学位論文要旨



No 115337
著者(漢字) 元,暻鍾
著者(英字)
著者(カナ) ウォン,キョンジョン
標題(和) ヒルシュスプルング病モデル動物における消化管運動と免疫系に関する研究
標題(洋) STUDIES ON THE RELATIONSHIP BETWEEN INTESTINAL MOTILITY AND IMMUNE SYSTEM IN THE MODEL ANIMAL OF HIRSCHSPRUNG’S DISEASE
報告番号 115337
報告番号 甲15337
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2182号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 腸管に分布する神経異常に基づく閉塞性の腸疾患は、人のみならず、動物においても臨床的に重要な疾患の一つととらえられている。その中で、腸管神経節細胞の欠損を原因とし巨大結腸症および腸閉塞を呈する人のヒルシュスプルング病は、5000人に1人という高率で新生児に発生する遺伝性疾患で、小児科領域の中で最重要の疾患とされている。この様な遺伝的巨大結腸症は、猫や馬などの家畜にも日常的にみられる病態で、またラットやマウスなどの実験動物にも認められる、種を越えた遺伝性疾患としても注目されている。受容体型チロシンキナーゼをコードするRet遺伝子やエンドセリンB受容体遺伝子のノックアウト動物の作成により、偶然にも巨大結腸症が発症することが明らかとなり、これをヒントに人において遺伝子解析を行ったところ、これら遺伝子の欠損や変異がみつかり、ヒルシュスプリング病の病因の一端が明らかにされたという経緯がある。

 ヒルシュスプルング病は放置すれば死に至る重篤な疾患であり、通常は無神経節部分の腸管を切除する手術が行われる。しかし、手術後も症状が残り、生涯にわたって消化管の病態管理が必要とされている。しかしながら、消化管の機能は極めて複雑であり、ヒルシュスプルング病の病態においても多くの因子が複雑に絡んでいることが予想され、ヒルシュスプルング病をのみ対象とした対症療法が有るわけではない。ヒルシュスプルング病、あるいは閉塞性腸疾患全般の消化管病態の管理を適切に行うには、これらの疾患における正確な病態生理の把握が必須のものと考えられる。

 本研究では、ヒルシュスプリング病のモデル動物とされるエンドセリンB受容体欠損ラット(ETB(-/-)ラットと略す)を用い、その腸管の運動性変化に着目して研究を行った。特に、「腸管運動と免疫系の連関」という新しい観点、すなわち、これまで消化管生理の分野からもまた免疫学の分野からも取り上げられてこなかったテーマに着目し研究を行った。

実験方法

 12-15日齢のETB(-/-)ラットおよび同腹正常ラットラットETB(+/+)を対象として、ETB(-/-)ラットでは膨大部と狭窄部、正常動物はその対応部の腸管を摘出し、収縮張力をマグヌス法によって等尺性に測定した。組織学的検索においては、平滑筋細胞の染色にはToluidin Blueを、神経叢の染色にはPGP9.5を用いた。また腸管筋層でのマクロファージの染色にはMHCクラスII抗原ならびにFITCデキストランビーズ法を用いた。腸管内のフローラの検索には腸管摘出時に腸管内容物を採取し、含まれる細菌を常法によって分離・同定し細菌数を定量した。

実験成績および考察1.ETB(-/-)ラットの生物学的性状

 ETB(-/-)ラット外貌は、頭部に局限したまだら模様の薄い黒被毛または全身の白被毛を呈していた。同腹正常仔と比べ発育の遅延が認められた。ETB(-/-)ラットの出生率は総出生仔393匹中107匹(27.2%)であった。ETB(-/-)ラットの最短生存日数は3日で、最長生存日数は34日であり、平均生存日数は18.1日であった。

 ETB(-/-)ラットを開腹し剖検すると大部分の例で、直腸から回腸下部に及ぶ腸管に狭窄が認められ、これより上部の腸管に糞の貯溜がみられ、著しく巨大化していた。人のヒルシュプリング病では主に結腸下部で狭窄が生じて巨大結腸を呈するので、ETB(-/-)ラットにおける症状はこれよりもはるかに重篤であることが示された。

2.ETB(-/-)ラット腸管の形態的および機能的な検討1)組織学的検討

 正常ラットの筋層間(内輪走筋と外縦走筋の間)には、いずれの部位の腸管に於いても整った網目構造の神経叢が見られたが、ETB(-/-)ラットの狭窄部位での神経叢は欠損し、外来性の神経繊維の走行のみが見られた。また、平滑筋層の組織像では、ETB(-/-)ラットが対照と比べ狭窄部および膨大部の縦走筋層と輪層筋層で平滑筋層の細胞数が増加し、両筋層の厚さが増加していることが観察された。一歩,25日齢のETB(-/-)ラットの回腸の膨大部で粘膜と絨毛の消失が見られた。

2)機能学的検討

 ETB(-/-)ラット回腸輪走筋においては、ETB受容体特異的アゴニストであるサラホトキシンS6Cでは全く収縮が見られなかった。一方、ETB受容体阻害剤であるRES701-1存在下でエンドセリン1(ET-1)は濃度依存的な収縮を発生した。一方、正常ラットにおいては、サラフォトキシンS6CならびにET-1によって濃度依存的な収縮性を示した。従って、ETB(-/-)ラットにおいてETB受用体は確かに存在せず、エンドセリンA(ETA)受容体のみが機能していることが確認された。

 一方、いずれの消化管に於いても自動性収縮が観察されたが、ETB(-/-)ラットの神経叢欠損部位(狭窄部位)およびそれより上部の巨大化した腸管部位の自動性収縮は対照と比べ有意に低下していた。

 次に、高濃度KCl、カルバコール、ET-1などのアゴニストによる収縮性(単位組織重量あたりの絶対張力)を比較した。これらの収縮薬による収縮は、ETB(-/-)ラットの狭窄部位において、対照と比べ有意に増加していた。一方、その膨大部においては両者において有意な差はなかったが、ET-1収縮の一部の濃度に於いてのみ、対照と比べ有意に増加する点が観察された。

3.腸内フローラと免疫系

 人のヒルシュプルング病では糞の貯溜によって著しく巨大化した部分で炎症を起こし、これが全身症状に発展して死に至ることが多いとされる。他方、腸内フローラは腸管の生理的機能を維持するために重要な因子で、腸内フローラの異常は消化管粘膜に炎症を惹起しうることも知られている。そこで本研究では、腸内フローラの性状についての検討を行った。

 対照ラットの小腸は乳酸桿菌lactobacilliを主体としていたが、ETB(-/-)ラットの膨大部では、総菌数ならびに嫌気性菌数が正常の盲腸レベルにまで増加しており、腸内フローラの正常なコントロールが行われていないことが示唆された。

 一方、消化管は常に外部の様々な異物や抗原と接触するため、免疫機構が高度に発達している臓器であり、種々の免疫細胞が多数分布している。本研究では、ETB(-/-)ラットにおいて腸内フローラが著しく乱れていたことから、消化管の免疫系について検討した。本研究では消化管平滑筋の運動性との関係を調べることを目的に、特に、筋層間(アウエルバッハの神経叢)に分布する常在型マクロファージの変化について検索した。その結果、ETB(-/-)ラットの筋層間に分布する常在型マクロファージの数は、対照ラットと比べ著しい増加していることが観察された。一方、マクロファージを活性化の指標となるサイトカイン、インターロイキン1を組織抗体法で検討したところ、対照ラットの腸管ではインターロイキン1の発現はみられなかったが、ETB(-/-)ラットにおいてはその発現が増加していることが示唆された。

まとめ

 本研究により、ETB(-/-)ラットの腸管では、神経層の欠損が回腸下部にまで及ぶ重篤な病態を示し、狭窄部位における腸管収縮が対照と比べて増大していることが明らかにされた。形態学的にもETB(-/-)ラットの腸管では筋層の肥厚がみられた。これまで、ヒルシュスプルング病における消化管狭窄の原因としては、神経節細胞の欠損による蠕動運動の消失が原因と考えられてきたが、上記のような平滑筋の機能的そして器質的な「肥大」という2つの要素が、消化管の閉塞をさらに助長している可能性が示された。

 一方、ETB(-/-)ラットの自動性運動は対照に比べ減弱していた。そして、ETB(-/-)ラットの小腸内フローラは通常では大腸にしか見られないパターンに変化していた。これと呼応して、腸内常在型のマクロファージの数は有意に増加し、またマクロファージの免疫活性も上昇していた。筋層間の常在型マクロファージは腸管自動能を担うカハールの介在細胞と空間的に近接している事を考慮すると、マクロファージの活性化がサイトカインなどの働きを介してETB(-/-)ラットの自動性運動を抑制している可能性が考えられる。

 以上の成績は、人のヒルシュスプリング病の理解ならびに病態管理において重要な知見となるものと考えされる。

審査要旨

 腸管に分布する神経異常に基づく閉塞性の腸疾患は、人のみならず、動物においても臨床的に重要な疾患の一つととらえられている。その中で、腸管神経節細胞の欠損を原因とし巨大結腸症および腸閉塞を呈する人のヒルシュスプルング病は、5000人に1人という高率で新生児に発生する遺伝性疾患で、小児科領域の中で最重要の疾患とされている。この様な遺伝的巨大結腸症は、猫や馬などの家畜にも日常的にみられる病態で、またラットやマウスなどの実験動物にも認められる、種を越えた遺伝性疾患としても注目されている。

 ヒルシュスプルング病は放置すれば死に至る重篤な疾患であり、通常は無神経節部分の腸管を切除する手術が行われる。しかし、手術後も症状が残り、生涯にわたって消化管の病態管理が必要とされている。したがって、ヒルシュスプルング病、あるいは閉塞性腸疾患全般の消化管病態の管理を適切に行うには、これらの疾患における正確な病態生理の把握が必須のものと考えられる。

 本研究では、ヒルシュスプリング病のモデル動物とされるエンドセリンB受容体欠損ラット(ETB(-/-)ラットと略す)を用い、その腸管の運動性変化に着目して研究を行った。特に、「腸管運動と免疫系の連関」という新しい観点からの研究も行った。

第1章ETB(-/-)ラットの生物学的性状

 ETB(-/-)ラット外貌は、頭部に局限したまだら模様の薄い黒被毛または全身の白被毛を呈していた。同腹正常仔と比べ発育の遅延が認められた。ETB(-/-)ラットの平均生存日数は18.1日であった。ETB(-/-)ラットを開腹し剖検すると大部分の例で、直腸から回腸下部に及ぶ腸管に狭窄が認められ、これより上部の腸管に糞の貯溜がみられ、著しく巨大化していた。

第2章ETB(-/-)ラット腸管の形態的および機能的な検討

 ETB(-/-)ラットの狭窄部位での神経叢は欠損し、外来性の神経繊維の走行のみが見られた。また、平滑筋層の組織像では、ETB(-/-)ラットが対照と比べ狭窄部および膨大部の縦走筋層と輪層筋層で平滑筋層の細胞数が増加し、両筋層の厚さが増加していることが観察された。一方、25日齢のETB(-/-)ラットの回腸の膨大部で粘膜と絨毛の消失が見られた。

 ETB(-/-)ラット回腸輸走筋においては、ETB受容体特異的アゴニストであるサラホトキシンS6Cでは全く収縮が見られなかったが、ETB受容体阻害剤であるRES701-1存在下でエンドセリン1(ET-1)は濃度依存的な収縮を発生した。従って、ETB(-/-)ラットにおいてETB受容体は確かに存在せず、エンドセリンA(ETA)受容体のみが機能していることが確認された。

 一方、いずれの消化管に於いても自動性収縮が観察されたが、ETB(-/-)ラットの神経叢欠損部位(狭窄部位)およびそれより上部の巨大化した腸管部位の自動性収縮は対照と比べ有意に低下していた。さらに、高濃度KCl、カルバコール、ET-1などのアゴニストによる収縮性は、ETB(-/-)ラットの狭窄部位において対照と比べ有意に増加していた。

第3章腸内フローラと免疫系

 対照ラットの小腸は乳酸桿菌lactobaciliを主体としていたが、ETB(-/-)ラットの膨大部では、総菌数ならびに嫌気性菌数が正常の盲腸レベルにまで増加しており、腸内フローラの正常なコントロールが行われていないことが示唆された。一方、筋層間(アウエルバッハの神経叢)に分布する常在型マクロファージの変化について検索したところ、ETB(-/-)ラットの筋層間に分布する常在型マクロファージの数は、対照ラットと比べ著しく増加していることが観察された。さらに、マクロファージを活性化の指標となるサイトカイン、インターロイキン1を組織抗体法で検討したところ、対照ラットの腸管ではインターロイキン1の発現はみられなかったが、ETB(-/-)ラットにおいてはその発現が増加していることが示唆された。

 以上の成績を要約すると、本研究は、ヒルシュスプルング病モデル動物であるETB(-/-)ラットの腸管の病態生理学的特徴を詳細に検討し明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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