バンド3(Anion exchanger 1,AE1)は、赤血球膜の最も主要な膜内在性蛋白質であり、膜内外でのCl-/HCO3-交換輸送を行うとともに、アンキリンとの結合を介して膜骨格を脂質二重層に連結し、赤血球膜構造を安定化するとされる。黒毛和種牛に多発する遺伝性バンド3欠損症は、球状赤血球症に伴う溶血性貧血、アシドーシス、成長不良を呈する疾患で、バンド3の完全欠損に起因する。本論文は、この遺伝性疾患の原因遺伝子異常の同定と赤血球球状化機序の解明を目的として分子病態の解析を行ったもので、以下の3章より構成されている。 第1章では、まず正常牛骨髄細胞がら5’、および3’RACE法によりバンド3 cDNAを単離した。同様に、バンド3完全欠損牛からバンド3 cDNAを単離し正常配列と比較した結果、唯一の変異としてCGA→TGA;Arg664→Stop(R664X変異)を同定した。次にこの変異によって近傍にDra III切断部位が生じることを利用し、R664X変異に関する遺伝子型を同定するrestriction fragment length polymorphism(RFLP)法を確立した。この方法を用いて約150頭の黒毛和種牛の遺伝子型を判定し、各遺伝子型の赤血球表現形質、すなわち赤血球形態、バンド3含量、アニオン輸送活性について検討した。その結果、R664X変異に関する遺伝子型と赤血球表現形質異常(球状赤血球症、バンド3の減少、アニオン輸送活性の低下)は完全に一致した。以上のように第1章では、黒毛和種牛バンド3欠損症は常染色体性優性の遺伝性疾患で、R664X変異が本症の原因遺伝子異常であることを明かにし、また遺伝子診断法としてPCR-RFLP法を確立した。 第2章では変異バンド3欠損の分子機構について検討した。RT-PCR/5’nuclease assayおよびノザンプロット解析により、ホモ個体の骨髄細胞に正常個体の30-45%量で、正常バンド3mRNAと同じサイズの変異mRNAが存在することを明らかにした。マイクロソーム膜存在下、網状赤血球ライセート翻訳系では、正常ならびにR664X変異バンド3ともにマイクロソーム膜画分に得られた。この変異バンド3は、正常バンド3と同様に膜外側トリプシン感受性部位が切断を受けず、またアルカリ処理後も膜画分に検出された。また、合成RNAの注入によりXenopus oocytesにおいても変異バンド3の合成が確認された。以上の成績から第2章では、ホモ個体の赤血球系前駆細胞においてはR664X変異バンド3mRNAから変異バンド3が合成され、正しい膜配向性で小胞体膜に挿入され得ることを明らかにし、この変異バンド3は膜への挿入後に分解されると考えられた。 第3章では、赤血球球状化発現の分子機構について検討した。赤血球膜物性をエクタサイトメトリーで解析したところ、ホモ、ヘテロ両赤血球の膜安定性は著しく低下していた。膜蛋白質の詳細な解析から、ホモ赤血球では、バンド3の完全欠損のほか、膜骨格蛋白質構成はほぼ正常であるのに対し、ヘテロ赤血球ではバンド3の部分欠損とともに膜骨格蛋白質の減少が生じていた。またRT-PCRにより、ヘテロ個体ではR664X変異mRNAがバンド3mRNA総量の約30%存在した。正常、ならびに変異バンド3合成RNAをoocytesに同時に注入すると、変異RNA量に依存してCl-輸送が低下した。また、正常、変異バンド3を同時に合成させると、両者がマイクロソーム膜上でヘテロ複合体を形成することが明らかになった。以上の成績から第3章では、R664X変異バンド3が、ヘテロ複合体形成を介して正常バンド3の発現にドミナント・ネガティブに作用し、ヘテロ赤血球でのバンド3の部分欠損を起こすことを明らかにした。 以上の知見から、1)牛遺伝性バンド3欠損症の原因遺伝子異常がR664X変異で、合成される変異バンド3は膜への挿入後に分解されること、2)ホモ赤血球ではバンド3完全欠損の結果としてのバンド3-アンキリン-スペクトリン連結の消失が、またヘテロ赤血球では変異バンド3のドミナント・ネガティブ作用により生じるバンド3と膜骨格蛋白質の減少が、それぞれ赤血球膜安定性の低下を生じ、さらに赤血球球状化をもたらすと考えられた。 このように本論文は、畜産学上重大な問題となっている牛遺伝性バンド3欠損症の原因遺伝子異常を同定するとともに遺伝子診断法を開発し、さらに分子病態解析をとおして赤血球球状化機序を解明したものであり、獣医学の学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |