学位論文要旨



No 115323
著者(漢字) 越野,一朗
著者(英字)
著者(カナ) コシノ,イチロウ
標題(和) 牛遺伝性バンド3欠損症の分子病態に関する研究
標題(洋) Studies on the molecular pathobiology of hereditary band 3 deficiency in cattle
報告番号 115323
報告番号 甲15323
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2168号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 稲葉,睦
内容要旨

 バンド3(Anion exchanger 1,AE1)は、赤血球膜蛋白質総量の約25%を占める最も主要な膜内在性蛋白質である。その細胞質ドメインはアンキリンとの結合を介してスペクトリン-アクチンからなる膜骨格を脂質二重層に連結し、赤血球膜構造を安定化するとされる。同時に膜内在性ドメインは、膜内外でのCl-/HCO3-交換輸送を行い血液によるCO2の運搬を効率化している。ヒトの遺伝性球状赤血球症の30%は、遺伝子変異に起因したバンド3の部分欠損が原因であるとされる。しかし、赤血球球状化の仕組み等、バンド3の量的・質的異常と病態発現の分子機構は不明な点が多い。

 これまでに、黒毛和種牛に多発する遺伝性球状赤血球症による溶血性貧血は、バンド3の完全欠損に起因することを明らかにし、報告した。本論文は、この遺伝性疾患の原因遺伝子異常の同定と赤血球球状化のメカニズム解明を目的として、分子病態の解析を行ったもので、第1章では原因遺伝子異常の同定と遺伝子診断法の確立、第2章では変異バンド3欠損の分子機構、第3章では 赤血球膜病態とその発現の分子機構、について検討した。

第1章原因遺伝子異常の同定と遺伝子診断法の確立1)牛バンド3遺伝子のクローニングと遺伝子異常の解析

 骨髄細胞から5’,および3’RACE法によりそれぞれバンド3cDNAを単離し、塩基配列を解析した。cDNAから推定される牛赤血球バンド3は930アミノ酸残基(Mr=105,000)から構成され、N-末端領域を除き、高い種間相同性が見られた。同様に、バンド3を完全に欠損する牛の骨髄から赤血球バンド3cDNAを単離し正常配列と比較した結果、664番目のコドンにCGA→TGA;Arg664→Stop(R664X変異)が唯一の変異として見出された。これは既報のヒトバンド3の646番目のコドンに相当するものであった。

2)R664X変異に関する遺伝子診断法の確立

 R664X変異によって、近傍にDra III切断部位が生じる。これを利用してPCR-RFLP(restriction fragment length polymorphism)によりR664X変異に関する遺伝子型を同定する方法、同様にPCR-SSCP(single strand conformation polymorphism)を確立した。

3)遺伝子型と赤血球表現型の一致

 上紀のPCR-RELP法により約150頭の黒毛和種牛個体について遺伝子型を解析し、遺伝子型と赤血球形態、バンド3含量、ならびに赤血球のニオン輸送活性との関連を検討した。

 赤血球形態:ホモ接合型個体は、全例(n=8)が大小不同をともなう重度の球状赤血球症を呈し、ほぼ全ての赤血球が球状で、小胞化、断片化、内方陥没が認められた。ヘテロ個体においても典型的な球状赤血球症が認められ、ほとんどの赤血球が有口、あるいは球状赤血球であった。

 膜蛋白質:全てのホモ接合型でバンド3の完全欠損が確認された。ヘテロ接合型ではバンド3含量が正常の約70%に低下していた。またプロテイン4.1a/b比は、ホモで顕著に、またヘテロでも有意な低下を示し、赤血球崩壊と造血の亢進が示された。

 アニオン輸送:ヘテロ接合型赤血球の硫酸イオン(35SO42-)輸送活性と、バンド3の特異的阻害剤であるDIDS(diisothiocyanostilbene disulfonate)の結合量は、ともに正常赤血球の約70%に減少していた。ホモ接合型赤血球のSO42-輸送活性は正常赤血球の2%以下と著しく低値で、かつDIDSに非感受性であった。

 これらの成績から、ヘテロ接合型赤血球が、正常とホモ接合型の中間的な形質異常を有すること、即ち、R664X変異に関する遺伝子型と赤血球表現型とがよく一致することが判明した。

4)Xenopus oocytesにおける発現

 正常配列のバンド3cDNAクローン(pBEB)、ならびにR664X変異クローン(pBEBRX)から合成したRNA(それぞれBEBとBEBRX)をXenopusoocytesに注入したところ、BEBではDIDS感受性の塩素イオン(Cl-)輸送の発現がみられたが、BEBRXを注入したXenopus oocytesのCl-輸送能は対照として水を注入したものと同程度であった。したがって、R664X変異は、少なくともバンド3の機能欠損を引き起こす変異であることが明らかになった。

 以上の知見から、このR664X変異が黒毛和種牛バンド3欠損症の原因遺伝子異常であること、本疾患が常染色体性優性の遺伝性疾患であることが明らかになった。

第2章変異バンド3欠損の分子機構

 Arg664はバンド3膜内在性ドメインのほぼ中央に位置する。したがって、R664X変異アレルからは74 kDaの変異バンド3分子が合成されると考えられるが、このような分子は成熟赤血球、骨髄細胞のいずれにおいても検出されない。そこで、変異バンド3の発現しない理由を明らかにすることを目的に以下の検討を行った。

1)変異mRNAの存在

 骨髄細胞mRNAのノザンブロット解析の結果、正常個体で認められる5.1kbと4.6kbのmRNAのバンドがホモ接合型にも認められ、ホモ接合型には変異mRNAが存在することが明らかになった。また、ホモ接合型のバンド3mRNA量は正常の約30%であった。

2)変異バンド3の合成

 正常、ならびにR664X変異バンド3の各クローン(pBEBとpBEBRX)をマイクロソーム膜存在下、網状赤血球ライセート系で発現させると、それぞれ105 kDaと74 kDaの合成蛋白質がマイクロソーム膜画分に得られた。74 kDaの変異バンド3は、正常バンド3と同様に、マイクロンームのアルカリ処理後も膜画分に残存し、またトリプシン処理後には短い膜内在性部分が膜画分に検出された。また、合成RNAを注入したoocytesにおいても、これら正常、ならびに変異バンド3の合成が免疫沈降法によって確認された。

 以上の成績から、ホモ接合型個体の赤血球系細胞には変異アレル由来のmRNAが存在し、変異バンド3が正しい膜配向性で合成され、小胞体膜に挿入され得ることが明らかになった。この変異バンド3は、小胞体膜への挿入後に分解されるものと考えられた。

第3章赤血球膜病態とその発現の分子機構

 近年報告されたバンド3ノックアウトマウスのヘテロ個体では赤血球表現型に全く異常が認められない。そこで、R664X変異がドミナント・ネガティブな作用を有するとの仮説を立て、これを実証することを目的に以下の検討を行った。

1)赤血球膜病態

 エクタサイトメトリーによる解析で、ホモ接合型赤血球の膜安定性が著しく低下していることが判明した。また、ヘテロ赤血球膜は正常赤血球と同程度の変形能を保持するものの、750dyn/cm2というシアーストレス下では急速に断片化し、膜安定性の低いことが明らかになった。

 膜蛋白質含量を赤血球あたり、あるいは膜リン脂質あたりで比較すると、ホモ接合型赤血球ではバンド3、プロテイン4.2はほとんど認められず、アンキリンが50%程度に減少しているものの、ほかの膜骨格蛋白質構成はほぼ正常レベルであった。一方、ヘテロ赤血球においては、バンド3が70-80%に減少し、アンキリン、プロテイン4.2の減少は軽度(10-20%)であったが、膜骨格の主体となるスペクトリンとアクチンの有意な低下(20-30%)が生じていた。非イオン性界面活性剤による可溶化とゲル浸透クロマトグラフィーでの解析の結果、ヘテロ接合型赤血球におけるバンド3の減少は、64%が膜骨格と結合していないダイマー画分に、また36%が、膜骨格と結合しているオリゴマーに由来することが判明した。

3)バンド3、および主要膜骨格蛋白質のmRNA定量

 ホモ、ヘテロのいずれにおいても、バンド3をはじめ、減少を示した膜蛋白質のmRNAは、RT-PCR/5’-nuclease法による解析により、発現していることが判明した。また、ヘテロ接合型のバンド3mRNA総量の25-30%はR664X変異アレル由来のmRNAであった。

4)R664X変異のドミナント・ネガティブな作用

 pBEBとpBEBRXとから合成したRNAをoocytesに同時に注入すると、BEBRXのRNA量に依存してCl-輸送の低下が認められた。また、網状赤血球ライセートでpBEBとpBEBRXの共存下に正常、変異バンド3を同時に合成させると、両者がヘテロ複合体を形成することが、モノクローナル抗体を用いた免疫沈降反応で明らかになった。

 以上の成績から、ホモ接合型とヘテロ接合型の両者でともに膜安定性の低下と球状赤血球化がみられるものの、その発現機序は異なると考えられた。即ち、ホモ接合型では、バンド3-アンキリン-スペクトリン間の連結が完全に失われることが、その著しい膜安定性低下の原因と考えられた。一方、ヘテロ赤血球では、合成後、異常蛋白質として認識・分解を受けるR664X変異バンド3が、正常バンド3の発現に対してドミナント・ネガティブに作用し、バンド3の部分減少が生じ、続いて他の膜骨格系蛋品質含量の低下を起こすと推測された。

 以上のことから、黒毛和種牛の遺伝性バンド3欠損症の原因遺伝子異常はR664X変異であり、変異アレル由来のmRNAは存在し、変異バンド3は小胞体膜へ挿入後分解され、バンド3欠損を呈するものと考えられた。また、赤血球球状化の発現機序はホモ接合型はヘテロ接合型とは異なっており、バンド3-アンキリン-スペクトリン間の連結が完全に失われることによると考えられた。

審査要旨

 バンド3(Anion exchanger 1,AE1)は、赤血球膜の最も主要な膜内在性蛋白質であり、膜内外でのCl-/HCO3-交換輸送を行うとともに、アンキリンとの結合を介して膜骨格を脂質二重層に連結し、赤血球膜構造を安定化するとされる。黒毛和種牛に多発する遺伝性バンド3欠損症は、球状赤血球症に伴う溶血性貧血、アシドーシス、成長不良を呈する疾患で、バンド3の完全欠損に起因する。本論文は、この遺伝性疾患の原因遺伝子異常の同定と赤血球球状化機序の解明を目的として分子病態の解析を行ったもので、以下の3章より構成されている。

 第1章では、まず正常牛骨髄細胞がら5’、および3’RACE法によりバンド3 cDNAを単離した。同様に、バンド3完全欠損牛からバンド3 cDNAを単離し正常配列と比較した結果、唯一の変異としてCGA→TGA;Arg664→Stop(R664X変異)を同定した。次にこの変異によって近傍にDra III切断部位が生じることを利用し、R664X変異に関する遺伝子型を同定するrestriction fragment length polymorphism(RFLP)法を確立した。この方法を用いて約150頭の黒毛和種牛の遺伝子型を判定し、各遺伝子型の赤血球表現形質、すなわち赤血球形態、バンド3含量、アニオン輸送活性について検討した。その結果、R664X変異に関する遺伝子型と赤血球表現形質異常(球状赤血球症、バンド3の減少、アニオン輸送活性の低下)は完全に一致した。以上のように第1章では、黒毛和種牛バンド3欠損症は常染色体性優性の遺伝性疾患で、R664X変異が本症の原因遺伝子異常であることを明かにし、また遺伝子診断法としてPCR-RFLP法を確立した。

 第2章では変異バンド3欠損の分子機構について検討した。RT-PCR/5’nuclease assayおよびノザンプロット解析により、ホモ個体の骨髄細胞に正常個体の30-45%量で、正常バンド3mRNAと同じサイズの変異mRNAが存在することを明らかにした。マイクロソーム膜存在下、網状赤血球ライセート翻訳系では、正常ならびにR664X変異バンド3ともにマイクロソーム膜画分に得られた。この変異バンド3は、正常バンド3と同様に膜外側トリプシン感受性部位が切断を受けず、またアルカリ処理後も膜画分に検出された。また、合成RNAの注入によりXenopus oocytesにおいても変異バンド3の合成が確認された。以上の成績から第2章では、ホモ個体の赤血球系前駆細胞においてはR664X変異バンド3mRNAから変異バンド3が合成され、正しい膜配向性で小胞体膜に挿入され得ることを明らかにし、この変異バンド3は膜への挿入後に分解されると考えられた。

 第3章では、赤血球球状化発現の分子機構について検討した。赤血球膜物性をエクタサイトメトリーで解析したところ、ホモ、ヘテロ両赤血球の膜安定性は著しく低下していた。膜蛋白質の詳細な解析から、ホモ赤血球では、バンド3の完全欠損のほか、膜骨格蛋白質構成はほぼ正常であるのに対し、ヘテロ赤血球ではバンド3の部分欠損とともに膜骨格蛋白質の減少が生じていた。またRT-PCRにより、ヘテロ個体ではR664X変異mRNAがバンド3mRNA総量の約30%存在した。正常、ならびに変異バンド3合成RNAをoocytesに同時に注入すると、変異RNA量に依存してCl-輸送が低下した。また、正常、変異バンド3を同時に合成させると、両者がマイクロソーム膜上でヘテロ複合体を形成することが明らかになった。以上の成績から第3章では、R664X変異バンド3が、ヘテロ複合体形成を介して正常バンド3の発現にドミナント・ネガティブに作用し、ヘテロ赤血球でのバンド3の部分欠損を起こすことを明らかにした。

 以上の知見から、1)牛遺伝性バンド3欠損症の原因遺伝子異常がR664X変異で、合成される変異バンド3は膜への挿入後に分解されること、2)ホモ赤血球ではバンド3完全欠損の結果としてのバンド3-アンキリン-スペクトリン連結の消失が、またヘテロ赤血球では変異バンド3のドミナント・ネガティブ作用により生じるバンド3と膜骨格蛋白質の減少が、それぞれ赤血球膜安定性の低下を生じ、さらに赤血球球状化をもたらすと考えられた。

 このように本論文は、畜産学上重大な問題となっている牛遺伝性バンド3欠損症の原因遺伝子異常を同定するとともに遺伝子診断法を開発し、さらに分子病態解析をとおして赤血球球状化機序を解明したものであり、獣医学の学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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