学位論文要旨



No 115308
著者(漢字) 倉石,武
著者(英字)
著者(カナ) クライシ,タケシ
標題(和) カゼインmRNAのポリA鎖の長さとmRNAの安定性の関係についての解析
標題(洋) Relationship between the poly(A)tail of mouse casein mRNA and its stability
報告番号 115308
報告番号 甲15308
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2153号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 酒井,仙吉
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 助教授 青木,不学
内容要旨

 乳腺は哺乳類に特有の器官である。分娩にともないミルクの分泌が起こる。ミルク中のタンパク質の中で、もっとも量が多いものとしてカゼインがある。カゼインはミルク中でカルシウムとリン酸を大量に含むミセルを形成し、タンパク質、リン酸、カルシウムという発育にとって重要な栄養素を大量に安定してミルク中に存在させる機能を持っている。またカゼインは、乳腺の分化やミルク合成の調節を研究する上で、指標としてよく使用される。カゼイン遺伝子は、乳腺の器官培養において、インシュリン、グルココルチコイド、プロラクチンの3つのホルモンにより発現が起こる。カゼイン遺伝子の発現調節には、カゼイン遺伝子の転写と転写後のカゼインmRNAの安定化という2つの機構が存在する。乳腺の培養法が確立されているため、カゼイン遺伝子の発現調節機構については多くの研究が行なわれてきた。特にカゼイン遺伝子の転写調節の研究においては、プロラクチンレセプター(PRL-R)を介したカゼイン遺伝子が転写されるまでの一連のカスケードが示された。転写後の調節機構については、ホルモンや細胞間物質によってカゼインmRNAの安定性が調節されることが報告されている。しかしカゼイン遺伝子の転写調節における知見に比べると、転写後の調節についての知見は少ない。遺伝子の発現量は転写と転写後の2つの調節によって決定される点からみても、カゼイン遺伝子の転写後の調節について多くの知見を得ることは重要である。また、カゼインmRNAの塩基配列は、4つの領域が種を越えて高く保存されていることが知られている。それらの保存領域は5’-非コード領域、3’-非コード領域、リン酸化領域、シグナルペプチドコード領域の4つである。これらの保存領域のうち、5’-非コード領域、3’-非コード領域は、一般的にmRNAの安定性や翻訳効率に関係しているといわれているにもかかわらず、カゼインmRNAの構造と機能との関連についての報告はほとんどない。これらの点から本研究では、カゼイン遺伝子発現の転写後の調節において、カゼインmRNAの安定性に関わっているmRNAの構造を探索し、その構造と機能の関係を明らかにすることを目的とした。

第一章泌乳中のマウス乳腺において、ミルクの蓄積や除去に依存したpoly(A)tailの長さとカゼインmRNAの安定性の変化

 泌乳中のマウスから子供を離す(離乳0時間)と、24時間の間に急激にカゼインmRNA量が減少する。また24時間離乳した後、子供を母親に戻す(再哺乳0時間)と、再哺乳して12時間までに急激にカゼインmRNA量が増加する。この急激なカゼインmRNA量の変化に着目して、離乳したマウス乳腺のカゼインmRNAと再哺乳したマウス乳腺のカゼインmRNAの長さを、ノーザンブロット分析を用いて比較した。その結果、離乳12時間目から離乳0時間に比べて、50塩基短いカゼインmRNAが検出された。また、再哺乳6時間以降から離乳24時間の短いmRNAに比べて約100塩基長いカゼインmRNAが検出された。この長さの違いがカゼインmRNAのどこの領域に存在するのかを調べるために、5’RACE法、3’RACE法、RT-PCR法,RNase H digestion法を使用して、離乳0時間と離乳24時間のカゼインmRNAを比較した。その結果、poly(A)tailに長さの違いがあった。そして各々の時間の-カゼインmRNAのpoly(A)tailは、離乳0時間:87±6塩基(nt),離乳24時間:31±7nt,再哺乳12時間:155±3nt.(Means±SE,n=3)であった。-カゼインは-カゼインと同じような変化を示した。poly(A)tailは離乳0時間から24時間にかけて有意に短くなり、離乳24時間から再哺乳12時間にかけて有意に長くなった(P<0.05)。ハウスキーピング遺伝子として知られるG3PDHmRNAについても、poly(A)tailの長さを測定したが常に一定の長さであった。poly(A)tailはmRNAの安定性に関係があるので、poly(A)tailの長さの違いがカゼインmRNAの安定性に与える影響を、半減期(t1/2)の点から比較してみた。t1/2を調べる方法として、無細胞系でmRNAの翻訳に使用されるウサギ網状赤血球のライセート(RRL)を用いた。RRLに乳腺total RNAを加え、160分まで40分毎にRRLからRNAを抽出し、抽出したRNAをノーザンブロット分析に使用した。オートラジオグラフィーにおいて、0分のカゼインmRNAの値を100%とし、各時間に残っているカゼインmRNAの値を時間軸に対してプロットした。t1/2は直線回帰分析によって計算した。-カゼインmRNAについての結果は、離乳0時間:120±13min,離乳24時間:70±12min,再哺乳12時間:137±10minであった。-カゼインのt1/2は-カゼインと同じように変化した。t1/2は離乳24時間で離乳0時間より有意に減少し、再哺乳12時間で離乳24時間より有意に増加した(P<0.05)。G3PDH mRNAのt1/2は変わらなかった。また、mRNAの5’末端のキャップ構造を除去しても、キャップ構造のあるカゼインmRNAとt1/2は変わらなかった。これらの結果から、長いpoly(A)tailを持つカゼインmRNAは安定であり、短いpoly(A)tailを持つカゼインmRNAは不安定であることが示された。さらにオートラジオグラフィーにカゼインmRNAの分解産物が検出された。そしてこの分解産物は短いpoly(A)tailを持つカゼインmRNAに多く観察された。このことから、長いpoly(A)tailはエンドヌクレアーゼによる分解からmRNAを効果的に守っている可能性が示された。

第二章泌乳時期によるカゼインmRNAのpoly(A)tailの長さと半減期との関係

 第二章において、時期の違いによるpoly(A)tailの長さと安定性、そして時期の違いによる離乳・再哺乳の影響、さらに泌乳末期の乳腺とpoly(A)tailの関係を調べた。妊娠後期から泌乳初期にかけて、-カゼインmRNAのpoly(A)tailは妊娠17日(P17)の67±3ntから妊娠18日(P18)の98±9ntまで増加した(P<0.05)。一方、-カゼインmRNAはP18の58±6ntから泌乳0日(L0)に86±2ntまで増加した(P<0.05)。泌乳初期、中期は両方のカゼインmRNAとも100nt程度であった。泌乳末期になると、-カゼインmRNAはL18に58±6ntまで減少した。L8と比較して有意に減少した(P<0.05)。-カゼインmRNAもL18に35±10ntまで減少した。L15と比較しても有意に減少した(P<0.05)。どちらのカゼインもpoly(A)tailの長さは泌乳中有意に変化した(one way ANOVA,P<0.05)。また、両方のカゼインとも24時間の離乳で、すべての時期においてpoly(A)tailが30nt以下になり、離乳0時間と比較して有意に減少した(P<0.05)。再哺乳によるpoly(A)tailの長さの回復は、離乳24時間と比較してすべてのグループで有意に増加した(P<0.05)。しかし、泌乳が進行するにつれて回復力は弱くなった。泌乳末期にpoly(A)tailが短くなる原因を調べるため、3日齢または8日齢の子供をL18のマウスに哺乳させ1週間泌乳を延長したが、poly(A)tailの長さは変化しなかった。この結果から、吸乳刺激の減少ではなく乳腺自身の活性が減少するため、泌乳末期にpoly(A)tailの長さが短くなることが示された。各々の時期のカゼインmRNAの安定性もRRLを使用して調べた結果、-カゼインのt1/2は、P17の84±2からP18に116±5minまで有意に増加した(P<0.01)。泌乳初期から中期にかけて半減時間は120min程度を維持し、L8と比較してL18に84±6minまで減少した(P<0.05)。-カゼインのt1/2は、P18の90±8からL1に136±7minまで有意に増加した(P<0.05)。L8に139±15minになり、泌乳末期のL18に91±7minまで減少した(P<0.05)。-,-カゼインmRNAとも泌乳中t1/2が有意に変化した(one way ANOVA,P<0.05)。さらに乳腺の器官培養を用いてカゼインmRNAのt1/2を調べた結果、-カゼインmRNAでは、L8の乳腺のt1/2(6.6±0.5h)はL18の乳腺(4.7±0.3h)より長かった(P<0.05)。-カゼインについても同様な結果が得られた。これらの結果から、poly(A)tailとt1/2は妊娠後期から泌乳後期まで同じような変化を示した。さらに泌乳末期でpoly(A)tailが短くなるのは、乳腺自身の活性の減少が影響していると思われる。

 カゼインmRNAがpoly(A)tailの長さを使用して、自身の安定性を調節していることを示した。これは離乳や再哺乳による急激な変化に対応するためだけでなく、通常の泌乳においても存在していた。泌乳末期のpoly(A)tailの減少は乳腺自身の活性の低下が原因である。また、長いpoly(A)tailはエンドヌクレアーゼによる分解からmRNAを効果的に保護することを示した。今回の研究からpoly(A)tailは泌乳曲線を決定する因子の一つであることと結論した。

審査要旨

 カゼイン遺伝子の発現調節には、カゼイン遺伝子の転写と転写後のカゼインmRNAの安定化という2つの機構が存在する。しかしカゼイン遺伝子の転写調節における知見に比べると、転写後の調節についての知見は少ない。遺伝子の発現量は転写と転写後の2つの調節によって決定される点からみても、転写後の調節について多くの知見を得ることは重要である。よって本研究では、カゼイン遺伝子発現の転写後の調節において、カゼインmRNAの安定性に関わっているmRNAの構造を探索し、その構造とmRNAの安定性との関係を明らかにすることを目的とした。

 カゼインmRNAの安定性と構造の関係を調べるため、以下のことが報告されている強制離乳の系を使用した。泌乳中のマウスから子供を離す(離乳0時間)と、24時間の間に急激にカゼインmRNA量が減少する。また24時間離乳した後、子供を母親に戻す(再哺乳0時間)と、再哺乳12時間までに急激にカゼインmRNA量が増加する。この急激な変化に着目し、離乳した乳腺と再哺乳した乳腺のカゼインmRNAの長さを、ノーザンブロット分析を用いて比較した。その結果、離乳12時間から離乳0時間に比べて、短いカゼインmRNAが検出された。また、再哺乳6時間以降から長さの回復が起こった。この長さの違いがmRNAのどの領域に存在するのか調べた結果、poly(A)tailに違いがあった。そして-カゼインmRNAのpoly(A)tailの変化は、24時間の離乳により約90から30塩基まで減少し、12時間の再哺乳によって約150塩基まで回復した。-カゼインも同じような変化を示した。ハウスキーピング遺伝子のG3PDH mRNAのpoly(A)tailは常に一定の長さであった。poly(A)tailはmRNAの安定性に関係があるので、poly(A)tailの長さの違いがカゼインmRNAの安定性に与える影響を、半減期(t1/2)の点から比較した。t1/2を調べるため、無細胞系でmRNAの翻訳に使用されるウサギ網状赤血球のライセート(RRL)を用いた。-カゼインmRNAのt1/2は、24時間の離乳により約120分から70分まで減少し、12時間の再哺乳によって約140分まで増加した。-カゼインも同じような変化を示した。G3PDH mRNAのt1/2は変わらなかった。また、mRNAのキャップ構造を除去してもt1/2は変わらなかった。これらの結果から、poly(A)tailの長さの変化が安定性に関係していることが示された。さらにオートラジオグラフィーに分解産物が検出された。この分解産物は短いpoly(A)tailを持つカゼインmRNAに多く観察された。これは、長いpoly(A)tailがエンドヌクレアーゼによる分解からmRNAを効果的に守っている可能性を示している。

 次に、泌乳時期の違いによるpoly(A)tailの長さと安定性、そして再哺乳の影響、さらに泌乳末期の乳腺とpoly(A)tailの関係を調べた。poly(A)tailの長さは妊娠後期から泌乳初期にかけて長くなり、泌乳末期に減少した。-、-カゼインのpoly(A)tailの長さは泌乳中有意に変化した。また、両方のカゼインとも再哺乳によるpoly(A)tailの回復は、離乳24時間と比較し有意に増加したが、泌乳が進行するにつれて回復力は弱くなった。泌乳末期にpoly(A)tailが短くなる原因を調べるため、3または8日齢の子供を泌乳18日のマウスに付け1週間泌乳を延長したが、poly(A)tailの長さは変化しなかった。この結果から、泌乳末期のpoly(A)の減少は吸乳刺激の減少ではなく乳腺の活性の減少が原因であることが示された。各時期のカゼインmRNAの安定性もRRLを使用して調べた結果、どちらのカゼインのt1/2も妊娠後期から泌乳初期にかけて有意に増加し、泌乳末期に減少した。さらに器官培養を用いてt1/2を調べた結果、泌乳18日のカゼインmRNAは泌乳8日のものに比べて有意に減少した。これらの結果から、poly(A)tailとt1/2は妊娠後期から泌乳末期まで同じような変化を示した。さらに泌乳末期でpoly(A)tailが短くなるのは、乳腺の活性の減少が影響していると思われる。

 以上を要約すると、カゼインmRNAはpoly(A)tailの長さを利用して、自身の安定性を調節していることを発見した。そしてpoly(A)tailは泌乳曲線を決定する一つの因子であるという新しい知見をもたらした。またpoly(A)tailの長さをコントロール出来れば、泌乳量の増加が予想され、応用面でも期待できるものである。口頭試問も適切であり、よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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