100種類以上の多種多様な癌遺伝子、癌抑制遺伝子が発見されているが,これらの多くは外部環境に応答し細胞周期を進行させるための細胞内シグナル伝達に関わっている。すなわち、発癌の分子機構は細胞増殖と分裂の制御機構と密接に関連している。従ってシグナル伝達や細胞周期の特異的阻害剤の探索と作用機構研究は、癌抑制のための基礎と応用の両面から重要である。本研究は細胞周期阻害作用を示し、その誘導体の臨床応用が期待されているラディシコールとハーボキシジエンの細胞内標的分子を同定し、これら新しいタイプの細胞周期阻害剤を通じて抗癌剤開発における新たな方向を示すことを目的としたものである。 1.ラディシコール1)Ras/Raf結合阻害物質ラディシコールの再発見及び作用機構の解析 ラディシコールは当研究室での細胞周期調節に注目した阻害剤の探索の結果v-srcトランスフォーム細胞に対し細胞周期停止と形態正常化を引き起こす物質として再発見されたものである。その後の研究からv-srcのみならずv-Ha-ras-トランスフォーム細胞に対しても強力な形態正常化作用を示すことが明らかになっている。本研究では酵母のtwo-hybrid systemを用いてRas/Raf結合阻害物質の探索研究を行い、その活性物質としてラディシコールを再び見出した。ラディシコールが実際に動物細胞内でRas/Raf結合を阻害するかどうかを確かめるため、ラディシコール処理したv-Ha-ras-トランスフォーム細胞から抗Ras抗体を用いて免疫沈降し、共沈したRaf-1の量を解析したところ、ラディシコール濃度に依存してRaf-1の結合量が減少し、有効濃度1.4MでRas/Raf結合は完全に阻害された。次にラディシコールがRasとRBD(Raf-1のRas binding domain)との結合を直接阻害するかどうかを確かめるため、試験管内結合実験を行った。RBDのみを含むRaf-1蛋白質N末端の約150アミノ酸(Rip3:Ras interacting protein 3)をMBP(Maltose-binding protein)との融合蛋白質として調製し、アミロースレジンに固定したMBP-Rip3とGST-Rasとの結合を抗GST抗体により検出したところ、高濃度のラディシコール存在下でもRasとRBDとの結合は全く阻害されなかった。そこでさらに、酵母のtwo-hybrid法を用いて各種Raf-1欠失体とRasとの結合に対する効果を調べた結果、結合阻害にはRaf-1のキナーゼ領域(CR3)が必要であることがわかった。以上の結果から、ラディシコールが直接または間接的にRaf-1のキナーゼ領域と相互作用し、Rasとの結合に必要なRaf-1の構造変化の過程を阻害することでRasとの結合阻害を引き起こすことが示唆された。後述するように、ラディシコールはRaf-1の構造変化に関わるHsp90に直接結合することによってこのRas/Raf結合を阻害していることが推定された。 2)ラディシコールの細胞内標的分子の同定 6種類のビオチンラディシコール誘導体を合成しラディシコールと特異的に結合する蛋白質をHeLa抽出液に検索したところ、その活性を維持した誘導体であるBR1とBR6からそれぞれ120kDaと90kDaの特異的な結合を示す蛋白質が得られた。BR6に結合した90kDa蛋白質は、ラディシコール結合蛋白質として他のグループにより一歩先に報告されたHsp90であることが明らかになった。これに対しBR1は、HeLa細胞抽出液中の120kDa蛋白質に特異的に結合し、ラディシコールの標的分子としてHsp90とは異なるもうひとつの蛋白質の存在が示唆された。2.4gのウサギ網状赤血球全蛋白質から120kDa蛋白質を精製後、ペプチドのアミノ酸配列を決定したところ、本蛋白質は細胞質内での脂肪酸とコレステロール合成に必要な酵素であるATP citrate lyase(ACL)であることが判明した。 次にACLの酵素活性に対するラディシコールの直接の影響を調べた結果、ACLはBR1と結合した状態では活性が失われて、ラディシコールと結合することでその活性が阻害されることが示唆された。そこでラット肝抽出液を用いて反応速度論的な解析を行なった結果、ラディシコールによるACLの阻害は非競争的でありそのKi値はATPに対し7M、クエン酸に対し13Mであった。しかしHsp90に対するラディシコールのKd値が19nMと非常に低いことから、ラディシコールの細胞内での一次標的分子はHsp90であると考えられる。Rafの構造安定化にHsp90が関与することが知られているので、ラディシコールによるRas/Raf結合阻害の分子機構としてHsp90機能を阻害することにより、RafがRasと結合するのに必要な正しい構造をとらないためと推定された。 3)ラディシコールによる分裂酵母隔壁形成阻害の分子機構 ラディシコールは分裂酵母cdc変異株のうち、隔壁形成の初期に必要な遺伝子が変異したcdc7,cdc14に対し選択的に低濃度で増殖を阻害する。これら酵母の隔壁形成をラディシコールは阻害し、多核の長く伸長した細胞が現れた。そこでラディシコールによる隔壁形成阻害メカニズムを明らかにするため、まずビオチン化ラディシコールと分裂酵母全蛋白質を用いて結合実験を行い、分裂酵母のHsp90であるSwo1がラディシコールに結合することを見出した。さらにSwo1の過剰発現がcdc14変異株の温度感受性には影響を与えずラディシコール感受性のみを抑圧すること、Cdc14蛋白質がラディシコール処理により速やかに分解されることから、Swo1がCdc14の安定性に関わることが明らかになった。 2.ハーボキシジエンによる細胞周期阻害の作用機構 ハーボキシジエンは、SV40初期遺伝子プロモーターを活性化する物質として報告された抗腫瘍物質である。ハーボキシジエンはSV40初期遺伝子レポーターだけでなく外部から導入したcdc2,cyclin A,c-myc,c-fosなどの様々な遺伝子のプロモーターを活性化する一方で、内在性遺伝子の発現はむしろ抑制するというユニークな活性をもつ。さらにハーボキシジエンは様々な癌細胞の細胞周期をG1およびG2期で停止させるが、その作用機構は不明のままであった。そこでハーボキシジエンの作用機構を明らかにする第一歩として、HeLa細胞においての細胞周期停止のメカニズムを解析した。ハーボキシジエン処理により細胞内CDK2の活性が薬剤処理後6時間目から阻害され最終的にHeLa細胞は不可逆的に細胞周期を停止した。CDKとその活性制御に関わる各種因子の中からハーボキシジエンにより発現量が変化するものを検索したところ、CDK阻害蛋白質であるp27の増加が観察された。また、増加したp27は細胞内でCDKと複合体を形成していることが確認された。これらのことから、ハーボキシジエンによるHeLa細胞のG1期停止の主なる要因はp27の発現増加によるCDK2の活性低下によるものと結論した。 次にハーボキシジエンによるp27の発現上昇のメカニズムを解析した。まず、ノーザン解析によりハーボキシジエンによるp27のmRNAの量は変わってないこと、p27の蛋白質の発現増加はHeLa細胞だけでなく調べた限りの全ての癌細胞で起きることを確認した。またHeLaを含む多くの細胞でハーボキシジエンは22kDaのC末端切断型p27をも蓄積させた。なお、この22kDaの分解産物はCDK2に結合する能力を有していた。このようなユニークなp27の蓄積と切断はハーボキシジエンと同様の作用機構を持つと考えられるFR901464でも観察されたが、転写活性化能を持たない18位のハーボキシジエンエピマーによっては起こらなかった。 3.まとめ 1)ラディシコールがRasとRafの結合を阻害しRasシグナル伝達経路を抑制することを示した。 2)ラディシコールの細胞内結合蛋白質としてHsp90とATP citrate lyaseを同定した。 3)ラディシコールの分裂酵母隔壁形成に対する阻害機構としてHsp90阻害によるCdc14の不安定化を明らかにした。 4)ハーボキシジエンのHeLa細胞の細胞周期停止機構を解析し、CDK阻害蛋白質p27の蓄積とp27のユニークな分解を明らかにした。 |