学位論文要旨



No 115303
著者(漢字) 藤原,誠
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,マコト
標題(和) 高等植物葉緑体の転写と分裂に関わる核コード制御因子の研究
標題(洋)
報告番号 115303
報告番号 甲15303
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2148号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 田中,寛
内容要旨

 植物色素体は環状DNAからなる独自のオルガネラゲノムを持ち、核とは異なる転写・翻訳系を介して情報発現を行う。色素体ゲノムには遺伝情報系遺伝子詳、光合成系遺伝子群を含む約120の遺伝子がコードされるが、DNA配列上それらは酸素発生型光合成細菌であるラン藻の遺伝子と近縁であり、植物色素体がラン藻の祖先の細菌から生じたとする細胞内共生説の有力な根拠となる。しかし、大部分の細菌遺伝子は共生後宿主細胞核に移行するかあるいは失われたと考えられ、色素体における遺伝子発現制御は基本的に核に依存する。

 高等植物では、色素体は植物組織や外部環境に応じて複雑に機能分化する。色素体の遺伝子発現と色素体機能との関連については、これまで葉緑体の光合成機能や葉緑体分化に着目した解析が精力的に進められてきた。緑色分裂組織においては未分化細胞が光合成能を持つ緑色細胞へと分化する際、原色素体から葉緑体への分化が起こる。その分化過程において色素体遺伝子群の転写が活性化しその特異性が劇的に変化すること、また葉緑体分裂が活性化することが観察されている。このことは葉緑体分化において色素体の転写制御と葉緑体分裂の制御が重要なステップであることを意味する。

 色素体の転写については、近年2種のRNAポリメラーゼの関与が明らかとなってきた。一つは核コード・単鎖型酵素(NEP,Nuclear-Encoded Polymerase)であり、housekeeping遺伝子の転写を司る。もう一種は色素体コードの真正細菌型酵素(PEP,Plastid-Encoded Polymerase)であり、葉緑体の光合成機能の発現に必須である。PEPのコア酵素サブユニットの遺伝子群が色素体ゲノム上に存在するのに対し、コア酵素にプロモーター認識特異性を与えるシグマ因子の遺伝子は色素体DNA上には見出されず、最近までシグマ因子に対応する遺伝子は未同定であった。しかし近年、当研究室より高等植物としては初めてシロイヌナズナ核ゲノムから3種のシグマ因子相同遺伝子が同定された。一方、色素体分裂については、これまで解剖学的視点から精力的な解析が行われてきたにも関わらず、遺伝子レベルでは真正細菌の細胞分裂リング因子遺伝子ftsZの相同遺伝子がコケとシロイヌナズナの核ゲノムに存在し葉緑体分裂において必須であること、真正細菌の細胞分裂抑制因子遺伝子minDの相同遺伝子が緑藻葉緑体ゲノムに見出された以外には全く不明であった。

 以上、色素体における転写と分裂に関する分子レベルの解析についてはごく最近その制御に関わると予想される遺伝子が同定され始めてきた段階にある。本研究では、シロイヌナズナの核コードの色素体RNAポリメラーゼシグマ因子と色素体分裂抑制因子MinDについて遺伝子の同定とそれらの発現と機能に関する分子遺伝学的・細胞生物学的解析を行った。

1.葉緑体RNAポリメラーゼシグマ因子遺伝子sigA、sigB、sigCの解析

 シロイヌナズナの3種のシグマ因子相同遺伝子(sigA、sigB、sigC)産物の細胞内局在性を検討した。推定産物N末領域とGFPとの融合タンパクをコードする遺伝子をシロイヌナズナ葉肉プロトプラスト内でCaMV35Sプロモーター制御下一過性発現させたところ、GFP蛍光が葉緑体クロロフィル蛍光の位置と一致した。これより3種sig産物は葉緑体に局在すると結論した。RFLP mappingよりsigA、sigBが第1番染色体に、sigCが第3番染色体にマップされていたが、sigBはalbino変異(alb1)近傍に位置していた。そこでalb1株とシロイヌナズナ親株(Landsberg erecta)のsigBゲノムDNA配列を決定したが、sigBがalb1と同一遺伝子である可能性は否定された。次にシグマ因子の生理的機能を知る目的でCaMV 35Sプロモーター下sigA、sigB、sigCのアンチセンスmRNAを構成的に発現する形質転換植物を作製した。その結果、sigBアンチセンス株の幼植物体がpale green表現型を示した。sigAとsigCのアンチセンス株は野生株並の生育を示した。これより少なくともsigBが葉緑体形成に重要な役割を持つことが示唆された。一方、共同研究グループから独立にsigBT-DNA変異株がpale green変異体として取得された。T-DNAはsigBゲノムDNA上region3相当領域に挿入されており、安定なpale green形質を示した。

 一方、sigA、sigB産物(SigA、SigB)およびRubisCO小サブユニット(RBCS1A)N末領域とGFPとの融合タンパクを高発現する形質転換植物を作製した。顕微鏡観察より、葉緑体また生細胞での観察が困難だった原色素体、白色体、有色体、アミロプラスト、エチオプラストが容易に可視化されることを認めた。葉緑体局在のGFPシグナルは緑色組織表層に強く見られた。一方、色素体は自ら管状に包膜を伸ばして他の色素体と連絡することにより、ストロマ可溶性物質の輸送を行うことが最近発見されている。この管状構造体が幼植物体の根の皮層において活発に形成されることを観察した。また作製した3種融合GFPについては葉緑体移行シグナル配列間の保存性が低いにも関わらず、色素体移行に関する特異性は見出されなかった。

2.新規シグマ因子遺伝子sigD、sigE、sigFの同定

 進行中のシロイヌナズナ・ゲノム計画の公開データを検索し、新たに3種のシグマ因子遺伝子(sigD、sigE、sigF)が核ゲノムに見出された。sigD、sigEは第5番染色体上に、sigFは第2番染色体に位置した。3種の遺伝子のcDNAを単離したところ、いずれも既知sigA、sigB、sigCと同様、大腸菌70型シグマ因子保存構造を持つタンパクをコードすることが分かった。新規遺伝子産物は植物シグマ因子間では保存領域で20-30%程度の低いアミノ酸相同性を示す一方、ラン藻主要シグマ因子と30-40%の相同性を示した。6種のシロイヌナズナシグマ因子遺伝子について核ゲノム上のイントロンの位置を比較したところ、sigA-sigDとsigFにおいて、保存領域整列上にマップされるイントロンの位置が高度に保存されていた。従って、高等植物シグマ因子遺伝子は1または数種の共生原核生物シグマ因子遺伝子から由来し、植物進化過程での遺伝子重複を通じて現在の多様性が生じたと考えられる。植物および細菌のシグマ因子について系統解析を行った結果、高等植物シグマ因子は原核生物のシグマ因子グループには属さない大グループを形成し、更に、植物種を越えてsubfamilyを少なくとも3グループ形成することが分かった。一方、単離したsigD cDNAクローンの中に第2イントロンで選択的スプライシングを受けたものが存在することを見いだした。即ち、sigDには2種の転写産物が存在し、1種は完全な保存構造を持つタンパク(SigD)を、もう1種は転写特異性に関わるC末領域region3と4が欠失したタンパク(SigD)をコードする。選択的スプライシング制御は単鎖型RNAポリメラーゼ触媒サブユニット遺伝子(rpoT;3)にも見い出された。この場合、酵素活性中心を含むエクソン9が完全に除かれる。これらのことから転写装置構成因子遺伝子の転写後調節が色素体における遺伝子発現制御に重要な役割を持つことが示唆された。

3.sigD、sigEの発現制御と機能

 SigD、SigE、SigFの色素体局在性を確認する目的で、3種N末領域とのGFP融合タンパクを発現するプラスミドをパーティクルガンによりタバコ茎葉細胞に導入し一過性発現させた。GFPシグナルは葉緑体内か葉緑体包膜上に局在し、3遺伝子産物はいずれも色素体で機能する可能性が示唆された。しかしSigDとSigEについては核に局在する可能性も同時に示唆された。次にsigDまたはsigEプロモーターと-glucuronidase(GUS)遺伝子との融合遺伝子を導入した形質転換植物を作製し、sigDとsigEの発現解析を行った。GUS染色の結果、sigDプロモーター活性は子葉、ロゼット葉、茎葉、茎、萼片、鞘で検出された。また黄化植物においても発現が認められた。これは既にsigA、sigBで得られた結果と同様であった。sigEについては部分的にsigA、sigB、sigDと類似した植物器官発現特異性が認められたものの、毛状突起と葯においてGUS発現が認められる点で他と異なっていた。また、芽生え初期過程におけるsigD、sigEのプロモーター活性を検出した。その結果、sigA、sigBを含めた4遺伝子のプロモーターは時間的・空間的にも微妙に異なる制御を受けることが示唆された。sigD、sigEについてもアンチセンス植物を作製したが、野生株と同様の生育を示した。一方、かずさDNA研究所とT-DNAライン寄託者の協力によるシロイヌナズナタグライン共同利用システムを利用してシロイヌナズナのT-DNA挿入変異株ライブテリーからシグマ因子遺伝子のT-DNA変異株の選抜を行った。その結果、sigDとsigEについて候補株を得た。

4.葉緑体分裂制御因子MinD

 近年、緑藻クロレラの葉緑体ゲノムにおいて真正細菌の細胞分裂抑制因子MinDに対応する遺伝子が見出されていたが、今回シロイヌナズナ核ゲノムにminD相同遺伝子が存在することを見出した。シロイヌナズナminDは単一ORFから構成され、真正細菌からヒト、酵母に至るまで進化的に保存されるminD multigene familyの中でもラン藻と葉緑体のminDと高い相同性を示した。続いて当研究室で作製されたminDセンス鎖mRNAを高発現する形質転換シロイヌナズナの葉緑体形態の観察を行った。その結果、幼植物体において胚軸や子葉、本葉の葉緑体分裂が阻害されており、野生株(WS)では一細胞当たり20から30程度の葉緑体が1個から数個のレベルにまで阻害されていること、また分裂阻害を受けた葉緑体は体積膨張し不規則な形をとっていることを観察した。暗下発芽させた黄化植物を脱黄化させた場合でも、光照射後約30時間の植物では葉緑体は一細胞当たり10個以内しか観察されなかった。個体レベルでは植物の生長と分化には影響が見られなかったことから、葉緑体分裂が阻害された植物では葉緑体の膨潤によって光受容と代謝空間の欠陥を回復することが推測された。更に、全長MinDタンパクをN末側に持つ融合GFPを発現するプラスミドをタバコ茎葉細胞に導入し一過性発現させたところ、葉緑体内には移行せず包膜外膜に局在した。しかもMinD-GFPは頻繁にパッチ状で凝集し、複数の葉緑体に渡って結合した。以前からの解剖学的解析より、葉緑体分裂には進化的に保持された葉緑体包膜内膜側リングからの絞り込みと共生後あるいは共生時後天的に獲得された外膜細胞質側リングからの絞り込みの両方の力が関与していることが示されている。シロイヌナズナMinDは、細胞質側局在の葉緑体分裂装置に作用することにより葉緑体分裂を抑制制御するのであろう。

まとめ

 色素体RNAポリメラーゼシグマ因子遺伝子としてsigD、sigE、sigFの3遺伝子を同定し、発現と機能の解析から一つとして高等植物シグマ因子の発現特異性により色素体転写調節が行われる可能性を示した。また色素体標識にGFPを利用することにより根組織における色素体形態について新規な現象を見出した。更に、進化的に保存されたMinDが葉緑体外膜の分裂リングを介した葉緑体分裂に重要な制御因子であることを示唆した。色素体と核の協調により達成される葉緑体分化を理解する上で、これらの結果は高等植物において普遍性を持つ点からも、有用と思われる。

審査要旨

 葉緑体に代表される植物細胞特有の細胞内小器官である色素体(plastid)は、高等植物においては外部環境や器官・組織分化に対応してさまざまな構造、機能体に分化する。また、色素体は独自のゲノムDNAと複製・転写・翻訳系を持つことが知られており、原始シアノバクテリアが真核宿主細胞に細胞内共生したことに起源をもつとされている。

 本論文は,シロイヌナズナの核コード色素体RNAポリメラーゼシグマ因子(転写開始因子)と色素体分裂抑制因子MinDについてそれらの遺伝子の分離・同定と機能について分子遺伝学的・細胞生物学的な解析を行った結果を述べたものであり、5章よりなる。

 第1章はシロイヌナズナの3種の核コードの葉緑体シグマ因子(SigA,SigB,SigC)の細胞内局在性、発現制御、並びに機能について解析した結果を述べている。最初にGFP(green fluorescent protein)との融合蛋白質を葉肉プロトプラスト内で一過的に発現させる系を用いて葉緑体への局在化を確認した。さらに、それぞれのアンチセンスRNA発現系を構築した結果、sigBアンチセンス株の幼植物体がペールグリーン(pale green)表現型を示すことを見い出した。

 第2章では、新たに3種の核ゲノムコードのシグマ因子遺伝子(sigD,sigE,sigF)の同定と解析について述べている。sigD,sigEは第5番染色体上に、sigFは第2番染色体に位置した。sigA-sigD,sigFにおいて保存領域整列上にマップされるイントロンの位置が高度に保存されていた。植物と細菌のシグマ因子について系統解析を行った結果、高等植物シグマ因子は原核生物のシグマ因子グループには属さない大グループを形成し、更に植物種を越えてsubfamilyを少なくとも3グループ形成することが分かった。一方、単離したsigD cDNAクローンの中に第2イントロンで選択的にスプライシングを受けたものが存在することを見い出した。

 第3章は、sigD,sigE,sigFの色素体局在性と機能についての解析を行った結果を述べている。それぞれGFP融合蛋白質をタバコ葉肉細胞に導入し一過性発現させた。いずれも葉緑体内あるいは葉緑体包膜上に局在し、色素体で機能することが示唆された。sigD,sigEについては核に局在する可能性も同時に示唆された。次にsigDまたはsigEプロモーターと-glucuronidase(GUS)遺伝子との融合遺伝子を導入した形質転換植物を作製し、発現解析を行ったところ、sigD活性は、子葉、ロゼット葉、茎葉、萼片、鞘で検出された。これらは、sigA,sigBと同様であったが、それらの発現の時期と場所は微妙に異なっていた。sigE活性は更に根と毛状突起でも検出された。

 第4章は、葉緑体分裂制御因子MinDをコードする核遺伝子の取得・解析について述べたものである。minD遺伝子の過剰発現形質転換体を作製したところ、幼植物体において胚軸や子葉、本葉の葉緑体分裂が阻害されており、野生株の細胞あたりの葉緑体数が20-30であるのに対して1-数個と著しく減少していた。また、MinD-GFP蛋白質を一過的に発現させたところ葉緑体内には移行せず包膜外膜に局在し、複数の葉緑体に渡って結合して存在することが示された。シロイヌナズナMinDは、細胞質局在の葉緑体分裂装置に作用することにより葉緑体分裂を抑制制御すると考えられる。

 更に、第5章では、植物色素体マーカーとしてのGFPの利用について述べている。従来高等植物の色素体の組織レベルでの観察はクロロフィル蛍光により識別される葉緑体以外は生細胞、固定細胞のいずれにおいても困難であり、色素体の細胞内挙動や組織レベルでの解析は技術的に限界があった。本研究では核コードの色素体蛋白質前駆体に含まれる色素体移行シグナル(トランジットペプチド)についての情報が得られたことから、SigA,SigBのN末端領域のトランジットペプチドとGFPとの融合蛋白質を発現する形質転換植物を利用して、色素体観察を行った結果を述べている。その結果、根冠のアミロプラスト、根の表皮・皮層の白色体、毛状突起の色素体などで特有の構造を観察することができ、その有用性が確認された。

 終章は総合討論にあてられている。

 以上要するに本論文は、シロイヌナズナより核コードの色素体の新規シグマ因子遺伝子並び分裂抑制遺伝子minDを同定し、それらの構造と機能について解析を行ったものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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