細胞増殖因子には、表皮増殖因子(EGF)、インスリン様増殖因子(IGF)、血小板由来増殖因子(PDGF)、繊維芽細胞増殖因子(FGF)などがある。これらの細胞増殖因子は血管組織に対して急性あるいは慢性作用を示す。急性作用としては、血管収縮作用、内皮細胞からの一酸化窒素(NO)遊離による血管弛緩作用が報告されている。また、慢性作用としては、平滑筋および内皮細胞の増殖、遊走を刺激し、血管壁の構造変化を起こすことが知られている。このような構造変化と共に、血管平滑筋の収縮性と内皮細胞の各種機能を変化させる作用も予想されるが、これらの点については明らかにされていない。 本研究は、多くの増殖因子を含むウシ胎児血清と、最も強力な増殖因子であるPDGFの、血管平滑筋の収縮性および内皮細胞のNO産生機能に対する急性および慢性作用注)の機序を明らかにすることを目的とした。 注)通常、薬理学やトキシコロジーの用語としては、薬(毒)物の単回あるいは数回投与の作用を「急性」とし、数週間以上にわたる投与を「慢性」としている。本研究は単回および1週間投与を行ったが、便宜上これを急性と慢性とよぶことにする。 1.ウサギ腸間膜動脈標本の収縮性に対するPDGFの急性作用 摘出ウサギ腸間膜動脈標本を用いて、血管の収縮性に対するPDGFの急性作用と、その機序について検討した。 最初に、PDGFの平滑筋に対する直接作用を検討するために、内皮を剥離した標本を用いた。標本にPDGF-BB(1-200ng/ml)を累積投与したが、収縮作用は示さなかった。 次に、PDGFが収縮抑制作用をもつかどうか検討するために、ノルエピネフリン(10M)で収縮させた内皮剥離標本に、PDGF-BB(1-200ng/ml)を累積投与した。その結果、PDGFは収縮反応を濃度依存性に抑制することを見いだした。この抑制作用はPDGF投与後3分以内に発生し、約15分で最大となった。PDGFによる収縮抑制作用は、標本を一酸化窒素(NO)合成阻害剤であるL-NMMA(100M)で前処置しても抑制されなかったが、シクロオキシゲナーゼ阻害剤であるインドメサシン(10M)で前処置しておくと、完全に消失した。酵素免疫法を用いた実験から、PDGFは血管壁からプロスタグランジンI2およびE2を遊離することが示された。また、標本にプロスタグランジンI2の安定体であるアイロプロスト(1M)あるいはプロスタグランジンE2(1M)を投与すると、ノルエピネフリンによる収縮反応を抑制した。一方、内皮剥離ラット腸間膜動脈標本あるいは、内皮剥離ウサギ大動脈標本において、PDGFは弛緩作用を示さなかった。 最後に、PDGFの平滑筋弛緩作用に対する内皮細胞の影響を検討するために、内皮が付着したままの標本をノルエピネフリンで収縮させ、ここにPDGFを投与したところ、内皮を除去した標本と同様に弛緩作用が見られた。しかし、弛緩の程度は内皮を剥離した標本よりも有意に小さかった。さらに、内皮付着標本では、PDGFによるプロスタグランジンI2産生量も有意に小さかったが、L-NMMA(200M)の処置によって内皮剥離標本と同程度まで回復することが明らかとなった。 以上の成績から、PDGFは主に平滑筋細胞に直接作用して、プロスタグランジンI2およびE2を合成、遊離し、血管を弛緩させる働きがあること、また、この作用は、内皮細胞から放出されるNOによって抑制されることが明らかとなった。一方、動物によってはPDGFの弛緩作用が見られないことが明らかとなった。 2.ウサギ腸間膜動脈内皮細胞のNO産生機能に対するPDGFおよびウシ胎児血清の慢性作用 NOは血管内皮細胞から放出される血管弛緩因子の一つである。ウサギ腸間膜動脈をPDGFあるいはウシ胎児血清で1週間処置し、NOを介する内皮依存性弛緩反応とNO合成酵素(eNOS)発現量の変化について検討した。PDGFとウシ胎児血清の長期投与は器官培養法で行った。この方法は、in vivo系のように組織構築を残したままで、なおかつ、in vitro系のように実験系を単純化できる利点を備える。 最初に対照実験として、内皮付着ウサギ腸間膜動脈標本をPDGF-BBあるいはウシ胎児血清を含まないダルベッコ変法イーグル培地(DMEM)中で1週間培養し、その影響を調べた。その結果、内皮細胞および中膜平滑筋層の形態は単離直後の動脈標本のものと比べて変化せず、受容体作動薬であるサブスタンスP(1-100nM)による内皮依存性弛緩反応も変化しなかった。しかし、弛緩反応のNOに対する依存性が有意に増加し、RT-PCR法で測定したeNOSの発現量も増加していた。 次に本実験に入り、標本をPDGF-BB(100ng/ml)あるいはウシ胎児血清(10%)を添加したDMEM中で1週間培養した。平滑筋細胞は増殖性変化を起こしたが、内皮細胞の形態に顕著な変化は認められなかった。次に、内皮細胞の機能について検討した。サブスタンスPは、内皮細胞の受容体に結合し、内皮細胞の細胞内カルシウム濃度を上昇させ、eNOSを活性化し、NOを遊離し、血管を弛緩させる作用を持つ。このサブスタンスPによる内皮依存性弛緩反応が、PDGF-BBあるいはウシ胎児血清不在下で培養した対照実験の標本に比べて、有意に低下した。次に、受容体を介さずに内皮細胞の細胞内カルシウム濃度を上昇させる、イオノマイシン(0.01-1M)による内皮依存性弛緩反応を検討したところ、この反応も増殖因子の処置によって有意に低下していた。従って、増殖因子の処置によって、内皮細胞の細胞内カルシウム濃度増加以降のNO産生機構が減弱する可能性が考えられた。そこで、eNOS mRNA発現量の変化を検討したところ、その発現量が減弱していることが示された。さらに、バイオアッセイ法で定量した内皮細胞のNO産生量が有意に低下することも示された。一方で、NOを放出して平滑筋を弛緩させる作用を持つニトロ化合物の作用は、増殖因子を処置しても低下しなかった。 以上の成績から、増殖因子は血管組織に慢性に作用し、平滑筋細胞に増殖性変化を起こすとともに、内皮細胞では、eNOS mRNA発現量を低下させ、内皮細胞からのNO遊離を減少させ、内皮依存性弛緩反応を減弱させる作用を持つが、平滑筋のNOに対する感受性は減弱させないことが明らかとなった。 3.ウサギ腸間膜動脈平滑筋の形態および収縮機能に対するウシ胎児血清の慢性作用 種々の増殖因子を含むウシ胎児血清存在下で1週間ウサギ腸間膜動脈を器官培養し、平滑筋細胞の収縮機能と形態の変化について検討した。内皮細胞から遊離される物質は平滑筋の増殖を制御するが、ここでは増殖因子の平滑筋細胞に対する直接作用を検討する目的で、標本から内皮細胞を剥離した。 最初に対照実験として、内皮剥離ウサギ腸間膜動脈標本をDMEM中で1週間培養し、その影響を調べた。その結果、中膜平滑筋層の形態は単離直後のものと比べて変化していなかった。しかし、高濃度K+(15.4-65.4mM)あるいはノルエピネフリン(0.01-100M)による収縮反応はわずかに低下し、これらの収縮因子に対する感受性は有意に増加していた。 次に本実験に入り、標本を10%ウシ胎児血清存在下で1週間培養すると、中膜平滑筋細胞の増殖、配列の乱れ、そしてアルファ・アクチン染色性の低下が観察された。また、血清処置により高濃度K+およびノルエピネフリンによる収縮反応とこれらの収縮因子に対する感受性が、対照実験の標本に比べて、著しく低下していた。ノルエピネフリンによる収縮反応の低下は、NO合成阻害剤であるL-NMMA(300M)により、一部回復した。血清下で培養した標本を黄色ブドウ球菌毒素で脱膜化処置し、平滑筋収縮蛋白質の変化を検討したところ、カルシウム(0.1-30M)による収縮張力および収縮蛋白質のカルシウム感受性が、血清処置によって有意に低下していた。 以上の成績から、ウシ胎児血清は血管平滑筋に慢性に作用し、平滑筋細胞の増殖型への形質転換と形態変化を起こすともに、平滑筋の収縮能を低下させることが明らかとなった。血清処置による収縮能低下には、平滑筋細胞における収縮タンパク質の変化とともに、NO産生の上昇が関与している可能性が考えられた。 考察 本研究では、細胞増殖因子の血管平滑筋と内皮細胞に対する急性および慢性作用の機序を検討した。 最初に、PDGFの平滑筋に対する急性作用とその機序について検討した。ラット大動脈平滑筋では、PDGFが収縮作用を示すことがすでに報告されているが、本実験において、ウサギ腸間膜動脈平滑筋にPDGFを投与しても、収縮作用を示さなかった。従って、PDGFの平滑筋収縮作用には種差あるいは臓器差があると考えられた。PDGFは、内皮細胞からNOを遊離し、血管を弛緩させる作用があることが知られている。本研究では、PDGFが平滑筋に直接作用し、血管を弛緩させる作用があるかどうかを検討した。そして、PDGFが平滑筋細胞に直接作用して、プロスタグランジンI2およびE2を合成、遊離し、血管を弛緩させる作用があることを明らかにした。一方、ラット腸間膜動脈平滑筋あるいはウサギ大動脈平滑筋では、PDGFは弛緩作用を示さなかった。従って、PDGFの平滑筋弛緩作用にも、種差あるいは臓器差があると考えられた。さらに、PDGFの平滑筋弛緩作用に対する内皮細胞の影響を検討したが、内皮付着標本において、PDGFによる弛緩作用およびプロスタグランジン産生は、内皮剥離標本に比べて有意に抑制され、内皮細胞はむしろPDGFの弛緩作用を減弱させる作用を持つことが明らかとなった。この作用の機序を検討するために、内皮付着標本にNO合成阻害剤を処置したところ、プロスタグランジン産生量が内皮剥離標本と同程度まで回復したことから、内皮細胞から放出されるNOがプロスタグランジン合成を抑制し、PDGFによる平滑筋弛緩作用を減弱させる可能性が考えられた。 血管組織に対する細胞増殖因子の慢性作用は、主として、血管組織の構造を変化させることであると考えられているが、次に、血管平滑筋と内皮細胞の機能に対する増殖因子の慢性作用の機序について検討した。まず、内皮細胞の機能に対する作用を検討したところ、PDGFを内皮付着ウサギ腸間膜標本に1週間作用させると、NOを介する内皮依存性の血管弛緩反応が減弱することが明らかとなった。そして、この作用の機序を検討したところ、PDGFが内皮細胞のeNOS mRNA発現を減弱させ、NO産生量を低下させることが原因であることが示された。また、PDGFは、平滑筋細胞に慢性に作用することにより増殖性の変化を起こした。ウシ胎児血清も、平滑筋および内皮細胞に対してPDGFと同様の作用を示した。これらの成績から、増殖因子は、増殖作用の他にeNOS mRNA発現を低下させ、NO産生を抑制する作用をもつものと考えられた。 さらに、平滑筋細胞に対する慢性作用の機序を検討した。内皮剥離ウサギ腸関膜動脈にウシ胎児血清を1週間作用させると、平滑筋細胞の収縮機能が減弱した。同時に、平滑筋細胞の増殖型への形質転換と、細胞の配列の乱れ、およびアルファ・アクチン染色性の低下などの形態変化が起こることも示された。増殖型平滑筋細胞は筋線維に乏しく、収縮能が低いと考えられる。これらの結果から、増殖因子を血管平滑筋に慢性に作用させると、平滑筋細胞の増殖型への形質転換と形態変化が原因で、その収縮機能が低下すると考えられた。この点を証明するために、毒素処置標本を使って収縮タンパク質の収縮能について調べたところ、血清処置によりその収縮能が低下していることが証明された。また、血清処置標本における収縮能低下の一部がNOS阻害剤で回復したことから、平滑筋細胞でのNO産生が増加し、これがネガティブフィードバック的に自身の収縮能を抑制するという要素も関与するものと考えられた。 以上のように、本研究において、血管平滑筋の収縮性と、内皮細胞のNO産生機能に対する、増殖因子の急性および慢性作用の機序を明らかにした。内皮細胞から産生されるNOは、生体の血管機能を正常に保つ役割をもつと考えられている。また、動脈硬化症などの血管病態では、血管壁で持続的に増殖因子が産生されることが知られている。したがって、本研究で明らかにした、増殖因子が内皮細胞のNO遊離能を減弱させる作用は、血管病態の悪化に関与する可能性があると考えられた。 |