日本をはじめとした先進諸国は超高齢化社会を迎えつつあり、とくに、痴呆老人に対する介護・治療は解決すべき問題の一つである。痴呆老人のおよそ30%はアルツハイマー病患者であり、その治療・予防には社会的な関心が寄せられている。 第一章では、アルツハイマー病(AD)について説明した後、AD責任遺伝子産物(アミロイド前駆体タンパク質:APP)の代謝過程において、AD脳では-、-セクレターゼによって神経細胞の変性を引き起こすアミロイド(A)が産生される経路が優位になることを説明し、一方、正常脳では-セクレターゼによって代謝され、Aの中心部分で切断されAが産生されない経路が主経路であることを説明している。そこでAPP代謝に重要な-セクレターゼと-セクレターゼについて研究を進めたことを述べている。 第二章ならびに第三章において、そのための分子生物学的、生化学的手法について述べている。 第四章で-セクレターゼについての結果を述べており、-セクレターゼ切断部位周辺を元にしたペプチド基質を用いて、thimet oligopeptidase(TOP:EC3.4.24.15)と呼ばれるSH試薬依存性のメタロプロテアーゼが候補として精製されてきた。 そこでヒトTOP cDNAのクローニングを行い、TOPをCOS細胞で発現・精製した。精製TOPは、二価金属イオンとSH試薬に依存的に特異的な-セクレターゼ横切断活性を示した。さらに、この切断活性はメタロプロテアーゼ阻害剤でのみ阻害された。次にTOPをAPPとCOS細胞に共発現させ、培地中に分泌されるAPPのN末端分泌産物(sAPP)について検討した結果:APP単独と比べsAPPの分泌量が野生型では1.3倍程度の、Aの増加が見られるSwedish型APP変異体では約1.5倍の増加が観察された。ここでの増加は-セクレターゼによる分泌産物(sAPP)によるものではなく、-セクレターゼによる分泌産物(sAPP)の増加であった。最後にTOPの細胞内局在は、免疫染色の結果から大部分が核に存在し、少量がゴルジ様の構造体に局在する結果となったが、APPと共発現させたときには核に局在する量が減少してAPPの局在と重複してゴルジ様の構造体に多く局在する結果を得ている。 第五章では-セクレターゼについての研究結果を述べている。一群の膜結合型プロテアーゼ:ADAM(a disintegrin and metalloprotease)ファミリーがAPPをはじめとした膜タンパク質の分泌に関与しているとの報告から、比較的脳での発現が多いMDC9(meltrin :ADAM9)に注目した。 COS細胞にMDC9の全長(MDC9)ならびにメタロプロテアーゼドメインの欠失変異体(MP)、細胞外ドメインのみ(EXC)の変異体を発現させたところ、MP、EXCは予想分子量どおりにタンパク質の発現が見られた。しかしMDC9は、全長(108kDa)と思われるタンパク質以外に、予想分子量より小さい83kDaのタンパク質も検出された。この83kDaタンパク質について、N末端アミノ酸配列を決定したところ、前駆体部分が切断されたメタロプロテアーゼドメインから始まる活性化型プロテアーゼであることを明らかとした。そこで、この活性化型MDC9が全長APPの切断を検討した結果、二価金属イオン依存的に全長APPは切断され、sAPP断片が生じてきた。次にAPPとMDC9を共発現させ、-セクレターゼ活性を上昇するといわれるTPAで処理したところ、sAPPの分泌増加が認められ、対照に比べ約10倍の分泌増加が認められた。この分泌増加はMPとの共発現時には全く見られなかった。ここにメタロプロテアーゼ阻害剤を投与すると、SAPPの分泌は対照レベルにまで低下したことも観察された。また、このとき-セクレターゼによる分泌産物であるsAPPが、阻害剤投与によって観察されるようになった。最後にMDC9の細胞内局在は、おもにゴルジ様構造体であり、若干量が細胞膜に局在した。APPと共発現した場合でも、APPとほぼ同様のゴルジ様構造体に局在を示した。 第六章でそれぞれについて考察を行い、総合的な検討結果として両ブロテアーゼが唯一の-、-セクレターゼであるとの確証はないが、両者がAPPの分泌・代謝経路において重要な役割を担っているブロテアーゼの一つであるとしている。 以上本論文は、ADの-、-セクレターゼの同定を行っただけでなく、APPの代謝経路についても有力な可能性を示唆しており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |