本論文は、プリオン病において病因遺伝子とされるPrPの正常型蛋白の機能についてマウス精巣を用いて検索することにより、新たな知見を得ることを目的とした論文である。 第1章においてマウス精巣におけるプリオン遺伝子の発現パターンを検索し、精子形成過程におけるPrP mRNAの発現を観察した。RT-PCRおよびノーザンブロット解析の結果より、マウス精巣では1、2、4週齢の未成熟段階から8週齢の成熟段階においてPrP mRNAの発現が確認された。ノーザンブロット解析では脳において見られなかった1.1kbのバンドが精巣において観察された。このバンドは2週齢以降より観察され、8週齢において顕著になった。また、in situハイブリダイゼーションの結果より、成熟マウス精巣において精母細胞から円型精子細胞にかけて強いシグナルが認められた。ライディッヒ細胞並びにマイオイド細胞にはシグナルは観察されなかった。2週齢及び4週齢精巣の結果から精祖細胞にも微弱ながら発現が見られた。以上、マウス精巣におけるPrP mRNAの発現は精細管内の細胞に集中して認められ、活発な増殖能を有する精祖細胞を基点とした精子形成に関与することが示唆された。 第2章、第3章ではプリオン病と同様の脳病変を呈するアルツハイマー病において原因遺伝子の1つとされるアポリポプロテインEに注目し、マウス精巣におけるPrPとApoeとの関連を検索する目的で検索を行った。第2章においてマウス精巣におけるApoeの機能について検索する目的でApoe欠損マウスを入手し、精巣の組織学的観察を行った。同マウス精巣において多くの変性細胞が認められ、核濃縮や精上皮から剥離、脱落を示していた。変性細胞を含む精細管数は野生型マウス精巣との比較において8週齢で有意差が認められ、20週齢では顕著であった。また、萎縮精細管も多く認められた。多くの萎縮精細管において一般的な変性精巣所見と同様に、精細胞の核濃縮、脱落、空胞形成などが認められ、セルトリ細胞は基底膜に沿って配列、遺残していた。ライディッヒ細胞増生は認められなかった。萎縮精細管の割合は、8週齢においては有意差を認めなかったものの、20週齢において明らかに有意差が認められた。Apoe欠損マウスにおいて多くの変性細胞を含む精細管及び萎縮精細管が認められ、これらの変化が20週齢において顕著であることから、Apoeは精子形成の維持に関係していると考えられた。精巣内においてApoeは間質中のライディッヒ細胞で活発に産生され、精細管を介して精巣内全体に拡散していくことから精巣内構成細胞へコレステロール輸送を含む脂質輸送やライディッヒ細胞のステロイドレヴェル調節に関与するものと予想されるが、本実験結果は今後の精巣におけるApoeの機能解明に繋がるものと思われる。 第3章では精巣におけるプリオン遺伝子とApoeとの関連を検索する目的で、Apoe欠損マウス精巣におけるPrP mRNAの発現を検索したが、野生型マウスとほぼ同様に精母細胞を中心とした精細胞において観察された。従来、ApoeがPrPC→PrPSC代謝系において分子シャペロンとして機能していると予想されていたが、Apoe欠損マウスを用いたPrPSC感染実験において、脳内にPrPSC凝集反応が観察されたことから、遺伝子レベルでのApoeとPrPとの相関関係はなく、またPrPC→PrPSC代謝系にも関与しないことが示された。第3章の結果は遺伝子レベルにおけるApoeとPrPとの相関関係はないという見解を裏付けるものであった。 終章においてApoe、PrPCと精巣という3つのキーワードの組み合わせで各々の相関関係について今後の検討課題を含めて論じていた。特にプリオン遺伝子下流に存在するプリオン様蛋白遺伝子が精巣特異的に発現しているという他団体の報告があったということだが、今後、この遺伝子がプリオン蛋白の精巣での機能の解明、さらにプリオン蛋白そのものの機能解明において中心的役割を担うものだと述べていた。 本論文によって、従来、神経疾患において注目されてきたApoe並びにPrPという2つの遺伝子の精巣における新しい知見が得られた。本研究は今だ機能が明かとなっていないプリオン遺伝子について神経系以外の末梢器官での検索を通じて、新たな展開を見い出したものと思われる。以上の研究内容は学術的に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |