学位論文要旨



No 115292
著者(漢字) 上原,剛
著者(英字)
著者(カナ) ウエハラ,ツヨシ
標題(和) 大腸菌の細胞分裂におけるHscAの機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 115292
報告番号 甲15292
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2137号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 若木,高善
 東京工業大学 教授 永井,和夫
 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨

 大腸菌は直径約1m、縦2mの桿菌であり、DNA複製に同調して縦方向に伸長し、核DNAの分離後、細胞の中央に収縮環が形成され、同じ2個の娘細胞が形成される。収縮環は、FtsA,I,K,L,N,Q,W,Z,ZipAなどの蛋白群により、構築されることが知られているが、その最初に働く因子として注目されているのが、真核生物のチューブリンとホモロジーを持つFtsZである。FtsZは普段は細胞質中に分散しているが、細胞分裂開始時期になると、細胞中央部の細胞膜に沿って環状に集まり、FtsZリングを形成する。このFtsZの細胞質中から分裂予定面への移行は方向性を持って行われているのか、FtsZリング形成に関与する因子は存在するのか、という点に興味を持ち、この問題を解明することを目的に本研究を開始した。その結果、DnaKのホモログであるHscAがFtsZリングの形成に関与していることを見い出した。

1、fts715変異株の単離と変異遺伝子の同定

 本解析に用いた変異株は、30℃では正常に増殖し桿菌となるが、42℃では細胞分裂が阻害されて多核フィラメントとなる「広田の温度感受性変異体バンク」430系統の中から選別した。DNA複製や分配には影響を与えず、分裂装置の形成にのみ欠損を持つ変異株として、42℃で培養すると、DNAがきれいに分配されたフィラメント細胞となる変異株fts715を選別した。fts715変異株の高温感受性を相補するプラスミド、pLC20-46から、fts715変異を相補するDNA領域のサブクローニングを行ったところ、大腸菌染色体上57.3分に存在するhscA遺伝子が相補活性を持つことが解った。また、P1マッピングにより、fts715変異は57.5分領域に存在するZff::Tn10と96%の確率で共形質導入されることが解った。fts715変異株のゲノムからクローニングしたhscA遺伝子(=hscA715遺伝子)の塩基配列を解析した結果、575番目のCがGに変異していた。これにより、HscA蛋白質の192番目のアラニンがバリンに変異していると思われる。この変異型hscA715遺伝子を担うプラスミドはfts715変異株を相補できなかった。以上の事実からfts715変異株はhscA遺伝子の変異株であることが示唆された。

2、fts715変異株の変異形質とhscA遺伝子の関係

 fts715変異株の変異形質がhscA遺伝子の変異によるのかどうかを確認するためにhscA遺伝子の破壊株を作成し解析を行った。その結果、fts715変異株のhscA遺伝子を破壊した株は30℃、42℃共に生育し、桿菌形態を示した。即ち、hscA遺伝子は細胞分裂に必須ではなかった。しかし、この欠損株を変異型hscA715遺伝子を担うプラスミドで形質転換した株はfts715変異形質を示した。即ち、30℃では桿菌、42℃では伸長した細胞を形成し、増殖は温度感受性であった。対照実験として、上記破壊株を野生型hscA遺伝子で形質転換した株は30℃、42℃共に桿菌形態で、高温でも生育できた。このことから、以下の2つの可能性を推論した。1つは野生型HscAは細胞分裂には全く関与せず、変異型HscA715がアリール特異的に分裂を阻害する可能性である。2つ目は、野生型HscAは分裂に関与するが、他に代用できる蛋白質が存在するために、破壊株を作製しても分裂に影響を示さず、たまたまfts715変異株では両蛋白質に変異が生じたために分裂が阻害された可能性である。

 両可能性を検討するため、次に野生株のhscA遺伝子を破壊した株を同様に作成し解析を行った結果、30℃、42℃共に生育し、桿菌形態を示した。しかも、この破壊株を変異型hscA715遺伝子をもつプラスミドで形質転換した株は、温度感受性にならず、30℃、42℃共に桿菌形態であった。この結果はfts715変異株のhscA遺伝子を破壊した結果と異なっており、変異型hscA715遺伝子が細胞分裂を阻害するためにはfts715変異株の遺伝的背景が必要であることが解った。つまり、第2の可能性が示唆された。HscAはHsp70ファミリーの蛋白質であり、大腸菌では、DnaK、Hsc62と高い相同性を持ち、in vitroにおいてATPase活性があり、シャペロンとして機能することが知られている。従って、DnaKやHsc62などが、HscAの代用をしている可能性も考えられる。hscA遺伝子については、既にT.H.KawulaらによりhscA1変異が分離されている。この変異はhns(大腸菌のヒストン様蛋白質をコードする遺伝子)の変異形質を部分的に抑制することが知られているが、分裂との関わりについては全く解析されていない。また、HscAはバクテリアに広く保存されおり、大腸菌の全蛋白質量の約1%も存在するにもかかわらず、その細胞内機能については良く解っていない。

3、fts715変異株における細胞分裂阻害点の解析

 そこで、hscA遺伝子の変異fts715が、分裂装置構築のどの過程に影響を与えているか解析を行った。まず、fts715変異が、FtsZリング形成の前後どちらの過程に影響を与えているか解析するために、FtsZの細胞内局在を間接蛍光抗体法で観察した。その結果、30℃では野生株と同様、桿菌細胞の中央部に顕著なFtsZリングが観察された。しかし、42℃では分裂予定位置にFtsZリングがほとんど検出されず、しかも検出されたFtsZリングは全てフィラメント細胞の端側の分裂予定面に位置していた。恐らく、30℃で形成されたFtsZリングが培養温度を42℃に切り替えたことにより途中で停止したものと思われる。このような形質はFtsZ蛋白質の量が減少したことが原因とも考えられたので、FtsZ量をウエスタンブロッティングにより測定した結果、fts715変異株と野生株ではFtsZ量に違いは無かった。以上の結果から、fts715変異は、細胞質中のFtsZが集合してFtsZリングを形成する過程を阻害していることが解った。

4、hscA遺伝子破壊株におけるFtsZリング形成についての解析

 野生型HscAの機能を類推するために、アラビノースプロモーターによりhscA遺伝子の発現を制御した株について、FtsZリングの局在を解析した。その結果、hscA遺伝子の発現が抑制された条件下では、63%の細胞においてFtsZリングは分裂予定面に観察されたが、細胞の端のポールにのみFtsZリングが観察された細胞が15%存在した。また、ポール側にのみFtsZリングをもつ細胞は、比較的小さい細胞であることから、分裂した直後の細胞と思われる。hscA遺伝子を発現させた細胞では、90%以上の細胞でFtsZリングが分裂予定面にのみ観察された。以上の結果からHscAはFtsZリングの形成に関与していて、HscAが欠乏するとFtsZリングが異常になり、分裂後FtsZが速やかに脱リングしない、あるいはHscAはFtsZの脱リングに直接関与している可能性が示唆された。

5、FtsZとHscAが細胞内で共局在する可能性の検討

 まず、野生型HscA蛋白質を精製し抗体を作成した。この抗体はHscAだけでなくDnaKも認識したので、野生株のdnaKを破壊した株について、HscAの細胞内局在を観察した。その結果、分裂直後の小さい細胞では両端のポール側にHscAが局在するが、少し成長した細胞では分裂予定面と両ポールの合計3ケ所にHscAが局在していた。この結果は前項4のFtsZの局在から得た推論を強く支持するものである。以上の2つの結果から、HscAとFtsZの間に物理的相互作用があることが強く示唆された。

6、In vitroにおけるFtsZとHscAの蛋白質間相互作用の解析6-1、HscAはFtsZの重合・脱重合に影響を与えるか

 精製されたFtsZはGTP依存的に重合・脱重合することが知られており,野生型HscA、変異型HscA715がFtsZの重合・脱重合にどのような影響を与えるか解析した。FtsZの重合・脱重合度は光散乱法で測定した。27℃では、野生型HscA、変異型HscA715いずれもFtsZの重合・脱重合にほとんど影響を示さなかった。36℃では、野生型HscAを加えてもFtsZの重合・脱重合度は変化しなかったが、変異型HscA715存在下ではFtsZの重合・脱重合度は半分に抑制された。このことから変異型HscA715はin vivoだけでなくin vitroでも高温でFtsZの重合・脱重合の過程を阻害することが解った。

6-2、野生型HscAとFtsZの直接的相互作用

 In vitroにおいて、野生型HscAはFtsZの重合に影響を示さなかったので、野生型HscAとFtsZの物理的相互作用の可能性を検討するために、野生型HscAが重合したFtsZと共沈するかどうか遠心法で調べた。HscA、共存下でFtsZを重合させ、超遠心後、その上清と沈殿をSDS-PAGE、CBB染色で検出した結果、HscAは重合したFtsZと共沈した。このことから確かにHscAは重合したFtsZに結合することが解った。

 本研究では、fts715変異株の遺伝的背景において変異型hscA715遺伝子は細胞質中のFtsZが集合してFtsZリングを形成する過程を阻害すること、hscA遺伝子破壊株ではFtsZリング形成に異常が起こること、細胞の分裂予定面と両ポールの合計3ケ所にHscAが局在すること、in vitroにおいて変異型HscA715は高温でFtsZの重合・脱重合の過程を阻害すること、野生型HscAは重合したFtsZに結合することが解った。

 これらの結果から、HscAはFtsZリング形成あるいはFtsZの脱リング化の過程に関与していると結論される。

審査要旨

 大腸菌の細胞分裂において、細胞分裂初期にFtsZ蛋白質は細胞中央部にFtsZリングを形成し、その他8種類の蛋白質と共に細胞分裂を進行する機能を持つことが知られているが、その全貌は明らかになっていない。本論文は細胞分裂機構の解明を目指し、細胞分裂に関与する新奇蛋白質を同定し、その機能を解析するため、細胞分裂欠損変異株の単離から始めたもので、6章より成る。

 第1章では、DNA複製や分配には影響を与えず、細胞分裂のみ欠損を持つ変異株として、「広田の温度感受性変異体パンク」から30℃では正常に分裂できるが、42℃で培養するとDNAが等間隔に分配されたフィラメント細胞となる高温感受性変異株fts715を選別した。次いで、プラスミドによる相補性テストとP1マッピングにより、fts715変異株はhscA遺伝子の変異株であることを明らかにした。fts715変異株ではHscAの192番目のアラニンがバリンに変異したHscA715蛋白質が細胞分裂を阻害していることが示唆された。

 第2章では、fts715変異株の変異形質が変異型hscA715遺伝子のみによるのかどうかについて遺伝学的解析を行った結果について述べている。fts715変異株または野生株のhscA遺伝子を破壊した株は、2株とも30℃と42℃で生育し、桿菌形態を示したことから、hscA遺伝子は細胞分裂に必須ではないことが明らかになった。この2種類の破壊株を変異型hscA715遺伝子を持つプラスミドで形質転換したところ、fts715変異株の遺伝的背景を持つ株はfts715変異株の形質を示したが、野生株の遺伝的背景を持つ株は42℃でも正常であった。従って、変異型hscA715遺伝子が細胞分裂を阻害するためにはfts715変異株の遺伝的背景が必要であることが明らかになった。

 第3章では、fts715変異株では、高温でFtsZリング形成の前後どちらの過程が阻害されているか解析するため、FtsZの細胞内局在を間接蛍光抗体法で観察している。その結果、42℃で伸長したフィラメント細胞においてFtsZリングは極側の細胞分裂面に観察されたが、中央部にはほとんど見られなかった。このような形質はFtsZ蛋白質の量が減少したことが原因とも考えられたが、fts715変異株と野生林ではFtsZ量に違いは無かった。以上の結果から、変異型HscA715は細胞質中のFtsZが集合してFtsZリングを形成する過程を阻害していることが示唆された。

 第4章、第5章では、HscAの機能を類推している。第4章ではhscA遺伝子の発現を抑制した株でFtsZの局在を観察した結果、63%の細胞では細胞中央部にFtsZが観察されたが、15%の細胞で極にFtsZが観察された。つまり、異常なFtsZの局在が検出された。第5章ではHscAとFtsZの細胞内共局在の可能性を検討している。HscAの細胞内局在をdnaK破壊株において観察したところ、細胞の両極あるいは細胞分裂予定面と両極にHscAは局在していることを明らかにしている。以上の結果からHscAはFtsZリング形成またはFtsZの脱重合に関与している可能性が示唆された。

 第6章では、in vitroにおいて、FtsZはGTP依存的に重合・脱重合することが知られていることから、HscA、HscA715がFtsZの重合・脱重合にどのような影響を与えるか光散乱法を用いて解析している。27℃では、HscA、HscA715いずれもFtsZの重合・脱重合にほとんど影響を示さなかった。36℃では、HscAを加えてもFtsZの重合・脱重合度は変化しなかったが、HscA715存在下ではFtsZの重合・脱重合度は半分に抑制された。このことからHscA715はin vivoだけでなくin vitroでも高温でFtsZの重合・脱重合の過程を阻害することが解った。次に、HscAとFtsZの物理的相互作用の可能性を検討している。HscA存在下でFtsZを重合させ、超遠心後、その上清と沈殿に分画したところ、HscAは重合したFtsZと共沈することが明らかとなった。以上のように本論文は、細胞分裂欠損変異株の解析からhscA遺伝子内の変異によりFtsZリング形成欠損となることを見出したことを手掛かりにHscAの細胞分裂に関する機能を検討している。その結果、HscAはFtsZのリング形成または脱重合の過程に関与していることを示唆しており、細胞分裂機構を解明上で貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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