学位論文要旨



No 115335
著者(漢字) ステラ・マリス・アルバレンク
著者(英字) Stella Maris Albarenque
著者(カナ) ステラ・マリス・アルバレンク
標題(和) Wistar由来貧毛WBN/ILA-HtラットのT-2トキシン誘発皮膚炎
標題(洋) T-2 toxin-induced dermatitis in Wistar-derived hypotrichotic WBN/ILA-Ht rats
報告番号 115335
報告番号 甲15335
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2180号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 T-2トキシンはFusarium属の真菌によって産生されるマイコトキシンの一種で、穀類の汚染を介して家畜やヒトの造血系、リンパ系、消化器系等に障害を惹起するところから、家畜衛生および公衆衛生の面で重要なトキシンである。T-2トキシンは主として経口的に生体に摂取されて障害を起こすが、皮膚からの吸収による皮膚障害も知られている。T-2トキシンによる造血系、リンパ系および消化器系の組織障害の病理発生に関しては、最近著者らの研究グループによって、それらの組織の分裂活性の高い細胞のアポトーシスによる細胞死であることが世界で初めて明らかにされた。

 本研究の目的は、T-2トキシンによる皮膚障害の性状と病理発生を明かにし、表皮細胞のアポトーシスの発現機構および各種サイトカインの動態との関連について検討することである。実験にはWistar由来のWBN/ILA-Htラット(Ht Ps)を用いた。HtRsは貧毛を特徴とするラットで、貧毛形質は常染色体性優性遺伝子に支配されている。HtRsは生涯を通じて頭部、背部および四肢に乏しい産毛を有し、毛包の低形成を除けば、皮膚の組織学的性状はWistarラットと同様である。本論文は以下の3章からなっている。

1.T-2トキシンを塗布したHtRsの背部皮膚の病理組織学的変化

 5匹の7週齢、雄のHtRsの背部皮膚の4ヶ所(各1cm2)に、20%のエタノールに溶解したT-2トキシン溶液(0.5g/l)を10l塗布した。他の2ヶ所には溶媒のみを同様に塗布した。塗布後3,6,12および24時間目に、エーテル麻酔下で各動物からバイオプシーパンチを用いて皮膚材料を採取した。溶媒のみを塗布した皮膚材料は、0および24時間目に同様に採取した。これらの皮膚材料を対象に、病理組織学的・電顕的検索を行うと共に、TUNEL法を用いた表皮基底層におけるアポトーシス細胞の検出およびPCNA抗体を用いた免疫組織化学的方法による細胞増殖活性の検索を行った。

 その結果、表皮ではPCNA染色で示される基底細胞の増殖活性の抑制が3時間目から観察され、PCNA陽性細胞数はその後も減少を続けた。12時間目には、棘細胞の細胞内水腫に加え、基底細胞の好酸性変性が顕著になった。この変化は好酸性の細胞質と核濃縮ないし核崩壊を伴う細胞の萎縮で特徴づけられ、濃縮や崩壊を呈する核のほとんどが、断片化DNA、すなわちアポトーシスを検出するTUNEL法で陽性に染色された。TUNEL陽性の基底細胞の比率はその後も増加した。こうした基底細胞の核は、電顕的にもアポトーシスの特徴を示した。一方、真皮では、3時間目から肥満細胞を含む炎症細胞の浸潤が始まり、以後増強した。6時間目からは毛細血管や小血管の内皮細胞の変性が加わり、以後増強した。こうした結果は、T-2トキシンが表皮を直接障害し、基底細胞のアポトーシスを惹起することを強く示唆している。マイコトキシンによって表皮にアポトーシスが惹起されるという報告はこれが世界で最初である。

2.T-2トキシンを塗布したHtRsの背部皮膚におけるアポトーシス関連遺伝子の発現の変化

 第1章で、T-2トキシンがHtRsの背部皮膚の表皮の基底細胞にアポトーシスを惹起することが示された。そこで、本章では、第1章と同様な処置を施したHtRsの背部皮膚からRNAを抽出し、Reverse transcription-polymerase chain reaction(RT-PCR)法を用いて、アポトーシス関連遺伝子(p53,c-fos,c-ki-ras,c-jun,bcl-2)のmRNAの発現量の推移を、T-2トキシン塗布後24時間目まで検索した。

 その結果、c-fos mRNAの発現量は3時間目から顕著に増加し、6時間目に最高値に達し、その後、徐々に減少した。しかし、24時間目に至っても、対照値よりも有意に高い値を維持していた。c-fos程顕著ではないものの、c-jun mRNAの発現量も3から12時間目にかけて有意な増加を示した。一方、p53,c-ki-rasおよびbcl-2のmRNAの発現量は、全観察期間を通じて変化を示さなかった。こうした本章で明らかにされたアポトーシス関連遺伝子のmRNAの発現量の推移と、第1章で示された表皮基底細胞のアポトーシスが12時間目から顕著になるという事実から判断して、c-fos(および恐らくc-junも)のmRNAの誘導が、T-2トキシンによって惹起される導皮基底細胞のアポトーシスに深く関連しているものと考えられた。こうしたアポトーシス関連遺伝子の発現の推移は、著者らの研究グループによって、T-2トキシン投与マウスの胸腺細胞でも指摘されており、T-2トキシンによって惹起されるアポトーシスに共通した事象であると考えられる。また、C-fosやc-junは細胞傷害後のimmediate-early response genes(IEGs)として知られており、現在では、T-2トキシン以外の化学物質によるアポトーシスの場合にも、アポトーシスに先だって、あるいは同時に、これらの遺伝子のmRNAの発現量が増加するという報告が増えて来つつある。

3.TGF-1を含む数種のサイトカインのmRNAの発現量の推移

 種々の刺激を受けた皮膚では、種々のサイトカインが誘導されることが知られているが、特にTGF-1は皮膚傷害の進展と同時に修復にも関与するとされている。また、最近、TGF-1がヒトの培養表皮細胞にアポトーシスを惹起するという報告や、TNF-が表皮細胞を含む数種の細胞のアポトーシスに深く関与しているという報告が見受けられる。そこで、本章では、第1章と同様な処置を施し、24時間目まで経時的に採材したHtRsの背部皮膚を用いて、まず、TGF-1について、mRNAの発現量の推移をRT-PCR法で検索するとともに、in situ hybridization法で表皮におけるmRNAのシグナルの局在の推移を検索した。ついで、RT-PCR法を用て、TNF-,IL-1,IL-1,IL-6およびIL-10のmRNAの発現量の推移を検索した。

 その結果、TGF-1のmRNAの発現量は6から12時間目にかけて軽度に増加し、24時間目には対照値と比べて有意に高い値に達した。TGF-1のmRNAのシグナルは3時間目に表皮で観察され、以後、表皮と真皮の双方で増強した。また、TNF-のmRNAの発現量は3時間目に顕著に増加し、以後、24時間目に向けて減少したが、24時間目に至っても対照値より有意に高い値を維持していた。一方、他のサイトカインのmRNAの発現量には、全観察期間を通じて有意な変動は認められなかった。こうした本章の実験結果と、第1章で示されたアポトーシスの発現時期とを考え合わせると、T-2トキシン処置後のHtRsの背部皮膚でのTGF-1および特にTNF-のmRNAの発現の誘導は、表皮基底細胞の増殖活性の抑制とそれに続くアポトーシスの誘導に深く関与しているもの推察された。また、TGF-1は肥満細胞の誘導因子の一つとして知られており、TGF-1のmRNAの発現と推移は第1章で観察された真皮への肥満細胞の浸潤と推移に良く対応していた。

 本研究によって、T-2トキシンによる皮膚傷害の性状と病理発生が初めて明らかにされるとともに、表皮基底細胞のアポトーシスに深く関与する癌遺伝子およびサイトカインが明らかにされた。また、T-2トキシンによる表皮基底細胞のアポトーシスは、TNF-によるシグナル伝達とc-fosおよびc-jun遺伝子の発現を介して誘導されることが強く示唆され、一方でTGF-1も何らかの機序でアポトーシスの発現に関与しているものと思われた。本研究の成果は、今後のマイコトキシンによる皮膚傷害の研究および表皮細胞におけるアポトーシスの発現機構に関する研究の展開に寄与するところ大であると考えられる。

審査要旨

 T-2トキシンはFusarium属の真菌によって産生されるマイコトキシンの一種で、穀類め汚染を介して家畜やヒトの造血系,リンパ系、消化器系等に障害を惹起するところから、家畜衛生および公衆衛生の直で重要なトキシンである。T-2トキシンは主として経口的に生体に摂取されて障害を起こすが、皮膚からの吸収による皮膚障害も知られている。本研究は、T-2トキシンによる皮膚障害の性状と病理発生を明かにし、表皮細胞のアポトーシスの発現機構および各種サイトカインの動態との関連について検討する目的で、遺伝的貧毛ラット(HtRs)を用いて実施された。本論文は以下の3章から成る。

第1章:T-2トキシンを塗布したHtRsの背部皮膚の病理組織学的変化

 HtRsの背部皮膚にT-2トキシン溶液を塗布し、3,6,12および24時間目に皮膚材料を採取して病理組織学的・電顕的検索を行うと共に、TUNEL法を用いた表皮基底層におけるアポトーシス細胞の検出およびPCNA抗体を用いた免疫組織化学的方法による細胞増殖活性の検索を行った。その結果、表皮ではPCNA染色で示される基底細胞の増殖活性の抑制が3時間目から観察され、ついで12時間目には基底細胞の好酸性変性が顕著になった。好酸性変性を呈する細胞の核のほとんどがアポトーシスを検出するTUNEL法で陽性に染色され、電顕的にもアポトーシスの特徴を示した。一方、真皮では、3時間目から肥満細胞を含む炎症細胞の浸潤が始まり、以後増強した。6時間目からは毛細血管や小血管の内皮細胞の変性が加わった。こうした結果は、T-2トキシンが表皮を直接障害し、基底細胞のアポトーシスを惹起することを強く示唆している。

第2章:T-2トキシンを塗布したHtRsの背部皮膚におけるアポトーシス関連遺伝子の発現の変化

 第1章と同様な処置を施したHtRsの背部皮膚からRNAを抽出し、Reverse transcription-polymerase chain reaction(RT-PCR)法を用いて、アポトーシス関連遺伝子(p53,c-fos,c-ki-ras,c-jun,bcl-2)のmRNAの発現量の推移を、T-2トキシン塗布後24時間目まで検索した。その結果、c-fos mRNAの発現量は3時間目から顕著に増加し、6時間目に最高値に達し、その後、徐々に減少した。しかし、24時間目に至っても対照値よりも有意に高い値を維持していた。c-fos程顕著ではないものの、c-jun mRNAの発現量も3から12時間目にかけて有意な増加を示した。こうした結果から、c-fos(および恐らくc-junも)のmRNAの誘導が、T-2トキシンによって惹起される表皮基底細胞のアポトーシスに深く関連しているものと考えられた。

第3章:数種のサイトカインのmRNAの発現量の推移

 第1章と同様な処置を施し、24時間目まで経時的に採材したHtRsの背部皮膚を用いて、TGF-1,TNF-,IL-1,IL-1,IL-6およびIL-10のmRNAの発現量の推移を検索した。その結果、TGF-1のmRNAの発現量は6から12時間目にかけて軽度に増加し、24時間目には対照値と比べて有意に高い値に達した。また、TNF-のmRNAの発現量は3時間目に顕著に増加し、以後、24時間目に向けて減少したが、24時間目に至っても対照値より有意に高い値を維持していた。こうした結果から、T-2トキシン処置後のHtRsの背部皮膚でのTGF-1および特にTNF-のmRNAの発現の誘導は、表皮基底細胞の増殖活性の抑制とそれに続くアポトーシスの誘導に深く関与しているもの推察された。

 上述したように、本研究は、T-2トキシンによる皮膚傷害の性状と病理発生を初めて明らかにするとともに、表皮基底細胞のアポトーシスに深く関与する癌遺伝子およびサイトカインを明らかにし、今後のマイコトキシン性皮膚傷害の研究および表皮細胞におけるアポトーシスの発現機構に関する研究に大きな指針を与えるものと考えられ、審査委員一同、博士(獣医学)の学位を授与するに相応しいものと判断した。

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