学位論文要旨



No 115300
著者(漢字) 関根,圭輔
著者(英字)
著者(カナ) セキネ,ケイスケ
標題(和) 線維芽細胞増殖因子(FGF10)の生体内高次機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 115300
報告番号 甲15300
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2145号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 1.目的

 線維芽細胞増殖因子(FGF)は多彩な生理作用を担う細胞間情報伝達物質であり,1種のサイトカインとして1つの遺伝子スーパーファミリーを形成している.FGFおよびこれを受容するFGFレセプタ-(FGFR)のシグナルは主に間葉-上皮相互作用因子として働き,細胞の増殖・分化を促し,発生時の器官形成に重要な役割を担うことが知られている.更に,恒常性の維持,創傷治癒,骨軟骨代謝調節,腫瘍形成と癌転移などにも深く関与することが明らかになっている.

 このようなFGF-FGFRシステムは19種のリガンドと4つのFGFRにより構成されることが知られている.しかし,1つのFGFRに複数のFGFが結合可能なため,特定FGFの機能は通常,他のFGFによっても代替される例が多く,個々のFGFリガンドの高次機能を区別して捉えることは一般に困難である.中でもFGF7はその発現部位とin vitro系の結果から,肺形成,創傷治癒,腫瘍形成に関与する主要なFGFであることが指摘されてきた.しかし,FGF7遺伝子欠損マウスは予想に反し期待した変異は観察されず,従来FCF7の作用と考えられたものは他のFGFによって代替される可能性が考えられた.

 一方,FGF10は1996年にFGF7との相同性を利用し見いだされた.FGF10は成体の肺での発現が強くその他皮膚や前立腺での発現が認められることから,FGF7の代替作用を担う可能性が考えられた.また,初期胚の肺,肢芽,脳などに発現が認められていることから,器官形成における重要性が指摘されていた.そこで本研究ではFGF10の生体内高次機能の解明を目的に,FGF10遺伝子欠損マウスを作出し,個体形成や成体でのFGF10の機能を調べた.

2.FGF10遺伝子欠損マウスの作出

 分化全能性を有する胚性幹細胞(ES細胞)を介した標的遺伝子組み替えによるFGF10遺伝子の欠損を試みた.まず,ラットFGF10cDNAを用いマウスFGF10ゲノムを取得し解析した結果,ATGをコードするエクソン1を含むものであった.エクソン1はFGF10タンパク全長210アミノ酸の内,約半分に当たる110アミノ酸をコードしていた.そこで,このエクソンを欠損するように薬剤耐性遺伝子であるG418耐性遺伝子(Neor)に置き換えたターゲティングベクターを構築した.これをTT2 ES細胞株にエレクトロポーレーション法により導入し,208個のG418耐性ESクローンを取得した.サザンブロットにより解析した結果,8個の相同組み替えESクローン(FGF10+/-)を取得した.得られた相同組み換えES細胞の2クローン(2A-3および2B-3)からCD-1マウス8細胞期胚とのアグリゲーションによりキメラマウスを作出した.キメラマウスよりヘテロマウス(FGF10+/-),ホモマウス(FGF10-/-)を得た.キメラマウス,ヘテロマウスでは正常に成長,交配し,外見上変異は見いだされなかった.2つのESクローンより作出した別個のホモマウスラインはいずれも同様の表現型を示したため,得られた表現型はFGF10の欠損によると判断し,以下このホモマウスをFGF10遺伝子欠損(以下FGF10KO)マウスとして解析した.

3.FGF10遺伝子欠損マウスの解析

 ヘテロマウス同士の掛け合わせにより出生するFGF10KO新生仔マウス数はメンデルの法則で期待される比率であった.このことからFGF10欠損により胎生致死とはならないと判断した.FGF10KO新生仔マウスは手足が完全に欠損しており,生後数分以内に全て死亡した.そこでFGF10の手足および肺の形成段階における機能を,分子レベルで調べた.

3-1.四肢欠損に関する解析

 FGF10KO新生仔マウスの手足の異常を骨および軟骨染色により解析した.前肢については肩甲骨の一部と鎖骨が形成されていたものの,それより遠位の骨は全く形成されていなかった.一方,後肢は骨盤にも大きな欠損が見られ,骨盤内,腸骨の一部と思われる骨のみが形成されており,それより遠位の骨は全く形成されていなかった.また,四肢骨以外の骨は形態,石灰化にも異常が認められなかった.

 そこで発生初期の四肢の形成を調べた.四肢の形成はまず発生初期胚における肢芽の形成からはじまるが,同時に前肢・後肢の特異的形態も決定される.その後肢芽が成長し,四肢が形成される.よって,この四肢欠損は形成過程にFGF10シグナルが欠落したためであると考え,FGF10KOマウスの肢芽形成過程について解析を行った.肢芽形成は前肢,後肢で胎齢10.5日から腹側部に顕著な膨らみとして確認できる.しかし,胎齢10.5日のFGF10KOマウスでは前肢,後肢とも肢芽の顕著な膨らみは形成されていなかった.より詳細に検討するため胎齢10.5日の前肢肢芽領域の組織切片を作製した.その結果,FGF10KOマウスでは体幹部と較べ明らかに肢芽形成の初期段階の膨らみは形成されるものの野生型マウス肢芽に較べ非常に小さく,また肢芽の伸長に必須な外胚葉性頂堤(AER)が形成されていなかった.

 次にこの肢芽欠損のメカニズムを分子レベルで解析した.肢芽形成と肢芽伸長を司るAERと極性化域(ZPA)の形成に必須であることが知られているFGF8およびShh遺伝子の発現をwhole-mount in situ hybridizationにより検討した.その結果,両遺伝子ともFGF10KOマウスの脳および顔面部では発現に影響を受けなかったが,肢芽領域での発現は認められなかった.一方,前肢および後肢の特異的形態決定因子であるTbx5およびTbx4遺伝子の発現はFGF10KOマウスにおいては胎齢9.5日までは正常に発現が認められた.

 よって本研究により,FGF10KOマウス肢芽領域においてFGF8が発現しないことからFGF10が肢芽領域におけるFGF8の発現誘導に必須であることが明らかとなった.さらに,FGF10欠損によっても肩甲骨・鎖骨および骨盤の一部が形成されていることから,手足の形成においてFGF10に制御されない領域があることが明らかとなった.また,骨格解析およびTbx遺伝子群発現解析の結果,前肢・後肢の形成される位置およびその特異的形態はFGF10による肢芽形成誘導シグナルとは独立したシグナル経路であることが明らかとなった.

3-2.肺欠損に関する解析

 FGF10KOマウス出産の様子を観察すると生後呼吸しようとした後に死亡した.解剖により,死亡原因は肺の欠損による呼吸不能のためであることがわかった.また,肺葉は完全に欠損していたものの,気管は形成されていた.この肺欠損をその形成時期に観察したところ,野生型マウスでは胎齢11.5日までに気管から気管支の分岐が始まり肺葉の形成が起こるのに対し,FGF10KOマウスにおいては気管の分岐は停止し,肺葉の形成は全く起きていないことが明らかとなった.

 そこでFGF10KOマウスの肺葉欠損を分子レベルで調べるため,肺形成に関与する因子であるBmp4,Shh,Wnt2遺伝子群についてその発現をin situ hybridizationにより検討した.Bmp4は肺葉形成において抑制的に制御することが知られ,Wnt2およびShhは肺形成を促進すると考えられている因子である.Bmp4,Shhは肺葉内胚葉,Wnt2は肺葉中胚葉に特異的発現が見られることが知られているが,いずれの遺伝子もFGF10KOマウスでは発現は認められなかった.一方,気管におけるShhの発現はFGF10欠損により影響を受けないことが明かとなった.

 よって本研究により,FGF10は肺葉の形成においてWnt2,Shh,BMP4の発現を誘導する,これまで知られるなかで最も上流に位置するシグナル因子であり,肺葉の形態形成に必須であることが明かとなった.

4.考察

 本研究ではFGF10KOマウスを作出することによりFGF10の生体内高次機能の解明を試みた.作出したFGF10KOマウスは胎生致死とならず出生するものの,四肢を完全に欠損し,肺欠損のため出生直後に死亡した.詳細な解析の結果,肢芽形成においてFGF10がFGF8の発現制御の上流に位置しており,FGF10は肢芽形成誘導シグナルにおいて現時点で最も重要かつ最上流の因子であることを明らかにできた.一方,肺形成においては気管形成を伴う肺葉欠損であった.肺葉形成因子群はいずれも発現が見られなかったので,FGF10は気管から肺葉を形成する最上流のシグナル因子であることが示唆された.これらのことから両器官では間葉で発現するFGF10は上皮に発現するFGFRを介し,肢芽の場合はFGF8を,肺葉の場合はShh,Wnt2等の発現を誘導する間葉-上皮相互作用を担う必須因子であることが明らかになった.一方,早期致死のため成体での前立腺,皮膚などのFGF10の高次機能については解析不能であった.そこでこの問題を回避する目的に,Cre-loxPシステムを用いた時期・組織特異的FGF10KOマウスを作出し,成体での特定臓器におけるFGF10の高次機能を解析する予定である.

 以上,本研究によりFGF10KOマウスを作出し,FGF10が肢芽と肺の形成において必須であり,現在知られるなかで両器官形成における最上流の制御因子であることを明確にし,FGF10の生体内高次機能の一端を解明した.

参考文献Sekine K.et al.,:Fgf10 is essential for limb and lung formation.Nature Genetics,21,138-141(1999)
審査要旨

 線維芽細胞増殖因子(FGF〉は恒常性の維持,発生時の形態形成,創傷治癒.履瘍形成など多彩な生理作用を担う細胞間情報伝達物質である.このなかでも発生時の器官形成におけるFGFの作用は特に重要であることが知られている.

 多数存在するFGFのなかでFGF7はその発現部位とin vitro系の結果から,肺形成,皮膚での創傷治癒に関与することが指摘されてきた.しかし,FGF7遺伝子欠損(KO)マウスは期待した変異は観察されず,従来FGF7の作用と考えられたものは他のFGFによって代替される可能性が考えられた.一方,FGF10はFGF7との相同性を利用し見いだされた.FGF10は成体の肺での発現が強くその他皮膚などでの発現が認められることから,FGF7の代替作用を担う可能性が考えられた.また,初期胚の肺,肢芽,脳などに発現が認められていることから,器官形成における重要性が指摘されていた.よって,FGF10の生体レベルでの高次機能の解明は極めて興味深い課題である.本論文ではFGF10KOマウスを作出し,FGF10の生体内高次機能を解析したものである.以下,4章より構成されている.

 第1章は,研究の背景と目的を述べた序論より構成される.FGFシグナルの作用機序と生理作用を述べ,本研究の意義について述べられている.

 第2章では標的遺伝子組み替えによるFGF10KOマウスの作出について述べられている.まず,マウスFGF10のゲノム構造を解析しターゲティングベクターを構築している.次ぎにこのベクターを用い相同組み替えES細胞の単離に成功した.このES細胞よりキメラマウスを作製し,交配によりFGF10KOマウスの作出に成功した.

 第3章では作出したFGF10KOマウスの解析について述べられている.作出したFGF10KOマウスは胎生致死とはならなかった.しかし,FGF10KO新生仔マウスは手足が完全に欠損しており,生後数分以内に全て死亡することを見いだした.そこでFGF10KOマウスの四肢欠損についての解析が述べられている.

 次ぎに骨格解析によりFGF10KO新生仔マウスの前肢において肩甲骨の一部と鎖骨が形成されていたものの,それより遠位の骨は全く形成されていないことを見いだした.一方,後肢は腸骨の一部と見られる骨のみが形成されていることを見いだした.そこで発生初期の四肢の形成段階である肢芽形成をしらべた.胎齢10.5日の前肢肢芽領域の組織切片を作製し観察した結果,FGF10KOマウスでは明らかに肢芽形成の初期段階は形成されるものの非常に小さく,肢芽の伸長に必須な外胚葉性頂堤(AER)が形成されていないことを見いだした.

 次にこの肢芽欠損のメカニズムを分子レベルで解析した.肢芽形成と肢芽伸長を司るAERと極性化域(ZPA)の形成に必須であることが知られているFGF8およびShh遺伝子の発現をwhole-mount in situ hybridizationにより検討した.その結果,両遺伝子ともFGF10KOマウスの肢芽領域での発現は認められなかった.一方,前肢/後肢の特異的形態決定因子であるそれぞれTbx5およびTbx4遺伝子はFGF10KOマウスにおいて胎齢9.5日までは正常に発現が認められた.

 FGF10KOマウスの解剖により,死亡原因は肺欠損による呼吸不能のためであることを見いだした.そこで次ぎにFGF10KOマウスの肺欠損の解析について述べられている.

 この肺欠損をその形成段階である肺芽形成時期に観察し,野生型マウスでは胎齢11.5日までに気管支の分岐が始まり肺葉が形成されるのに対し,FGF10KOマウスでは気管の分岐は停止し,肺葉形成されないことを見いだしている.次ぎにFGF10KOマウスの肺葉欠損を分子レベルで調べるため,肺形成に関与する因子群についてその発現をin situ hybridizationにより検討している.Bmp4は肺葉形成において抑制的に制御し,Wnt2およびShhは肺形成を促進すると考えられている因子である.解析の結果,いずれの遺伝子もFGF10KOマウスでは発現しないことを見いだした.

 第4章の総合討論では本論文で得られた知見をもとにFGF10の生体内高次機能をまとめ,肢芽および肺芽形成に関与する因子群とFGF10の関係について考察している.

 以上,本論文はFGF10KOマウスを作出し,FGF10が肢芽と肺の形成において必須であることを明らかにし,FGF10の生体内高次機能の一端を解明したものである.この知見は四肢形成および肺形成の分子機構の一端を明らかにしたものであり,学術上寄与するところが少なくない.よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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