学位論文要旨



No 115332
著者(漢字) 松尾,和俊
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,カズトシ
標題(和) インフルエンザウイルス感染における粘膜免疫の実験的研究
標題(洋) Experimental studies on mucosal immune response in influenza virus infection
報告番号 115332
報告番号 甲15332
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2177号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨

 インフルエンザウイルスはオルソミクソウイルスに属するウイルスで、急性の呼吸器感染症を引き起こす。インラルエンザは、毎年、ヒトで流行し特に乳幼児や高齢者において重症例が多い。インフルエンザウイルスはヒトの他、カモ、ニワトリなどの鳥類、鯨、アザラシなどの海獣類、および馬、豚などの家畜にも感染する。またその感染は、アジア、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア大陸と非常に広範囲に及んでいる。インフルエンザウイルスは、その核タンパク(NP)および、マトリックスタンパク(M)の抗原性に基づいて、A,BおよびC型に分類される。とくにヒトを含む哺乳動物および鳥類に広く分布しているとされるA型インフルエンザウイルスは、ヘマグルテニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)の抗原性によってH1-H15,N1-N9の亜型に分けられるが、その全ての亜型をカモなどの水禽が保持しており、本ウイルスの伝播に重要な役割を果たしている。

 我が国では、ヒトのインフルエンザウイルス疾病対策として1957年から不活化ワクチンの集団接種が試みられ、現在ではその任意接種が行われている。インフルエンザウイルスは、数年に一度の大きな抗原変異(シフト)と毎年の点抗原変異(ドリフト)を繰り返すため、流行株の予想に基づいて不活化ワクチンの種株を毎年決定しなければならない。現行の皮下接種ワクチンの効果は、ワクチン株と流行株が一致した場合、その効果は約80%と推定されているが、予想が外れた場合はその効果は著しく低下する。また、複数回免疫接種をしなければ有効な免疫応答を誘導できないため、現在日本では、数週間の期間をあけて、2回以上の接種が行わている。そこで、ワクチン株と流行ウイルス株が異なる場合にも交叉反応性があり、免疫を短期間で誘導できるワクチン手法の開発が望まれている。インフルエンザウイルスの自然感染における免疫応答は、不活化ワクチンにおけるものよりも優れており、同一亜型内の様々な株に対しても交叉防御する。自然感染は、気道粘膜局所のIgA抗体、血清中のIgG抗体、および交叉反応的な細胞障害性T細胞(CTL)を誘導するのに対し、不活化ワクチンの接種では血清中のIgG抗体応答しか検出されない。また、自然感染によって誘導される交叉防御は、血清抗体やCTLよりも、気道に誘導される交叉反応性のIgA抗体と関連することが示されている。以上のことがら、粘膜IgAを誘導する手法は現行のワクチン手法よりも有効な免疫を誘導できるものと考えられる。

 これまでのマウスでのインフルエンザ動物モデルにおいては、経鼻へのワクチン単独投与では、気道に分泌型のIgA抗体を誘導することはできなかった。田村らは、微量のコレラトキシンを含むコレラトキシンBサブユニット(CTB*)をインフルエンザワクチンのアジュバントとして用い、マウスに経鼻免疫したところ、上気道に同一型内の各種亜型のインフルエンザウイルスに交叉反応性を持っIgA抗体応答を誘導することができたことを報告しており、このワクチン方法で誘導される免疫応答は自然感染で誘導されるものとよく類似していることが示されている。

 最近になって、マウスの上気道に、一対のリンパ系細胞から成る組織が見出され、鼻関連リンパ組織(NALT)と名付けられている。この組織は、気道中にある唯一の粘膜関連リンパ組織であり、ヒトのワルダイエル輸に相当する。これまでの研究から、インフルエンザウイルス感染において、NALTにインフルエンザウイルス応答性の抗体産生細胞(AFC)が見出されるNALTは、局所免疫に重要な役割を果たしていることが示唆されている。

 以上のような背景をもとに、最終的に、交叉反応性が高くかつ免疫誘導期間の短い経鼻ワクチンを開発することを目的として研究を行った。本研究では、経鼻ワクチンによってNALT領域に誘導される特異的および非特異的免疫を、自然感染によって誘導されるものと比較することによってその特徴を明らかにし、また経鼻ワクチンのアジュバントとして用いているCTB*の役割を明らかにすることによって、今後の経粘膜ワクチン実用化のための基礎的知見を得たいと考えた。本研究の全体を通して、BALB/cマウスおよびマウス馴化インフルエンザAウイルス(A/PR/8/34,HlNl)を用いたマウスインフルエンザウイルスモデルを用いて実験を行った。本研究の第1章では、インフルエンザウイルスのマウス感染モデルを用い、ウイルス感染時と経鼻ワクチン接種時におけるNALT領域のサイトカイン発現様式の違いを検討し、第2章では、同感染モデルの気道において免疫複合体を検出することにより、直接的にin vivoでのウイルス防御において抗体が果たす役割を明らかにし、第3章では、アジュバントとしてのCTB*が非特異的免疫の誘導にも深く関わっており、ウイルス排除に大きな役割を果たしていることを示した。

第1章鼻関連リンパ組織におけるインフルエンザウイルス感染時および経鼻ワクチン接種時のサイトカインmRNAの検討

 CTB*併用不活化ワクチンの経鼻接種においては、自然感染と同様に粘膜IgA抗体応答が誘導されることが示されている。しかしながら、ウイルス感染時および経鼻ワクチン接種時のNALT領域におけるサイトカイン応答やT細胞応答はこれまでに報告されていない。そこで、本章においては、CTB*併用経鼻ワクチンおよび経鼻的にインフルエンザウイルスを感染させた場合のNALT領域におけるサイトカインmRNAをreverse transcription-polymerase chain reaction(RT-PCR)法を用いて検出し、また鼻洗浄液中に誘導されるウイルス特異的なIgGサブクラスを検討することによって、どのようなサイトカインとヘルパーT細胞(Th)によって、気道に分泌されるIgA抗体が誘導されているかを検討した。その結果、感染群では感染7日目にIL-2、IL-6およびIFN-の明らかな発現増強およびIL-4のわずかな発現が認められた。とくにIFN- mRNAはCD4+T細胞およびCD8+T細胞の双方に強く発現していた。一方、CTB*併用経鼻ワクチンを投与した群では、投与7日目にはIL-4とIL-6の明らかな発現増強およびIL-2とIFN-のわずかな発現が認められた。とくに、ワクチン投与後7日目のCD4+T細胞には、著しく強いIL-4 mRNAの発現が見られた。このように、Th2タイプのサイトカインであり、IgA抗体産生へとB細胞を誘導するIL-6の発現は、インフルエンザウイルス感染群および、CTB*併用経鼻ワクチン接種群の双方に見られた。また、感染群ではIFN- mRNAが強く発現していたが、これは感染群の鼻洗浄液中のIgG2a抗体が高いことに反映しているものと考えられた。一方、CTB*併用経鼻ワクチン接種群におけるIL-4の強い発現は鼻洗浄液中のIgG1抗体の上昇に関連しているものと考えられた。以上の結果から、インフルエンザウイルス感染およびCTB*併用経鼻ワクチン接種の両方において、Th1およびTh2の双方の免疫応答が誘導されていることが示された。また、両群の粘膜にIgA抗体が強く誘導されていたことはIL-6発現誘導の結果であるものと考えられた。

第2章インフルエンザウイルス感染時に形成される免疫複合体の検出

 粘膜表面からのウイルス侵入に対して誘導される生体側の最初の特異的な免疫的防御は粘膜面から分泌されるIgAであると思われる。ヒトや各種の動物において、さまざまな粘膜侵襲性ウイルス感染において、呼吸気道や腸管粘膜から分泌されるIgA抗体と粘膜経由で感染するウイルス排出との間には負の相関性が認められている。しかしながら、in vivoでは上気道での微量のウイルス-抗体複合体を検出するのが困難であるため、インフルエンザウイルス感染時における上気道粘膜での免疫複合体の詳細に関してはこれまで報告されていない。そこで、本章では、インフルエンザウイルス感染によって上気道に誘導される抗ウイルスIgA抗体が、ウイルス・抗体複合体を形成することによってin vivoでの中和に関わっていることを直接的に調べるため、polymerase chain reaction(PCR)を用いた実験を行った。この実験では、まず経鼻的にマウスにインフルエンザウイルスを感染させ、3日後のマウスの鼻洗浄液を回収し、IgA,IgG,IgMによって形成されたインフルエンザウイルス免疫複合体を抽出した。その後、それぞれの免疫複合体中のウイルスゲノムをPCR法によって増幅した。この手法により、免疫複合体中におけるウイルスゲノムを増幅し検出することができた。その結果、インフルエンザウイルス感染初期においては、上気道粘膜においてIgA抗体のみがコントロール群に比べて有意に高い量の免疫複合体を形成しており、IgGおよびIgMから成る免疫複合体は有意には検出されなかった。

第3章CTB*併用経鼻インフルエンザワクチンにおける、抗ウイルス非特異的免疫の誘導

 本章においてはCTB*併用不活化ワクチンおよびCTB*のみを経鼻投与したマウスの免疫応答を比較することにより、ウイルス感染に対する防御においてCTB*アジュバントが果たしている役割を検討した。マウスにCTB*併用ワクチンまたはCTB*をウイルス接種の1日から7日前に投与し、感染後3日目のマウスの鼻洗浄液中のウイルス価(PFU価)を測定した。その結果、CTB*併用ワクチン投与群では、接種3日以前に投与すると有意にウイルス増殖を抑制し、またCTB*単独投与群でも、同じく感染3日以前に投与すると有意にウイルス増殖を抑制することが観察された。CTB*併用ワクチンの投与3日目にはまだ気道中にウイルス特異的抗体産生が認められておらず、またアジュバントであるCTB*のみを投与した群でも有意なウイルス排除がみられたことから、非特異的な自然免疫(innate immunity)が誘導されていることが示唆された。このようなウイルス増殖抑制機構の一部には、CTB*によって誘導される炎症性のサイトカインが関わっている可能性が示唆されたため、あらかじめCTB*を経鼻投与したマウスのNALTを回収し、同細胞中の各種サイトカインmRNAの発現をRT-PCR法によって検討した。その結果、IL-15やIL-18といったNK細胞を活性化させるサイトカインの発現がCTB*の経鼻投与によって増強されることが示された。これらの結果は、CTB*併用経鼻ワクチンが非特異的および特異的免疫の両方を誘導し、接種後3日目には、自然感染での7日目に相当する免疫を誘導することができるものと考えられた。以上の結果から、CTB*併用経鼻ワクチンは、従来の皮下接種によるワクチン手法よりも、はるかに早く免疫誘導を行うことができる上に、免疫7日目以降には交叉反応性を持つIgA抗体が誘導できるため、優れたワクチンとなり得る可能性が示された。

 以上、第1章から第3章に示したように、インフルエンザウイルス感染における粘膜免疫の実験的研究の結果、従来行われている皮下接種ワクチンよりもアジュバント併用経鼻ワクチンの方が、優れた免疫誘導能を有していることが明らかとなった。またこの手法は、同じように粘膜から侵入するウイルス感染症における予防法の開発にとっても有用であり、応用範囲が広く、注射針を使わずにすみ、簡便で安全でもあり、将来有望な免疫手法になり得るものと考えられた。

審査要旨

 インフルエンザウイルスは、数年に一度のシフトや毎年のドリフトと呼ばれる抗原変異を繰り返しながら、急性の呼吸器感染症を引き起こし、世界的な流行をする。とくにA型インフルエンザウイルスは、ヒトの他、鳥類、海獣類、および馬、豚などの家畜にも感染する。またシフトのような大規模変異の原因になる全ての亜型はカモなどの水禽が保持していることから、抗原変異を起こしたインフルエンザウイルスが世界中に伝播されている。

 インフルエンザウイルスの自然感染における免疫応答は交差反応性を持つことが知られており、現行の皮下接種不活化ワクチンによる免疫応答に比べ優れている。この交叉防御能は、気道に誘導される交叉反応性のIgA抗体と関連することが示されている。これまでに田村らによって微量のコレラトキシンを含むそのBサブユニット(CTB*)をアジュバントとして用いたインフルエンザワクチンをマウスに経鼻免疫することによって、上気道に交叉反応性を持つIgA抗体応答を誘導できることが示されている。また最近、マウス上気道に鼻関連リンパ組織(NALT)が見いだされ、インフルエンザウイルス感染において抗体産生細胞の誘導組織になっていることが示されている。

 以上のような背景をもとに、最終的に交叉反応性が高い経鼻ワクチンを開発することを目的として研究を行った。本研究では、自然感染によって誘導される免疫反応と比較しながら、アジュバント併用経鼻ワクチンによってNALT領域に誘導される特異的および非特異的免疫応答を解析し、今後の経粘膜ワクチン実用化のための基礎的知見を得た。

 第一章ではCTB*併用経鼻ワクチン接種またはウイルスを経鼻感染させたマウスのNALT領域におけるサイトカインmRNAを検出した。その結果、感染群では感染5-7日目にTh1細胞が分泌するIL-2、IFN-およびTh2細胞が分泌するIL-6 mRNA、また経鼻ワクチン投与群ではTh2細胞が分泌するIL-4とIL-6 mRNAの明らかな発現増強が認められた。また、感染群では血清中IgG2a抗体応答が高く、ワクチン接種群では血清中のIgG1およびIgG2a抗体の上昇がみられた。すなわち,インフルエンザウイルス感染およびCTB*併用経鼻ワクチン接種群において、それぞれTh1およびTh2関与の免疫応答が優性に誘導されることが示された。また、両群の粘膜にIgA抗体が強く誘導されることは共通に認められるIL-6 mRNA発現誘導の結果であるものと考えられた。

 第二章では、マウスにウイルスを経鼻感染し、3日後のマウス鼻洗浄液中の免疫複合体を回収した。回収後、免疫複合体中のウイルスゲノムをpolymerase chain reaction(PCR)によって増幅し、in vivoでの抗体によるウイルス中和を検討した。この手法により、これまで困難であった免疫複合体中のウイルスを検出することができた。その結果、インフルエンザウイルス感染初期の上気道粘膜において、IgA抗体のみが有意に高い量の免疫複合体を形成し、IgGおよびIgMでの免疫複合体は検出されなかった。

 第三章では、CTB*経鼻投与によるマウスの免疫応答を比較し、ウイルス感染防御におけるCTB*の役割を検討した。その結果、CTB*併用ワクチン投与群およびCTB*単独投与群では、感染3日以前に投与すると有意にウイルス増殖を抑制することが観察された。CTB*独投与詳はもちろん、CTB*併用ワクチンの投与3日目は、気道中にウイルス特異抗体産生が認められる以前の時期であり、このウイルス増殖抑制は非特異的な自然免疫が誘導されたことによるものと考えられた。このウイルス増殖抑制機構に関わるNALT細胞中の炎症性の各種サイトカインmRNAの発現を検討したところ、IL-15やIL-18といったNK細胞を活性化させるサイトカイン発現がCTB*の経鼻投与3日後に増強されることが示された。

 以上、インフルエンザウイルス感染における粘膜免疫の実験的研究の結果、従来の皮下接種ワクチンよりもCTB*併用経鼻ワクチンの方が、特異・非特異両方の免疫誘導を速やかに誘導できるなど自然感染に近い、優れた免疫誘導能を有するワクチン手法であることが明らかとなっている。またこの手法は、同じように粘膜から侵入するウイルス感染症における予防法の開発にとっても有用であり、応用範囲が広く、注射針を使わないなど、簡便で安全でもあり、将来有望な免疫手法になり得るものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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