大腸菌の細胞分裂において、細胞分裂初期にFtsZ蛋白質は細胞中央部にFtsZリングを形成し、その他8種類の蛋白質と共に細胞分裂を進行する機能を持つことが知られているが、その全貌は明らかになっていない。本論文は細胞分裂機構の解明を目指し、細胞分裂に関与する新奇蛋白質を同定し、その機能を解析するため、細胞分裂欠損変異株の単離から始めたもので、6章より成る。 第1章では、DNA複製や分配には影響を与えず、細胞分裂のみ欠損を持つ変異株として、「広田の温度感受性変異体パンク」から30℃では正常に分裂できるが、42℃で培養するとDNAが等間隔に分配されたフィラメント細胞となる高温感受性変異株fts715を選別した。次いで、プラスミドによる相補性テストとP1マッピングにより、fts715変異株はhscA遺伝子の変異株であることを明らかにした。fts715変異株ではHscAの192番目のアラニンがバリンに変異したHscA715蛋白質が細胞分裂を阻害していることが示唆された。 第2章では、fts715変異株の変異形質が変異型hscA715遺伝子のみによるのかどうかについて遺伝学的解析を行った結果について述べている。fts715変異株または野生株のhscA遺伝子を破壊した株は、2株とも30℃と42℃で生育し、桿菌形態を示したことから、hscA遺伝子は細胞分裂に必須ではないことが明らかになった。この2種類の破壊株を変異型hscA715遺伝子を持つプラスミドで形質転換したところ、fts715変異株の遺伝的背景を持つ株はfts715変異株の形質を示したが、野生株の遺伝的背景を持つ株は42℃でも正常であった。従って、変異型hscA715遺伝子が細胞分裂を阻害するためにはfts715変異株の遺伝的背景が必要であることが明らかになった。 第3章では、fts715変異株では、高温でFtsZリング形成の前後どちらの過程が阻害されているか解析するため、FtsZの細胞内局在を間接蛍光抗体法で観察している。その結果、42℃で伸長したフィラメント細胞においてFtsZリングは極側の細胞分裂面に観察されたが、中央部にはほとんど見られなかった。このような形質はFtsZ蛋白質の量が減少したことが原因とも考えられたが、fts715変異株と野生林ではFtsZ量に違いは無かった。以上の結果から、変異型HscA715は細胞質中のFtsZが集合してFtsZリングを形成する過程を阻害していることが示唆された。 第4章、第5章では、HscAの機能を類推している。第4章ではhscA遺伝子の発現を抑制した株でFtsZの局在を観察した結果、63%の細胞では細胞中央部にFtsZが観察されたが、15%の細胞で極にFtsZが観察された。つまり、異常なFtsZの局在が検出された。第5章ではHscAとFtsZの細胞内共局在の可能性を検討している。HscAの細胞内局在をdnaK破壊株において観察したところ、細胞の両極あるいは細胞分裂予定面と両極にHscAは局在していることを明らかにしている。以上の結果からHscAはFtsZリング形成またはFtsZの脱重合に関与している可能性が示唆された。 第6章では、in vitroにおいて、FtsZはGTP依存的に重合・脱重合することが知られていることから、HscA、HscA715がFtsZの重合・脱重合にどのような影響を与えるか光散乱法を用いて解析している。27℃では、HscA、HscA715いずれもFtsZの重合・脱重合にほとんど影響を示さなかった。36℃では、HscAを加えてもFtsZの重合・脱重合度は変化しなかったが、HscA715存在下ではFtsZの重合・脱重合度は半分に抑制された。このことからHscA715はin vivoだけでなくin vitroでも高温でFtsZの重合・脱重合の過程を阻害することが解った。次に、HscAとFtsZの物理的相互作用の可能性を検討している。HscA存在下でFtsZを重合させ、超遠心後、その上清と沈殿に分画したところ、HscAは重合したFtsZと共沈することが明らかとなった。以上のように本論文は、細胞分裂欠損変異株の解析からhscA遺伝子内の変異によりFtsZリング形成欠損となることを見出したことを手掛かりにHscAの細胞分裂に関する機能を検討している。その結果、HscAはFtsZのリング形成または脱重合の過程に関与していることを示唆しており、細胞分裂機構を解明上で貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |