学位論文要旨



No 115351
著者(漢字) 林,蓓
著者(英字)
著者(カナ) リン,バイ
標題(和) ICRマウス消化管におけるシクロヘキシミド依存性1,2フコース転移酵素に関する研究
標題(洋)
報告番号 115351
報告番号 甲15351
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1537号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 柴田,洋一
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 児玉,龍彦
内容要旨

 哺乳類動物消化管粘膜に含まれる複合糖質は出生後、特に哺乳期から顕著な変化を示すことが報告されている。ラット小腸粘膜では胎児期から出生直後まで高いシアル酸転移酵素活性が観察されるが、哺乳の開始に伴ってシアル酸転移酵素活性が減少し、相補的にフコース転移酵素活性が増加する。その結果、複合糖質の糖鎖末端の構造はシアル酸優位からフコース優位に変化する。一方、マウス小腸においては、無菌状態で飼育したマウスを通常飼育に移すことによって短期間に糖脂質アシアロGM1(GA1)に対するフコシル化反応が起こり、この現象は1,2フコース転移酵素(1,2-FT)活性の増加によって誘導されることが明らかにされている。また、このマウス小腸における1,2-FT活性の誘導は各種細菌の経口投与や機械的、化学的損傷、蛋白合成阻害剤(シクロヘキシミドなど)などによって起こることも明らかになっている。無菌マウス小腸に誘導される糖脂質フコシルGA1は非還元末端糖鎖がFuc1-2Gal構造であり、H抗原活性を持つ糖鎖である。H抗原は形態形成、細胞接着、癌の転移、腫瘍マーカーなど細胞間の相互作用に関わるいろいろな役割を果たしていることが知られていることから、無菌マウス小腸に感染によって誘導されるH抗原は腸内細菌の受容体として作用することが予想されている。しかし、その生理的機能については不明な点が多い。無菌マウス小腸に、通常飼育マウスの腸内細菌を接種することによって誘導されるフコース転移反応は、糖鎖の修飾機構と役割を解明する上で非常に良いモデルになると考えられるため、この現象を生化学的、免疫化学的および分子生物学的手法によって調べることにした。糖鎖の機能解明の手がかりは高感度プローブの利用によって得られることが多いため、まず、IV型H抗原を持つFGA1とFGM1に対するモノクローナル抗体の作成を第一の目的とした。次に、その薬理作用が比較的詳細に調べられおり、また、H抗原の発現も再現性良く、強く誘導する活性を持つシクロヘキシミドを無菌マウスに投与した時の1,2-FTの酵素学的、分子生物的解析を第二の目的として研究を進めた。

方法1.TLC免疫染色法によるフコシルGA1(FGA1)とフコシルGM1(FGM1)の検出と定量

 一定乾燥重量相当の総脂質抽出液及び既知量の糖脂質標準品をプラスチック薄層プレートにスポットし、展開後、岩森らの方法に準じて免疫染色を行った。発色後のスポットの濃度は波長500nmでTLC-デンシトメーターによる測定を行った。

2.1,2-FTの活性測定

 酵素活性の測定は、5-50gのGA1もしくはGM1を基質として用い、最終濃度50mMカコジル酸-HCl(pH5.8)、20mM MnCl2、1%Triton X-100、0.2M GDP-[1-14C]-フコースと400g蛋白質量の酵素液を加え、全量を10-100lとし、30℃1時間反応させた。

3.モノクローナル抗体を用いた免疫組織染色

 マウス消化管組織を4%パラホルムアルデヒド入りの0.1M中性リン酸緩衝液(pH7.4)で固定後、クリオスタットを用いて4mの凍結切片を作成し、一次抗体に抗FGA1抗体LFA-IIと抗FGM1抗体LFM-Iを用い、二次抗体にFITC標識抗マウスIgG抗体(500倍希釈)を用い、免疫染色し、蛍光顕微鏡下に観察した。

4.RT-PCR法による1,2-FT遺伝子のクローニング

 報告されたラット1,2-FT遺伝子(GenBank/NCBI;AB006138)を基にデザインしたプライマーを用い、マウス小腸のcDNAをテンプレートにしてPCR反応を行った。得られた1.1kbのPCR産物はpCR2.1ベクターにサブクローニングした。同様の方法で二種類のマウス1,2-FT遺伝子についてもクローニングを行った。その結果、マウス1,2-FT遺伝子MFUT-I、MFUT-IIおよびMFUT-IIIを得ることができた。

5.Northernブロット法による1,2-FT遺伝子の検出

 マウス消化管各部位の全RNAをAGPC法を用いて抽出し、その30gを1.2%ホルマリンアガロースゲルで電気泳動後、ニトロセルロース膜に転写した。3種類の1,2-FTに対するプローブ、Probe-MFUT-I、Probe-MFUT-II、Probe-MFUT-IIIを用いて、Northernブロッティングを行い、BAS2000で解析した。

6.COS-7細胞における1,2-FT酵素の一過性発現

 MFUT-I、MFUT-II、MFUT-IIIの翻訳領域の全長を含むDNA断片を発現ベクターpcDNA3.1に組み込み、プラスミド単独、pcDNA3-MFUT-I、pcDNA3-MFUT-IIおよびpcDNA3-MFUT-IIIをリン酸カルシウム法を用い、COS-7細胞に導入した。72時間後に、細胞懸濁液を用いて1,2-FT活性を測定した。

結果と考察1.シクロヘキシミド投与前後のICRマウス消化管における1,2-FT活性の変化

 シクロヘキシミド投与前後の無菌ICRマウス消化管各部位のGA11,2-FT活性を比較したところ、無菌ICRマウス十二指腸と空腸には酵素活性は痕跡程度しか検出できないのに対し、シクロヘキシミド腹腔注射12時間後には、十二指腸で11倍、空腸で22倍の活性増加が観察された。しかし、無菌マウスの胃、回腸、盲腸および結腸には、強い1,2-FT活性が含有されており、シクロヘキシミド投与後の酵素活性は、回腸で2.2倍、盲腸で1.5倍に増加したが、胃と結腸の活性は変化しなかった。

2.シクロヘキシミド投与前後のICRマウス消化管におけるフコシル化糖脂質およびその前駆体の含有量の変化

 作成されたモノクローナル抗FGA1と抗FGM1抗体を用い、TLC免疫染色法により、シクロヘキシミド投与前後のマウス消化管のFGA1とFGM1含有量を測定した。FGM1は無菌マウスの胃、盲腸、結腸に含有されているが、十二指腸と小腸(空腸、回腸)には全く検出できなかった。シクロヘキシミド投与48時間後のFGA1の濃度は十二指腸で13.4倍、小腸で2.2倍に増加した。消化管部位におけるGM1とGA1の分布は、フコース転移活性ならびに生成物、FGM1とFGA1の濃度にほぼ対応していた。

3.ICRマウス消化管からの3種類の1,2-FT遺伝子のクローニングと塩基配列およびアミノ酸配列の比較

 RT-PCR法によって、3種類の1,2-FT遺伝子、MFUT-I、MFUT-IIおよびMFUT-IIIを単離した。MFUT-IIは初めてクローニングされた遺伝子であった。MFUT-Iは377個のアミノ酸からなる推定分子量42.4kDaのタンパク質、MFUT-IIは347個のアミノ酸からなる推定分子量39.2kDaのタンパク質、MFUT-IIIは368個のアミノ酸からなる推定分子量41.5kDaのタンパク質であることが分かった。アミノ酸配列の疎水性分析から、これらは他の糖転移酵素遺伝子と同様に2型膜タンパク質に分類される構造を持っていた。それぞれの遺伝子はヒトのH、SeおよびSec1遺伝子と相同性が高い配列を持っていた。

4.1,2-FT遺伝子のICRマウス各組織における発現

 MFUT-IIは成マウスの心臓、肝臓、腎臓、精巣、精巣上体、子宮、胃、小腸、盲腸、および結腸において、主に3.5kbのmRNAを発現していることが分かった。また、消化管では同時に1.6kbと7.4kbのmRNAの発現が認められた。一方、MFUT-IとMFUT-IIIはそれぞれ精巣上体、精巣のみに発現していた。

5.1,2-FT遺伝子のCOS-7細胞における一過性発現と酵素学的性質の検討

 発現ベクターpcDNA3.1に組み込んだ1,2-FT遺伝子をCOS-7細胞に一過性に発現させ、その活性を測定した。MFUT-IIはGA1とGM1ともにフコースを付加できるのに対して、MFUT-IはGA1にのみフコースを転移でき、GM1に対する転移活性は持たないことがわかった。また、MFUT-IIIにコードされている酵素はGA1とGM1いずれにもフコースを転移できなかった。

6.シクロヘキシミド投与前後のICRマウス消化管における1,2-FT遺伝子mRNAの変化

 Northernブロット法及びRT-PCR法により、十二指腸、空腸、回腸における1,2-FT遣伝子MFUT-IIの変化は、1,2-FT活性およびフコシルGA1の濃度の変化に一致していた。しかし、MFUT-IとMFUT-III mRNAの発現量は変化しなかった。

 以上の結果、無菌マウスでは、小腸には1,2-FTが含まれていないものの、胃、盲腸、結腸にはすでに含有されており、小腸についてもさらに詳細な部位別の比活性を調べると、明らかな活性の勾配が形成されていることが新たに分かった。シクロヘキシミド投与によって1,2-FT活性が誘導されるのは小腸に限られ、無菌マウスの状態ですでに高い活性を持っている胃、盲腸、結腸の活性は変化しないことが明らかになった。シクロヘキシミド投与12時間後の十二指腸と空腸のGA1基質に対するフコース転移酵素活性は11-23倍に増加しており、回腸では2倍に増加していた。組織免疫染色法によるフコシルGA1の小腸における分布を調べたところ、FGA1は絨毛の上部1/2に限定して分布していて、しかも、上皮細胞に発現されていることが分かった。絨毛上皮細胞は基部crypt層から上部villus層に向けて移行する途上で諸種の分化マーカーを発現し、腸上皮としての機能を獲得することが知られており、FGA1の発現は通常飼育状態での上皮細胞の分化過程の一階段を示していると予想される。マウス消化管における糖脂質のフコシル化に関わり、また、小腸においてのみ、シクロヘキシミド投与によって転写レベルで発現が制御されている1,2-FTは、新たにクローニングしたMFUT-IIにコードされていることが分かった。

審査要旨

 本研究は、細菌感染やシクロヘキシミド投与によってICRマウス消化管に誘導される1,2フコース転移酵素の酵素的性質を明らかにし、その遺伝子をクローニングするとともに、生成物フコシルGM1とフコシルアシアロGM1(フコシルGA1)について、生化学的、免疫化学的手法によって解析を行い、以下の結果を得ている。

 1.二種類のフコース含有糖脂質フコシルGA1(IgMとIgG2)と、フコシルGM1(IgG3)に対する特異的なモノクローナル抗体を作成し、0.5ng以上の抗原糖脂質の定量を可能にした。

 2.無菌マウス消化管のGA11,2フコース転移酵素活性を調べた結果,胃、盲腸および結腸には高い活性が検出されるが、小腸には検出されなかった。しかし、シクロヘキシミドを投与すると、12時間後に十二指腸、空腸、回腸に強いGA11,2フコース転移酵素活性が誘導された。無菌マウスの状態で活性を持つ胃、盲腸および結腸では、シクロヘキシミド投与後も活性はほとんど変化しなかった。

 3.無菌マウスの状態で1,2フコース転移酵素活性を持つ胃、盲腸および結腸には、フコシルGA1とフコシルGM1のいずれも含まれるが、シクロヘキシミド投与によって活性が誘導される十二指腸、空腸、回腸では、フコシルGA1のみが合成された。これはこれらの部分に基質GA1がGM1よりも80倍高い濃度で含有されていることが原因であることを示した。

 4.モノクローナル抗体を用いた免疫組織染色の結果、シクロヘキシミドで誘導されたフコシルGA1は、十二指腸絨毛上1/2に限定して分布しており、また、発現部位は上皮細胞であった。特定の分化段階にある上皮細胞においてフコシルGA1が誘導されると思われる。

 5.RT-PCR法により、通常飼育マウス小腸cDNAから三種類の1,2フコース転移酵素の遺伝子(MFUT-I、MFUT-IIおよびMFUT-III)を単離した。MFUT-IIは、初めてクローニングされた遺伝子であった。

 6.Northernブロッテイング法により、MFUT-II遺伝子はICRマウスの消化管、心、肝、腎および生殖器に、MFUT-I、MFUT-II遺伝子はそれぞれ精巣上体、精巣にのみ発現していた。

 7.NorthernブロッテイングとRT-PCR法により、シクロヘキシミドによるマウス小腸における1,2フコース転移酵素活性の誘導は、MFUT-IIのmRNA量の増加に依存していることが示された。

 8.COS-7細胞を用いて一過性に発現させた酵素について、その性質を調べると、水溶性基質に対する活性はMFUT-IとMFUT-II酵素は持っているが、MFUT-III酵素は持っていないことが分かった。また、MFUT-I酵素はGA1に対する親和性がとりわけ強く、MFUT-II酵素はGA1、GM1、ラクト系列糖脂質に対してもフコースを転移する活性を持っていることが示された。

 9.マウスのMFUT-I、MFUT-IIおよびMFUT-III遺伝子は、それぞれ、ヒトのII、SeおよびSec1遺伝子と相同性が高い配列を持っていた。

 以上、本論文は、無菌マウスの消化管にシクロヘキシミド投与によって誘導される1,2フコース転移酵素遺伝子をクローニングし、COS-7細胞に一過性に発現させ、その酵素学的性質を明らかにした。また、生成物に対するモノクローナル抗体を独自に樹立し、誘導される部位についての解析も行っており、消化管における糖鎖の役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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