学位論文要旨



No 115299
著者(漢字) 島村,達郎
著者(英字)
著者(カナ) シマムラ,タツロウ
標題(和) ペニシリン関連酵素の基質認識に関する構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 115299
報告番号 甲15299
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2144号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 足立,博之
内容要旨

 -ラクタム系抗生物質(以下-ラクタム剤)の抗菌作用は、細菌の細胞壁合成の最終段階で、トランスグリコシダーゼ反応及びトランスペプチダーゼ反応を触媒する高分子量ペニシリン結合蛋白質(以下PBP)に対し、基質アナログとして活性中心に結合し、その活性を阻害することによる。このような選択毒性を持つため、-ラクタム剤は細菌感染症の治療に広く用いられてきた。その結果、-ラクタム剤が効かない耐性菌が出現し、社会問題となっている。その耐性機構の主なものは、セリン-ラクタマーゼ(以下-ラクタマーゼ)を生産し-ラクタム剤を加水分解するタイプと、-ラクタム剤に親和性の低いPBPを生産するタイプである。これらペニシリン関連酵素(-ラクタマーゼ・PBP)は、一次構造上の相同性は低いが、二次構造の空間的配置が似ており、活性部位に集まっている四ヶ所の保存領域が存在する。また、活性中心にSerを持ち、アシル酵素機構で触媒反応を行う。-ラクタマーゼは、幾つかの酵素でX線結晶構造解析により立体構造が明らかにされ、置換変異型酵素の機能解析と相まって、その触媒機構の解明が進んだ。しかし、-ラクタマーゼ生産菌にも有効な薬剤として開発された第三世代セフェム系-ラクタム剤をも分解する基質特異性拡張型-ラクタマーゼ(Extended spectrum -lactamase,以下ESBL)の基質特異性拡張機構の解明は進んでいない。またPBPに関しては、生育に必須な高分子量PBPでは低分解能でしか構造が解析されておらず、詳しい触媒機構の解明は遅れている。しかし、これらの機構の解明は、耐性菌に対する薬剤の効率的な開発には必須である。

 本研究では、まず大腸菌の高分子量PBPであるPBP2に関して、保存領域のSer-Xaa-Asn領域の位置を同定し各残基の役割を調べた。そして、結晶化を目指して水可溶型PBP2の大量発現系の構築及び精製を行った。次に、大腸菌のESBLであるToho-1について、-ラクタム剤とのアシル中間体のX線結晶構造解析を行い、その基質特異性拡張機構について調べた。

第1章大腸菌の高分子量PBP2のSer-Xaa-Asn 領域に関する研究

 -ラクタマーゼとのアライメントにより、PBP2のSer-Xaa-Asn領域をSer387-Ala388-Asp389と推定し、その置換変異型酵素を作製した。クラスAの-ラクタマーゼでは、Ser130-Asp131-Asn132がこの領域に相当する。Ser130は、アシル化段階で基質の四員環の窒素ヘプロトンを渡し、-ラクタム環を開裂させる。ASp131は、前後の残基の側鎖の配置を安定化している。Asn132は、アシル化に関与しているLys73と水素結合を形成してその反応性を高めると共に、-ラクタム剤の側鎖のカルボニル基と水素結合を形成し、基質との結合に関わっているとされている。PBP2の変異型酵素の性質は、トランスペプチダーゼ反応のアシル化段階に相当するペニシリン結合活性と、トランスペプチダーゼ活性全体に相当するPBP2温度感受性変異株に対する遺伝的相補性(以下相補性)で調べた。Ser387の変異型酵素はペニシリン結合活性を失っており、Ser387がアシル化段階で働くことが解り、-ラクタマーゼのSer130と同様の役割を担っていることが示唆された。Ala388の変異型酵素は、側鎖の小さい残基への置換体では相補性を保持していたが、大きい側鎖への置換体では相補性を喪失し、-ラクタマーゼのAsp131と同様に構造の安定化に寄与していることが解った。Asp389の変異型酵素はペニシリン結合活性は保持していたが、相補性は失っていた。-ラクタマーゼのAsn132が、基質認識に関与していることから、Asp389の変異型酵素について-ラクタム剤との親和性も測定した。PBP2は、大腸菌の他のPBPと違って、-ラクタム剤のメシリナムに対して親和性が高く、セフェム系-ラクタム剤に対しては親和性が低い。Asp389を他の大腸菌PBPと同じAsnにしたD389Nでは、PBP2以外のPBPと同様に、メシリナムに対しては低い、セフェム系-ラクタム剤に対しては高い親和性を示し、Asp389が、-ラクタム剤に対する特異性を決定する残基であることが解った。この結果、Asp389がPBP2の基質認識に関与していることが示唆され、Asp389の変異型酵素で相補性が失われたのは、変異型酵素では、トランスペプチダーゼの基質を認識できなかったためと解せられる。

第2章大腸菌の高分子量PBP2の水可溶型酵素と大量発現系の構築

 PBP2はペリプラズムで働くが、そのN末端部分で、内膜を貫通しており可溶化が難しかった。当研究室では既に、疎水性度の高いN末端側の膜貫通領域を欠失させ水可溶型となったPBP2を構築しているが、発現量・溶解度が低く、精製過程で分解産物が生じ、結晶化は成功していない。そこでPBP2のN末端にマルトース結合蛋白質(以下MBP)、グルタチオン-S-トランスフェラーゼ、チオレドキシン、ヒスチジンータグを融合させた融合蛋白質を作製することでPBP2の欠点を改善し、PBP2の結晶化を目指した。各融合蛋白質を大腸菌で発現させると、どれも発現量はPBP2の3倍以上になった。溶解性は、pHと塩濃度を上げると、MBPとの融合蛋白質(以下MBP-PBP2)で、可溶性画分に回収されるようになった。また、大腸菌の分子シャペロンであるGroEL/GroESと共発現させたところ、MBP-PBP2では、低塩濃度でも可溶性画分に多く回収された。可溶性画分に回収されたMBP-PBP2をアミロースレジンを用いたアフィニティーカラムとPorosHQカラムで精製すると、SDS-PAGE上で単一バンドとなり、ペニシリン結合活性も保持していた。その溶解度は30mg/ml以上であり、PBP2を高純度で、結晶化に十分な溶解度で精製することに成功した。得られたMBP-PBP2溶液の動的光散乱の測定を行ったところ、multimodalとなり結晶化しにくいことが分かった。実際、結晶化を試みたが、ほとんどの条件で沈殿が生成し結晶化はできなかった。

第3章大腸菌の基質特異性拡張型クラスA-ラクタマーゼToho-1とセフォタキシムとのアシル中間体のX線結晶構造解析

 クラスA-ラクタマーゼToho-1は、臨床分離株から見つかったESBLである。そのnative構造は当研究室で解かれているが、基質特異性拡張機構の解明のため、基質が活性中心に結合したアシル中間体のX線結晶構造解析を行った。アシル中間体を安定に保持するため、クラスA-ラクタマーゼで脱アシル化反応に関与するGlu166をAlaに置換した酵素を用いた。精製酵素を2.1M硫安を用いたハンギングドロップ蒸気拡散法により結晶化した。この結晶を、第三世代セフェム系-ラクタム剤セフォタキシムを含む母液にソーキングしてアシル中間体を生成させた。X線回折強度データの収集は、高エネルギー加速器研究機構放射光施設において、低温で行った。空間群はP3221、格子定数はa=b=72.58Å,c=98.18Å,=90゜,=120゜となり、native構造とほぼ同一であった。native構造をモデル分子とした分子置換法により位相を決定し、精密化を進め、分解能6-1.8Åの反射に対し、結晶学的R値18.1%、Rfree値22.9%の構造を得た。第三世代セフェム系-ラクタム剤とのアシル中間体の構造解析は、本研究が初めてのものである。この構造とnative構造を比較したところ、Ser237の側鎖の向きが動いて基質の4位のカルボキシル基と相互作用していた。また、これにはArg276の正電荷が関与していた。Ser237、Arg276はESBLで保存されている残基である。そこで、これらの変異型酵素S237A、R276Nを作製してセフォタキシムに対する活性を測定したところ、野生型に比べKcat値が低下していた。更に、S237Aについても同様にセフォタキシムとのアシル中間体構造を解析したところ、237番との相互作用がなくなったため基質の4位のカルボキシル基の位置が動き、それに伴い基質の位置も多少移動していた。このことからArg276、Ser237は、基質の四員環のカルボニル基の位置を、活性中心のSer70に対して適切な位置に固定する役割を担っていることが解った。また、この構造を基質特異性非拡張型クラスA-ラクタマーゼであるTEM-1のnative構造に重ね合わせたところ、第三世代セフェム系ラクタム剤の特徴であるアミノチアゾール環が、ループ上に存在する167番の主鎖に接近しすぎていた。ループ上には、脱アシル化反応に関与する水を活性化するGlu166も存在する。TEM-1が第三世代セフェム系-ラクタム剤を分解できないのは、基質結合時に、ループが動かされてGlu166が水を活性化できなくなることが原因の一つであることが示唆された。

 更にベンジルペニシリン(ペニシリン系)、セファロチン(第一世代セフェム系)とのアシル中間体の構造も精密化を進めている。

 以上より、PBPに関しては、-ラクタム剤との親和性を決定する残基を特定し、水可溶型酵素の大量発現系を確立した。また、ESBLのアシル中間体構造の解析により、基質特異性拡張に関与している残基とその役割を明らかにした。これらの知見は、広がりつつある耐性菌への対策に、有益なものと思われる。

審査要旨

 ペニシリン等の-ラクタム剤は-ラクタム環をもつ抗生物質で、細菌の細胞壁の合成を阻害する。近年薬剤耐性菌の出現により、-ラクタム剤と細菌との相互作用が問題となり、細菌の持つペニシリン関連酵素の一層の研究が社会的に要請されている。ペニシリンを分解する-ラクタマーゼやその標的であるペニシリン結合蛋白質(PBPと略称)は、一次構造上の相同性は低いが、二次構造の空間的配置が似ており、活性部位に保存領域が存在し、活性中心にセリンを持ち、アシル酵素機構で触媒反応を行う。本研究は、ペニシリン関連酵素である大腸菌のPBP2(高分子量PBP)と、基質特異性拡張型クラスA-ラクタマーゼ(ESBL)Toho-1を用いて、変異型酵素の解析やX線結晶構造解析により、それらの基質認識機構を調べたもので、三章よりなる。

 第一章では、PBP2の保存配列SXN領域の各残基の役割を調べている。PBP2で活性中心と考えられる387-SAD-389の領域の置換変異型酵素を作製した。変異型酵素の性質は、ペニシリン結合活性と、PBP2温度感受性変異株に対する遺伝的相補性で調べた。S387の変異型酵素はペニシリン結合活性を失っており、S387がアシル化段階で働くことが解った。A388は活性に関与していないことが解った。D389の変異型酵素はペニシリン結合活性は保持していたが、遺伝的相補性は失っていた。更にD389の変異型酵素について-ラクタム剤との親和性も測定した。D389を他の大腸菌PBPと同じNにしたD389Nでは、PBP2以外のPBPと同様に、メシリナムに対しては低い、セフェム系-ラクタム剤に対しては高い親和性を示し、D389が、-ラクタム剤に対する特異性を決定する残基であることが解った。この結果、D389がPBP2の基質認識に関与していることが示唆され、D389の変異型酵素で相補性が失われたのは、トランスペプチダーゼの基質を認識できなかったためと解せられた。

 第2章では、立体構造解析のためのPBP2の水可溶型酵素の作製について述べている。PBP2はペリプラズムで働くが、そのN末端部分で、内膜を貫通しており可溶化が難しかった。そこでPBP2のペリプラズムに存在すると予想された領域のN末端に、マルトース結合蛋白(MBP)、チオレドキシン、Histag等を融合させた蛋白質を作製した。各融合蛋白質を大腸菌で発現さると、不溶性画分に回収されたが、MBP-PBP2では菌体懸濁時の緩衝液のpHと塩濃度を上げたり,GroELSと共発現させると、ペニシリン結合活性を保持したまま可溶性画分に多く回収された。可溶性画分に回収された蛋白質をアフィニティーカラムで精製すると、ほぼ100%の純度で精製できた。その溶解度30mg/mlであり、PBP2を高純度で、結晶化に十分な溶解度で精製することに成功した。得られたMBP-PBP2溶液の動的光散乱の測定を行ったところ、multimodalとなり、結晶化は成功していない。

 第3章では大腸菌のESBLであるToho-1と第三世代セフェム系-ラクタム剤セフォタキシム(CTX)とのアシル中間体のX線結晶構造解析について述べている。Toho-1のnative構造は当研究室で解かれているが、基質特異性拡張機構の解明のため、アシル中間体のX線結晶構造解析を行った。これには脱アシル化反応に関与するE166をAに置換した酵素を用いた。精製酵素を2.1M硫安をリザーバー液に用いて結晶化した。この結晶に、CTXをソーキングしてアシル中間体を生成させた。解析の結果、分解能1.8Å、結晶学的R値18.1%、Rfree値22.9%の構造を得た。第三世代セフェム系-ラクタム剤とのアシル中間体の構造解析は、本研究が初めてのものである。この構造とnative構造を比較したところ、新たにS237の側鎖と基質のカルボキシル基、N104の側鎖と基質のカルボニル基、I167の主鎖と基質のアミノ基の間に水素結合が生じていた。S237AのCTXへの活性は低下していた。更に、S237AとCTXのアシル中間体構造では、野生型と比べ基質全体の位置が移動していた。このことからS237は、基質の四員環のカルボニル基の位置を、活性中心のS70に対して適切な位置に固定する役割を担っていることが解った。また、第一世代セフェム系-ラクタム剤セファロチンとのアシル中間体構造と比較すると、CTXとのアシル中間体構造では,ループが動いて基質結合部位が広がり、基質が入りやすくなっていることが示唆された。

 以上のように本論文は、PBPに関しては、-ラクタム剤との親和性を決定する残基を特定し、水可溶型酵素の大量発現系を確立した。また、ESBLのアシル中間体構造の解析により、基質特異性拡張に関与している残基とその役割を明らかにした。これらの知見は、広がりつつある耐性菌への対策に、有益なものと思われる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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