学位論文要旨



No 115293
著者(漢字) 内木場,裕之
著者(英字)
著者(カナ) ウチコバ,ヒロユキ
標題(和) 乳酸菌由来非アロステリック型乳酸脱水素酵素の構造と機能
標題(洋)
報告番号 115293
報告番号 甲15293
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2138号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 西山,真
内容要旨

 L-乳酸脱水素酵素(LDH)はNADH/NAD+を補酵素として、ピルビン酸/乳酸間の酸化還元反応を触媒する、分子量約3万4千の同一のサブユニットからなる四量体の酵素で、細菌から脊椎動物まで広く分布している。脊椎動物由来のLDHは非アロステリック型であり、常に活性化状態にある。細菌由来のLDHのなかにはフルクトース1,6-ビスリン酸(FBP)によるヘテロトロピックな活性化や、ピルビン酸によるホモトロピックな活性化を受けるアロステリック型のLDHが多くみられる。

 すでにいくつかのLDHについては結晶構造解析が行われており、非アロステリック型のLDHではツノザメ筋肉LDH(DFMLDH)をはじめとするいくつかの脊椎動物由来のものについて、アロステリック型のLDHではBifidobacterium longum LDH(BLLDH)が低親和性型(T状態)、高親和性型(R状態)の両構造が解かれているほか、Bacillus stearothermophilus LDH (BSLDH)、Lactobacillus casei LDH(LCLDH)、(ともにR状態)についても構造が解かれている。これらの構造より、LDHの各サブユニットはP軸、Q軸、R軸と呼ばれる。本の直交する2回回転軸によって関係づけられ、活性部位はQ軸界面近くに存在して、アロステリック型のLDHではFBPはP軸サブユニット界面に結合することが明らかになっている3本研究で用いた、乳酸菌Lactobacillus pentosusの生産するLDH(LPLDH)は他の細菌由来のアロステリック型LDHと一次構造上高い相同性を示す非アロステリック型のLDHである。本研究では、LPLDHの非アロステリック性の要因を解明するため、立体構造をX線結晶構造解析によって決定し、他のLDHの構造との比較を行った。

1X線結晶構造解析による構造決定

 LPLDH高発現プラスミドを導入した大腸菌形質転換体で本酵素を発現させ精製を行い結晶化に用いる酵素蛋白質を得た。1mMのNADHを含む、硫酸アンモニウム1.2〜1.6M/100mM Acetate-Na(pH4.6)溶液をリザーバー溶液として、ハンギングドロップ蒸気拡散法によって結晶化を行い、0.5mm角程度の結晶を得た。この結晶の回折強度データは高エネルギー加速器研究機構、放射光施設(PF)のBL6Aで測定した。室温での測定で、分解能2.8Å程度までの反射を収集した。構造決定はBSLDHをモデル分子として分子置換法によって行い、8-2.8Åの反射に対して結晶学的R因子18.8%、Rfree因子25.2%まで精密化した。この結晶は溶媒含量が74%と高く、X線による損傷が激しかったため、得られた分解能は2.8Å程度までに限られた。そこで同様の結晶を用い、X線による損傷を軽減するため、cryo条件下(100K)での回折強度データの収集を行った結果、分解能2.2Å程度までの反射を得ることが出来た。cryo条件下では空間群が室温の際のI2E212121(a=151.4Å、b=147.7Å、c=114.0Å)から、P212121(a=149.6Å、b=145.8Å、c=112.0Å)に変化していた。cryo条件下(P21212)での分子の位置は、室温条件下(I212121)の構造を用いて、Rigid-body refinementで決定することができた。結晶学的精密化を行い、LPLDHのcryo条件下での結晶構造を分解能2.3Å、結晶学的R因子20.5%、Rfree因子24.1%で決定した。低温条件下での構造では、室温では不鮮明であった活性部位ループなどの電子密度を確認することができた。

2全体構造

 LPLDHの骨格構造は、モデル分子として用いたBSLDHの構造とよく似ていたが、N末端部分やC末端部分、ループなどいくつかの部分において違いが見られた。LPLDHの四次構造は他のLDHと同様に、222対称を示し、アロステリック型LDHのR状態の構造や、脊椎動物のLDHの構造に似ていた。

3サブユニット間相互作用の解析

 アロステリック型LDHのBLLDHでは、T-R両状態間でサブユニット同士の配向が変化することが明らかになっている。このことからLDHのアロステリック特性には、サブユニット間の相互作用が密接に関与していると考えられる。そこで、LPLDHと、他のアロステリック型、非アロステリック型LDHの結晶構造をもとに、サブユニット間の相互作用や、サブユニット界面の性質の比較を行った。

(1)N末端部分によるサブユニット間相互作用

 細菌由来のLDHと比較して、脊椎動物由来のLDHはN末端にアーム領域と呼ばれる約15残基の伸長配列を持つ。このアーム領域は、R軸で関係づけられるサブユニットと相互作用し、四次構造を安定化している。このアーム領域による四次構造の安定化が、脊椎動物由来のLDHが非アロステリック型である主な要因と考えられている。一方細菌由来のLDHはこのアーム領域をもたないために、R軸で関係づけられるサブユニット間の相互作用がほとんど見られない。LPLDHは他の細菌由来のLDHと同様にアーム領域を持たないが、そのN末端部分はターン構造をとっており、R軸で関係づけられるサブユニットに向かって突き出し、サブユニット間の水素結合を形成している。これらの水素結合は、Asn19のN1原子とGly295(R)のO原子の間、Asn19のO2原子とGln21(R)のN1原子の間、His20のN1原子とAsp264(R)のO1原子の間で形成される。(括弧内のRはR軸で関係づけられるサブユニットの残基であることを示している。)(図1)これらの水素結合は、LPLDHの四次構造を安定化し、サブユニット同士の認識に特異性を与えていると考えられる。

図1N末端部分によるサブユニット間水素結合
(2)サブユニット間の水素結合と塩橋

 LPLDHでは、他のアロステリック型LDHと比較して、サブユニット間で形成する水素結合と塩橋の数が増加しており、塩橋の増加は特に顕著である。この塩橋の増加は、LPLDHのQ軸サブユニット間での塩橋ネットワーク形成を反映したものである。この塩橋ネットワークは、Arg171、Lys178、Lys235とQ軸界面で隣接するサブユニットのGlu67(Q)、Asp68(Q)との間で形成される。(図2)これらのアミノ酸残基は他のLDHでは、Arg171以外は保存されておらず、この塩橋ネットワークの形成はLPLDHにおいてのみ見られる。Arg171は基質結合を司る残基であり、この塩橋ネットワークは活性部位付近で形成されていることから、活性部位付近の構造の恒常性を支持していると考えられる。また、Glu67とAsp68はヘリックスaCの終端に位置している。BLLDHのアロステリック転移でのサブユニット間の配向の変化に伴い、このヘリックスCはその軸に沿って約半ピッチ移動する。LPLDHでGlu67とAsp68が一つの塩橋ネットワークに組み込まれていることは、LPLDHでCのQ軸で関係づけられるサブユニットに対する相対的な位置に制限を与えていると考えられる。

図2 Q軸サブユニット間での塩橋ネットワーク
(3)サブユニット界面の性質

 LPLDHのサブユニット界面を他のLDHと比較したところ非極性原子の占める割合が小さい、すなわち疎水性が低くなっていることが明らかになった。疎水性相互作用は非特異的な相互作用であり、水素結合や塩橋などの極性相互作用は特異的な相互作用である。このことからLPLDHのサブユニット同士の会合はより特異的な相互作用によって成り立っているといえる。相互作用する、2つのタンパク質分子表面間の形の相補性はShape correlation statistics(Sc)によって、定量的に評価することができる。Sc値が大きい方が相補性が高く、すき間なく完全に相補する場合、Sc=1となる(0≦Sc≦1)。LPLDHのサブユニット界面のSc値を他のLDHと比較したところ、LPLDHでは、P、Q、R、いずれのサブユニット界面でも、アロステリック型LDHよりもSc値すなわち、界面でのサブユニット同士の形の相補性が高くなっていることが明らかになった。また、界面でのサブユニット間の接触面積が増加していた。このことから、LPLDHのサブユニット界面は、形の上からも特異性が高いといえる。

まとめ

 以上のように、LPLDHではN末端部分によるサブユニット間の水素結合や、活性部位付近でのQ軸サブユニット間の塩橋ネットワークのような特異的なサブユニット間相互作用が形成されており、サブユニット界面の形の相補性が高くなっていることから、アロステリック転移に必要な四次構造変化が起こりにくくなっていると考えられる。

 現在、これらの立体構造の情報に基づいて、N末端部分を欠失させた変異型酵素や、塩橋ネットワークを構成する解離性残基を塩橋を形成できないようなアミノ酸残基に置換した変異型酵素を作成しており、その機能の解析を行う予定である。

審査要旨

 L-乳酸脱水素酵素(LDH)は細菌から脊椎動物に至るまで広く分布しており、解糖系の最終段階や、乳酸発酵などの嫌気的条件下でのエネルギー生産時の鍵となる重要な酵素で、アロステリック型LDHと非アロステリック型LDHが存在する。本研究では乳酸菌Lactobacillus pentosusの生産するLDHを対象としている。L.pentosus LDHは他の細菌由来のアロステリック型LDHと高い相同性を示すにもかかわらず、非アロステリック型の性質をもつLDHである。本論文は、L.pentosus LDHがアロステリック性を持たない理由、すなわち非アロステリック性の要因を解明するため、立体構造をX線結晶構造解析によって決定し、他のLDHの構造との比較を行ったもので、三部よりなる。

 第一部ではL.pentosus LDHのX線結晶構造解析による構造決定についで述べている。X線結晶構造解析を行うため、L.pentosus LDHの結晶化を試み、1mMのNADHを含む、硫酸アンモニウム1.2〜1.6M/100mM Acetate-Na(pH4.6)溶液をリザーバー溶液としたハンギングドロップ蒸気拡散法によって結晶化を行うことにより、0.5mm角程度のL.pentosus LDHの結晶を得た。回折強度データの測定は高エネルギー加速器研究機構、放射光施設のBL6Aで、室温で行い、分解能2.8Å程度までの反射を収集した。構造決定はBacillus stearothermophilus LDHをモデル分子として分子置換法によって行い、2.8Å分解能の結晶構造を得た。この結晶は溶媒含量が74%と高く、X線による損傷が激しかったため、得られた分解能は2.8Å程度までに限られた。そこで同様の結晶を用い、X線による損傷を軽減するため、クライオ条件下(100K)での回折強度データの収集を行った結果、分解能2.2Å程度までの反射を得た。結晶学的精密化の結果、クライオ条件下で分解能2.3Å、結晶学的R因子20.5%、Rfree因子24.1%のL.pentosus LDHの結晶構造を決定した。

 第二部ではL.pentosus LDHの構造の全体的特徴について述べている。L.pentosus LDHの結晶構造とB.stearothermophilus LDHの構造との比較を行った結果、L.pentosus LDHの骨格構造は、モデル分子として用いたB.stearothermophilus LDHの構造とよく似ていた。またL.pentosus LDHの四次構造は他のLDHと同様に、222対称を示し、アロステリック型LDHのR状態の構造や、脊椎動物のLDHの構造に似ていた。また活性部位は、他のLDHと同等のものであると考えられ、これらのことからL.pentosus LDHも脊椎動物のLDHと同様に、活性を持った四次構造を恒常的に保っていることが示唆された。

 第三部では、L.pentosus LDHのサブユニット間相互作用に着目し、他の構造既知のLDHとの比較を行っている。これは特にアロステリック型LDHであるBifidobacterium longum LDHでの知見より、LDHのアロステリック特性には、サブユニット間の相互作用が密接に関与していると考えられていることに基づいている。解析の結果L.pentosus LDHのサブユニット界面は次のような特徴を持っていることが明らかになった。L.pentosus LDHではN末端部分はターン構造をとっており、R軸で関係づけられるサブユニットと水素結合を形成している。L.pentosus LDHでは活性部位付近で5残基からなる他のLDHでは見られない塩橋のネットワークを形成している。この塩橋ネットワークは活性部位付近で形成されていることから、活性部位付近の構造の恒常性を支持していると考えられる。またL.pentosus LDHではいずれのサブユニット界面でも、アロステリック型LDHよりも界画でのサブユニット同士の形の相補性が高くなっていること、サブユニット間の接触面積が増加していることが明らかになった。

 以上のように本論文は、L.pentosus LDHの立体構造をX線結晶構造解析によって決定し、他のLDHの構造との比較を行い、水素結合(N末端部分)・塩橋ネットワーク(活性部位付近)・相補性の増加(サブユニット界面)により、特異的なサブユニット相互作用が「活性化状態にあるサブユニット同士の配向(四次構造)を安定化した状態」を維持していることを見出し、酵素の活性調節機構であるアロステリック制御の概念に新たな知見を加えたものと言える。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク