学位論文要旨



No 115290
著者(漢字) 曺,圭亨
著者(英字)
著者(カナ) チョ,キュヒョン
標題(和) 遺伝子組換え技術を用いた有用形質転換植物および植物由来蛋白質の機能解析系の構築
標題(洋)
報告番号 115290
報告番号 甲15290
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2135号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨

 人類は衣食住に必要な資源の多くを植物に依存し、多大の恩恵を受けてきた。野生種の栽培化に始まった育種の歴史は、人間が原始的作物をその起源の中心地から離し、多様な環境に適合能力を持たせた歴史であった。近年、人類は植物の遺伝子組換え技術をもとに様々な特性を植物に導入した組換え植物の生産及び販売を進めているが、これらに対する安全性についてが疑問となっている。しかしながら、限られた場所での生産量の拡大及び良質な食糧の生産という面での必要性は捨て難く、パブリックアクセプタンスの得られやすい新規マーカーや形質転換法の開発が急務となっている。更に有用形質転換体を作製し、実際の有用性を示していくことが重要な課題のひとつであると考えられる。その点では、早急な解決が望まれている環境問題への形質転換植物の応用は有効であると考えられる。一方、逆に植物独特の複雑な生命現象を遺伝子組換え技術を用いて単純な系に還元して解析していくアプローチも重要であると考えられる。そこで、本研究では植物本来の遺伝子の形質転換植物の選抜マーカーとしての利用と、形質転換植物の環境浄化への応用を目的とした基礎研究、並びに植物の自家不和合性の中心的役割を果たしているSRNaseの詳細な解析のための基礎系の確立を行った。

1.植物におけるシクロヘキシミド耐性遺伝子の選択マーカーとしての利用の可能性の検討

 シクロヘキシミドはグルタルイミド系抗生物質に属する薬剤であり、多くの真核生物の翻訳反応のペプチジル転移による延長反応を阻害する。酵母Candida maltosaはシクロヘキシミドに対して誘導的耐性を示すが、それは、L41リボソームタンパク質の56番目のアミノ酸がグルタミンのもの(Q型)が、通常のプロリンのもの(P型)に比べて誘導的に高発現するためであることが当研究室において既に明らかになっている。更に、当研究室ではトマトから獲得したP型L41遺伝子LEL41PをQ型に改変したLEL41Q遺伝子をタバコに導入し、導入遺伝子が高発現した場合にシクロヘキシミド耐性を示すことを示唆するデータが得られている。この植物由来の遺伝子が植物の形質転換体の選抜マーカーとしての利用が可能であれば、従来の細菌由来の遺伝子の利用などと違って、パブリックアクセプタンスが得られやすくなると同時に、導入した遺伝子が高発現している形質転換体の選択にも有効であることが期待される。そこで、L41Q遺伝子を用いた植物の導入遺伝子高発現形質転換体の選抜系の確立を目的として研究を行った。対象とする植物としては、life cycleが短く、種を多量に得ることが可能なArabidopsis thalianaを用いた。

 形質転換用のvector pBI121中のGUS遺伝子とLEL41Q遺伝子を入れ換えて作製したvectorを用いてroot transformation,in planta transformation及びsimplified Arabidopsis Transformationの各方法を用いて形質転換を行った結果、2,000個のkanamycin耐性を示す形質転換体が得られた。PCRにより、これらの株のゲノム上に目的遺伝子が導入されたことを確認した。次にこれらの形質転換体の種をシクロヘキシミド含有培地で直接選抜を行ったがシクロヘキシミド耐性株は得られなかった。そこでkanamycin含有培地で2週間生育させた植物をシクロヘキシミド含有培地に移したところ、2株のシクロヘキシミド耐性株が得られた。

 トマトのLEL41Q遺伝子を用いての形質転換で得られたシクロヘキシミド耐性株の数が少ないのは種の違いによるリボソームタンパク質の親和性の違いの可能性が考えられたため、Arabidopsis本来の遺伝子の利用を考えた。まず、ArabidopsisからL41-like proteinであるDL3200C遺伝子をRT-PCRにより単離し、56番目のプロリンをグルタミンに置換して、AtL41Q遺伝子を作製した。S.cerevisiae中AtL41Qを多コピープラスミドで発現させた結果、10g/mlのシクロヘキシミドを含む培地で耐性を示すことがわかった。この結果、ArabidopsisのAtL41Qも高発現させることにより、S.cerevisiaeをシクロヘキシミド耐性にすることが可能であることが明らかになった。更にAtL41QのArabidopsisへの導入を試みた。

2.Sphingomonas paucimobilis由来の-hexachlorocyclohexane分解遺伝子linAの植物での発現

 有機塩素系殺虫剤である-hexachlorocyclohexane(以下-HCH)は安価で強力な殺虫剤として、第2次世界大戦以後、農業及び保健の目的で世界中で広く使用されてきた。しかし、-HCHの人体への蓄積、有害性及び環境中での残留性が指摘され、現在では先進国での使用は禁止されている。しかしながら開発途上国では経済的な理由から現在でも利用しつづけられており、かつて使用された残留物と共に環境汚染を引き起こしている。さらに熱帯地域で使用した-HCHが大気循環によって、高緯度地域まで拡散されているとが報告されている。こうした背景から、環境中に放出された-HCHの浄化は急務である。

 linAは-HCHを好気的に資化できるSphingomonas paucimobilis UT26から-HCH分解経路の初めの段階に関わる遺伝子として単離されたものである。LinAは脱塩化水素反応により、-HCHを-pentachlorocyclohexene(-PCCH)を経て1,2,4-trichlobenzene(1,2,4-TCB)にまで変換する。

 linA遺伝子の植物体中での高発現を目的にCaMV35S promoterの前後にenhancer及び sequenceを含む配列を利用した。導入するlinA遺伝子としては、開始コドンATGの上流15bp(SD配列を含む)を含むものと8bp(SD配列を含まない)を含むものを試みた。前者を含む導入用プラスミドをpNA115、後者を含む導入用プラスミドをpNA108とそれぞれ命名し、これらをタバコNicotiana tabacum cv.Xanthiに、leaf diskを用いた形質転換方法で導入した。

 各々300個のleaf diskからpNA115を用いたもので48個、pNA108を用いたものでは37個の形質転換されたshootを得た。これらの85個の形質転換されたshootをgroup化して解析を行った。PCRによって、ゲノム上にlinA遺伝子が導入されているのを確認した。Western解析からはpNA108を用いて導入した植物のshootからのみLinAタンパク質が検出された。

 LinAタンパク質が検出されたGroupのshootから粗抽出液を調製し、ガスクロ(ECD)でLinAの活性を測定した結果、-HCHが-PCCHと1,2,4-TCBに変換されるのが確認できた。しかしながらこれらの植物体が大きくなるとともにWestern解析により、LinAタンパク質が確認できなくなった。これがlinA遺伝子の過度の高発現によるgene silencingである可能性を考え、linA遺伝子の高発現のために用いたenhancerや sequenceを除去したvectorを構築し、形質転換体を作製した。Southern、Northern、Western解析を行った結果、植物の成長にともなって、RNAレベルでは発現が継続するが、タンパク質レベルの発現が消失することが明らかになった。植物の生長に伴って起こっていると考えられる翻訳あるいは翻訳後の問題をクリアするための新たなコンストラクトも試みた。

3.S RNaseの機能解析系の構築

 植物は生殖器官が正常であるにも関わらず、自己の花粉を受精しない自家不和合性という機構を持っている。この自家不和合性は配偶子体型自家不和合性と胞子体型自家不和合性に分けられる。これらの自家不和合性の機構に関わる重要なタンパク質がS RNaseであり、配偶子体型自家不和合性においてS RNaseはRNaseの活性を持っていることが明らかになっている。しかし、そのターゲットおよび自家不和合成における作用機構は不明である。また、植物体からのS RNaseの精製は特定の器官、すなわち柱頭を大量に集める必要があり、そのための植物体を維持には多大な困難が伴う。そこで、こうした大量のS RNaseの精製と共にS RNaseの生化学的研究を行うための解析系の構築を試みた。まず、S RNaseを特異的に認識する抗体の作製を行った。S12RNaseのhypervariable domain 2の領域がallele-specific pollen recognitionに関与するという報告があるため、このhypervariable domain 2を認識する抗体を作製した。S11、S12ホモ体を用いたWestern解析で、作製した抗体がS12RNaseを特異的に認識することを確認した。

 まず初めにS RNaseと相同性を示すカビ由来RNase Rhを分泌発現する際に用いられたSaccharomyces cerevisiaeの系での分泌生産を試みた。分泌に必要なプレプロ配列をそのまま残し、open reading frame部分だけをRNaseRhからS RNaseに交換した分泌用ベクターを構築し、これをSaccharomyces cerevisiaeに導入した。しかし、培地へのS RNaseの分泌は観察されなかった。

 次に、E.coli中でGST fusionとしてS RNaseを発現させることを試みた。その結果、発現したfusion proteinのほとんどがinclusion bodyに入ってしまったが、培養条件の変更により、いくらかの部分を可溶性画分から回収することが可能となった。更に、これをもとに精製したS12RNaseがRNaseの活性をもっていることを確認した。E.coliで発現させた場合は糖鎖の付加が起こらないが、糖はS RNaseの活性には大きな影響を及ぼさないことがわかっており、今後の生化学的解析には問題ないと考えられる。以上、S RNaseの機能解析への道を拓いた。

4.まとめ

 以上、本研究により、植物自身由来のL41遺伝子をわずか1アミノ酸置換することにより、形質転換植物のセルフクローニング型選抜マーカーとして利用する可能性を示すことができた。また、環境汚染物質である-HCHを分解する酵素遺伝子が植物体中で活性を持つタンパク質として発現し得ることが確認できた。以上の結果は実際への応用にあたっては克服すべき問題が残ってはいるが、そのための基礎作りはできたと考えられる

 一方、S.cerevisiaeでS RNaseを分泌させることはできなかったが、E.coliを用いて活性のあるS RNaseを発現及び精製することに成功し、S RNase機能解析系への道を拓いた。

審査要旨

 本論文は植物由来の遺伝子の遺伝子転換植物の選抜マーカーとしての利用と、形質転換植物の環境浄化への応用を目的とした基礎研究、並びに植物自家不和合成の中心的役割を果たしているS RNaseの詳細な解析のための基礎系の確立を行ったものである。本論文は次の三草よりなる。

第1章植物におけるシクロヘキシミド耐性遺伝子の選択マーカーとしての利用の可能性の検討

 植物由来の遺伝子が植物の形質転換体の選抜マーカーとして利用できれば、従来の細菌由来の遺伝子の利用などと違って、組換え植物のパプリックアクセプタンスが得られ易くなることが期待される。また、導入した遺伝子が高発現する形質転換体の選択にも有効なマーカーの開発も望まれている。そこで、シクロヘキシミド耐性を与える変異リボソームタンパク質をコードするL41Q遺伝子を用いた植物の遺伝子高発現形質転換体の選抜系の確立を目的として研究を行った。

 トマトのL41Qをコードする。DNAをArabidopsisに導入し、2,000個のベクターのマーカーの一つであるカナマイシン耐性を示す形質転換体が得られた。PCRにより、ゲノム上に目的遺伝子が導入されたことを確認した後、カナマイシン含有培地で2週間生育させた植物をシクロヘキシミド含有培地に移したところ、2株のシクロヘキシミド耐性株を得た。ノーザン解析によって、シクロヘキシミドに耐性を示す株はLEL41Qが高発現していることを確認した。

 更に、ArabidopsisからL41リボソームタンパク質をコードするcDNAをRT-PCR法によって単離し、56番目のプロリンコドンをグルタミンに置換して、AtL41Q遺伝子を作製した。S.cerevisiae中でAtL41Qを多コピープラスミドで発現させた結果、宿主に10g/mlのシクロヘキシミドを含む培地で生育できる耐性を与えた。これらの結果により、植物由来のL41リボソームタンパク質を植物形質転換体選抜マーカーとして使用可能であることを示した。

第2章Sphingomonas paucimobilis由来の-hexachlorocyclohexane分解遺伝子linAの植物での発現

 linA遺伝子の植物体中での高発現を目的として、エンハンサー及び、オメガ配列を含むベクターを用いてlinA遺伝子をタバコNicotiana tabacum cv.Xanthiに導入した。PCR法によって、ゲノム上にlinA遺伝子が導入されているのを確認した。ウェスタン解析によって、導入した植物のシュートからのみlinAタンパク質を検出した。linAタンパク質が検出されたグループのシュートから粗抽出液を調製し、ガスクロマトグラフでlinAの活性を測定した結果、-HCHの L-PCCHと1,2,4-TCBへの変換を確認した。linAの発現の継続性に今後の検討すべき課題を残したが、LinA遺伝子を植物に導入し、組換え植物体が-HCH分解能を持つことを確認できた。

第3章S RNaseの機能解析系の構築

 植物の配偶子体自家不和合性に重要な役割を果たしているS RNaseの機能の生化学的研究を行うためのS RNase生産系の構築を試みた。S RNaseと相同性を示すカビ由来RNase Rhを分泌発現する際に用いられた酵母の系での分泌生産を試みたが、培地へのS RNaseの分泌は観察されなかった。大腸菌中でGST-S RNase融合タンパク質を発現させることを試みた。その結果、発現した融合タンパク質のほとんどが封入体に入ったが、培養条件の変更により、一部の可溶性画分からの回収を可能にした。これをもとに精製したS12 RNaseがRNaseの活性を持っていることを確認した。これにより今後、分子レベルのS RNaseの機能解析への道を拓いた。

 以上、本論文における研究の成果は植物組換え技術に新たな道を開くものであり、学術用、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めだ。

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