学位論文要旨



No 115341
著者(漢字) 芒,来
著者(英字)
著者(カナ) マン,ライ
標題(和) ウマ喉嚢の形態学的研究
標題(洋)
報告番号 115341
報告番号 甲15341
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2186号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 森,裕司
 JRA総合研究所 室長 和田,隆一
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨

 喉嚢は咽頭腔後方の咽頭陥凹に接した広い粘膜嚢で、奇蹄類に限って見られ、耳管の一部が拡張したものである。家畜ではウマのみが喉嚢をもち、ウマはしばしば喉嚢炎や喉嚢鼓脹症等に罹患する。特に、真菌感染による喉嚢炎(喉嚢真菌症)は、進行すると粘膜下の大動脈が侵され、ときに致死性の大量出血を引き起こすことがあり、慎重な対応を要する病気である。

 近年、ウマ医療現場では様々な疾患の検査、診断および治療に内視鏡が利用されるようになっている。喉嚢についても、内視鏡検査は日常的に行われており、喉嚢の疾病の早期発見、早期治療に役立っている。また、内視鏡検査の結果をふまえて外科的に喉嚢切開術が施されることもある。

 ところで、内視鏡検査あるいは外科手術を行う場合、検査対象となる器官の解剖学的および組織学的構造の理解が不可欠である。さらに、対象器官の解剖学的構造を理解する上で生理学的裏付けが重要である。しかし、喉嚢については、既存の獣医解剖学あるいは獣医組織学における記載は不十分であり、獣医師は喉嚢の検査に際して、解剖学的位置の特定ができないなどの不便を感じている。また、喉嚢の生理機能については依然として不明な点が多い。

 そこで、本研究ではウマ喉嚢の解剖および組織学的詳細を明らかにすることを主な目的とした。また、喉嚢の生理機能的側面を知るため、洗浄液中に含まれる微生物の分布状況ならびに細胞診断学的および生化学的成分解析を行うと共に、粘膜における免疫グロブリン・アイソタイブの分布を調べた。

 第一章では、喉嚢の生理機能的側面を知るため、主に健康なウマから喉嚢洗浄液を採取し、その性状を調べた。同一厩舎の個別馬房に飼養され、臨床および血液検査で異常を認めず、内視鏡観察でも喉嚢内に異常が認められなかったサラブレッド種の成馬14頭から採取した洗浄液について、微生物の分布状況、細胞診断学的および生化学的成分解析を行うことにより、喉嚢の生理機能について検討した。その結果、喉嚢洗浄液中から分離された真菌にはE.nidulansおよびA.fumigatusは含まれておらず,Eurotium sp.とPenicillium sp.の2種類のみが認められた。また、喉嚢洗浄液中から分離された細菌はStaphylococcus xylosusを最優勢菌として8菌種であった。一方、喉嚢洗浄液中の有核細胞数は平均0.89±0.36×104 cells/mlであり、気管洗浄液中のそれと比較し、約2倍であった。喉嚢洗浄液の細胞診断学的所見としては比較的多くの細胞が観察された。細胞の種類を分類したところ、粘膜から剥離した円柱線毛上皮細胞(82.4%)が圧倒的優性を占めており、他の細胞として認められた好中球(8.1%)、リンパ球(8.3%)およびマクロファージ(1.2%)は少数であった。生化学的分析では総タンパク質量および総リン量は極めて少なかった。さらに、真菌および細菌の数は気道系の他の部位よりも比較的少なかった。以上の成績より、健康なウマの喉嚢洗浄液中における真菌、細菌および細胞の数ならびにタンパク質およびリンの含有量の生理的範囲が明らかとなった。健康なウマの喉嚢には喉嚢炎の原因となる真菌および細菌はほとんど常在しておらず、真菌や細菌あるいはその他の異物も長く留まらないことが示唆された。また、喉嚢のクリアランス機能には、粘液を分泌する円柱線毛上皮細胞が深く関与していることが推測された。

 第二章では、ウマ喉嚢の肉眼解剖学的特徴を詳細に調べるため、人道的に安楽死処置された実験馬9頭を用いて、肉眼的観察に加え、喉嚢のシリコーン鋳型模型を作製し、既知の主要な隣接動脈、神経、骨および筋肉の走行を立体的に観察することで、喉嚢とこれらの器官との位置関係を検討した。また、シリコーン鋳型模型の重量を計測した後、計測値とシリコーンの比重から喉嚢容積を算出した。以上の結果、喉嚢は咽喉頭背側に位置し、後頭骨、底蝶形骨、前蝶形骨、側頭骨、翼状骨、鋤骨、口蓋骨、下顎骨および茎状舌骨の9骨に囲まれ、口蓋帆挙筋、口蓋帆張筋、内側翼突筋、外側翼突筋、腹頭直筋、頭長筋、顎二腹筋後頭下顎部、後頭舌骨筋、茎突舌骨筋および茎突舌筋の12筋と直接接触していた。さらに、その中位後方に位置する茎状舌骨によって内側陥凹と外側陥凹に区分された。一方、喉嚢鋳型模型の観察から、隣接する主な動脈として総頚動脈、内頚動脈、後頭動脈、外頚動脈、舌顔面動脈、顎動脈、後耳介動脈、また、主な神経としては舌咽神経、その舌枝および咽頭枝、舌下神経および副神経が見られた。同時に径約3mmの小円状陥凹構造が喉嚢尾側腹壁粘膜に多数観察され、これは位置的に喉嚢粘膜に存在するリンパ小節と一致していた。喉嚢容積は、各馬とも左右でほぼ同一であり、成馬では472±12.38(SD)cm3で、子馬145±9.37(SD)cm3の約3倍であった。

 第三章では、ウマ喉嚢の組織構造の特徴を明らかにし、その異物クリアランス能を形態学的に評価するため、計8頭のサラブレッド種を用いて、8カ所の喉嚢粘膜および咽頭鼻部粘膜1カ所の計9カ所から採材し、光学顕微鏡および電子顕微鏡を用いて組織学的に観察した後、上皮細胞に占める杯細胞の割合、粘膜上皮細胞の線毛の長さ、上皮細胞層の厚さおよび粘膜固有層の高さを計測し、統計学的に解析した。その結果、組織学的には、成馬と子馬の喉嚢粘膜上皮細胞および杯細胞の形態はほとんど同様で、刷子状の線毛を有す喉嚢粘膜上皮は、多列円柱上皮を構成していた。一方、形態計測学的な観察では、杯細胞の割合(P<0.001)および粘膜固有層の厚さ(P<0.05)に、それぞれ喉嚢粘膜上皮の領域間による有意差が認められた。一方、線毛の長さおよび上皮細胞層の厚さには、領域間に統計学的な有意差は認められなかった。以上の組織学的特徴から、喉嚢粘膜は器官特性として異物クリアランス能を有しているものの、その能力には領域別に差があるものと推察された。

 第四章では、ウマ喉嚢の生理機能を解明する糸口を得るため、臨床的に健康なサラブレッド種の雌馬2頭の喉嚢を用いて、その粘膜における各種免疫グロブリン・アイソタイプの分布を調べた。その結果、IgGab、IgGaおよびIgMは喉嚢粘膜固有層のリンパ組織および粘膜下のリンパ小節に認められた。IgGcはリンパ組織中に限って検出された。これらの免疫グロブリン・アイソタイプはいずれもリンパ球や形質細胞など遊走細胞内に認められた。一方、IgAは前記の遊走細胞以外にも腺上皮細胞や粘膜上皮表層に検出されたことから、腺上皮を介して分泌される分泌型IgAの存在が示唆された。以上のことから、喉嚢は感染防御機能を備えた器官であることが考えられた。

 以上のように、本研究ではウマの喉嚢について、解剖学的および組織学的構造を詳細に記述すると共に、その生理機能的側面についても考察した。即ち、解剖学的構造については、喉嚢の実質としての空間のシリコーン鋳型模型を作製することにより、鋳型表面と相接する喉嚢粘膜の全体を立体的に把握することができた。特に、喉嚢の主要な動脈および神経の走行を、鋳型模型を用いて立体的に示したのは初めての試みであった。組織学的には喉嚢粘膜の上皮細胞は杯細胞を混じえた線毛上皮細胞からなり、粘膜下組織にはしばしばリンパ小節が存在することが明らかとなり、また免疫組織化学的に、粘膜には各種免疫グロブリン・アイソタイプが存在することが証明されたことから、喉嚢は異物クリアランス機能を有し、感染防御機能を備えた器官であることが示唆された。

 おわりに、解剖学では、臨床医学の発達に伴って、より詳細な記載が必要になることがある。本研究は、近年著しく発達しているウマ医療の現場において、しばしば検査あるいは治療の対象となる喉嚢の局所解剖学的研究である。ここに得られた研究成績は、ウマの喉嚢の内視鏡検査や外科手術などに有用な情報を提供すると共に、喉嚢の生理機能に関する理解を深めることに役立つものであると自負している。

審査要旨

 本論文は、ウマ喉嚢の解剖学的および組織学的構造を明らかにすることを主な目的としたものである。また、喉嚢の生理機能的側面を知るため、喉嚢洗浄液中に含まれる微生物の分布状況ならびに細胞診断学的および生化学的成分解析を行うとともに、粘膜における免疫グロブリン・アイソタイプの分布を解明した。

 まず第一章にて、喉嚢の生埋機能的側面を知るため、健康なウマから喉嚢洗浄液を採取し、細菌および真菌の検索ならびに細胞診断学的および生化学的解析を行った。その結果、喉嚢洗浄液から分離された細菌はStaphylococcus xylosusを最優勢菌として8菌種であり、真菌としてはEurotium sp.とPenicillium sp.の2種類であった。細胞診断学的には粘膜から剥離した円柱線毛上皮細胞(82.4%)が圧倒的優性を占めており、他の細胞、好中球(8.1%)、リンパ球(8.3%)およびマクロファージ(1.2%)は少数であった。生化学的分析では総タンパク質量および総リン量は極めて少なかった。このように、健康なウマの喉嚢には病原性のある細菌や真菌はほとんど存在しておらず、洗浄液の細胞診断学的所見としては線毛円柱細胞が圧倒的に多数を占めることが明らかとなった。

 第二章では、ウマの喉嚢を肉眼解剖学的に詳細に調べた。特に,喉嚢のシリコーン鋳型模型を作製し、主要な隣接動脈と神経の走行ならびに喉嚢を取り巻くすべての骨および筋肉の位置を立体的に把握することを意図した。その結果、喉嚢は正中膜で区別された左右一対の盲嚢で、各嚢は中位後方に内含する茎状舌骨によって大きく内側陥凹と外側陥凹に区分されていた。周囲を取り巻く硬組織としては後頭骨、底蝶形骨、前蝶形骨、側頭骨、翼状骨、鋤骨、口蓋骨、下顎骨および茎状舌骨の9の骨があり、軟部組織としては口蓋帆挙筋、口蓋帆張筋、内側翼突筋、外側翼突筋、腹頭直筋、頭長節、顎二腹筋後頭下顎部、後頭舌骨筋、茎突舌骨筋および茎突舌筋の10の筋が喉嚢に接していた。また、喉嚢粘膜直下の主な動脈および神経として、総頚動脈、内頚動脈、後頭動脈、外頚動脈、舌顔面動脈、顎動脈、浅側頭動脈、下歯槽動脈、後耳介動脈の9の動脈および舌咽神経、舌下神経、副神経の走行をシリコーン鋳型模型上で3次元的に示した。

 第三章では、ウマ喉嚢の組織構造の特徴を明らかにするため、光学顕微鏡および電子顕微鏡を用いて、上皮細胞に占める杯細胞の割合、粘膜上皮細胞の綿毛の長さ、上皮細胞層の厚さおよび粘膜固有層の高さを計測し、統計学的に解析した。その結果、組織学的には、成馬と子馬の喉嚢粘膜上皮細胞および杯細胞の形態はほとんど同様で、刷子状の線毛を有する喉嚢粘膜上皮は、多列上皮を構成していた。形態計測学的には、杯細胞の割合(P<0.001)および粘膜固有層の高さ(P<0.05)に、それぞれ喉嚢粘膜上皮の領域間による有意差が認められたが、線毛の長さおよび上皮細胞層の厚さには、領域間に統計学的な有意差は認められなかった。喉嚢は、粘膜表面が杯細胞を混えた多列線毛上皮からなっており、杯細胞から分泌される粘液と線毛との総合作用で真菌や細菌あるいはその他の異物を包み込んで排出する機能、いわゆる異物クリアランス機能を備えていると考えられた。しかし、形態計測学的所見から、この異物クリアランス機能には領域別に差があるものと推察された。このことは、喉嚢に侵入した細菌や真菌などの定着に影響する可能性がある。今後、喉嚢における病変の好発部位との関係について検索していく必要がある。

 第四章では、ウマ喉嚢における感染防御機構を知る目的で、モノクローナル抗体を用いた免疫組織化学的手法により、健康なウマの喉嚢粘膜における各種免疫グロブリン・アイソタイプの分布を調べた。その結果、IgG、IgGaおよびIgMは喉嚢粘膜固有層のリンパ組織および粘膜下のリンパ小節に散在性に認められた。IgGcは粘膜固有層のリンパ組織に限って検出された。これらの免疫グロブリン・アイソタイプはいずれもリンパ球や形質細胞など遊走細胞内に認められた。一方、IgAは前記の遊走細胞以外にも腺上皮細胞や粘膜上皮表層に検出されたことから、腺上皮を介して分泌される分泌型IgAの存在が示唆された。このことから、喉嚢は免疫学的にも感染防御機能を備えた器官であることが推察された。

 本論文によって、ウマ喉嚢の解剖学的および組織学的構造が明らかとなった。また、本研究は、ウマ喉嚢の内視鏡検査や外科手術などに有用なデータを提供するとともに、その生理機能を解明するための、価値ある基礎的なデータを示した。以上の研究内容は学術的に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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