学位論文要旨



No 115295
著者(漢字) 大沼,みお
著者(英字)
著者(カナ) オオヌマ,ミオ
標題(和) 定常期特異的転写開始因子38の機能領域解析
標題(洋)
報告番号 115295
報告番号 甲15295
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2140号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 中島,春紫
 東京大学 助教授 田中,寛
内容要旨

 真正細菌のRNAポリメラーゼのシグマサブユニットは、酵素活性を持つコア酵素(E)に結合し、ホロ酵素(E)を形成することでプロモーター認識能と転写開始能を付与する因子である。細胞は複数のシグマ因子を持ち、それらのシグマ因子を置換することによって、転写装置のプロモーター認識特異性を変換して生理状態に対応した遺伝子群を転写する。大腸菌には七種類のシグマ因子があるが、その中の六種類は70ファミリーのグループに属する。70ファミリーのシグマ因子には、アミノ酸配列の解析から四つの保存領域(region1-4)が見い出されている。それぞれの保存領域はさらにサブリージョンに分けられる(region1.1、1.2、2.1、2.2、2.3、2.4、3.1、3.2、4.1、4.2)。これらの領域は、突然変異体を用いた解析などにより一部その機能が明らかになってきている。Region1.1はホロ酵素を形成していない状態でのシグマ因子のDNAへの結合を阻害する。Region2.1は、コア酵素の結合に必須な領域である。E70によって認識されるプロモーターは多くが転写開始点から上流10bpおよび35bp周辺に存在する二組のヘキサマー配列(-10領域、-35領域)から構成されるが、Region2.4が-10領域を、region4.2が-35領域をそれぞれ認識する。

 大腸菌のrpoS遺伝子は、増殖定常期、高浸透圧により誘導される多くの遺伝子の発現制御を行うことにより、様々なストレスに対する耐性獲得の過程で中心的に働いていることが知られている。rpoS遺伝子産物である38は、主要シグマ因子70と高い相同性があり、in vitroの実験から38依存型プロモーターだけでなく、70のコンセンサス型プロモーターの一部を認識することが知られている。従って、38は定常期における38依存型遺伝子の転写制御だけでなく70依存型遺伝子の転写制御にも関わっていると考えられる。一方、3870は相同性が高いことや両者に共通するプロモーターが存在することなどから、機能的に似ていることが予想されるが、何れか一方のシグマ因子によってのみ認識されるプロモーターが存在することから、二つのシグマ因子のプロモーター認識特異性には明確な違いがある。このように、38の機能領域を明らかにすることは、定常期における転写制御を理解するために不可欠である。また、rpoS遺伝子は増殖に必須ではないことから、変異体の取得や解析が容易に行えるという利点を持つ。従って、38を用いての機能解析によって、基本的な転写開始機構に関する理解が深まると考えられる。本研究では、増殖定常期における転写制御機構を理解するために、38の機能領域の解析を行った。

138に特異的な機能領域の同定と機能解析

 まずはじめに、38固有の機能領域を同定することを試みた。様々な腸内細菌において同定されているrpoS相同遺伝子のアミノ酸配列を比較した結果、rpoS相同遺伝子間で保存性が高く、rpoD遺伝子とは保存性の低い領域をregion4よりもC末端側に認め、CTE(Carboxy-terminal-Tail-Element)と名付けた。70のCTEに相当する領域は、転写因子と相互作用する領域であるが、38においては未だ機能が見いだされていない。このことから、CTEが38に特有な機能を持つ領域ではないかと考え、CTEの機能解析を行った。

1.138のC末端領域16アミノ酸の欠失による細胞内における転写活性への影響

 38のCTE(38-CTE)の機能を調べるため、CTEを欠失した38(38(1-314))および野生型38の発現系を構築し、38依存型のkatEプロモーターの転写活性を指標として細胞内における38活性を測定した。その結果、CTEの欠失により、katEプロモーターの転写活性が消失した。この系では3838(1-314)を対数増殖期に強制的に発現させており、実際の定常期の転写活性を反映しているかどうかはわからなかった。そこで低コピープラスミドにrpoSオペロン全体を挿入して、38および38(1-314)がより染色体上のrpoS遺伝子の発現に近い状態で発現する系を構築した。また、この現象がプロモーター特異的な現象かどうかを検証するため、様々な38依存型プロモーター(katE、bolA、fic、orfI、wrbAプロモーター)の転写活性を測定した。その結果、解析したすべてのプロモーターで、CTEの欠失により転写活性が消失し、これらのプロモーターにおいても、38による転写にはCTEが必須であることが示された。次にin vitroにおいて38が認識することが示されているlacプロモーターについて細胞内の38による転写活性への影響と、CTEの影響を解析した。定常期において、38はlacプロモーターの転写活性を抑制したが、CTEの欠失により、この抑制もみられなくなった。これらの結果から、38のCTEは、転写因子への応答にではなく、基本的な38のシグマ因子活性に影響を及ぼしていると考えられた。また、38は細胞内でもlacプロモーターを認識しており、その転写を負に制御していることが示唆された。

1.238の転写活性に重要なCTEのアミノ酸残基の解析

 38-CTEがE38による転写に重要であることが示された。そこで38-CTEの16アミノ酸のうち、どのアミノ酸残基がシグマ因子活性に重要であるかを調べるため、CTEの16アミノ酸をそれぞれアラニンに置換した変異体38を用いて細胞内での転写活性を測定した。その結果、317番目のLeu、323番目のAsn、327番目のLeu周辺が特に重要であることが示された。これらのアミノ酸はCTEの中でもよく保存されている。

238-CTEの転写開始反応における役割2.138-CTEの欠失によるホロ酵素形成への影響

 CTE欠失によって38のシグマ因子活性がどの様に影響を受けているかを解析するために、精製したコア酵素、38(1-314)、および38を用いてin vitro転写アッセイを行った。その結果、CTEの欠失によってlacUV5、ficプロモーターの転写活性が低下したが、シグマ因子を過剰に加えることによって転写活性が一部回復した。従って、転写反応の最初の段階であるホロ酵素の形成が、CTEの欠失によって影響を受けていることが考えられた。そこでin vitroにおけるホロ酵素形成率を測定した。ホロ酵素の形成率はCTEの欠失により著しく低下し、CTEが38のホロ酵素の形成に重要であることが示唆された。この結果がCTEを欠失したことによる細胞内の転写活性の消失を反映しているかどうかをみるために、細胞内でのホロ酵素形成率を評価することを試みた。38または38(1-314)の発現プラスミドを保有する株の増殖定常期のcrude cell lysateに対してゲル濾過クロマトグラフィーを行い、ウエスタン解析により、ホロ酵素およびフリーのシグマ因子のフラクションに存在する38または38(1-314)のバンドを定量した。その結果、細胞内においてもCTEの欠失によりホロ酵素形成率が低下することが示唆された。

2.238のホロ酵素形成におけるCTEの役割

 コア酵素との結合に必須なシグマ因子の領域はregion2.1であるが、region2.2、2.4、3および4も、コア酵素との結合に関わっていることが示されている。本研究において見い出された38のCTEは、ホロ酵素の形成に関わっていることが示唆されたのでCTEがどのようにホロ酵素形成に寄与しているかを解析した。シグマ因子のregion1.1は、ホロ酵素を形成していないシグマ因子がDNAに結合することを阻害する領域である。70において、region4を含むC末端領域がregion1.1と相互作用してDNAの結合を阻害していることが明らかになっている。このことから、38ではCTEがN末端と相互作用をしている可能性が考えられた。そこで38のN末端領域部分タンパクとCTE-GST融合タンパク質を精製し、GST pull down assayにより、これらの相互作用の有無を現在解析中である。

まとめ

 本研究では、大腸菌の定常期特異的シグマ因子38固有の機能領域であるCarboxy-terminal-Tail-Element(CTE)を見い出し、その働きがホロ酵素の形成に関わっていることを示した。この結果は、7038の転写開始機構の違いを明らかにする上で非常に重要な知見である。さらに、38がlacプロモーターのような典型的な70型のプロモーターの転写を負に制御することを初めて明らかにした。このことは、対数増殖期に強く転写される70依存型遺伝子の転写が定常期において38による負の制御を受けていることを示唆している。大腸菌は38因子による38依存型遺伝子の正の転写制御と70依存型遺伝子に対する負の転写制御によって栄養源の枯渇した定常期を生き残っていると考えられる。

審査要旨

 ゲノムから遺伝情報を取り出す転写は遺伝子発現制御の最も重要な段階である。真正細菌のRNAポリメラーゼは、コア酵素とこれにプロモータ選択能及び転写開始能を付与するシグマ()因子とからなる。本研究は、大腸菌の定常期・浸透圧特異的なシグマ因子、38に特異的な機能領域を解析した結果をまとめたものであり、4章よりなる。

 序章で大腸菌を中心として得られている真正細菌のRNAポリメラーゼ、シグマ因子、プロモータ等についてのこれまでの知見を総括した後、第1章では、大腸菌で比較的最近発見された定常期並びに浸透圧応答性の主要型シグマ因子,38(rpoS遺伝子産物)の特異的な機能領域を検索した結果について述べている。38蛋白質は主要因子70と共通する基本骨格構造を持つが、領域4.2よりC-末端に至る領域(CTE:C-terminal element)は両者の間では相同性が低い。ところが、さまざまな真正細菌のrpoS相同遺伝子産物間では保存性が高いことから、それぞれ特有の機能を持つことが示唆された。このことを検証するため、野生型38とCTE欠失型38(1-314)による細胞内転写活性への影響をkatE、lac及びlacUV5プロモーターを用いて調べた。その結果、38(1-314)は、in vitroで転写開始活性を保持しているにも拘わらず、in vivoでkatE、fic、wrbAなどの38特異的なプロモーターの転写を行なうことができないことが分かった。一方、38は定常期における遺伝子発現の正の制御因子であると同時に70依存型プロモーターからの転写開始を抑制する働きを持つ(負の制御)ことが知られている。実際、rpoS欠損株ではいくつかの遺伝子発現の定常期における抑制が解除される。そこで、この負の制御に38-CTEが関与しているかどうかについて7038の両方によって認識されるlacプロモーターを用いて調べた。その結果、38(1-314)を持つ株では、lacプロモーターからの定常期における転写抑制が解除されていることが示された。これらの結果は、38のCTE領域がin vivoにおける38による正と負の制御に関与していることを示唆している。更に、16アミノ酸からなるCTE領域のどのアミノ酸がこれらの機能に関与しているかをアラニンスキャンニング法により解析した。その結果、317番目のロイシン、323番目のアスパラギン、327番目のロイシンの比較的良く保存された3つのアミノ酸が重要であることが明らかになった。

 第2章では、38のCTE領域が38とコア酵素との結合能に影響している可能性について検討を行った結果を述べている。それぞれ精製したコア酵素と野生型並びにCTE欠失型の38蛋白質とを1:1,1:4,1:16の量比で混合し、形成されるホロ酵素と転写能を解析した。その結果、CTE欠失38の量比を増やすと転写活性能が回復することが明らかになった。CTEがホロ酵素の安定性に寄与をしていることを示唆している。

 第3章は、38のCTE領域の有無とin vitroにおける転写の塩濃度感受性について解析した結果を述べている。野生型のE38ではK-glutamate(あるいはNa-glutamate)濃度が100-200mMと上昇するにしたがってficプロモーターからの転写が促進されるのに対し、E38(1-314)では50mM K-glutamateが最適濃度で、200mMでは転写が著しく阻害された。尚、それぞれの条件で形成されるホロ酵素の量には顕著な差異は認められなかった。これらの結果は38のCTE領域が細胞内の塩濃度に対応した活性制御に関わっていることを示唆しており、定常期細胞では細胞内塩濃度が100-500mMであるとする知見と一致する。

 第4章は総合討論である。

 以上要するに本論文は、大腸菌の定常期特異的シグマ因子38固有の機能を持つCTE領域を見い出し、この領域が塩濃度感受性と主要シグマ因子70に対する負の制御に関わっていることを見い出したものであり、学術上、応用上寄与するとことが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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