学位論文要旨



No 115304
著者(漢字) 八木,研
著者(英字)
著者(カナ) ヤギ,ケン
標題(和) 植物共生菌におけるオーキシン生合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 115304
報告番号 甲15304
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2149号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 西山,真
内容要旨

 オーキシンは、植物における細胞分裂、細胞伸長そして組織の分化など、様々な生理現象の制御に関与する重要な植物ホルモンである。しかし、オーキシンの生合成やその制御機構についてはいまだ不明な点が多く、また、オーキシンのシグナル伝達機構についてもほとんどわかっていない。一方、オーキシンは、植物のみならず菌類や微生物によっても生合成されていることが知られている。中でも多くの根圏微生物や、植物と関わりをもつ微生物が天然オーキシンであるインドール-3-酢酸(IAA)を生産していることは大変興味深い。Pseudomonas savastanoiやAgrobacterium tumefaciensなどの植物病原菌は、それらの生産するIAAの作用によって植物体にクラウンゴールなどの腫瘍を形成させることが知られている。またAzospirillum属細菌は、植物根圏で窒素固定を行うほか、IAAやジベレリンなどの植物ホルモンを生産することで植物の生長を促進することから、biofertilizerとして注目されている。マメ科植物の根において根粒形成を誘導し、根粒内で窒素固定をする根粒菌Rhizobium、Bradyrhizobium属細菌についても、その根粒形成にはこれらの細菌が生産するIAAの関与が示唆されている。本研究は、植物と微生物の相互作用におけるオーキシンの生理学的機能を解明する研究の一環として行うもので、植物共生菌Azospirillum lipoferumおよびBradyrhizobium elkaniiにおけるIAA生合成酵素遺伝子のクローニングとその発現制御機構を明らかにすることを目的とする。

[1]Azospirillum lipoferumにおけるIAA生合成酵素遺伝子のクローニングとその発現制御機構1-1.IAA生合成酵素遺伝子のクローニング

 A.lipoferumは複数のIAA生合成経路を有していることが示唆されているが、インドールピルビン酸(IPyA)を生合成中間体とするIPyA経路が主要なIAA生合成経路であることが示唆されている(図1)。そこで、IPyA経路における鍵酵素であるインドール-3-ピルビン酸デカルボキシラーゼ(IPDC)の遺伝子のクローニングを行った。既にEnterobacter cloacae、Azospirillum brasilense、Erwinia herbicolaにおいて取得されているipdc遺伝子の保存配列からdegenerate primerを作製し、A.lipoferumのtotal DNAを鋳型としてPCRを行ったところ、既知のipdc遺伝子と高い相同性をもつ約200bpのDNA断片が得られた。そこで、A.lipoferumのtotal DNAをSau3Alにより部分分解して得られる約32〜42kbのDNA断片をinsertとしてもつコスミドライブラリーを作製した。このライブラリーを用い、上記の約200bpのDNA断片をプローブとしてコロニーハイブリダイゼーションを行うことにより、一株のポジティブクローンを得ることができた。現在までに得られている塩基配列解析の結果から、このクローンがipdc遺伝子を含むことが確認され、A.brasilenseのIPDCと、アミノ酸配列において90%以上の高い相同性をもつことがわかった。また、A.lipoferumのipdc遺伝子の上流には、A.brasilenseと同様、システインおよびグルタミンのtRNA合成酵素遺伝子が存在していることも判明した。

図1 IPyA経路a,tryptophan aminotransferase;b,indole-3-pyruvate decarboxylase;c,indole-3-acetaldehyde dehydrogenase or indole-3-acetaldehyde oxidase
1-2.ipdc遺伝子の5’上流域の解析

 IAAの生合成の制御機構は、現在までのところほとんどわかっていない。ごく最近になってA.brasilenseにおいて、ipdc遺伝子の発現がIAAによってupregulateされることが示されたが、その発現制御機構に関する分子レベルの知見は全く得られていない。そこで本研究では、ipdc遺伝子の発現制御機構を解明するために、ipdc遺伝子のプロモーター領域を含む5’上流域の解析を行うことにした。A.lipoferumのipdc遺伝子のプロモーター領域を含む5’上流域はA.brasilenseと極めて類似しており、A.lipoferumにおいても同様にIAAの生合成がオーキシンによりupregulateされていると考えられる。

 A.lipoferumのipdc遺伝子の5’上流域では、プロモーター領域であると考えられる20bpのinverted repeat sequence(IRS)が存在していた。これはこの領域に結合するタンパク質の存在を示唆するものであり、この未知なるDNA結合タンパク質によってipdc遺伝子の発現が制御されている可能性が考えられた。そこで、A.lipoferumの菌体破砕液をDEAE Sepharoseカラムで分画し、得られた各画分についてgel mobility-shift assay(GMSA)を用いて、ipdc遺伝子の5’上流域に結合することのできるタンパク質の存在を調べた。その結果、ipdc遺伝子の5’上流域(約130bp)に結合する2種のタンパク質の存在が認められた。

 次に、上記DNA結合タンパク質の結合領域を明らかにするために、IRSを含む約40bpの塩基配列を3〜17bpずつ改変した10数種の2本鎖オリゴヌクレオチドを作製し、それらのオリゴヌクレオチドと本来の配列を有する標識プローブとの拮抗をGMSAにより調べることで、結合領域のfine mappingを行った。その結果、移動度の小さいshift bandについてはIRS内に塩基置換をもつどのオリゴヌクレオチドとも拮抗が認められないことが示された。一方、移動度の大きいshift bandについては、IRSを構成する塩基配列のうち、片側の8塩基およびその周辺の塩基配列が置換されたオリゴヌクレオチドのみ、拮抗が観察されなかった。以上の事実は、移動度の小さいband shiftを引き起こすDNA結合タンパク質(以下、AIDBP)がDNAとの安定な複合体を形成するにはIRSを構成する塩基配列の全てが必要であり、また、移動度の大きいband shiftを引き起こすDNA結合タンパク質(以下、ADDBP)は、IRSを構成する塩基配列のうち、片側の8塩基およびその周辺の塩基配列を必要としていることを示唆している(図2)。

図2 ipdc遺伝子の5’上流域の配列□はAIDBPが結合する領域を、はADDBPが結合する領域を表す。*印はinverted repeat sequence
1-3.ipdc遺伝子上流域に結合するタンパク質の結合能に対するオーキシンの作用

 IAAの生合成において、鍵酵素であるipdc遺伝子の5’上流域に結合能を有するタンパク質が存在していたことは大変興味深い。微生物では、目的とする最終産物が、転写のactivatorもしくはrepressorとして働く制御タンパク質に直接相互作用することで、自らの生産を制御する例がいくつか知られている。A.lipoferumにおいても、ipdc遺伝子の発現を制御していると思われるタンパク質とオーキシンが相互作用している可能性が考えられる。そこで、A.lipoferumの細胞抽出液をDEAE Sepharoseカラムで分画したものに終濃度3mMのIAA、2,4-D、ナフタレン酢酸(NAA)そしてTrpを添加し、上記の二つのDNA結合タンパク質(AIDBPおよびADDBP)のipdc遺伝子5’上流域への結合能の変化をGMSAを用いて調べた。その結果、AIDBPはIAA、2,4-D、NAAおよびTrpの添加により影響を受けないが、ADDBPはTrpの添加では影響を受けないものの、IAA、2,4-D、NAAを添加することでshift bandが消失することがわかった。以上の結果から、ipdc遺伝子の5’上流域に結合するAIDBPはオーキシン非依存性DNA結合タンパク質であり、ADDBPはオーキシン依存性DNA結合タンパク質であると考えられる。すなわち、IAA生合成酵素遺伝子であるipdc遺伝子は、オーキシン非依存性のタンパク質と、オーキシン依存性の2種のタンパク質によって、その発現を制御されていることが示唆された。近年、植物においてIAA誘導性遺伝子の上流、もしくは下流に存在するauxin responsive elementと呼ばれる6塩基程度の配列が注目されている。本研究で明らかになったDNA結合タンパク質の結合領域にも類似した配列が存在していることから、オーキシンによる遺伝子発現において、植物・微生物で共通の制御メカニズムが機能している可能性がある。今後、A.lipoferumにおいてIAA生合成の制御に関係すると思われるオーキシン依存性DNA結合タンパク質について解析を進めることは、これまでほどんど未解明のオーキシン生合成の制御機構の解明のために極めて重要な知見を提供するものと考えられる。

[2]根粒菌Bradyrhizobium elkaniiにおけるIAA低生産株の取得

 ダイズ根粒菌B.elkaniiは、根粒菌の中でも特にIAA生産量が高いことで知られている。そのため、IAA生産量の変化を指標としてIAA生合成における変異株のスクリーニングを容易に行うことができる。本章では、B.elkaniiのIAA生合成に関わる遺伝子の取得とその発現制御機構を追求することを目的として、トランスポゾン(Tn5)挿入によるIAA生産変異株の取得を試みた。約3,500株のTn5挿入変異株から、IAA発色試薬であるサルコフスキー試薬を用いたスクリーニングにより、IAAの生産量が野生株の1.2〜11%であるIAA低生産株を11株得ることができた。B.elkaniiが著量に生産するIAAは、主にIPyA経路により生合成されている。そこで、これらの変異株におけるIAA生合成の変異段階を明らかにするために、得られた11株のIAA低生産株のそれぞれについて休止菌体反応により、一連のIPyA経路中間体のIAAへの変換実験を行った。その結果、これらのIAA低生産株は全てIPDCによって触媒される段階が阻害されていることが示され、IPDCがB.elkaniiのIAA生合成における鍵酵素であることが示された。今後、得られたIAA低生産変異株のTn5挿入部位の周辺を解析することによって、ipdc遺伝子、あるいはその発現制御に関わる遺伝子について有用な知見が得られるものと考えられる。

審査要旨

 本論文は、植物と微生物の相互作用におけるオーキシンの生理学的機能を解明する研究の一環として行ったもので、植物共生菌Azospirillum lipoferum FSおよびBradyrhizobium elkanii USDA94におけるインドール-3-酢酸(IAA)生合成酵素遺伝子のクローニングとその発現制御機構を明らかにすることを目的としたもので、4章よりなる。

 第1章では、研究の背景を述べるとともに、微生物におけるオーキシン生合成に関する知見をまとめている。

 第2章では、A.lipoferum FSにおけるIAA生合成の鍵酵素であると考えられるインドール-3-ピルビン酸デカルボキシラーゼ(IPDC)の遺伝子のクローニングと、その発現制御機構を解明することを目的とした研究について述べている。A.lipoferum FSにおいて、PCRにより既知のipdc遺伝子と高い相同性をもつ約200bpのDNA断片が得られた。このDNA断片をプローブとして用い、A.lipoferum FSのコスミドライブラリーから一株のポジティブクローンを得た。このクローンからサブクローンを作製し、塩基配列を決定したところ、このクローンはA.lipoferum FSのipdc遺伝子を含んでいることが示された。

 次に、ipdc遺伝子の発現制御機構を解明するために、ipdc遺伝子のプロモーター領域を含む5’上流域の解析を行った。その結果、プロモーター領域に存在すると考えられる20bpのインパーティッド・リピート(IRS)を含む配列に結合することのできる2種のタンパク質が存在していることがわかった。2種のタンパク質のうち、一方のAタンパク質はIRSを構成する塩基配列のうち、片側の8塩基およびその周辺の塩基配列を認識しており、また、オーキシン処理によりDNA結合能を消失する、オーキシン依存性DNA結合タンパク質であることが示された。もう一方のBタンパク質は、IRSを構成する塩基配列の全てを認識し、オーキシン非依存性DNA結合タンパク質であることが示された。A.lipoferum FSのipdc遺伝子の転写はオーキシンによりupregulateされることが示唆されており、A、Bのタンパク質がオーキシンによるipdc遺伝子の転写制御に直接、間接に関わっているものと考えられる。従って本研究は、IAA生合成酵素遺伝子の発現を制御するタンパク質の存在を明らかにした初めての例だと言える。

 また、植物においてIAA誘導性遺伝子の上流、もしくは下流に存在するauxin responsive elementと呼ばれる6塩基(TGTCNC)の配列と、本研究で明らかになったDNA結合タンパク質の結合領域の配列(TGTTTC)が類似していることから、オーキシンによる遺伝子発現において、植物・微生物で共通の制御メカニズムが機能している可能性がある。今後、A.lipoferum FSにおいてIAA生合成の制御に関係すると思われる2種のタンパク質について解析を進めることは、これまでほとんど未解明のオーキシン生合成の制御機構およびオーキシン誘導性遺伝子の発現制御機構の解明のために極めて重要な知見が得られるものと考えられる。

 第3章では、根粒菌B.elkanii USDA94のIAA生合成に関わる遺伝子のクローニングを目的として、Tn5挿入によるIAA生産変異株の取得を試みた。その結果、約3,500株のTn5挿入変異株から、IAA発色試薬であるサルコフスキー試薬を用いたスクリーニングにより、IAAの生産量が野生株の2.2〜13.6%であるIAA低生産株を11株得ることができた。休止菌体反応による一連のインドール-3-ピルビン酸経路中間体のIAAへの変換実験から、得られたIAA低生産株は全てIPDCによって触媒される段階が阻害されていることが示され、IPDCがB.elkanii USDA94のIAA生合成における鍵酵素であることが示唆された。Tn5による変異遺伝子の中に、既知のipdc遺伝子と相同性を示すものは存在していなかったが、本研究で取得されたIAA低生産株は、根粒菌によって生産されるIAAが根粒形成にどのような役割を果たしているかを解明するための有用なtoolとなるものと期待される。

 第4章では、本研究で得られた結果のまとめとその意義についての総括および今後の展望が述べられている。

 以上、本論文は植物共生菌におけるIAA生合成の制御機構と植物・微生物相互作用におけるIAAの役割を解明するための足掛かりとなる重要な知見を提供するもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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