毛包組織は上皮系細胞由来の毛包ケラチノサイトおよび間葉系細胞由来の毛乳頭細胞によって構成されている。この組織は器官形成後においても、毛の形成が認められる成長期、毛の形成が止まり毛包の退縮が起こる退行期、および、毛包の丈は短く毛の形成は認められない休止期という三つの過程(毛周期)を繰り返すという他組織ではほとんど認められない特徴を有している。また、休止期から次期成長期にかけて皮脂腺直下に存在する毛包幹細胞が劇的に増殖し、複数の細胞層(毛実質やそれを取り囲む毛根鞘細胞)に分化し、次世代の毛包を形成することもこの組織特有の現象である。これらの性状は毛包ケラチノサイトの複雑な増殖・分化の制御によって行われていると考えられている。 ヒトの脱毛症・無毛症は、ホルモン代謝の異常、自己免疫疾患や単一遺伝子の変異等様々な原因によって起こると考えられているが、それらの詳細については未だ明らかとなっていない。これらの病態の解明および適切な治療を行う上で、正常な毛包組織の分化・維持に関する調節機構を把握することは基盤となるべき重要な課題である。しかし、この調節機構に関する詳細な理解は未だ得られていない。 本研究で用いたHWY(Hairless Wistar Yagi)ラットはWistar系ラットの繁殖コロニー内で突然変異として発見され、現在近交系として維持されている。本ラットは出生から離乳期にかけて体表に粗毛を有するものの、その後頚部から脱毛が始まり、成熟個体ではほぼ完全な無毛状態を呈すること、および無毛個体の真皮内には角化物を内包したシストが認められることが報告されている。これらの性状は常染色体上の単一不完全優性遺伝子に支配されており、HWYラットと正常ラットとの間に生まれたF1個体は両者の中間型、すなわち縮れた粗毛を一生有することが知られている。しかし、本ラットの脱毛機序やその原因遺伝子に関してはこれまで全く明らかでなかった。そこで本研究ではHWYラットの毛包形成異常を解明することを目的として、以下の四章からなる検索を実施した。 第一章:HWYラットの脱毛過程に関する病理組織学的検索 HWYラットの脱毛および真皮内シストの形成過程を明らかにするため、本ラットの出生直後から成熟に至るまでの毛包の組織学的変化に関して検索し、正常ラットとの比較を行った。その結果、HWYラット背部皮膚の毛周期は正常ラットのそれと概ね一致していたものの、以下に述べるような病理所見が観察された。 1)第一次成長期初期(生後1日から8日齢):正常ラットでは毛包の著しい分化・成長が認められるが、HWYラット毛包は正常ラットに比べて未熟であり、皮脂腺や毛実質への分化がほとんど認められなかった。さらに、より発達の未熟な毛包ではケラチノサイトに由来する好酸性小体が確認された。この小体はTUNEL法および電顕観察によってアポトーシスであることが確認された。 2)第一次成長期後期(10日から14日齢):この時期には両系統ラットともに毛包の成長は弱まり、その丈はほぼ一定となった。HWYラット毛包の長さは正常ラット毛包のほぼ3分の2であった。さらに、その毛根部は拡張し、特に毛乳頭領域の肥大および内・外毛根鞘細胞の肥厚が顕著に認められた。 3)退行期/休止期(21日齢):大部分のHWYラット毛包は、正常ラット毛包と同様の退縮像を示していたが、一部の毛包は毛根部の顕著な拡張を示し、退縮は認められなかった。 4)第二次成長期初期(4週齢)以降:4週齢の正常ラットでは、新たに形成された毛包において毛実質および内毛根鞘の分化が認められるのに対し、HWYラットではそのような組織像は認められず、かわりに毛包中央部に角化したケラチノサイトの集塊が観察された。また21日齢で認められた拡張した毛包は更にその大きさを増していた。5週齢HWYラット毛包では毛乳頭は消失し、ケラチノサイトのみが毛包下部で球状の集簇を形成していた。その後10週齢では真皮内にシストが多数観察された。 以上の結果から、HWYラット毛包の一部は第一次成長期初期におけるアポトーシスによって消失すること、および比較的正常な毛包も毛根部の拡張を示し、その後毛根部におけるシスト形成によって正常な毛包構造が維持されず脱毛することが示唆された。また、これらの毛包形成異常(成長期におけるアポトーシス、毛包由来のシスト形成)には毛包ケラチノサイトの増殖・分化の異常が関与している可能性が示唆された。 第二章:HWYラット毛包ケラチノサイトの増殖・分化に関する免疫組織学的検索 HWYラットの毛包ケラチノサイトにおける増殖・分化の状態を明らかにする目的で、ケラチノサイトの細胞増殖の指標として抗ラットPCNA抗体(PC10)、分化の指標として、ラット毛包の構成細胞である外毛根鞘細胞および内毛根鞘細胞に対する抗体(それぞれK1304、K1309)を用いて免疫組織学的検索を行ったところ以下の所見が観察された。 1)第一次成長期におけるHWYラット毛包では将来毛実質に分化すべき領域でのPCNA陽性度が正常ラット毛包に比べ弱かった。 2)各毛周期を通じて、HWYラット外毛根鞘細胞(K1304陽性)は肥厚し、かつPCNA陽性度は正常ラットに比べ高い傾向が認められた。特に、退行期/休止期の毛包においてこの傾向は顕著であった。 3)30日齢HWYラット毛包ではシストの前段階と考えられるケラチン様の集塊が認められ、K1309陽性細胞はこの集塊の周囲に観察されたことから、このケラチン様集塊は正常毛包における毛実質に相当すると考えられた。 これらの所見は、前章での毛包形成異常の進展過程を裏付けるものであった。すなわち、HWYラットでは毛実質の産生が弱く、かつ毛実質を包む鞘である外毛根鞘細胞が過剰な増殖・分化傾向を示すことにより、毛実質に分化し、体表に排出されるべき毛母ケラチノサイトが毛包内で栓塞しシスト形成を起こすことが示唆された。 第三章:HWYラット毛包形成異常におけるgrowth factorおよびcytokineの関与 HWYラットの毛包形成異常に関与する因子の同定を目的として、毛包組織の性状に関与することが報告されているgrowth factorおよびcytokineの、HWYラット背部皮膚におけるmRNA発現量をRT-PCR法を用いて経時的に検索し正常ラットとの比較を行ったところ、以下の所見が明らかとなった。 1)HWYラット背部皮膚では、ケラチノサイトの増殖を促進する因子群(aFGF,bFGF,KGFおよびTGF-)のmRNA発現量が正常ラットに比べ高く、特に退行期/休止期の皮膚では1.5倍以上の発現が認められた。 2)HGFは成長期毛包において毛形成を促進することが知られているが、HWYラットの成長期皮膚におけるHGFmRNA量は正常ラットのおよそ半分であった。 3)HWYラット皮膚では、正常毛包の退縮を促進することが知られているFGF-5のmRNAの発現が毛周期を通じてほとんど認められなかった。また、FGF-5mRNAのspliced variantであるFGF-5S mRNAの発現も同様に認められなかった。 以上の結果から、HWYラットでは上記のgrowth factorの発現異常によって、毛包ケラチノサイトの増殖と分化のバランスに異常が生じ、毛包の分化・形態形成に異常を起こすことが示唆された。特に1)における因子群のレセプターは正常毛包では外毛根鞘細胞に強く発現していること、および2)は第二章で認められた知見を裏付けるものであった。 第四章:連鎖解析によるHWYラット原因遺伝子のマッピング これまでにげっ歯類の無毛突然変異を起こすことが知られている遺伝子としてhairlessおよびnude遺伝子が報告されている。これらの遺伝子は染色体のシンテニーからラットではそれぞれ第10および15染色体に存在すると考えられる。本章では、HWYラットの毛包形成異常における上記遺伝子の関与を明らかにするため、HWYラットとBNラットとの間のF2個体を用いた連鎖解析を行った。F2世代の表現型分離比は正常被毛:中間型:異常被毛(無毛)=50:72:40(≒1:2:1)であり、常染色体上の単一不完全優性遺伝子によるという報告と一致した。これらのF2個体ゲノムDNAを用いて、ラット第10および15染色体にあるマイクロサテライトマーカー(第10染色体:D10Rat49,D10Mit2,D10Mgh6,D10Mgh4、第15染色体:D15Mgh7,D15Rat15,D15Rat11,D15Rat26)によってその遺伝子型を判別したところ、F2個体の表現型と第15染色体上のマーカーとの連鎖が認められた。特にD15Rat15およびD15Rat11においては、今回得られたF2個体で完全な連鎖が確認された。D15Rat15およびD15Rat11の近傍にはhairless遺伝子の他に、ヒトの遺伝的貧毛症"hypotrichosis of Marie Unna"の原因遺伝子の存在が予想されることから、これら2つの遺伝子がHWYラットの毛包形成異常の候補遺伝子として考えられた。 以上、本論文ではHWYラットの脱毛メカニズムの解明、および原因遺伝子のマッピングを行った。原因遺伝子の解析と原因遺伝子による発症機構の解明が今後の課題と考えられる。 |