葉緑体に代表される植物細胞特有の細胞内小器官である色素体(plastid)は、高等植物においては外部環境や器官・組織分化に対応してさまざまな構造、機能体に分化する。また、色素体は独自のゲノムDNAと複製・転写・翻訳系を持つことが知られており、原始シアノバクテリアが真核宿主細胞に細胞内共生したことに起源をもつとされている。 本論文は,シロイヌナズナの核コード色素体RNAポリメラーゼシグマ因子(転写開始因子)と色素体分裂抑制因子MinDについてそれらの遺伝子の分離・同定と機能について分子遺伝学的・細胞生物学的な解析を行った結果を述べたものであり、5章よりなる。 第1章はシロイヌナズナの3種の核コードの葉緑体シグマ因子(SigA,SigB,SigC)の細胞内局在性、発現制御、並びに機能について解析した結果を述べている。最初にGFP(green fluorescent protein)との融合蛋白質を葉肉プロトプラスト内で一過的に発現させる系を用いて葉緑体への局在化を確認した。さらに、それぞれのアンチセンスRNA発現系を構築した結果、sigBアンチセンス株の幼植物体がペールグリーン(pale green)表現型を示すことを見い出した。 第2章では、新たに3種の核ゲノムコードのシグマ因子遺伝子(sigD,sigE,sigF)の同定と解析について述べている。sigD,sigEは第5番染色体上に、sigFは第2番染色体に位置した。sigA-sigD,sigFにおいて保存領域整列上にマップされるイントロンの位置が高度に保存されていた。植物と細菌のシグマ因子について系統解析を行った結果、高等植物シグマ因子は原核生物のシグマ因子グループには属さない大グループを形成し、更に植物種を越えてsubfamilyを少なくとも3グループ形成することが分かった。一方、単離したsigD cDNAクローンの中に第2イントロンで選択的にスプライシングを受けたものが存在することを見い出した。 第3章は、sigD,sigE,sigFの色素体局在性と機能についての解析を行った結果を述べている。それぞれGFP融合蛋白質をタバコ葉肉細胞に導入し一過性発現させた。いずれも葉緑体内あるいは葉緑体包膜上に局在し、色素体で機能することが示唆された。sigD,sigEについては核に局在する可能性も同時に示唆された。次にsigDまたはsigEプロモーターと-glucuronidase(GUS)遺伝子との融合遺伝子を導入した形質転換植物を作製し、発現解析を行ったところ、sigD活性は、子葉、ロゼット葉、茎葉、萼片、鞘で検出された。これらは、sigA,sigBと同様であったが、それらの発現の時期と場所は微妙に異なっていた。sigE活性は更に根と毛状突起でも検出された。 第4章は、葉緑体分裂制御因子MinDをコードする核遺伝子の取得・解析について述べたものである。minD遺伝子の過剰発現形質転換体を作製したところ、幼植物体において胚軸や子葉、本葉の葉緑体分裂が阻害されており、野生株の細胞あたりの葉緑体数が20-30であるのに対して1-数個と著しく減少していた。また、MinD-GFP蛋白質を一過的に発現させたところ葉緑体内には移行せず包膜外膜に局在し、複数の葉緑体に渡って結合して存在することが示された。シロイヌナズナMinDは、細胞質局在の葉緑体分裂装置に作用することにより葉緑体分裂を抑制制御すると考えられる。 更に、第5章では、植物色素体マーカーとしてのGFPの利用について述べている。従来高等植物の色素体の組織レベルでの観察はクロロフィル蛍光により識別される葉緑体以外は生細胞、固定細胞のいずれにおいても困難であり、色素体の細胞内挙動や組織レベルでの解析は技術的に限界があった。本研究では核コードの色素体蛋白質前駆体に含まれる色素体移行シグナル(トランジットペプチド)についての情報が得られたことから、SigA,SigBのN末端領域のトランジットペプチドとGFPとの融合蛋白質を発現する形質転換植物を利用して、色素体観察を行った結果を述べている。その結果、根冠のアミロプラスト、根の表皮・皮層の白色体、毛状突起の色素体などで特有の構造を観察することができ、その有用性が確認された。 終章は総合討論にあてられている。 以上要するに本論文は、シロイヌナズナより核コードの色素体の新規シグマ因子遺伝子並び分裂抑制遺伝子minDを同定し、それらの構造と機能について解析を行ったものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |