骨肉腫は間葉系の造骨系細胞由来の腫瘍であると考えられており、非常に発育が速く、かつ早期に肺へ転移するなど、その悪性度は極めて高い腫瘍の一つである。近年腫瘍の早期診断と治療法の進歩によって、悪性腫瘍が限局している場合の治癒率は高まったが、転移が生じ全身的な疾患になった場合には、ほとんど治癒が期待できないのが現状である。このため、転移を減少させ得る治療法や、従来の治療方法と併用することによってさらに効果的に腫瘍原発巣および転移巣を治療できる治療方法の確立が切望されている。 分化誘導療法とは、より未分化な腫瘍細胞に対し生理活性物質を用いて分化を亢進させ、腫瘍の悪性度の低下、すなわち増殖、浸潤、転移に関連した腫瘍原性の低下をはかり、化学療法の感受性を高める治療方法である。この治療法は他の癌治療方法に比較して副作用が少なく、新しい治療方法として期待されている。 レチノイド(ビタミンA)は成長や視覚の維持、形態形成、上皮組織や血球、免疫細胞の分化など種々の生理作用を有する。レチノイドを用いた分化誘導療法はすでに一部の白血病に応用され、とくに化学療法との併用によって寛解率および生存率の著しい改善が認められており、他の難治性固形腫瘍に対する適応が期待されている。また、ヒトではその他に皮膚癌、頭頸部癌、肺癌、膀胱癌、乳癌でその抗腫瘍効果が報告されている。さらに実験室レベルでは様々な癌に対してin vitro,in vivoでの分化誘導効果が報告されている。しかし、これらの試みは獣医学分野ではほとんど報告がない。 本研究では、転移が高率に生じ、きわめて予後の悪い犬の骨肉腫細胞を用い、2種類のレチノイドによる分化誘導効果ならびに増殖抑制効果を検討した。さらにこれらの作用の機序を検討するため、レチノイドレセプターならびに腫瘍細胞のアポトーシスの発現を測定し、両者の関連を検討した。また、腫瘍細胞を移植したヌードマウスモデルを用い、レチノイドのin vivoにおける腫瘍増殖抑制効果ならびに転移抑制作用を検討し、臨床応用の可能性を評価した。 第1章では本研究全体に対する現在までの研究成果を序論として述べた。 第2章では、実験に必要な犬骨肉腫細胞株を臨床例から2株樹立した。 1例は10歳、雌のマルチーズ種の下顎に発生した骨肉腫であり、剖検時に原発巣から摘出し、これを直接培養して樹立した(OOS)。他の1例は7歳、雑種成犬の肩甲骨に発生したものであり、摘出材料を一旦ヌードマウスに移植し、形成された腫瘤を培養して樹立したものである(HOS)。OOS、HOSの組織型は、それぞれ混合型、線維芽細胞型であった。樹立した細胞の倍加時間はOOSが45時間、HOSが42時間であった。透過型電子顕微鏡所見では、HOSでは多数の拡張した粗面小胞体が認められ、OOSに比較して活発な増殖を示唆する所見が得られた。一方、これらの細胞のアルカリフォスファターゼ(ALP)活性は,OOSとHOSはいずれも低値であった。さらに、これらをヌードマウスに移植して形成される腫瘍の組織学的所見は、原発巣の所見とよく一致した。今回樹立した細胞株は原発巣の性状を比較的保持していることが認められ、本研究に有用な細胞と考えられた。 第3章では、すでに本研究室で樹立した骨肉腫細胞株であるPOSを加えた3種の犬骨肉腫細胞株に対する2つのレチノイド、all-trans-retinoic acid(ATRA),9-cis-retinoic acid(9-cis-RA)の増殖抑制ならびに分化誘導効果について検討した。なお、分化誘導効果については、形態学的変化に加えて骨芽細胞の表現形質の特異的なマーカーに関しても検討した。 2つのレチノイドにより各細胞の増殖は用量依存的に有意に抑制された。またレチノイド処置により、各細胞は培養時の形態が偏平化ならびに伸展し、細胞間の重なりの程度も減少したことから、形態的にも分化誘導作用が認められた。さらにレチノイドはすべての細胞のDNA合成も用量依存性に減少させ、すべての細胞のcolony forming activityを抑制した。3種の細胞中ではPOSがレチノイドに対し最も高い感受性を示した。 一方、骨芽細胞の表現形質についてみると、レチノイドはOOS,HOSの細胞内ALP活性値や染色性を増加させたが、POSに対してはこれらを減少させた。これらの結果は、OOS,HOSは未成熟な骨芽細胞の性質を有し、POSは成熟した骨芽細胞の性質を持っていることが示唆するものとも考えられた。一方、レチノイドはすべての細胞のosteocalcin産生量を用量依存的に減少させた。またHOS,POSのI型collagenの産生量はレチノイド処置によって用量依存性に増加し、OOSでは減少した。これらの結果は、レチノイドによる細胞の表現形質に対する作用が各細胞の分化程度だけでなく、他の機序を介して発現する可能性を示唆するものと思われ、今後の検討課題と思われた。 第4章では、犬骨肉腫細胞株におけるレチノイド受容体であるreinoic acid receptors(RARs)とretinoid X receptors(RXRs)の存在を検討し、あわせて、これらの細胞に対するレチノイドのアポトーシス誘導効果を検討した。 その結果、レチノイドの培養液への添加により、全ての細胞株で形態的な変化である核の濃縮、クロマチンの凝集がみられ、また、細胞の大きさの縮小した細胞が増加した。さらにアポトーシスの指標であるDNA断片化を観察したところ、レチノイドの10-5M濃度での培養により、すべての細胞でDNA断片化が確認された。一方、これら3種の犬骨肉腫細胞にはRARsとRXRsの両者が検出された。9-cis-RAはRARsとRXRsの両者に結合し,ATRAはRARsのみに結合した。これらの結果から、犬骨肉腫細胞にはRARsとRXRsの両者が存在し、これらにレチノイドが特異的に結合することによってアポトーシスを誘導する可能性が示唆された。 第5章では、骨肉腫細胞を移植されたヌードマウスに形成される腫瘤に対するレチノイドの腫瘍増殖抑制効果ならびに転移抑制効果についてin vivoで検討した。 すべての群のヌードマウスには、レチノイド投与に伴う副作用は臨床的にも剖検時の肉眼所見においても見られなかった。細胞移植によって腫瘤が形成された後から9-cis-RA投与を開始した群では、腫瘍の増殖が抑制される傾向を示した。またレチノイドを投与しないcontrol群ではすべてのヌードマウスに肺転移が認められたが、30mg/kg/dayの9-cis-RAを投与した群では有意に肺転移が抑制された。しかし、ATRAには有意な腫瘍増殖抑制効果はみられなかった。 以上の結果から、9-cis-RAはヌードマウスに副作用を示すことなく、犬の骨肉腫細胞移植腫瘍に対し増殖抑制や肺転移抑制作用を示すことが示唆された。これらの結果はこれらの生理活性物質が犬の自然発生骨肉腫症例にも効果を示す可能性のあることを示唆するものであった。 以上の研究から、犬骨肉腫細胞はRARsとRXRsの両者を有し、レチノイドと特異的に結合することによって分化誘導され、増殖が抑制されることが示された。また、この作用はアポトーシスを介して発揮されることが示唆された。用いた2種のレチノイドのうち9-cis-RAはヌードマウスに副作用を示すことなく、犬の骨肉腫細胞移植腫瘍に対し増殖抑制や肺転移抑制作用を示すことが示唆された。これらの結果はこれらの生理活性物質が犬の自然発生骨肉腫症例にも効果を示す可能性のあることを示唆するものであり、臨床応用の可能性を示唆するものであった。 |