学位論文要旨



No 115330
著者(漢字) 藤澤,正彦
著者(英字)
著者(カナ) フジサワ,マサヒコ
標題(和) 精巣におけるプリオン蛋白遺伝子の発現およびその機能解析
標題(洋)
報告番号 115330
報告番号 甲15330
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2175号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨

 アルツハイマー病(Alzheimer’s Disease:AD)対策は神経疾患研究分野に留まらず解決されるべき大きな社会的課題として、最重要項目に位置付けられている。一方、プリオン病における異常型プリオン蛋白は伝達性海綿状脳症(Transmissible Spongiform Encephalopathy:TSE)の原因物質として知られ、1980年代後半からの英国における狂牛病騒動に端を発して以来、早急な対策が不可欠となった。この二つの疾患は他の神経変性疾患と異なり、神経変性過程においてADではアミロイド斑、プリオン病ではクールー斑という蓄積物質を形成するという点で類似している。ADではタウ蛋白やプレセニリンなどの様々な関連因子の検索がなされている。また、動脈硬化で深い関連のあるアポリポプロテインE(Apoe)は危険因子の一つであり、そのApoeの変異型がアミロイド凝集に関わっているとされる。AD、TSEのどちらにおいてもアミロイド線維の形成が脳内においておこり、致死性アミロイドーシスの根幹を成している。不溶性のアミロイド線維を形成する一連の過程において、Apoeは重要な役割を担っているものと思われる。Apoe、プリオン蛋白はともにその正常蛋白は哺乳動物において、全身の様々な臓器に分布しており、器官特異的な機能を有しているものと思われるが、詳細な検索は主に中枢神経系である脳においてなされている。ApoeやPrPCと同様に脳において発現している遺伝子の多くは、精巣においても発現が認められることが多い。血液関門の存在やともに免疫特権部位であること、また脳におけるグリアと精巣におけるセルトリ細胞という支持細胞の存在など、脳と精巣における様々な共通項の存在は神経系と生殖器系との間に密接なつながりがあることを物語っている。Apoeは脂質代謝の側面からステロイド合成機能を有する卵巣や精巣において多く発現している。また、PrPCは酸化ストレス、アポトーシスなどとの関連も示唆されており、これらは脳においても、精巣においても非常に重要なテーマである。最近、プリオン遺伝子下流域に存在するプリオン様蛋白遺伝子が野生型マウス精巣において特異的に発現していることが明らかになり、PrPCの精巣における機能について、さらにはPrPCそのものの機能についての新たな展開が今後、期待される。以上のことを踏まえ、第1章において、マウス精巣におけるプリオン遺伝子の発現パターンを検索し、精子形成過程におけるPrP mRNAの発現を観察した。第2章、第3章では精巣におけるプリオン遺伝子とApoeとの関連を検索する目的で、Apoe欠損マウスを用いて検索を行った。第2章において同欠損マウス精巣において見られた精子形成異常の観察を行い、Apoeの精子形成過程における機能について考察した。第3章では、同欠損マウス精巣におけるPrP mRNAの発現を観察し、第1章の結果との比較を行った。

 第1章においてRT-PCRおよびノーザンブロット解析の結果より、マウス精巣では1、2、4週齢の未成熟段階から8週齢の成熟段階においてPrP mRNAの発現が確認された。ノーザンブロット解析では脳において見られなかった1.1kbのバンドが精巣において観察された。このバンドは2週齢以降より観察され、8週齢において顕著になった。また、in situハイブリダイゼーションの結果より、成熟マウス精巣において精母細胞から円型精子細胞にかけて強いシグナルが認められた。ライディッヒ細胞並びにマイオイド細胞にはシグナルは観察されなかった。2週齢及び4週齢精巣の結果から精祖細胞にも微弱ながら発現が見られた。以上、マウス精巣におけるPrP mRNAの発現は精細管内の細胞に集中して認められ、活発な増殖能を有する精祖細胞を基点とした精子形成に関与することが示唆された。この事はプリオン蛋白遺伝子が精子形成を支持する立場にあるセルトリ細胞やライディッヒ細胞ではなく、支持される側である精細胞において機能していることを意味し、同遺伝子が支持細胞であるグリアよりも、支持される側であるニューロンにおいて強い発現が見られる脳の結果と一致する。

 第2章においてマウス精巣におけるApoeの機能について検索する目的でApoe欠損マウスを入手し、精巣の組織学的観察を行った。同マウス精巣において多くの変性細胞が認められ、核濃縮や精上皮から剥離、脱落を示していた。変性細胞を含む精細管数は野生型マウス精巣との比較において8週齢で有意差が認められ、20週齢では顕著であった。また、萎縮精細管も多く認められた。多くの萎縮精細管において一般的な変性精巣所見と同様に、精細胞の核濃縮、脱落、空胞形成などが認められ、セルトリ細胞は基底膜に沿って配列、遺残していた。ライディッヒ細胞増生は認められなかった。萎縮精細管の割合は、8週齢においては有意差を認めなかったものの、20週齢において明らかに有意差が認められた。Apoe欠損マウスにおいて多くの変性細胞を含む精細管及び萎縮精細管が認められ、これらの変化が20週齢において顕著であることから、Apoeは精子形成の維持に関係していると考えられた。精巣内においてApoeは間質中のライディッヒ細胞で活発に産生され、精細管を介して精巣内全体に拡散していくことから精巣内構成細胞へコレステロール輸送を含む脂質輸送やライディッヒ細胞のステロイドレヴェル調節に関与するものと予想されるが、本実験結果は今後の精巣におけるApoeの機能解明に繋がるものと思われる。

 第3章では精巣におけるプリオン遺伝子とApoeとの関連を検索する目的で、Apoe欠損マウス精巣におけるPrP mRNAの発現を検索したが、野生型マウスとほぼ同様に精母細胞を中心とした精細胞において観察された。従来、ApoeがPrPC→PrPSC代謝系において分子シャペロンとして機能していると予想されていたが、Apoe欠損マウスを用いたPrPSC感染実験において、脳内にPrPSC凝集反応が観察されたことから、遺伝子レベルでのApoeとPrPとの相関関係はなく、またPrPC→PrPSC代謝系にも関与しないことが示された。第3章の結果は遺伝子レベルにおけるApoeとPrPとの相関関係はないという見解を裏付けるものである。しかしながら、PrPSC感染実験過程においてApoe発現レベルは上昇し、形成されたアミロイド斑にApoeが局在することから、ApoeとPrPCとの蛋白レベルでの相関関係の可能性は残されており、依然検討の余地はある。

 以上のように、本研究はアルツハイマー病及びプリオン病において病因遺伝子とされるApoeとPrPの正常型蛋白そのものの機能について神経系以外の末梢器官で検索することにより、新たな知見を得ることを目的としたものである。特に精子発生という現象は発生学、形態学、内分泌学や免疫学といった広範なテーマを含む実験系であり、細胞周期や細胞増殖といった細胞一般においても適用可能なテーマを含んでいる。今後、さらに研究を進め、多くのデータを提供できればと思っている。

審査要旨

 本論文は、プリオン病において病因遺伝子とされるPrPの正常型蛋白の機能についてマウス精巣を用いて検索することにより、新たな知見を得ることを目的とした論文である。

 第1章においてマウス精巣におけるプリオン遺伝子の発現パターンを検索し、精子形成過程におけるPrP mRNAの発現を観察した。RT-PCRおよびノーザンブロット解析の結果より、マウス精巣では1、2、4週齢の未成熟段階から8週齢の成熟段階においてPrP mRNAの発現が確認された。ノーザンブロット解析では脳において見られなかった1.1kbのバンドが精巣において観察された。このバンドは2週齢以降より観察され、8週齢において顕著になった。また、in situハイブリダイゼーションの結果より、成熟マウス精巣において精母細胞から円型精子細胞にかけて強いシグナルが認められた。ライディッヒ細胞並びにマイオイド細胞にはシグナルは観察されなかった。2週齢及び4週齢精巣の結果から精祖細胞にも微弱ながら発現が見られた。以上、マウス精巣におけるPrP mRNAの発現は精細管内の細胞に集中して認められ、活発な増殖能を有する精祖細胞を基点とした精子形成に関与することが示唆された。

 第2章、第3章ではプリオン病と同様の脳病変を呈するアルツハイマー病において原因遺伝子の1つとされるアポリポプロテインEに注目し、マウス精巣におけるPrPとApoeとの関連を検索する目的で検索を行った。第2章においてマウス精巣におけるApoeの機能について検索する目的でApoe欠損マウスを入手し、精巣の組織学的観察を行った。同マウス精巣において多くの変性細胞が認められ、核濃縮や精上皮から剥離、脱落を示していた。変性細胞を含む精細管数は野生型マウス精巣との比較において8週齢で有意差が認められ、20週齢では顕著であった。また、萎縮精細管も多く認められた。多くの萎縮精細管において一般的な変性精巣所見と同様に、精細胞の核濃縮、脱落、空胞形成などが認められ、セルトリ細胞は基底膜に沿って配列、遺残していた。ライディッヒ細胞増生は認められなかった。萎縮精細管の割合は、8週齢においては有意差を認めなかったものの、20週齢において明らかに有意差が認められた。Apoe欠損マウスにおいて多くの変性細胞を含む精細管及び萎縮精細管が認められ、これらの変化が20週齢において顕著であることから、Apoeは精子形成の維持に関係していると考えられた。精巣内においてApoeは間質中のライディッヒ細胞で活発に産生され、精細管を介して精巣内全体に拡散していくことから精巣内構成細胞へコレステロール輸送を含む脂質輸送やライディッヒ細胞のステロイドレヴェル調節に関与するものと予想されるが、本実験結果は今後の精巣におけるApoeの機能解明に繋がるものと思われる。

 第3章では精巣におけるプリオン遺伝子とApoeとの関連を検索する目的で、Apoe欠損マウス精巣におけるPrP mRNAの発現を検索したが、野生型マウスとほぼ同様に精母細胞を中心とした精細胞において観察された。従来、ApoeがPrPC→PrPSC代謝系において分子シャペロンとして機能していると予想されていたが、Apoe欠損マウスを用いたPrPSC感染実験において、脳内にPrPSC凝集反応が観察されたことから、遺伝子レベルでのApoeとPrPとの相関関係はなく、またPrPC→PrPSC代謝系にも関与しないことが示された。第3章の結果は遺伝子レベルにおけるApoeとPrPとの相関関係はないという見解を裏付けるものであった。

 終章においてApoe、PrPCと精巣という3つのキーワードの組み合わせで各々の相関関係について今後の検討課題を含めて論じていた。特にプリオン遺伝子下流に存在するプリオン様蛋白遺伝子が精巣特異的に発現しているという他団体の報告があったということだが、今後、この遺伝子がプリオン蛋白の精巣での機能の解明、さらにプリオン蛋白そのものの機能解明において中心的役割を担うものだと述べていた。

 本論文によって、従来、神経疾患において注目されてきたApoe並びにPrPという2つの遺伝子の精巣における新しい知見が得られた。本研究は今だ機能が明かとなっていないプリオン遺伝子について神経系以外の末梢器官での検索を通じて、新たな展開を見い出したものと思われる。以上の研究内容は学術的に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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