L-乳酸脱水素酵素(LDH)は細菌から脊椎動物に至るまで広く分布しており、解糖系の最終段階や、乳酸発酵などの嫌気的条件下でのエネルギー生産時の鍵となる重要な酵素で、アロステリック型LDHと非アロステリック型LDHが存在する。本研究では乳酸菌Lactobacillus pentosusの生産するLDHを対象としている。L.pentosus LDHは他の細菌由来のアロステリック型LDHと高い相同性を示すにもかかわらず、非アロステリック型の性質をもつLDHである。本論文は、L.pentosus LDHがアロステリック性を持たない理由、すなわち非アロステリック性の要因を解明するため、立体構造をX線結晶構造解析によって決定し、他のLDHの構造との比較を行ったもので、三部よりなる。 第一部ではL.pentosus LDHのX線結晶構造解析による構造決定についで述べている。X線結晶構造解析を行うため、L.pentosus LDHの結晶化を試み、1mMのNADHを含む、硫酸アンモニウム1.2〜1.6M/100mM Acetate-Na(pH4.6)溶液をリザーバー溶液としたハンギングドロップ蒸気拡散法によって結晶化を行うことにより、0.5mm角程度のL.pentosus LDHの結晶を得た。回折強度データの測定は高エネルギー加速器研究機構、放射光施設のBL6Aで、室温で行い、分解能2.8Å程度までの反射を収集した。構造決定はBacillus stearothermophilus LDHをモデル分子として分子置換法によって行い、2.8Å分解能の結晶構造を得た。この結晶は溶媒含量が74%と高く、X線による損傷が激しかったため、得られた分解能は2.8Å程度までに限られた。そこで同様の結晶を用い、X線による損傷を軽減するため、クライオ条件下(100K)での回折強度データの収集を行った結果、分解能2.2Å程度までの反射を得た。結晶学的精密化の結果、クライオ条件下で分解能2.3Å、結晶学的R因子20.5%、Rfree因子24.1%のL.pentosus LDHの結晶構造を決定した。 第二部ではL.pentosus LDHの構造の全体的特徴について述べている。L.pentosus LDHの結晶構造とB.stearothermophilus LDHの構造との比較を行った結果、L.pentosus LDHの骨格構造は、モデル分子として用いたB.stearothermophilus LDHの構造とよく似ていた。またL.pentosus LDHの四次構造は他のLDHと同様に、222対称を示し、アロステリック型LDHのR状態の構造や、脊椎動物のLDHの構造に似ていた。また活性部位は、他のLDHと同等のものであると考えられ、これらのことからL.pentosus LDHも脊椎動物のLDHと同様に、活性を持った四次構造を恒常的に保っていることが示唆された。 第三部では、L.pentosus LDHのサブユニット間相互作用に着目し、他の構造既知のLDHとの比較を行っている。これは特にアロステリック型LDHであるBifidobacterium longum LDHでの知見より、LDHのアロステリック特性には、サブユニット間の相互作用が密接に関与していると考えられていることに基づいている。解析の結果L.pentosus LDHのサブユニット界面は次のような特徴を持っていることが明らかになった。L.pentosus LDHではN末端部分はターン構造をとっており、R軸で関係づけられるサブユニットと水素結合を形成している。L.pentosus LDHでは活性部位付近で5残基からなる他のLDHでは見られない塩橋のネットワークを形成している。この塩橋ネットワークは活性部位付近で形成されていることから、活性部位付近の構造の恒常性を支持していると考えられる。またL.pentosus LDHではいずれのサブユニット界面でも、アロステリック型LDHよりも界画でのサブユニット同士の形の相補性が高くなっていること、サブユニット間の接触面積が増加していることが明らかになった。 以上のように本論文は、L.pentosus LDHの立体構造をX線結晶構造解析によって決定し、他のLDHの構造との比較を行い、水素結合(N末端部分)・塩橋ネットワーク(活性部位付近)・相補性の増加(サブユニット界面)により、特異的なサブユニット相互作用が「活性化状態にあるサブユニット同士の配向(四次構造)を安定化した状態」を維持していることを見出し、酵素の活性調節機構であるアロステリック制御の概念に新たな知見を加えたものと言える。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。 |