動物の発達および成長は、多くのホルモン・増殖因子などによって制御される複雑なプロセスである。発達・成長に重要な役割を果たしているホルモンの一つとして、インスリン様成長因子(IGF)が挙げられる。IGFは単独での生理作用が弱く、他のホルモンや増殖因子などの存在下でその生理作用が増強される点が特徴のひとつであるが、このクロストークの分子機構は、ほとんど明らかにされていない現状である。したがって、IGFの生理的意義を解明するためには、この分子機構を明らかにする必要がある。 本論文は、甲状腺刺激ホルモン(TSH)とIGF-Iで処理することにより細胞増殖が相乗的に増加するラット甲状腺由来正常細胞FRTL-5を用いて、cAMP情報伝達経路を長時間刺激することにより、細胞がIGF-Iにより反応するようになるpriming機構を解析したものである。論文は、序論、4章、総合討論よりなる。 まず、序論では本研究の背景および意義を概説し、本研究の目的と本論文の構成について述べている。 続いて、第1章では、FRTL-5細胞をTSHあるいはcAMPアナログで長時間前処理後、IGF-Iで再処理し、経時的にDNA合成量、細胞内チロシンリン酸化、細胞周期進行に重要な役割を果たしているタンパク質量などを測定している。その結果、cAMP前処理によりp125のチロシンリン酸化が起こり、同時にG1 cyclin量が増加、更にIGF-I処理に応答して引き続き増加するG1 cyclinとp27KIP1量が減少することによりCDK活性が増加することを明らかにしている。これらの変動を介して、S期へ進行する細胞数が増加、更にそのタイミングが早まることを初めて見出した。 第2章では、cAMP処理に応答したIGF-Iに対するpriming機構に重要と考えられるp125のチロシンリン酸化について検討を加えている。p125のチロシンリン酸化は、cAMPアナログの処理時間に依存して増加し、この増加はcAMP処理により活性化されるチロシンキナーゼによって引き起こされることが明らかとなった。このチロシンキナーゼは、チロシンキナーゼ阻害剤genisteinに感受性であり、genistein濃度依存的にcAMP処理により誘導されるp125のチロシンリン酸化が抑制され、同時にcAMPによるpriming効果も阻害された。他の結果も併せると、cAMP処理によりgenistein感受性チロシンキナーゼが活性化、p125をチロシンリン酸化することによってG1 cyclin発現を調節し、cAMPによるprimingが引き起こされることが明らかとなった。 第3章では、p125のチロシンリン酸化が、どのようにcAMPによるprimingを引き起こすかについて解析を進めている。最近になり、チロシンリン酸化タンパク質のリン酸化チロシン残基がSH2ドメインを有する多くのシグナル分子によって認識されていることが知られている。チロシンリン酸化p125もその例にもれず、phosphatidylinositol 3-kinase(PI 3-kinase)p85調節サブユニットのSH2ドメインに結合することを発見した。更に、PI 3-kinaseカスケードを構成する種々の分子の阻害剤を用いて、PI 3-kinaseのpriming機構における役割を解析したところ、cAMP処理に応答してチロシンリン酸化されたp125と結合することによってPI 3-kinaseカスケードが活性化され、このシグナルの蓄積がG1 cyclinなどの増加を引き起こし、IGF-I増殖シグナルの増強が起こることが明らかとなった。 第4章では、このp125の同定を試みている。まず、125kDa付近の分子質量を有しチロシンリン酸化されることが知られている種々の既知シグナル分子(GAP,FAK,Cbl,Gab-1,Jak2,Retなど)の抗体で免疫沈降を試みたが、p125はこれらの抗体では認識されなかった。そこで、p125の精製方法を検討し、FRTL-5細胞をcAMPアナログで24時間処理した細胞質画分より、抗p85 PI 3-kinase抗体affinityカラムに吸着する画分を調製、これを逆相クロマトグラフィーに供することで、p125を単一に精製することができることを明らかにした。 総合討論では、本研究で得られた結果をまとめ、その意義を考察し、今後の研究の展望を述べている。 以上、本論文は、内分泌細胞の増殖におけるトロピックホルモンとIGFの新しいクロストーク機構を明らかにしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。 |