学位論文要旨



No 115306
著者(漢字) 張,蕾
著者(英字)
著者(カナ) チャン,ライ
標題(和) 出芽酵母を用いた真核細胞におけるストレス応答遺伝子に関する研究
標題(洋)
報告番号 115306
報告番号 甲15306
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2151号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨

 生物はその生育に伴い、様々な環境ストレスと戦い続けていると考えられる。ここでストレスとは生物の生育にとって逆境となる化学的、物理的、生物的各種環境を言う。それらのうち乾燥、高塩、高温、低温、冷凍などは特に一般的に生物の生命過程に影響を与えているストレスである。生物が如何にストレスを生ずる環境の変化を感知して応答するかについては生物の生存にとって重要な過程である。特に、植物や微生物は生活の場を自由に移動できないために、より巧みな環境適応能力を具備していると考えられ、それらのストレス応答機構については非常に興味深い。

 生物のストレス応答の研究は、約30年前から、熱ストレス応答を中心に展開されてきた。そのうち、植物のLEA(Late Embryogenesis Abundant)蛋白質は乾燥、高塩、低温などのストレスによって多量に誘導され、細胞の脱水耐性に重要な働きをしていることが明らかにされている。LEA蛋白質をコードする遺伝子が単離解析され一次構造上の特徴により5〜8のグループに分類されているが、LEA蛋白質の機能に関しては分子レベルではほとんど解明されていないのが現状である。

 高温、浸透圧ストレスの研究に比べ、生物の低温ストレス応答についての研究は遅れている。大腸菌を急激に低温にさらすことにより一群の蛋白質の合成が誘導されることが報告されて以来、枯草菌、酵母などの微生物や、植物においても低温下で合成が誘導される多くの蛋白質の存在が報告された。しかしながらそれら蛋白質の機能、合成誘導の機構などに関しての解明は進んでいない。

 本研究は、真核細胞のストレス応答を分子レベルで解明することを目的として、真核細胞のモデルとして出芽酵母を用い、植物LEA蛋白質の機能、および酵母における低温ストレス応答の2点に的を絞り、解析を行ったものである。

1.酵母の高発現系を用いた植物のLEA蛋白質の機能解析[1][2]

 まず、LEA蛋白質の機能解析を行うため、酵母細胞中で高生産を試みた。乾燥状態において細胞内に蓄積され、それぞれ異なるLEA蛋白質のグループに属するトマト由来のLE4,LE25とオオムギ由来のHVA1蛋白質に注目し、これらをコードするcDNAを多コピーベクターpYPR3831Xのガラクトース誘導性GAL1プロモーターの下流に挿入したプラスミドを構築し、酵母Saccharomyces cerevisiae EH13-15株に導入した。ノーザン解析により、3種の遺伝子が高発現されていることは確認されたが、蛋白質レベルの生産においてはLE25はSDS-PAGEのクマシー染色でも検出できる高レベルの蓄積が見られたものの、LE4とHVA1はウエスタン解析でその生産が確認されたにとどまった。この原因として、各蛋白質の異種細胞での翻訳効率の違いが考えられた。

 次に、LEA蛋白質を生産する酵母細胞について、ストレス条件下での生育を調べた。高濃度イオン(Na+あるいはK+)培地中での生育を調べたところ、LE25とHVA1生産株の生育は野生型株より顕著に改善され、イオンストレスに対するこの両蛋白質の保護作用が示された。しかし、高浸透圧培地においては両蛋白質生産株の生育改善がほとんど観察されなかった。LE4生産株の生育改善は高濃度KCl培地でしか見られなかったことからLE4の機能は高イオン濃度に対する保護作用ではないことが示唆された。野生型株に比べ、これら3種のLEA生産株は冷凍ストレス下で高い生存率が示されたが、熱ストレスに対しては野生型株と同様の生存率であった。以上の結果より、LE25とHVA1はイオンストレスを緩和させる効果を持つ蛋白質であり、LE4はそれと別の機能を持つことが示唆された。

 また、LEA蛋白質は加熱しても安定であることから、この性質を利用しLE25高生産株からこの蛋白質を精製した。LE25蛋白質精製標品の添加により、通常は高塩濃度下では活性を持たない制限酵素KpnIの活性回復が観察された。CDスペクトルによってLE25蛋白質の二次構造解析を行ったところ、この蛋白質ははっきりとした二次構造を持たず、構造的にフレキシブルな蛋白質であることが示唆された。従って、LE25蛋白質はそのフレキシブルな構造を利用してストレス下で失活しやすい蛋白質を保護している可能性が考えられた。

 更に、酵母細胞において、LEAと性質が類似した蛋白質を見つけた。この蛋白質は最初低分子熱ショック蛋白質として取得されたHsp12pであった。酵母でこの蛋白質を高生産させた場合、細胞の高濃度イオン培地での生育が改善された。すでに報告されている一次構造より、Hsp12pはLEAのグループ1に属する蛋白質に保存されているランダムコイル構造を持ち、細胞内の水との結合に機能することが推定された。以上のことから、LEA類似蛋白質は植物、酵母に共通して存在し、ストレス防御に機能する蛋白質であることも考えられる。

2.出芽酵母における低温誘導性遺伝子の取得とその発現様式の解析[3]

 これまでに行われてきた酵母における低温応答の研究は低温ショックにより誘導される機能不明な膜結合蛋白質Tip1p、Tir1pおよびリボソームの生合成に関与するNsr1pの3種の蛋白質に関するものに限られていた。そこで本研究では遺伝学的解析が容易な出芽酵母S.cerevisiae EH13-15株を用い、cDNA subtraction法で、低温ショック(10℃で2時間処理)によって誘導されてくるcDNA断片を取得し、塩基配列の決定を行い、六つの遺伝子(LOT1-6)を同定した。LOT1はfructose bisphosphate aldolaseをコードするFBA1遺伝子、LOT2はribosomal protein L2BをコードするRPL2B遺伝子、LOT3はnucleolar protein Nop1をコードする遺伝子、LOT4はSer/Thr kinaseをコードするNRK1遺伝子、LOT5とLOT6はそれぞれ34kDa,21kDaの機能未知な蛋白質をコードする遺伝子であった。ノーザン解析法によって、低温シフトによるそれら遺伝子の転写レベルの経時変化を調べたが、それぞれ異なる発現パターンが示された。また、生育温度を通常の30℃からそれぞれ5℃、10℃、15℃、39℃にシフトさせた場合の各遺伝子の転写レベルについても検討した。そのうち、LOT5はTIP1と同様に39℃の熱ショックでも誘導され、それ以外のLOT遺伝子は低温ショックでのみ発現誘導されることが明らかになった。以上の実験に用いた酵母細胞はすべて対数増殖期のものであるが、定常期細胞についても低温ショックをかけ、LOT遺伝子の発現を調べた。その結果LOT1以外のものは対数増殖期細胞の場合と同様な低温誘導発現が示された。これらのことから、少なくともLOT2-LOT6遺伝子は対数増殖期定常期によらず、細胞の低温応答に関与しており、また各遺伝子の低温による発現パターンが違っていることからその誘導発現機構は多様であることと考えられた。

 これまでに取得された酵母の低温誘導性遺伝子のうち、NSR1,NOP1,RPL2Bの3つはリボソームの機能や蛋白質の翻訳に関与しているものであり、またNSR1破壊株におけるリボソーム合成は常温においても異常であり、低温下ではさらにその症状が悪化すると報告されており、低温応答におけるリボソーム機能の重要性が考えられる。更に、大腸菌や植物の場合と同様、培地中に低濃度の蛋白質合成阻害剤cycloheximideを添加することにより多数のLOT遺伝子の転写が誘導されたことから、cycloheximide処理は低温応答に関わる細胞内シグナル伝達系を活性化する可能性が考えられた。

3.出芽酵母における低温応答と細胞内シグナル伝達経路の関わりについて

 植物細胞を低温ストレスにさらすと一過的に細胞内のカルシウム濃度が上昇すること、また、低温処理の際に薬剤によって細胞質中のカルシウム濃度の上昇を抑制すると低温誘導性遺伝子の誘導発現も抑制されたことなどから、植物の低温応答機構におけるカルシウムシグナル伝達経路の関与が考えられている。そこで、S.cerevisiaeにおける低温応答においてカルシウムシグナル伝達経路の関与を検討するため、カルシウム-カルモジュリン(CaM)依存性蛋白質キナーゼをコードするCMK1,CMK2両遺伝子の低温ショックにおける転写について調べたところ両遺伝子とも誘導されることが明らかになり、カルシウムシグナル伝達経路は酵母の低温応答にも関与する可能性が示唆された。また、CMK1,CMK2両遺伝子は低温ショックに限らず、熱ショックや高塩、高浸透圧ストレスにおいても転写誘導され、一般的なストレス誘導性遺伝子であると考えられた。次に、培地中にCa2+ ionophore A23187、CaM阻害剤trifluoperazine、EGTA、またはCa2+を添加した場合の低温処理による低温誘導性遺伝子の転写レベルの変化を検討した。trifluoperazineの添加はほとんど影響が見られなかったが、細胞質中のCa2+濃度が上昇するような処理により低温誘導性遺伝子の低温による転写誘導が抑制された。従って、Ca2+は酵母細胞の低温応答にも関与しているが、植物の場合と異なって負の作用をすることが考えられた。

 また、植物における低温シグナル伝達経路はアブシジン酸(ABA)を接点として脱水ストレスシグナル伝達経路と部分的に重複していることが知られており、低温馴化されない植物も脱水あるいはABA処理によって耐凍性が獲得されることが観察された。酵母細胞においては多様なシグナルの伝達に関わるMAPKカスケードが数種存在し、MAPKカスケードと低温応答の関与を調べてみた。10℃で2時間処理された酵母を高塩あるいは高浸透圧培地に移すとその生育は低温で処理しなかった株より改善されることが観察された。しかし、低温誘導性遺伝子の発現は高塩、高浸透圧ストレスによって誘導されなかった。Cmk1pとCmk2p蛋白質をコードする遺伝子の発現は低温または高塩、高浸透圧ストレスともに誘導されることから、これらのキナーゼは高浸透圧応答経路と低温応答とそれぞれからシグナルを受けるの接点である可能性が考えられた。

4.低温誘導性遺伝子の破壊とその低温誘導発現に関わる因子の探索

 今回得られた低温誘導性遺伝子の機能を解明するため、遺伝子破壊を行った。lot2/rpl2b遺伝子破壊株は30℃での生育が野生株に比べ若干遅れるが、10℃での生育は野生株より顕著に遅くなり、lot4/nrk1破壊株の10℃での生育速度の遅れも観察されたことから、両遺伝子は低温応答において重要な役割を果たすことが考えられた。一方、機能不明な蛋白質をコードするlot5,lot6遺伝子破壊株の生育を野生株と比較したが有意な差は認められなかった。

 また、低温誘導性遺伝子の低温誘導に関わる因子を探るため、LOT4/NRK1遺伝子の5’上流域に種々の欠失をもつプラスミドを作製し、nrk1遺伝子破壊株を宿主として低温処理でのNRK1mRNA量の変化を調べた。その結果酸化ストレスに関わる転写因子Yap1の認識塩基配列を2個と、大腸菌のCspA、Y-box蛋白質により認識される塩基配列を含む領域がNRK1の低温応答に重要であることが明らかになった。両配列は他の低温誘導性遺伝子の5’上流にも存在しており、酵母の低温応答に重要な機能をしている可能性が示唆された。更に、Yap1遺伝子自身も低温により誘導され、yap1遺伝子破壊株は低温感受性であることも分かった。

 以上、3種の植物LEA蛋白質をコードする遺伝子の酵母での高発現により、LEA蛋白質の脱水ストレス保護機能の解析を行い、各遺伝子産物は酵母中で異なった機能を持つことを示唆する結果を得た。また、出芽酵母の低温誘導性遺伝子についての解析により得られた結果は、低温応答におけるリボソームの機能の重要性を示したほか、初めて低温応答とカルシウムシグナル伝達経路、高浸透圧応答経路との関連を示した。また、低温誘導性遺伝子の転写調節機構の解明のための重要な手掛かりを得ることができた。

1.Imai,R.,Zhang,L.,Ohta,A.,Bray,E.A.,Takagi,M.Alea-class gene of tomato confers salt and freezing tolerance when expressed in Saccharomyces cerevisiae.Gene(1996)170:243-2482.Zhang,L.,Ohta,A.,Takagi,M.,Imai,R.Expression of plant group 2 and group 3 lea genes in Saccharomyces cerevisiae revealed functional divergence among LEA proteins.J.Biochem.(in press)3.Zhang,L.,Ohta,A.,Takagi,M.,Imai,R.Differential expression of three cold-responsive genes in Saccharomyces cerevisiae.(submitted)
審査要旨

 生物のストレス応答の研究は、約30年前から、熱ストレス応答を中心に展開されてきた。そのうち、植物のLEA(Late Embryogenesis Abundant)蛋白質は乾燥、高塩、低温などのストレスによって多量に誘導され、細胞の脱水耐性に重要な働きをしていることが明らかにされている。しかし、LEA蛋白質の機能に関しては分子レベルではほとんど解明されていないのが現状である。

 高温、浸透圧ストレスの研究に比べ、生物の低温ストレス応答についての研究は遅れている。現在まで大腸菌、枯草菌、酵母などの微生物や植物において低温下で合成が誘導される多くの蛋白質の存在が報告された。しかしながらそれら蛋白質の機能、合成誘導の機構などに関しての解明は進んでいない。

 本論文は真核細胞のストレス応答を分子レベルで解明することを目的として、真核細胞のモデルとして出芽酵母を用い、植物LEA蛋白質の機能、および酵母における低温ストレス応答の2点に的を絞り、解析を行ったものである。

 まず、植物由来の3種LEA蛋白質(LE4,LE25,HVA1)を出芽酵母細胞中で生産させ、様々なストレスを受けた酵母細胞におけるそれら蛋白質の機能を検討したところ、LE25とHVA1はイオンストレスを緩和させる効果を持つ蛋白質であり、LE4はそれと別の機能を持つことを示唆した。蛋白質二次構造解析よりLE25はそのフレキシブルな構造を利用してストレス下で失活しやすい蛋白質を保護している可能性が考えられた。また、酵母細胞の熱ショック蛋白質Hsp12pはLEA蛋白質と性質が類似したものであり、酵母でこの蛋白質を高生産すると細胞の高濃度NaCl培地での生育は改善されることを示した。これらのことから、LEA類似蛋白質は植物、酵母に共通して存在し、ストレス防御に機能する蛋白質であることを示唆した。

 次は出芽酵母S.cerevisiae EH13-15株における六つの低温誘導性遺伝子(LOT1-6)を同定した。そのうち、リボソームの機能に関与する遺伝子が2種存在することが注目された。低温シフトおよび熱ショックによるLOT遺伝子の転写レベルの変化はそれぞれ異なることが示され、細胞の低温応答における各遺伝子の誘導発現機構は多様であることが考えられた。また、培地中に低濃度の蛋白質阻害剤cycloheximideを添加した場合多数のLOT遺伝子の転写が誘導されたことから、cycloheximide処理は低温応答に関わる細胞内シグナル伝達系を活性化する可能性を指摘した。

 また、出芽酵母の低温応答反応におけるCa2+および高浸透圧シグナル伝達経路の関与を検討した。S.cerevisiaeにおけるCa2+-CaM依存性蛋白質キナーゼをコードするCMK1,CMK2両遺伝子の転写は低温ショック、熱ショック、高塩、高浸透圧ストレスによって誘導されることが分かった。細胞質中のCa2+濃度の上昇を引き起こす薬剤の添加により低温誘導性遺伝子の低温による転写誘導が抑制された。低温で前処理した酵母は高塩あるいは高浸透圧培地での生育は低温処理しなかった株より改善されることも明らかにした。

 さらに、本論文ではLOT遺伝子の破壊を行った。LOT2/RPL2BとLOT4/NRK1遺伝子の欠失変異株は低温(10℃)下での生育は野生型株より遅れることが示されたことから両遺伝子は低温応答において重要な役割を果たすと考えた。また、LOT4/NRK1遺伝子の5’上流域に存在するYap1pの認識配列とY-box蛋白質認識配列を含む領域がLOT4/NRK1の低温応答に重要であることを示した。両配列はほかの低温誘導性遺伝子の5’上流にも存在しており、酵母の低温応答に重要な機能をしている可能性があり、YAP1遺伝子自体も低温により誘導され、この遺伝子の欠失変異株は低温感受性であることから、Yap1pは低温応答において重要な役割を担っていることを示唆した。また,YAP1遺伝子5’上流にもY-box蛋白質認識配列が数カ所存在することを示したため、低温誘導性遺伝子の発現制御にはY-box蛋白質は重要な機能を果たしていることを予想した。

 以上、本論文は機能未知の3種の植物LEA蛋白質の機能を酵母の生育に対する影響によって分析し、それぞれが異なった機能を持つことを示唆した。また、出芽酵母の解析により、低温応答におけるリボソームの機能の変化の重要性を示したほか、初めて低温応答とカルシウムシグナル伝達経路、高浸透圧応答経路との関連を示し、低温誘導性遺伝子の転写調節機構の解明のための重要な手掛かりを得た。これらの研究の成果は学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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