学位論文要旨



No 115328
著者(漢字) 西田,恵津子
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,エツコ
標題(和) 糖尿病性腎症モデルとしてのストレプトゾトシン誘発糖尿病APAハムスター腎病変の解析
標題(洋) Analysis of renal lesions in streptozotocin induced diabetic APA hamsters as a model for diabetic nephropathy
報告番号 115328
報告番号 甲15328
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2173号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 河村,晴次
内容要旨

 糖尿病性腎症は糖尿病三大合併症の一つであり、1998年にはわが国で透析導入の必要な腎不全の原因の第一位を占めている。糖尿病性腎症では腎糸球体内に細胞外基質(ECM)の沈着を伴う細血管症が生じ、持続的な蛋白尿に引き続き腎機能が低下していく。この糖尿病性腎症の発症には1)高血圧などの血行動態の異常、2)持続する高血糖や高脂血症とそれに伴う代謝異常、および3)腎疾患を起こしやすい遺伝的背景などが関わっていると考えられている。しかし、その病態の詳細なメカニズムは解明されておらず、適切なモデル動物の開発が必要である。

 APA系シリアンハムスター(APAハムスター)は6ヶ月齢頃より軽度の腎糸球体硬化症を自然発症する。また、この動物はストレプトゾトシン(SZ)の単回投与により長期的に安定して持続する高血糖および高脂血症を呈するため、糖尿病合併症の動物モデルとして高く評価されている。このモデルにおける糖尿病性腎症の糸球体病変の発生機構を解明するため、本論文では病態の変化を追うと同時にその様々な増悪因子について検索した。

 第I章・第1節(I-1)では基礎データとしてAPAハムスターの自然発症腎病変を組織学的に解析した。第I章・第2節(I-2)ではSZ誘発糖尿病APAハムスターの血液、尿の臨床病態と、腎病変に関する病理組織学的検索を行った。第II章では腎糸球体病変発症機構を明らかにするため、第1節(II-1)では糸球体病変の発症に関わる因子について組織化学的・免疫組織化学的手法を用いて検索し、第2節(II-2)で病変形成に関わると思われるサイトカインや成長因子の発現の変化を分子生物学的手法(RT-PCR法)を用いて調べた。

 本実験系のうち1-1には3、6および12ヶ月齢で雄雌APAハムスターから腎臓を採材し組織学的検索に用いた。1-2以降では8週齢の雄APAハムスターに40mg/kgのSZを投与後24、48および72時間目の急性期、1および3ヶ月目の糸球体病変形成期さらに6ヶ月目の慢性期に分けて採材した。血液、尿は生化学的検索に、腎臓は組織学的検索およびRT-PCR法による各種サイトカインmRNAの発現の検索に供した。対照群には同週齢雄のAPAハムスターを用い、クエン酸緩衝液のみを投与した。

I-1)APAハムスターの自然発症病変

 APAハムスターの腎糸球体では3ヶ月齢から弱いメサンギウム領域の拡張と糸球体基底膜の拡張が見られた。この病変は加齢に伴い進行した。病変は雄で雌より早く進行し、糸球体基底膜の肥厚の度合いはメサンギウム領域の拡張よりも目立っていた。免疫組織化学的検索によりIV型コラーゲンなどの細胞外基質(ECM)の沈着が病変に一致して増えていたこと、電顕による検索でメサンギウム細胞の細胞質に発達したゴルジ装置や小胞体が見られたり、メサンギウム細胞の細胞質がECMを伴って基底膜と内皮細胞の間に割り込んでいる像(mesangial interposition)が見られた。APAハムスターの自然発症糸球体病変にはメサンギウム細胞が産生する細胞外基質とmesangial interpositionが深く関わっていることが示唆された。

I-2)糖尿病の誘発と腎機能の経時的変化および病理組織学的変化

 SZ投与後24時間目から血糖値および血中トリグリセリド値が、48時間目から血中コレステロール値が上昇し、実験期間中持続した。糖尿病誘発直後から尿量は増加し、尿中に糖が検出された。また、SZ投与後1ヶ月目から非糖尿病群に比して顕著な蛋白尿の増加が生じ、3ヶ月目には血中尿素窒素濃度が、6ヶ月目には血清クレアチニンのレベルが上昇しており、経時的な腎機能障害が示唆された。

 病理組織学的検索ではSZ投与後48時間目から、腎糸球体の肥大が観察され、72時間目には糸球体構成細胞数の増加が見られた。しかしPAS陽性物質の沈着を伴うメサンギウム領域拡張等の硬化病変は見られなかった。糸球体病変形成期(SZ投与後1および3ヶ月)には対照群と比してメサンギウム領域の顕著な拡張が観察された。3ヶ月目には糸球体内に泡沫細胞が観察された。慢性期(SZ投与後6ヶ月)になるとメサンギウム領域の著しい拡張と糸球体基底膜の顕著な肥厚が観察された。また、泡沫細胞の数の増加や細胞質の拡張がみられ、糸球体構造に異常が生じていた。

II-1)病変の形成、増悪に関わる因子-組織化学的検索・免疫組織学的検索-

 組織化学的、免疫組織学的検索の結果以下のことが明らかになった。1)PCNAの免疫染色によりSZ投与後72時間目で、糸球体内で増殖している細胞数が顕著に増えていた。また、投与後72時間目、1および3ヶ月目で糸球体内の細胞数が増えていた。2)マクロファージのマーカーであるMインテグリン(Mac-1)陽性細胞は糖尿病群で有意に多かった。Mインテグリン陽性泡沫細胞も観察された。3)性質が変化したメサンギウム細胞に発現する-smooth muscle actin(SMA)に対する免疫染色を行ったところ、糸球体内の陽性細胞数は対照群と比して糖尿病群で多かった。しかし、糸球体内のSMA陽性細胞とPCNA陽性細胞は異なる細胞であった。泡沫細胞の一部も陽性を示した。4)レクチン組織化学では、糖尿病群のポドサイトや糸球体基底膜およびメサンギウム領域で、対照群にないレクチン陽性部位が見られた。また、対照群のレクチン陽性部位に対応する部分が拡張しており、全体にレクチン染色性が向上していた。さらに糖尿病群ではボーマン嚢腔および壁、泡沫細胞内や糸球体基底膜とポドサイトの一部、尿円柱、尿細管上皮内および尿細管間質に多量にAGEが沈着していた。5)糖尿病誘発48時間目から生じる高脂血症の発症とともに糸球体メサンギウム領域や内皮下および尿細管間質への脂質の沈着が始まり、経時的にその沈着は増えていた。泡沫細胞内にも脂質の沈着が観察された。脂質の沈着部位には免疫染色によりアポリポ蛋白(apo)EおよびBが蓄積していた。脂質およびapoEとBは弓状動脈をはじめとする大小の動脈壁にも沈着していた。6)ECMの沈着は急性期では対照群との差はなかった。糸球体病変形成期および慢性期にはIV型コラーゲン、ファイブロネクチンおよびラミニンの増加が顕著に拡張したメサンギウム領域と肥厚した基底膜で観察された。さらに、糖尿病群ではメサンギウム領域および基底膜にI型およびIII型コラーゲンの顕著な蓄積が観察された。

II-2)病変形成に関わるサイトカイン・増殖因子

 RT-PCR法を用いて病変形成に関連すると考えられる各種サイトカイン・増殖因子のmRNAの発現について検索した。急性期の腎皮質ではIL-6の顕著な増加とIL-1およびmRNAの軽度な増加が観察された。糸球体病変形成期にはIL-6、PDGFBおよびTGFのmRNA発現が腎皮質においても単離糸球体においても増加していた。

 以上の結果からSZ誘発糖尿病APAハムスターの糖尿病性腎症は以下に述べるようなメカニズムで生じていることが示唆された。(1)高血糖、脂質、AGEによる糸球体構成細胞の代謝障害や、糸球体の肥大、過濾過などの血行動態の異常により、メサンギウム細胞の増殖やこの細胞の性質に変化が生じる。(2)腎構成細胞や浸潤してきたマクロファージなどにより産生されるサイトカインがメサンギウム細胞による細胞外基質などの産生を促す。(3)細胞外基質の沈着や脂質やAGEを含んだ泡沫細胞により糸球体構造が異常を来たし、高度な蛋白尿や腎機能の低下がおこる。このようにして形成された腎病変はヒトの糖尿病性腎症の瀰漫型病変と類似していた。

 APAハムスターでは糖尿病性腎症のリスクファクターの一つである高脂血症がSZの単回投与で誘発され、糸球体内に泡沫細胞が多数形成される。ヒトでは、腎生検で糸球体内に泡沫細胞が観察されると腎不全に移行する確率が高いことが報告されていることからも、ヒトとの重要な類似点だと思われる。ヒトの高脂血症治療に用いられている抗高脂血症薬がこのモデルにおいても有効であるかどうかを生化学的および病理組織学的に予備的に検索したところ、SZ誘発糖尿病APAハムスターでも有効であることが示唆された。また、腎臓内の小動脈壁に脂質の沈着が観察されたことより腎全体の血行動態にも異常が生じていることが予想された。血行動態の異常も、糸球体病変の主要な増悪因子の一つであり、糸球体高血圧の改善は腎不全への移行を阻止するために重要であるとされている。しかし、全身血圧や糸球体血圧の変化と糸球体病変の関わりについては多数の報告がなされているが、腎臓全体の血流の変化についてはあまり報告がない。腎機能の低下と強い相関を持つ尿細管間質病変との関わりも含めてさらに検索する必要があると思われる。このモデルは糖尿病性腎症の更なるメカニズムの解析や治療法の開発に役立つであろう。

審査要旨

 糖尿病性腎症は糖尿病三大合併症の一つであり、1998年にはわが国で透析導入の必要な腎不全の原因の第一位を占めている。しかし、その病態の詳細なメカニズムは解明されておらず、適切なモデル動物の開発が必要である。

 APAハムスターは6ヶ月齢頃より軽度の腎糸球体硬化症を自然発症する。また、この動物はストレプトゾトシン(SZ)の単回投与により長期にわたり持続する高血糖および高脂血症を呈するため、糖尿病合併症の動物モデルとして高く評価されている。このモデルにおける糖尿病性腎症の糸球体病変の発生機構を解明するため、本論文では病態の変化を追うと同時にその様々な増悪因子について検索した。

 第I章・第1節(I-1)では基礎データとしてAPAハムスターの自然発症腎病変を組織学的に解析した。第I章・第2節(I-2)ではSZ誘発糖尿病APAハムスターの血液、尿の臨床病態と、腎病変に関する病理組織学的検索を行った、第II章では腎糸球体病変の発症機構を明らかにするため、第1節(II-1)では糸球体病変の発症に関わる因子について組織化学的・免疫組織化学的手法を用いて検索し、第2節(II-2)で病変形成に関わると思われるサイトカインや成長因子の発現の変化をRT-PCR法を用いて調べた。

 I-1)APAハムスターの腎糸球体ではメサンギウム領域(MR)の軽度の拡張と糸球体基底膜(GBM)の肥厚が加齢に伴い進行していた。この病変にはメサンギウム細胞が産生する細胞外基質とmesangial interpositionが深く関わっていることが免疫組織化学的検索および電顕検索により示唆された。

 I-2)SZ投与後24時間目から血糖値および血中トリグリセリド値が、48時間目から血中コレステロール値が上昇し、実験期間中(SZ投与後6ヶ月)持続した。糖尿病群では経時的な腎機能障害の進行が認められた。病理組織学的には糖尿病群で腎糸球体の肥大に引き続きMRの拡張やGBMの肥厚といった、ヒトと類似の病変がみられた。また、泡沫細胞も観察された。

 II-1)組織化学的、免疫組織学的検索の結果、以下のことが明らかになった。1)糸球体内の細胞数の増加。2)この増加は糸球体内の細胞増殖とマクロファージの浸潤によるものであることが示唆された。泡沫細胞の一部はマクロファージであることが示された。3)性状の変化したメサンギウム細胞に発現する-smooth muscle actin(SMA)陽性細胞数は対照群と比して糖尿病群で多かった。また、泡沫細胞の一部もSMA陽性を示した。4)糖尿病群では全体にレクチン染色性が向上し、最終糖化産物も沈着していた。5)高脂血症の発症とともに糸球体や尿細管間質への脂質の沈着が始まり、経時的に増えていた。泡沫細胞内および大小の動脈壁にも脂質の沈着が観察された。脂質の沈着部位には免疫染色によりapoEおよびBの蓄積が観察された。6)投与後1、3および6ヶ月目にはIV型コラーゲン、ファイプロネクチンおよびラミニンの増加が病変部でみられた。さらに、糖尿病群ではI型およびIII型コラーゲンの顕著な蓄積が観察された。

 II-2)RT-PCR法を用いて病変形成に関連すると考えられる各種サイトカイン・増殖因子のmRNAの発現について検索した。急性期の腎皮質ではIL-6、IL-1およびmRNAの増加が観察された。1および3ヶ月日にはIL-6、PDGF BおよびTGFのmRNA発現が増加していた。

 以上の結果からSZ誘発糖尿病APAハムスターの糖尿病性腎症は(1)高血糖、脂質、AGEによる糸球体構成細胞の代謝障害や、糸球体の肥大、過濾過などの血行動態の異常により、メサンギウム細胞の増殖やこの細胞の性状に変化が生じる。(2)腎構成細胞や浸潤してきたマクロファージなどにより産生されるサイトカインがメサンギウム細胞による細胞外基質などの産生を促す。(3)細胞外基質の沈着および脂質やAGEを含んだ泡沫細胞により糸球体構造が異常を来たし、高度な蛋白尿や腎機能の低下がおこる、というメカニズムで生じていると考えられた。このようにして形成された胃病変はヒトの糖尿病性腎症の瀰漫型病変と非常に類似していた。

 以上、本論文はAPAハムスターにおける糖尿病性腎症の臨床病態、腎糸球体病変の特徴およびその発症メカニズムを明らかにしたものであり、APAハムスターがヒトの糖尿病性腎症の有用なモデル動物であることを示した。また、その発症メカニズムの詳細な経時的解析により、いくつかの新たな知見が得られた。これらの知見は今後の糖尿病性腎症研究に大いに貢献するものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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