インスリン様成長因子(IGF)は、多くの細胞の増殖・分化に必須なホルモンであり、個体レベルでは動物の発達や成長に重要な役割を果たしていることが広く知られている。IGFの生理作用の特徴として、単独での生理活性は弱いが、他のホルモンの存在下で活性が増強される点が挙げられる。したがって、IGFの生理活性発現機構を明らかにするためには、他の因子とIGFのシグナルのクロストーク機構を解明することが重要である。申請者らの研究グループでは、ラット甲状腺由来正常細胞FRTL-5を甲状腺刺激ホルモン(TSH)とIGF-Iで処理することにより、細胞増殖が相乗的に増強されることを発見し、TSH処理に応答したcAMP経路の長時間刺激によってIGF-Iシグナルが増強され、その結果、細胞増殖が相乗的に増強されるという機構が想定されている。 このような背景のもと、本論文は、FRTL-5細胞を用いて、cAMP前処理によりIGF-Iシグナルが増強される機構を解析し、このIGF-Iシグナルの増強がcAMP処理によって起こるIGF-I依存性細胞増殖の増強に果たす役割を明らかにしたものである。論文は、序論、3章、総合討論からなる。 まず、序論では、IGFの性質や細胞内情報伝達経路などを概説し、本研究の背景および意義を述べた後、本論文の構成について記している。 次に、第1章では、cAMP経路の活性化がIGF-Iレセプターキナーゼおよびその基質のIGF-I依存性チロシンリン酸化に及ぼす影響について解析している。その結果、TSHあるいはcAMPアナログの前処理は、IGF-Iレセプターキナーゼの活性化には影響しないのに対して、その基質であるIRS-2およびp66ShcのIGF-I依存性チロシンリン酸化を増強することが明らかとなった。これらの結果より、cAMPシグナルによりIGF-Iシグナルがレセプターキナーゼの活性化以降の段階で増強されると結論している。 続いて、第2章では、チロシンリン酸化の増強が観察されたIRS-2およびp66 ShcのIGF-I依存性チロシンリン酸化を増強する機構を検討している。IRS-2については、cAMP処理によりIRS-2のセリン/スレオニンリン酸化が起こり、何らかのタンパク質が結合することにより、IRS-2とIGF-Iレセプターとの親和性が高まり、IRS-2のチロシンリン酸化量が増加する機構を提唱している。一方、cAMP処理によるp66 ShcのIGF-I依存性チロシンリン酸化は、p66 Shc量の増加によって説明できることが明らかとなった。更に、Shcは、cAMP処理に応答して転写・転写後調節、そして翻訳調節が行われ、Shcの3つのアイソフォームのうち、特にp66 Shcの合成が増加することを見出した。 第3章では、IGF-I細胞内シグナル伝達系として、MAP kinaseカスケードとphosphatidylinositol(PI)3-kinaseカスケードに注目し、これらの経路に伝えられるIGF-I依存性チロシンリン酸化の増強とその生理的意義について解析を行っている。まず、cAMP前処理に応答して引き起こされるIRS-2およびShcのIGF-I依存性チロシンリン酸化の増強は、これらの基質を認識して結合するGrb2量に反映し、下流のMAP kinaseカスケードに伝えられることがわかった。更に、MAP kinaseカスケードの活性化はcAMPによるIGF-I誘導性DNA合成の増強に必須であることも明らかとなった。一方、IRS-2のチロシンリン酸化の増強は、やはりPI 3-kinaseカスケード下流に伝達され、相乗的に強められたPI 3-kinaseの活性がcAMPとIGF-Iによる相乗的な増殖誘導に重要な役割を果たすことを見出した。 総合討論では、本研究で得られた結果をまとめ、その意義について総括し、今後の研究の展望を述べている。 以上、本論文は、内分泌細胞において、トロピックホルモン刺激に応答したcAMP経路の活性化により、IGFシグナルが増強される結果、細胞増殖が相乗的に増強されるという新しい相乗作用発現機構を明らかにしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。したがって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。 |