学位論文要旨



No 115336
著者(漢字) 胡,建民
著者(英字)
著者(カナ) フ,ジャンミン
標題(和) ラット乳子の発育に対する乳汁中タウリンの意義
標題(洋) Effect of Taurine in Milk on the Growth of Sucklings in the Rat
報告番号 115336
報告番号 甲15336
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2181号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 味の素株式会社 顧問 高橋,迪雄
内容要旨

 タウリンはシステインの代謝産物で、かつては含硫アミノ酸の最終代謝産物と考えられていたが、現在では必須の栄養素として、あるいは生理活性物質として生体内で多くの重要な役割を果たしていると考えられている。多くの哺乳類では主として肝臓にcysteine-sulfinate decarboxylase(CSD)が存在し、タウリン合成の律速酵素となっているが、ネコではCSD活性が著しく低く、その生理的要求量を専ら食餌由来のタウリンで賄っている。そのため、食餌由来のタウリンが不足すると、様々な神経症状をはじめとするタウリン欠乏症に陥る。さらに、タウリンが不足している雌ネコでは生殖能力が低下し、その子の成長も抑制されることが知られている。ヒトを含む霊長類もCSD活性が比較的低いため、タウリン欠乏状態では成長の不全や網膜の機能障害が起こる。

 タウリンは哺乳類の乳汁中に含まれる遊離のアミノ酸およびその関連物質の中では最も量の多いものであり、特に泌乳初期の乳汁には多量に含まれている。この乳汁中のタウリンは、肝臓で合成されたものが血液を介して乳腺に移行し、乳汁中に分泌されるものと考えられている。少なくともネコにおいてはタウリン濃度の低い代用乳で人口哺乳を行うと成長が遅延することが知られているが、乳汁中のタウリン、特に泌乳の初期に分泌される高濃度のタウリンが、乳子の発育にどのような意義を持つかについてはまだ一致する結論は得られていない。ラットはCSD活性の高い動物であるが、やはり初乳中には高濃度のタウリンが含まれており、それがラット乳子の発育にどのような役割を果たしているか興味が持たれる。そこで、本論文においては、第一章でまず泌乳ラットの乳汁中および血清中のタウリン濃度の変化を改めて検討した上で、泌乳初期の乳汁中の高濃度のタウリンが乳子の成長にどのような影響を与えるかを、新生ラットを既に乳汁中タウリン濃度の低下した仮親に付けることにより検討した。第二章では、タウリン輸送体の拮抗剤である-アラニンを用い、その母親や乳子への投与がタウリンの動態や乳子の発育にどのように影響するかを調べるとともに、-アラニンの乳子血清中のインスリン様成長因子(IGF-I)に与える影響を評価することでその作用メカニズムを検討した。第三章においては、タウリンが乳腺自体において合成され、乳汁中に分泌されている可能性について検討するために、乳腺におけるCSD mRNAの発現と、その泌乳期間中の発現量の変化を調べた。

 第一章においては、まず泌乳ラットの乳汁中および血清中のタウリン濃度の変化を検討した。その結果、初乳中には約200mol/dlの高濃度のタウリンが含まれるが日を追って徐々に低下し、泌乳5日目以降は離乳日(21日目)まで約100mol/dlの一定のレベルを維持することが明らかとなった。一方、血清中のタウリン濃度は常に乳汁中よりも低く、泌乳期間を通して約50mol/dlの一定のレベルを維持した。このことから、乳腺においてタウリンが濃縮されるか、あるいは合成されている可能性が考えられ、この点については第三章の検討課題とした。

 次に、泌乳初期の乳汁に含まれる高濃度のタウリンがラット乳子の発育にどのような意義を持っているかを検討するために、新生子を初乳を飲む前に親から離し、泌乳5日以上が経過して、乳汁中タウリン濃度がすでに低下している仮親に付けることにより、本来摂取するはずの泌乳初期の高濃度のタウリンを摂取できないような実験群を設け、その成長を検討した。その結果、仮親に付けた乳子の成長は有意に抑制され、離乳の時点で正常ラットの約75%の体重にしか達しないことが明らかになった。この実験群では、乳子は初乳を摂取していないため、成長の遅れには受動免疫の獲得を含め様々な要因が想定される。しかし、仮親に対して最初の5日間、タウリン0.2gを連日腹腔内投与することによって乳汁中に初乳中とほぼ同程度の高濃度のタウリンを分泌させることにより、成長の遅れは完全に回復した。したがって、この実験条件下では仮親に付けた乳子の成長の遅延は、出生直後に高濃度のタウリンを含む乳汁を摂取していないことに主な原因があると考えられた。一方、仮親ではなく実際の母親に保育されている条件下では、20日間、毎日タウリン0.2gを母親ラットに腹腔内投与しても、乳子の成長は正常ラットと全く変わらなかった。つまり、タウリンの欠乏は成長を遅らせるが、過剰のタウリンには成長促進作用はないことが示された。

 第二章では、タウリン輸送体の拮抗剤である-アラニンを用いて、乳子の成長に対する乳汁中タウリンの意義をさらに検討した。母親ラットに、泌乳1日目より20日にわたって連日-アラニン0.2gを腹腔内に投与すると、乳子の成長が有意に遅延し、離乳時点での体重は正常ラットよりも約20%低下していた。乳子を第一章と同様に仮親に付け、その仮親にやはり-アラニン0.2gを連日投与すると、乳子の成長はさらに抑制された。このようなラットへの-アラニン処置により、乳汁中のタウリン濃度には変化は認められなかったが、-アラニン濃度は大きく上昇した。また、その乳汁を飲んだ乳子の血清中-アラニン濃度も大きく上昇し、さらに、意外にもタウリン濃度も有意に上昇していた。そこで、-アラニンを摂取した乳子におけるタウリンの動態について検討するために、10日令の乳子に-アラニン20mgを直接腹腔内投与することを行った。その結果、乳子血清中タウリン濃度は用量依存性に上昇した。次に、乳子にトリチウムラベルしたタウリンを投与し、1時間後の各組織における取り込みに対する-アラニンの効果を検討したところ、-アラニン処置により乳子の調べた全ての組織においてタウリンの取り込みは大きく減少し、逆に血清、および尿中のタウリンのレベルが有意に増加した。つまり、-アラニンにより組織へのタウリンの取り込みが減少して、排泄が増えていることが分かった。これらの結果より、乳汁を介して-アラニンが乳子に摂取されると、組織へのタウリンの取り込みが阻害され、タウリン欠乏の場合と同じように成長の遅延が起きることが明らかとなった。なお、離乳後の成長についても検討すると、8週令に至っても仮親に-アラニン処置をした群では体重が正常ラットよりも有意に低く、乳子期のタウリンの不足による成長の遅れは回復するのが困難であると思われた。

 タウリンの利用が阻害されると乳子の成長が抑制されることが分かったので、その原因を探るために、成長ホルモンの主要なメディエーターであるICF-Iに着目し、その血清中の濃度を測定した。その結果、-アラニンを乳汁を介して間接的に、あるいは腹腔内注射により直接投与すると、乳子の血清中IGF-I濃度が低下することが明らかとなった。このことから、タウリンの欠乏、あるいは-アラニンの投与による乳子の成長遅延の原因として、少なくともIGF-Iの低下が関与していることが考えられた。肝細胞に取り込まれたタウリンの存在が、成長ホルモンのIGF-I産生を促進しているとも解釈される結果であるが、この仮説が正しいか否かについては、今後のさらなる検討が必要である。

 第三章では、乳腺におけるタウリン合成の可能性について検討した。ラット肝臓CSD cDNAをもとに設計したPCRプライマーを用い、泌乳ラットと非妊娠ラットの肝臓と乳腺から抽出したtotal RNAについてRT-PCRを行い、さらにnorthern hybridizationによる解析を行った。その結果、肝臓と同様に乳腺においてもCSD mRNAが検出された。乳腺におけるPCR産物のシークエンシングを行ったところ、その塩基配列は肝臓のそれと99.8%一致したことから、乳腺においても肝臓と同じ分子種のCSD mRNAが発現していることが考えられた。さらに、泌乳期間中の乳腺におけるCSD mRNAの発現量の変動を検討したところ、泌乳1日目と6日目の発現量が高く、泌乳14日目および非妊娠期では発現量が低いことが確認された。分娩後1日目と6日目のラットを用いてin situ hybridization法により、乳腺におけるCSD mRNAの発現部位を検討した結果、乳腺上皮細胞にその発現が認められた。これらの結果より、血清中より乳汁中でタウリン濃度が高い理由は乳腺でもタウリンが合成されているためであると考えられ、また泌乳期間中の乳汁中タウリン濃度の変動は、主として乳腺上皮細胞におけるCSD遺伝子の発現量の変化に依存していることが示唆された。

 以上、本論文の研究により、ラットでは泌乳中は乳腺自体においてタウリンが合成され、高濃度のタウリンが泌乳初期の乳汁中に供給されることが明らかとなった。乳子はこの高濃度のタウリンを摂取することによって、IGF-Iの分泌が促進されて成長が維持されているものと考えられ、乳汁中のタウリンは乳子の正常な発育に必須の役割を果たしていることが示された。

審査要旨

 タウリンはシステインの代謝産物で、かつては含硫アミノ酸の最終代謝産物と考えられていたが、現在では必須の栄養素として、あるいは生理活性物質として生体内で多くの重要な役割を果たしていると考えられている。多くの哺乳類では主として肝臓にcysteine-sulfinate decarboxylase(CSD)が存在し、タウリン合成の律速酵素となっている。タウリンは哺乳類の乳汁中に含まれる遊離のアミノ酸およびその関連物質の中では最も量の多いものであり、特に泌乳初期の乳汁には多量に含まれている。この乳汁中のタウリンも肝臓で合成されたものが血液を介して乳腺に移行し、乳汁中に分泌されるものと考えられているが詳細は不明である。本論文は乳汁中の高濃度のタウリンがラット乳子の発育にどのような役割を果たしているかを解明するとともに、乳汁中タウリンの由来についてCSD遺伝子の発現を指標に検討したものである。

 緒論において研究の背景と意義について概説した後、第一章ではまず泌乳ラットの乳汁中および血清中のタウリン濃度の変化を改めて検討した上で、泌乳初期の乳汁中の高濃度のタウリンが乳子の成長にどのような影響を与えるかを検討している。その結果、初乳中には約200mol/dlの高濃度のタウリンが含まれるが日を追って徐々に低下し、泌乳5日目以降は離乳日(21日目)まで約100mol/dlの一定のレベルを維持することが明らかとなった。一方、血清中のタウリン濃度は泌乳期間を通して約50mol/dlの一定のレベルを維持した。次に、新生子を初乳を飲む前に親から離して泌乳5日目の仮親に付けることにより、本来摂取するはずの泌乳初期の高濃度のタウリンを摂取できないようにすると、乳子の成長が有意に抑制されることが明らかになった。さらに、最初の5日間、この仮親にタウリン0.2gを連日腹腔内投与することにより、成長の遅れは完全に回復した。このことから、仮親に付けた乳子の成長の遅延は、出生直後に高濃度のタウリンを含む乳汁を摂取していないことに主な原因があると結論している。

 第二章では、タウリン輸送体の拮抗剤である-アラニンの乳子の発育に対する影響を調べるとともに、-アラニンの乳子血清中のインスリン様成長因子(IGF-I)に与える影響を評価することでその作用メカニズムを検討している。まず、母親ラットに連日-アラニン0.2gを腹腔内に投与すると、乳子の成長が有意に遅延した。次に、乳子にトリチウムラベルしたタウリンを投与し、1時間後の各組織における取り込みに対する-アラニンの効果を検討した結果、-アラニン処置により乳子の組織におけるタウリンの取り込みは大きく減少し、逆に血清、および尿中のタウリンのレベルが有意に増加した。これらの結果より、乳汁を介して-アラニンが乳子に摂取されると、組織へのタウリンの取り込みが阻害され、タウリン欠乏の場合と同じように成長の遅延が起きることが明らかとなった。さらに、-アラニンの投与により、乳子の血清中IGF-I濃度が低下することが明らかとなり、タウリンの欠乏、あるいは-アラニンの投与による乳子の成長遅延の原因として、少なくともIGF-Iの低下が関与していることが示された。

 第三章においては、タウリンが乳腺自体において合成され、乳汁中に分泌されている可能性について検討するために、乳腺におけるCSD mRNAの発現と、その泌乳期間中の発現量の変化を調べている。ラット肝臓CSD cDNAをもとに設計したPCRプライマーを用いてRT-PCRを行った結果、肝臓と同様に乳腺においてもCSD mRNAが検出された。さらに、泌乳期間中の乳腺におけるCSD mRNAの発現量は泌乳1日目と6日目で高く、泌乳14日目および非妊娠期では低いことが確認された。続いてin situ hybridization法により乳腺におけるCSD mRNAの発現部位を検討した結果、乳腺上皮細胞にその発現が認められた。これらの結果より、血清中より乳汁中でタウリン濃度が高い理由は乳腺でもタウリンが合成されているためであると考えられ、また泌乳期間中の乳汁中タウリン濃度の変動は、主として乳腺上皮細胞におけるCSD遺伝子の発現量の変化に依存していることが示唆された。これら第一章から第三章までの結果について、総括において総合的な考察がなされている。

 以上本論文は、ラットでは泌乳中は乳腺自体においてタウリンが合成され乳汁中に供給されることにより乳子の正常な発育が維持されていることを示すとともに、タウリンによりIGF-Iの分泌が促進されることを見出してその機序の一端を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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