学位論文要旨



No 115315
著者(漢字) 西野,光一郎
著者(英字)
著者(カナ) ニシノ,コウイチロウ
標題(和) マウス精巣形成過程の中腎細胞移動制御に対するSry機能の分子細胞学的解析
標題(洋)
報告番号 115315
報告番号 甲15315
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2160号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨

 哺乳類において、遺伝的性は受精時の性染色体の組み合わせによって決定される。しかしながら、生殖巣の性分化は、生殖巣の発達期のごくわずかな期間に限られて起こる。この時期に発現する遺伝子としてSF1、WT1、DAX1、SOX9、SRYなどが知られており、これらの相互作用により性が決定されると考えられている。この中で、Y染色体の単腕上に存在し、唯一、雄の生殖巣でのみ発現が確認されることから精巣決定因子とされている遺伝子としてSRY遺伝子が知られている。このSRY遺伝子は、生殖巣の性決定期に一過性に発現し、胎仔の未分化生殖巣において精巣への分化の引き金として働くと推論されている。SRYはHMG boxと呼ばれるDNA結合領域を有しており、そのため転写因子として作用すると考えられているが、現在まで有力な下流候補遺伝子は報告されていない。

 マウスにおいて性決定時期の未分化生殖巣は、胎生期11.5日目において先の遺伝子群の雌雄で異なる発現制御により性の決定が行われ、胎生期12.5日目では雌雄で顕著な形態的な差が認められるようになる。これは、卵巣の分化に先立って精巣の分化が始まるためであり、雄において生殖巣の肥大と精巣素の形成が行われるためである。近年、この時期の泌尿生殖隆起では隣接する中腎から未分化生殖巣へ細胞が移動する現象が報告され、この移動細胞が精細管構造の形成に関与しており、精巣形成に重要な役割を果たしていることが示唆されている。

 これまで、中腎細胞の移動現象についての研究には、器官共培養系がよく用いられ、いくつかの重要な知見が得られてきた。泌尿生殖隆起から生殖巣と中腎とを分離し、再接合の後、器官培養を行うもので、様々な条件の生殖巣と中腎との組み合わせから中腎細胞の移動現象について解明が進んでいる。これまでの研究の結果、中腎の性別に関係なく、雄性生殖巣を移植したときにのみ中腎細胞の移動が確認されたこと、また、核型がXXの受精卵にSry遺伝子を導入したトランスジェニックマウスの生殖巣の移植でも中腎細胞の移動が確認されたこと、さらに、核型がXYであってもSryのミュータントの生殖巣では、中腎細胞の移動が起こらないことなどから、生殖巣におけるSry遺伝子の発現が中腎細胞の移動に関与していることが示唆されている。

 以上の研究経緯をふまえ、本研究は精巣形成過程におけるSry発現細胞と中腎移動細胞との直接的な相互作用の解明を目的に以下の実験を実施した。

第1章EGFP-Tgマウスを用いた新たな器官共培養系の樹立ならびに中腎移動細胞の回収

 移動性の中腎細胞の単離、回収を目的に、Enhanced GFP-トランスジェニック(EGFP-Tg)マウスの泌尿生殖隆起を用いた器官共培養系を樹立した。EGFP-Tgマウスの交配により胎生期12.5日の胎仔を回収し、これらの胎仔から泌尿生殖隆起を採集してEGFP-Tgの中腎にnon-Tgマウスの生殖巣を移植することにより生殖巣/中腎の複合体をつくり、共培養した。EGFP-Tgマウスを用いたこの方法の利点は、これまでの器官共培養法と異なり、煩雑なTg個体の判別が蛍光実体顕微鏡下の観察のみで容易に短時間で行えること、ヘテロのEGFP-Tg個体を用いることでTg胎仔と同腹仔のnon-Tg胎仔を用いることができ、個体間の遺伝的背景の違いによる障害を回避できることにある。器官共培養の結果、雄の生殖巣へのみ中腎細胞の移動が確認でき、EGFP-Tgマウスを用いたこの共培養系が、精巣分化時期における雄性生殖巣で特異的な中腎細胞の移動現象を再現するのに有効であることが示された。また、EGFPの特色として、その観察に組織の固定、染色の過程が不要なため経時的な観察が可能であることが挙げられる。器官共培養の同一試料を経時的に観察することで中腎細胞の詳細な移動様式を明らかにした。その結果、中腎細胞の移動は移動初期から厳密に制御されていることが示唆された。さらに、共培養後、生殖巣を再分離し、トリプシン/EDTA溶液で生殖巣の細胞を分散後、セルソーターによる細胞の単離、回収を試みた結果、分散直後はEGFP陽性細胞の割合が2%未満であったが、ソーティングにより98%以上の純度でEGFP陽性細胞、つまり中腎から移動してきた細胞を回収することに成功した。

第2章中腎移動細胞の特性の解析

 中腎移動細胞の詳細な特性を解明するために生殖巣/中腎の器官共培養後、再分離した生殖巣の細胞を分散後、種々の細胞外基質でコートしたディッシュ上で培養し、移動細胞の増殖率を解析した。その結果、細胞外基質の違いにより移動細胞の増殖率に有意な相違が見られ、また、増殖した細胞の中に形態の異なる3種類の細胞が観察された。このことから、中腎細胞移動には、細胞外基質の影響が大きいこと、移動細胞には、複数の細胞集団から構成されていることが示唆される。この3種類の細胞は、その形態からsharp type、round type、cluster forming typeと命名し、これらについて免疫抗体染色法により解析した結果、sharp typeはミオイド細胞であることが確認された。また、ステロイド活性染色から中腎細胞移動の中にはステロイド産生細胞であるライディッヒ細胞が含まれていることが確認された。さらに、ソーティングにより回収した中腎移動細胞を一細胞ごとに培養を行った結果、ミオイド細胞に分化するsharp typeの細胞は生殖巣へ移動直後はあまり増殖せず、ミオイド細胞への分化が決定されているが、一方、round typeの細胞は、生殖巣へ移動後、増殖を繰り返し、cluster forming typeを経て、ライディッヒ細胞を含む間質系の細胞へ分化することが示唆された。

第3章Sryにより誘導される中腎細胞移動の分子メカニズムの解析。

 本章では、単離、回収した中腎移動細胞を用いて、Sryの発現と細胞移動との相互作用について、in vitro系を用いて解析を行った。数種類の細胞(EMFI:13.5dpc Embrionic Fibroblast、TM4 cell line:adult sertoli cell origin、TMHm cell line:Sry-transfected TM4)のフィーダーを用いて回収した移動細胞の増殖効果を検討した結果、EMFIよりTM4において有意な増殖を示し、さらにTM4よりTMHmにおいて有意な増殖効果が観察された。このことは、セルトリ細胞との共培養が移動細胞の増殖に有効なこと、Sryの発現が直接移動細胞の移動、増殖に関わっていることを示唆している。

 Sryは転写因子という性質上、Sryによる移動細胞の移動、増殖の促進効果には介在する因子の存在が予想される。移動細胞の増殖には細胞外基質の影響が大きいことが第2章で示され、また、中腎移動細胞と同様に発生過程において移動、増殖を示す血管内皮平滑筋細胞では、その増殖、移動現象にMatrix Metalloproteinase(MMP)とそのインヒビターとして知られるTissue Inhibitor of Metalloproteinase(TIMP)が重要な役割を果たしていることが報告されていることから、Sryと移動細胞の移動、増殖にMMPとTIMPの関与を想定した。各培養細胞株を用いて、TIMP遺伝子の制御の可能性についてRT-PCR法を用いて検討した結果、興味深いことに、Sryを強制発現させたTMHmにおいてTIMP-3の発現抑制が認められた。そこで、TIMP-3の標的となるMMPが存在すると仮定し、MMPの特異的インヒビターであるBB94を用いて、生殖巣/中腎の器官共培養をおこなったところ、BB94によって中腎細胞の移動が抑制された。さらに、TIMP-3の標的となるMMPの探索を目的として胎生期12.5日目の生殖巣を用いたゼラチンザイモグラフィー解析を行った結果、約46KDaの位置に雄特異的なバンドが確認できた。このバンドはそのサイズからStromelysin(MMP-3 or 10)であることが示唆され、免疫沈降によるウェスタン解析の結果、Stromelysinであることが確認された。

 以上、本研究の結果から、EGFP-Tgマウスを用いて、雄性生殖巣特異的な中腎細胞の移動を再現できる新たな器官共培養系を確立した。この共培養系を用いることで、移動細胞の詳細な動向の解析と移動細胞の単離、回収に成功した。また、in vitro系における実験から中腎細胞の移動、増殖にMMPとTIMPが関与することが示めされ、Sryの下流カスケード遺伝子の一つとしてTIMP-3の可能性が示唆された。これらのことから、Sry発現細胞(セルトリ前駆細胞)では、TIMP-3の発現が抑制され、細胞外基質からTIMP-3が消失することによりStromelysinの活性が上昇することで中腎細胞の移動を誘導し、細胞増殖を亢進することによって精巣の形成を誘導するという新たな精巣分化過程のモデルが示された。

審査要旨

 哺乳類における性は、Y染色体の単腕上に存在し雄の生殖巣でのみ発現するSRY遺伝子によって決定される。このSRY遺伝子は、生殖巣の性決定期に一過性に発現し、胎仔の未分化生殖巣において精巣への分化の引き金として働くと推論されている。マウスにおいて性決定時期の未分化生殖巣は、胎生期11.5日目において性の決定が行われ、12.5日目では雌雄で顕著な形態的な差が認められるようになる。この時期の泌尿生殖隆起では隣接する中腎から未分化生殖巣へ細胞が移動する現象が報告され、この移動細胞が精細管構造の形成に関与しており、精巣形成に重要な役割を果たしていることが示唆されている。しかし、その詳細については、ほとんど明らかにされていない。

 本研究は精巣形成過程におけるSry発現細胞と中腎移動細胞との直接的な相互作用の解明を目的に行ったものである。

 第一章では、移動性の中腎細胞の単離、回収を目的に、Enhanced GFP-トランスジェニック(EGFP-Tg)マウスの泌尿生殖隆起を用いた器官共培養系を樹立した。EGFP-Tgマウスの交配により胎生期12.5日の胎仔を回収し、EGFP-Tgの中腎にnon-Tgマウスの生殖巣を移植することにより生殖巣/中腎の複合体をつくり、共培養した。その結果、雄の生殖巣へのみ中腎細胞の移動が確認でき、EGFP-Tgマウスを用いた共培養系が、精巣分化時期における雄性生殖巣で特異的な中腎細胞の移動現象を再現するのに有効であることを示した。また、器官共培養の同一試料を経時的に観察し、中腎細胞の移動は移動初期から厳密に制御されていることを示唆した。さらに、セルソーターによる細胞の単離、回収を試み、98%以上の純度でEGFP陽性細胞の回収に成功した。

 第二章では、中腎移動細胞の特性を知るために生殖巣/中腎の器官共培養後、再分離した生殖巣の細胞を分散後、種々の細胞外基質でコートしたディッシュ上で培養し、移動細胞の増殖率を解析した。その結果、中腎細胞移動には、細胞外基質の影響が大きいこと、移動細胞には、複数の細胞集団から構成されていることを示唆した。この3種類の細胞のうちsharp typeはミオイド細胞であることを確認した。また、ライディッヒ細胞が含まれていることを確認した。さらに、中腎移動細胞を一細胞ごとに培養を行った結果、ミオイド細胞に分化するsharp typeの細胞は生殖巣へ移動直後はあまり増殖せず、ミオイド細胞への分化が決定されているが、一方、round typeの細胞は、生殖巣へ移動後、増殖を繰り返し、cluster forming typeを経て、ライディッヒ細胞を含む間質系の細胞へ分化することを示唆した。

 第三章では、中腎移動細胞を用いて、Sryの発現と細胞移動との相互作用について、in vitro系を用いて解析した。数種類の細胞のフィーダーを用いて回収した移動細胞の増殖効果を検討した結果、セルトリ細胞との共培養が移動細胞の増殖に有効なこと、Sryの発現が直接移動細胞の移動、増殖に関わっていることを示唆した。発生過程において血管内皮平滑筋細胞の増殖、移動現象にMatrix Metalloproteinase(MMP)とそのインヒビターであるTissue Inhibitor of Metalloproteinase(TIMP)が重要な役割を果たしていることが報告されている。そこで、Sryと移動細胞の移動、増殖にMMPとTIMPの関与を想定し、各培養細胞株を用いて、TIMP遺伝子の制御の可能性について検討した。その結果、Sryを強制発現させたTMHm細胞においてTIMP-3の発現抑制が認められ、中腎細胞の移動、増殖にMMPとTIMPが関与することを示し、Sryの下流カスケード遺伝子の一つとしてTIMP-3の可能性を示唆した。

 以上、本研究では、EGFP-Tgマウスを用た雄性生殖巣特異的な中腎細胞の移動を再現できる新たな器官共培養系を確立し、この共培養系を用い移動細胞の詳細な動向の解析と移動細胞の単離、回収に成功した。また、in vitro系の実験から、Sry発現細胞(セルトリ前駆細胞)で発現する中腎細胞の移動を誘導する因子を同定した。これらの成果は、細胞増殖を亢進することによって精巣の形成を誘導するという新たな精巣分化過程のモデルを示し、農学学術上貢献するところが少なくない。

 よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク