学位論文要旨



No 115322
著者(漢字) 黒木,宏二
著者(英字)
著者(カナ) クロギ,コウジ
標題(和) Wistar由来貧毛WBN/ILA-Htラットの光皮膚科学領域における有用性
標題(洋) Usefulness of Wistar-derived hypotrichotic WBN/ILA-Ht rats in the field of photodermatology
報告番号 115322
報告番号 甲15322
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2167号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 太陽から発する紫外線は、長波長紫外線(UVA:320〜400nm)、中波長紫外線(UVB:280〜320nm)、短波長紫外線(UVC:200〜280nm)の3種類に分けられる。この中で、最も組織傷害性の高いUVCは地表に到達する以前にオゾン層や対流圏大気中の酸素などで完全に吸収される。したがって、実際に地表に到達する紫外線はUVAとUVBである。UVAはサンターン反応(曝露後の黒化)や皮膚の老化の原因となることで知られている。UVBは皮膚傷害の最大の原因であり、sunburn cellsの出現を伴うサンバーン反応(日焼け)を誘発する。最近では、地球を取りまくオゾン層の減少に伴い、紫外線の地表到達量が増加し、これら紫外線自体の作用に加え、環境化学物質との複合作用による生物への影響が懸念されている。しかし、紫外線と環境化学物質との複合作用という光皮膚科学領域における重要なテーマに関する研究はごく僅かしか行われていない。その原因の一つとして、これらの研究に適した実験動物の欠如が挙げられる。現在、多くの場合、光皮膚科学領域における動物実験には、被毛を有する各種の実験動物が利用されている。しかし、有毛動物を用いると実験の度に毛を処理する必要があるため繁雑であるうえ、とくに長期試験の場合にはそうした処理による皮膚の感受性の変化や皮膚生理への影響を無視できない。この問題を解決するために、我々は実験用ヘアレス犬のコロニーを確立し、光皮膚科学領域における有用性を明らかにしている。しかし、実験室内実験には、取り扱いや管理等がより容易なマウス、ラット等のげっ歯類が便利で、光皮膚科学領域の研究には上記のヘアレス犬との併用が望まれる。そこで、本研究では、貧毛を特徴とするWBN/ILA-Htラット(HtRs)の光皮膚科学領域における有用性について検討した。HtRsは、Wistar由来の貧毛を特徴とするラットで、貧毛形質は常染色体性優性遺伝子(Ht)に支配されている。HtRsは生涯を通じて、頭部、背部および四肢に乏しいうぶ毛を有しており、他のヘアレスないし貧毛形質を有する系統の多くが同時にdermal cysts,wrinkles等の皮膚異常を伴うのとは異なり、毛包の低形成を除けば皮膚の組織学的性状はWistarラットと同様である。我々の研究室ではこれまで、HtRsを用いて数種の環境化学物質の皮膚毒性実験を行い、HtRsがこの分野における有用な試験系であることを証明している。

 本論文は3章からなり、第1章では、UVB照射に対するHtRsの基本的な皮膚反応を調べた。第2章では、第1章から得られた知見を基に、UVBによる皮膚傷害に対するIndomethacinとサンスクリーン剤の防御効果について検討した。第3章では、2種類の環境化学物質を用い、それぞれの短期曝露と紫外線照射による皮膚刺激性の性状をそれぞれ検討したうえで、今後重要な問題となる環境化学物質と紫外線との複合作用による皮膚刺激性の特性について調べた。

第1章:UVB照射に対するHtRsの皮膚反応

 本章では、HtRsの背部皮膚にUVB(10kJ/m2)を照射後、3、6、12,24および48時間目の皮膚の病理組織学的変化を調べた。また、in situ DNA end labeling(TUNEL)法による断片化DNAの検出とPCNA抗体を用いた細胞増殖の動態の検索を行った。

 UVB照射後3時間目から様々な程度の表皮細胞の退行性変化(細胞内および細胞外浮腫)が主として有棘層に認められた。12時間目には核濃縮あるいは核崩壊と好酸性の細胞質によって特徴づけられるsunburn cellsが主として基底層に多数認められた。sunburn cellsは24時間目には主に有棘層と顆粒層に認められ、表皮の肥厚の見られた48時間目にはほとんど消失していた。こうしたsunburn cellsは、核がTUNEL法で陽性に染まり、電顕観察で核のクロマチン顆粒の凝集や核膜に沿ったmargination等が認められたことから、アポトーシス細胞であると判断された。真皮では、12および24時間目に真皮上層部に主座する炎症細胞浸潤および浮腫が認められた。

 UVB照射に対するHtRsの背部皮膚の反応は、ラットではメラノサイトが欠如しているためサンターン反応が見られないことを除いて、ヒトのそれに類似していた。さらに、その反応は実験用ヘアレス犬を含むその他のヘアレス動物に比べて感受性が高かった。以上のことから、HtRsはUVB照射に対する皮膚反応の基礎的研究に有用な動物であると考えられた。

第2章:UVB照射によるHtRsの背部皮膚のサンバーン反応に対するIndomethacinとサンスクリーン剤の防御効果

 第2章では、第1章で得られた知見を基に、Indomethacin(IM)とサンスクリーン剤の防御効果について検討し、HtRがこれらの薬効スクリーニング系として有用であるか否かを検討した。プロスタグランジンはヒトにおいてUV照射後のサンバーンを誘発する主要な化学メディエーターで、IMはプロスタグランジンの合成を阻害する抗炎症剤として知られている。また、サンスクリーン剤は日焼け止め用の化粧品として広範に利用されている

 サンスクリーン剤としてsun protection factor(SPF)値の異なる2種類の薬剤、サンスクリーンSPF 66(SPF 66)とサンスクリーンSPF 30(SPF 30)を用いた。サンスクリーン剤の防御効果を検討するために、HtRsの背部皮膚に局所的にサンスクリーン剤を塗布後、10 kJ/m2のUVBを単回照射した。また、IMの防御効果を調べるために、HtRsの背部皮膚に10kJ/m2のUVBを単回照射後、局所的に1%IMを塗布した。それぞれ、照射終了後1および2日目の皮膚の病理組織学的変化を調べた。

 サンスクリーン剤無塗布部およびIM無塗布部の皮膚では、照射終了後1日目に表皮の退行性変化が認められた。変性した表皮では、sunburn cellsの出現と様々な程度の細胞内および細胞外浮腫が観察された。真皮では、浮腫と炎症細胞の浸潤が認められた。2日目には、表皮の肥厚および真皮の軽度の浮腫と細胞浸潤が見られた。一方、SPF 66とSPF 30塗布部の皮膚では、照射終了後1日目、2日目ともに、特記すべき変化は認められなかった。また、IM塗布部の皮膚では、無塗布部位で見られた病理組織学的変化は明らかに軽減されていた。

 このようにUVB照射によって引き起こされるサンバーン反応をサンスクリーン剤は有効に防御し、IMは明瞭に軽減させた。この結果は、ヒトでの結果に類似しており、HtRsにおけるUVB照射によるサンバーン反応の発現には、ヒトの場合と同様、プロスタグランジンが関与していることが示唆された。また、HtRsはヒトのサンバーン反応に対する抗炎症剤とサンスクリーン剤の防御効果のスクリーニング系として有用であると考えられた。

第3章:環境化学物質とUVB照射の複合作用によるHtRsの皮膚傷害

 本章では、環境化学物質に対するHtRsの皮膚反応が紫外線照射によりどのように修飾されるかを調べた。環境化学物賃としては、HtRsに対して異なる皮膚病変を引き起こすManganese ethylene bis(Maneb)とHydrogen peoxide(HPO)を用いた。

 実験1では、ManebとUVB照射の複合作用によるHtRsの皮膚傷害について調べた。ジチオカルバミド酸系農薬の一種であるManebは、単独ではHtRsに遅延性の毛包上皮の退行性変化を誘発した。ついで、HtRsの背部皮膚にUVB(10 kJ/m2)を照射後、30%Maneb溶液を、1日1回、1週間連続塗布し、連続塗布終了後1日目および2週目の皮膚の病理組織学的変化を調べた。また、TUNEL法とPCNA抗体を用いて細胞増殖の動態を検索した。その結果、処置終了後1日目の皮膚では軽度の表皮の肥厚が認められた。2週目には、真皮の中間層から深層にかけての毛包の上皮に、核クロマチンの凝集、核濃縮、核崩壊などの変化が多数認められ、TUNEL法ではこの様な核および核崩壊物が陽性を示した。こうした毛包の周囲には炎症細胞浸潤が観察された。これらの病変の程度と性状は、Maneb単独およびUV照射単独で観察される変化の単純和に過ぎなかった。

 実験2では、HPOとUVB照射の複合作用によるHtRsの皮膚傷害について調べた。過酸化物の一種であるHPOは、単独ではHtRsの表皮の退行性変化と真皮における炎症細胞浸潤および浮腫を誘発した。ついで、HtRsの背部皮膚にUVB(10kJ/m2)を照射後、30%HPO溶液を単回塗布し、塗布終了後1および2日目の皮膚の病理組織学的変化を調べた。その結果、処置終了後1および2日目の皮膚で、様々な程度の表皮の退行性変化(細胞内および細胞外浮腫)とsunburn cellsの出現が認められた。真皮では、炎症細胞の浸潤と浮腫が認められた。これらの病変の程度は,HPO単独群の病変に比べて明らかに増強されていた。

 上述したように、2種類の環境化学物質による皮膚傷害の紫外線による修飾の様式は全く異なっていた。UVBは波長が短いためほとんどが表皮で吸収されるため、本来表皮に病変を起こすHPOの場合にはUVB照射はそれを増強し、真皮の中間層から深層に位置する毛包上皮にのみ病変を起こすManebの場合にはUVB照射はManeb自体による病変には影響を与えなかったと考えられた。

 以上のように、本研究ではUVB照射に対するHtRsの皮膚反応についての基礎的検討を行うとともに、その応用面についても検討した。その結果、HtRsの背部皮膚の反応は、サンターン反応が見られないことを除いて、ヒトのそれに類似していることを明らかにし、HtRsが光皮膚科学領域における実験動物として非常に有用であることを示した。また、本研究の成果は、将来、紫外線と環境化学物質との相互作用による皮膚傷害の性状を検討していく上で重要な示唆に富むものと考えられる。

審査要旨

 最近、地球を取りまくオゾン層の減少に伴い、紫外線の地表到達量が増加し、これら紫外線自体の作用に加え、環境化学物質との複合作用による生物への影響が懸念されている。しかし、これら光皮膚科学領域における重要なテーマに関する研究はごく僅かしか行われていない。その原因の一つとして、これらの研究に適した実験動物の欠如が挙げられる。本研究は、貧毛を特徴とするWBN/ILA-Htラット(HtRs)の光皮膚科学領域における有用性を明らかにする目的で実施された。本論文は以下の3章から成る。

 第1章では、UVB照射に対するHtRsの皮膚反応を調べた。UVB照射後3時間目から様々な程度の表皮細胞の退行性変化(細胞内および細胞外浮腫)が主として有棘層に認められた。12時間目には核濃縮あるいは核崩壊と好酸性の細胞質によって特徴づけられるsunburn cellsが主として基底層に多数認められた。sunburn cellsは24時間目には主に有棘層と顆粒層に認められ、表皮の肥厚の見られた48時間目にはほとんど消失していた。UVB照射に対するHtRsの背部皮膚の反応は、ラットではメラノサイトが欠如しているためサンターン反応が見られないことを除いて、ヒトのそれに類似していた。

 第2章では、Indomethacin(IM)とサンスクリーン剤の防御効果について検討し、HtRsがこれらの薬効スクリーニング系として有用であるか否かを検討した。無処置部の皮膚では、照射終了後1日目に表皮の退行性変化と真皮における浮腫と炎症細胞浸潤が認められた。2日目には、表皮の肥厚および真皮における軽度の浮腫と炎症細胞浸潤が見られた。このようなUVB照射によるサンバーン反応をサンスクリーン剤は有効に防御し、IMは明瞭に軽減させた。この結果は、ヒトでの結果に類似しており、HtRsはヒトにおけるこれらの薬効スクリーニング系として有用であると考えられた。

 第3章では、環境化学物質に対するHtRsの皮膚反応が紫外線照射によりどのように修飾されるかを調べた。実験1では、HtRsの背部皮膚にUVBを照射後、30%Manganese ethylene bis(Maneb)溶液を塗布し、その皮膚反応を調べた。処置終了後1日目には、軽度の表皮の肥厚が認められた。2週目には、真皮の中間層から深層にかけての毛包上皮に著明な退行性変化が認められた。これらの病変の程度と性状は、Maneb単独およびUVB照射単独で観察される変化の単純和に過ぎなかった。実験2では、HtRsの背部皮膚にUVBを照射後、30%Hydrogen peroxide(HPO)溶液を塗布し、その皮膚反応を調べた。その結果、処置終了後1および2日目の皮膚で、様々な程度の表皮の退行性変化とsunburn cellsの出現が認められた。真皮では、炎症細胞の浸潤と浮腫が認められた。これらの病変の程度は、UVB照射により、HPO単独群の病変に比べて明らかに増強されていた。上述したように、2種類の環境化学物質による皮膚傷害の紫外線による修飾の様式は全く異なっていた。UVBは波長が短いためほとんどが表皮で吸収されるため、本来表皮に病変を起こすHPOの場合にはUVB照射はそれを増強し、真皮の中間層から深層に位置する毛包上皮にのみ病変を起こすManebの場合にはUVB照射はManeb自体による病変には影響を与えなかったと考えられた。

 以上のように、本研究はUVB照射に対するHtRsの皮膚反応に関する基礎的検討に加え、その応用面についても検討し、HtRsが光皮膚科学領域における実験動物として非常に有用であることを明らかにしたもので、審査委員一同、博士(獣医学)の学位を授与するに相応しいものと判断した。

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