンIIは、中性以上のpHでは不可逆的に失活する。従って、プロ配列の役割は、中性条件下で前駆体の活性化を抑えるとともに、立体構造の形成にも関与している可能性が示唆される。このことから、アスペルギロペプシンIIの発現系を構築するには、前駆体での発現を行う必要があると考えられる。クロコウジカビ由来のアスペルギロペプシンIIは、プレプロ体として生合成されることがcDNAの構造から示唆されているが、菌体からプロ体が直接検出されたことはない。従って、異宿主発現系でプロ体を調製することにより、プロ体の性質や活性化機構などの解析を行うことも可能になる。大腸菌細胞内での発現にはシグナルペプチドは必要ないので、von Heijneの方法を用いて、シグナルペプチドによる切断点を予想した。プロ体をコードすると推定される塩基配列は、cDNAをテンプレートとしてPCRにより増幅し、T7プロモーターを持つ発現ベクターpAR2113に組み込んだ。塩基配列分析により正しい塩基配列を持つことを確認した後、発現プラスミドを大腸菌BL21(DE3)に導入し、発現の実験に用いた。

 この発現系では大部分のアスペルギロペプシノーゲンIIが、インクルージョン・ボディを形成した。大腸菌をリゾチーム処理と超音波破砕により溶菌して遠心分離し、沈殿したインクルージョン・ボディを変性バッファー(8 M urea、100mM 2-mercaptoethanol、50mM sodium phosphate buffer、pH6.0)により溶解した。遠心分離により不溶物を除き、上清中の発現産物をDE52カラムにより精製し、SDS-PAGEで単一のバンドをえた。精製アスペルギロペプシノーゲンIIを変性剤と還元剤を含まないバッファー(pH3.25〜8.5)で10倍に希釈することにより変性タンパク質の最適リフォールディング条件の検討を行った。50mM sodium acetate buffer、pH5.25中でリフォールディングしたアスペルギロペプシノーゲンIIは、pHを酸性にするとプロテアーゼの活性が見られ、さらに、天然の酵素と同じCDスペクトルを示すことから、正しい構造を形成していると考えられた。

 この発現系で調製した組換え体アスペルギロペプシノーゲンIIは、最適リフォールディングバッファー(pH5.25)で10倍希釈した一時間後、大部分がプロ配列のN末端から12残基目のGluと13残基目のAlaの間で切断され、中間プロ体となることがMALDI-TOF MASSを用いた解析により判明した。また、pH3.5ではいくつの中間体を経て成熟体のアスペルギロペプシンIIに変換することもMASSにより観察された。さらに、プロ体(pH5.25)と成熟体(pH3.5)のCDスペクトルを比較したところ、本酵素は、酸性条件下での立体構造変化が引き金となって自己分解が起こり、活性型酵素となることが明らかになった。精製した、活性型のアスペルギロペプシンIIは天然の酵素と同等の性質を示したが、重鎖のN末端のアミノ酸配列は、天然の酵素より2残基長く、AsnとLysの間で切断されていた。このことは、クロコウジカビ中では、この中間体が他のプロテアーゼによってさらに2残基切断,除去される事を示唆する。しかし,組換え体アスペルギロペプシンIIの酵素学的性質には、天然の酵素との相違が見られなかった。そこで、この発現系を用いて活性部位残基の同定を行った。

3.アスペルギロペプシンIIの活性部位残基の部位特異的変異法による同定

 非ペプシン型酸性プロテアーゼの立体構造はまだ解明されておらず、有効な特異的阻害剤が見つかっていない現時点では、部位特異的変異を行い、活性の低下する変異体を検索することが、活性中心を解明する第一歩であると考えた。アスペルギロペプシンIIは、pH1〜3で活性を持つことから、活性中心にカルボキシル基が存在すると推定されている。そこで、アスペルギロペプシンIIと、アミノ酸配列が45〜65%一致するScytalidium lignicolum由来Scytalidopepsin B、Cryphonectria parasitica由来EapB及びEapCタンパク質との間で保存されている全てのAsp(7残基)とGlu(5残基)をそれぞれAsnとGlnに置換した変異体を大腸菌BL21(DE3)により発現させ、in vitroでのリフォールディングを行った。12種の変異体の内D123N、E215QとE219Qでは、酸変性したヘモグロビンに対するプロテアーゼ活性が著しく低下した。DE52カラムにより精製したD123N、E215Q及びE219Q変異体はそれぞれ野生型に対して約7%、4%と1%の活性を示した。次に、これらの残基をそれぞれAlaに置換した変異体を調製した。E215A変異体は野生型の約80%の活性が見られたが、D123AとE219A変異体では活性が見られなかった。両変異体は、酸性条件下でインキュベートしでも、活性化はまったく起こらないことをSDS-PAGEとMASSで確認した。しかし、D123A及びE219Aは天然のアスペルギロペプシンIIを微量加えると、活性化することもSDS-PAGEで確認した。また、活性化した両変異体が野生型と同様のCDスペクトルを示すことから、正しい立体構造を形成していると考えられる。一方、D123N変異体には、ごく微量な活性が検出され、酸性条件下での活性化が見られた。これは、AsnがAspの役割を部分的にではあるが補うことがてきるか、あるいは、加水分解によりごくわずかの変異体が野生型に複帰したことによると考えられる。本酵素は重鎖のCys127とCys209にS-S結合がかかっているため、立体構造上ではAsp123とGlu219は近接した部位にあると考えられる。また、Asp123とGlu219附近のアミノ酸配列は、高い相同性を持ち近縁プロテアーゼでもよく保存されており、疎水性残基の割合が高くなっている。おそらくこの部分は、基質ポケットの形成にも関与している部分であると考えられる。つまり、Asp123とGlu219がアスペルギロペプシンIIの触媒活性に必要であり、アスペルギロペプシノーゲンIIで代表される一群のプロテアーゼは、AspとGluが触媒部位を形成しているものと考えられる。

4.アスペルギロペプシンIIプロ配列の性質

 大腸菌BL21(DE3)発現系によりアスペルギロペプシンIIがプロ体として発現していることはSDS-PAGEとMASSにより確認した。しかし、変性した組換え体の全長プロ体をリフォールディングすると、わずか一時間後で大部分のプロ体がプロ配列のN末端側12残基目のGluと13残基目のAlaの間で切断されることがわかった。プロ配列のN末端側1-12残基までのプロペプチドの役割を明らかにするために、プロ配列12〜13残基間で切断した中間体を尿素で変性した後、再リフォールデイングを行った。その結果、再リフォールディング後の中間体は野生型と同じCDスペクトルを示した。また、pHを酸性にすると再リフォールディングしたプロテアーゼは野生型の約87%の活性を示し、二本鎖の成熟体になったことがMASSにより明らかになった。次に、プロ配列13残基目以降の中間プロ体を大腸菌BL21(DE3)により発現させ、DE52カラムによる精製後、最適リフォールディング条件を検討した。この中間プロ体のリフォールディングは野生型と同様のpH依存性を示し、リフォールディング後野生型の99%の活性が検出された。また、中間プロ体及び成熟体のCDスペクトルが野生型とよく似ていることから、プロ配列のN末端側1〜12残基までのペプチド部分は立体構造の形成には必要がないと考えられる。

 アスペルギロペプシノーゲンII成熟体の全配列は37個の酸性残基を含むのに対し塩基性残基は4個とたいへん酸性残基に富んでいる。一方、プロ配列には11個の塩基性残基があり、そのうちの5個はプロ配列の1〜12残基に含まれる。この12残基のプロペプチドは酵素の立体構造の形成には関与していないと考えられたが、酵素の安定性には重要な役割を果たすものと予想される。今後、アスペルギロペプシノーゲンIIの活性化機構とプロ配列の役割を解明することにより、本プロテアーゼの自己触媒機構について新たな知見が得られることが期待される。

審査要旨

 ペプシンを代表とするアスパラギン酸プロテアーゼ・ファミリーとは全く異なる一群の酸性プロテアーゼ(非ペプシン型酸性プロテアーゼ)の存在が微生物を中心に知られているが,これらの酵素の触媒残基ならびに反応機構は不明である.本論文は,非ペプシン型酸性プロテアーゼの触媒機構を解明することを目的に,Aspergillus niger由来のアスペルギロペプシンIIをモデルとして,部位特異的変異法による活性中心残基の同定を行った結果を述べている.

 第一章で,研究の背景と意義及び酸性プロテアーゼについて概説した後,第二章では,アスペルギロペプシンIIの異宿主発現系により調製した本酵素前駆体を用いて,最適リフォールディング条件及び自己触媒的活性化の検討を行った結果を述べている.MALDI-TOF Mass測定とN末端アミノ酸配列分析の結果から,調製した組換え体前駆体は,酸性条件下ではいくつかの中間体を経て成熟体に変換することが判明した.また,本組換え体前駆体は天然の酵素の約90%の活性を示し,さらに,組換え体酵素の成熟体と天然酵素のCDスペクトルが一致することから,正しい立体構造が形成されていると考えられた.これらの結果から,組換え体アスペルギロペプシンIIの酵素学的な性質は,天然の酵素と同等であると判断された.そこで,この発現系を用いて活性部位の同定がなされた.

 第三章では,本酵素とアミノ酸配列が45〜65%一致するCryphonectria parasitica由来のEap B,Eap C,Scytalidium lignicolum由来のスキタリドペプシンBの間で保存されている全てのAsp(7個)とGlu(5個)をそれぞれAsnとGlnに置換している.各変異体を大腸菌により発現させ,リフォールディングを行った.これらの変異体の中で活性が著しく低下したものはD123N,E215QとE219Q変異体だけであった.次に,これらの残基をそれぞれAlaに置換した.E215A変異体では,野生型の約80%の活性が見られたが,D123AとE219A変異体では,活性が見られなかった.また,本酵素は,前駆体として生合成され,酸性条件下で活性型成熟体に変換すると考えられるが,D123AとE219Aでは活性化が見られなかった.一方,両変異体は天然の酵素によるプロテオリシスに耐性であり,なおかつ野生型と同じCDスペクトルを与えることから,正しい立体構造を形成していると考えられた.以上の結果から,Asp123とGlu219はアスペルギロペプシンIIの触媒活性に必要であり,アスペルギロペプシンIIで代表されるファミリーA4酸性プロテアーゼでは,AspとGluが触媒部位を形成していると推定された.

 第四章では,プロ配列の機能について検討がなされた.プロ体は中性条件下で不活性であるが,酸性条件下では自己触媒的にプロ配列が切断され活性型酵素になる.活性化した酵素は,中性以上になると不可逆的に失活する.従って,プロ配列の役割は中性条件下での前駆体の活性化を抑えると共に,立体構造の形成にも関与している可能性が示唆される.しかし,精製した変性状態のプロ体をリフォールディングさせると,わずか一時間後で,大部分のプロ体でプロペプチドのN未端側12残基部分が切断されることがMassとN末端アミノ酸配列分析により判明した.この結果にもとづき,プロペプチドのN末端側12残基を含まない変異体を作製し,大腸菌発現系により発現させ,精製後最適リフォールディング条件を検討した.このプロ体中間体のリフォールディングは野生型と同様のpH依存性を示し,野生型の99%の活性が検出された.また,プロ体中間体及びその成熟体のCDスペクトルが野生型とよく似ていることから,プロペプチドのN未端側12残基部分は立体構造の形成には関与していないものと判断された.第五章は,本論文の要旨としてまとめられている.

 以上本論文は,従来のアスパラギン酸プロテアーゼとは異なり本酵素が活性中心にGluを持ち,グルタミン酸プロテアーゼ,または,グルタミン酸-アスパラギン酸プロテアーゼと呼びうる酵素であることを示している.この種の酵素が初めて同定されたことは,学術上,応用上貢献するところが少なくない.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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