学位論文要旨



No 115298
著者(漢字) 河野,雄飛
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,ユウヒ
標題(和) 枯草菌胞子形成初期過程に関与するispU遺伝子の機能解析
標題(洋)
報告番号 115298
報告番号 甲15298
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2143号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京農業大学 教授 吉川,博文
 東京大学 助教授 足立,博之
内容要旨

 枯草菌の胞子形成過程は、細胞分化の基礎的なモデルとして古くから研究がなされており、その骨格はほぼ明らかになっている。またゲノムプロジェクトにより枯草菌全ゲノム塩基配列が明らかになり、胞子形成過程の微細な機構の解明に移りつつある。胞子形成の開始過程は、二つのprotein kinase(KinA、KinB)、二つのリン酸転移酵素(SpoOF、SpoOB)及び一つの転写因子(SPoOA)により構成されるリン酸リレー系により制御される。これらの構成要素のうち、kinAの発現とspoOF及びspoOAの胞子形成期特異的プロモーター(Ps)からの転写はH因子に依存する。特にkinAの発現は効率的な胞子形成に必要であり、spoOAのPsからの転写は胞子形成の開始に必須であるので、H因子の活性調節機構は胞子形成開始過程に非常に重要である。

 H因子は対数増殖期にはほとんど存在せず、対数増殖終了前後(胞子形成開始期)になると蓄積し、活性を有するようになる。H因子には、遺伝子発現レベルでのAbrBによる負の制御と、蛋白質レベルでの安定化・活性化による制御機構が存在するが、後者の詳細な機構については不明である。

 本論文では、小出らによってクローン化された枯草菌菌体内主要セリンプロテアーゼ遺伝子の上流に位置する機能未知遺伝子(ispU)の機能解析を行い、IspUがH因子の活性調節に関与することを明らかにし、さらにその調節機構を明らかにしようとしたものである。

1.IspUと胞子形成過程との関連

 ispUは277アミノ酸をコードしており、C末端側でB因子の蛋白質レベルの制御因子であるRsbR、RsbSと高い相同性を示す。ispUの発現時期をispU-lacZ融合遺伝子の発現による-ガラクトシダーゼ活性を指標に決定したところ、ispUの発現は対数増殖期の終了時点(T0)の約1時間前(T-1)から急速に始まり、T0.5でピークに達し、それ以後急速に減少することが明らかになった。T0から胞子形成が開始されるので、ispUが直接胞子形成に関与する可能性が考えられたが、ispU欠損株と野生株の胞子形成率には有意な差は見られなかった。ところがispU欠損株における胞子形成関連遺伝子の発現について詳細に解析したところ、H依存的なkinA、spoVG、及びspoOAのPsプロモーターからの発現がいずれも野生株と比較して約30分遅れることを見出した。また、耐熱性胞子の出現もispU欠損株では約30分遅れることから、ispU欠損株では胞子形成が開始段階から約30分遅れて進行することが明らかとなった。以上のことはIspUがH因子の発現調節、あるいは活性調節機構に何らかの形で関与することを示唆する。

2.IspUのH因子活性化過程への関与

 H因子は遺伝子発現レベルでAbrBによる負の制御を受ける上、遺伝子発現後も蛋白質レベルでの安定化・活性化による制御を受けると考えられている。IspUが上記のどの段階に関与するかを明らかにするために、H因子をコードするspoOHの発現と、胞子形成開始期におけるH因子の蓄積に対するispU欠損株の影響を調べた。その結果、ispU欠損株におけるH因子の遺伝子発現及び蓄積は野生株と同様に起こっていた。従ってIspUはH因子の活性化過程に関与し、ispU欠損変異によってH因子の活性化が30分遅れるものと推察した。

 次にIspUとH因子が直接相互作用するかどうかを酵母のtwo-hyhbrid systemを用いて解析したが、直接の相互作用を示唆する結果は得られなかった。

3.ispU欠損株との共存下にのみ胞子形成欠損となる変異株の取得と解析

 ispU欠損株ではH因子の活性化は遅れるものの、最終的には野生株と同レベルまで起こる。その原因として枯草菌内にIspUと同様の機能を持つ別の蛋白質が存在し、これがIspUと平行してHを活性化しているものと考え、その同定を試みた。具体的にはispU欠損株においてのみH活性を示さず、胞子形成が欠損となる変異株の取得を目指した。ispU欠損株においてトランスポゾン変異を行い、胞子形成欠損変異株のうち胞子形成の初期過程における変異株の中から、その変異のみでは胞子形成欠損とならないものを探索した。約14万株のトランスポゾン挿入株を得、胞子形成初期過程に異常が見られる胞子形成欠損変異株を258株得ることができた。その内の一つの株はispUを正常に戻すとその変異が胞子形成欠損の表現系を示さなくなったが、トランスポゾンが複数挿入されており、それ以上の解析は不能であった。

4.IspUと相互作用する蛋白質の同定と解析

 次にIspUが、Hの活性化に関わる蛋白質の活性を調節する機能を持っているものと考え、IspUと相互作用する蛋白質を同定し、その蛋白質の機能解析を行うことにより、Hを活性化する蛋白質の同定を試みた。そのために以下の二つの手法を用いた。

(1)in vivoでIspUと相互作用する蛋白質の精製

 IspUのC末端に6xHis-tagを付加する形で大腸菌内で発現させ、Ni-NTAカラムを用いてIspUを精製した。これをウサギに免疫して抗IspU抗体を得て、さらに同抗体をCNBr-activated Sepharoseカラムに固定化した。このカラムに対してT0.5期枯草菌粗抽出液をかけたところ、分子量約32Kda及び約30kDaの二つの蛋白質がIspUと共精製された。現在同蛋白質のアミノ酸配列を決定している。

(2)酵母two-hybrid screeningを用いたIspUと相互作用する蛋白質の同定

 IspUをbaitとして、超音波によりランダムに破砕した枯草菌ゲノムを用いて作製したライブラリーを用いてスクリーニングを行ったところ、約900万株の中から24株のIspUと強い相互作用をすると考えられる株が得られた。現在塩基配列の決定を行っている。

5.まとめ

 枯草菌の胞子形成初期過程において、その大まかな骨格はすでに分かっている。今までに分かっている数々の蛋白質の機能の制御がいかに行われているのか明らかにすることが今後の課題である。本研究によりIspUがH因子の活性化機構に関与することが明らかとなった。ところで、IspUと高い相同性を示すRsbRはB因子の制御蛋白質であり、普段はRsbTによりリン酸化されて不活性化されており、環境ストレスによる何らかのシグナルにより脱リン酸化されるとB因子を活性化することが知られている。おそらくIspUも活性化機構の骨格をなす蛋白質と相互作用し、シグナルを受け取って活性化機構の制御を行っていると推察される。

審査要旨

 本研究は、枯草菌ispU遺伝子の機能解析を行い、IspUがH因子の活性調節に関与することを明らかにし、さらにその調節機構を明らかにすることを目標に進められたものであり、全七章から構成されている。

 第一章において研究全体の背景について概説した後、第二章ではispU欠損株の示す現象について述べている。まず、ispUの発現が胞子形成が開始される直前に一過的に起きることから、ispUの胞子形成開始期への関与を推察した。ispU欠損株と野生株の胞子形成率には有意な差は見られないものの、ispU欠損株における胞子形成関連遺伝子の発現について詳細に解析し、H依存的な遺伝子発現はすべて野生株と比較して約30分遅れることを明らかにした。また、耐熱性胞子の出現もispU欠損株では約30分遅れることから、ispU欠損株では胞子形成が開始段階から約30分遅れて進行することを明らかにし、lspUがH因子の発現調節、あるいは活性調節機構に何らかの形で関与することを示した。

 第三章では遺伝子発現レベルだけでなく蛋白質レベルでの安定化・活性化による制御を受けると考えられているH因子に対し、どの時点でIspUが関与するのかを述べている。H因子をコードするsigHの発現と、胞子形成開始期におけるH因子の蓄積に対するispU欠損株の影響を調べ、ispU欠損株におけるH因子の遺伝子発現及び蓄積は野生株と同様であることを示し、IspUがH因子の活性化過程に関与することを示した。また、酵母のtwo-hybrid systemを用いてIspUとH因子が直接相互作用しないことを示した.

 第四章では、H活性化に関与するlspUと同様の機能を持つ別の蛋白質を想定し、その探索について述べている。枯草菌内にIspUと同様の機能を持つ別の蛋白質が存在し、これがIspUと平行してHを活性化しているという仮説を立てて、ispU欠損と共存下でのみH活性を示さず、胞子形成が欠損となる変異株の取得を試みた。ispU欠損株においてトランスポゾン変異を行い、胞子形成欠損変異株のうち胞子形成の初期過程における変異株の中から、その変異のみでは胞子形成欠損とならないものを探索したが、目的の変異株は得られなかった。

 第五章ではIspUの6種類のparalogueとHの活性化について述べている。6種類のIspU paralogueの欠損変異がHの活性化に及ぼす影響を調べ、yojH欠損株のみがispU欠損株と同様の表現型を示すことを明らかにした。さらにispU yojH二重欠損変異ではH依存の遺伝子発現の遅れが約1時間となり、発現量も減少するが、完全にH依存の遺伝子発現を抑制するわけではないことを明らかにした。

 第六章ではIspUと相互作用する蛋白質について述べている。IspUが、Hの活性化に関わる蛋白質の活性を調節する機能を持っているものと考え、IspUと相互作用する蛋白質を同定し、その蛋白質の機能解析を行うことにより、Hを活性化する蛋白質の同定を試みた。in vivoでIspUと相互作用する蛋白質の精製を試みた。精製IspUを抗原として抗IspU抗体を取得し、CNBr-activated Sepharoseカラムに固定化した。このカラムに対してT0.5期枯草菌粗抽出液をかけたところ、分子量的32 kDa及び約30 kDaの二つの蛋白質がIspUと共精製された。このうち約30 kDaの蛋白質のN末端アミノ酸配列はYojHのものと一致したことから、IspUとYojHがin vivoで相互作用することを明らかにした。また、酵母two-hybrid screeningを用いてIspUと相互作用する蛋白質を同定することも試みた。IspUをbaitとしてGAL4-BDに接続し、超音波によりランダムに破砕した枯草菌ゲノムを用いて作製したGAL4-ADライブラリーを用いてスクリーニングを行った。いくつかの株を得たが、明確な相互作用が確認されているものはまだ見つかっていない。

 第七章の総括及び今後の展望では、IspUとYojHがH活性化過程に関与することを示し、B因子の活性化機構に関与するIspU paralogueのRsbR、RsbSの機能も考慮して、IspUとYojHはHの活性化に関わる別の蛋白質の活性を調節していると推察している。

 以上のように、本研究は細胞分化の基礎的なモデルである枯草菌の胞子形成初期過程において、因子活性化機構の調節因子の存在を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54119