本研究は、Ca2+をセカンドメッセンジャーとする細胞シグナル伝達系において重要な役割を演じていると考えられるCa2+/カルモジュリン依存性リン酸化酵素(CaM-K)カスケードの生物学的意義を明らかにするために、センチュウCaenorhabditis elegansをモデル動物として用い、CaM-Kカスケードの機能解析を分子、細胞、個体レベルで試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.センチュウにおいて、CaM-Kカスケードを構成するCaM-Kとその上流の活性化因子CaM-K kinase(CaM-KK)をコードするcDNAを、既存の哺乳類のCaM-K、CaM-KKとの相同性をもとにそれぞれクローニングした。それらのヌクレオチド配列を決定したところ、センチュウCaM-KK(CeCaM-KK)には、哺乳類CaM-KKと同様に、触媒ドメイン中にアルギニン、プロリンの両残基に富む領域(RP-ドメイン)が挿入されていることが見い出された。一方、センチュウCaM-K(CeCaM-K)は、アミノ酸レベルで哺乳類CaM-KIと約60%の相同性を有したことから、CeCaM-KIと名付けた。哺乳類のCaM-KK、CaM-Kには、異なる遺伝子がコードする複数のクローンが存在するのに対して、センチュウにはゲノムDNAのデータベースを探したところ、本研究で得られた1種類ずつのCaM-KK、CaM-Kしか存在していないことが示された。また、両者のcDNAをCOS-7細胞にて発現させた組み換えタンパク質は、Ca2+存在下でカルモジュリン(CaM)と結合することが示された。さらに、センチュウ内在性のCeCaM-KIは、それに特異的な抗体を用いたウエスタンブロッティングにより検出され、その組み換えタンパク質と同じ移動度を呈示したことから、クローニングしたcDNAは全長をコードしていることが示唆された。 2.CaM-KKは、RP-ドメインが種を超えて保存されていることから、その機能に特有の役割を担うことが考えられたが、全く明らかにされていなかった。そこで、RP-ドメインを欠失させた哺乳類CaM-KKの変異体を用い、CaM-KI、CaM-KIV、及びPKBに対するリン酸化能、活性化能をin vitroにて調べた。その結果、変異型CaM-KKはCaM-KI、CaM-KIVをリン酸化、活性化することができなかった。一方、変異型CaM-KKはPKBに対して野生型と同様のリン酸化能、活性化能を示した。このことから、RP-ドメインはCaM-KKによるCaM-K基質の特異的な認識に必須であることが示された。したがって、CeCaM-KKがRP-ドメインを有していて、哺乳類CaM-KIVをリン酸化、活性化したことから、センチュウにおいて、CeCaM-KKを介したシグナル伝達系とその基質としてCaM-Kが存在すること示唆された。 3.CeCaM-KIのリン酸化酵素活性は、大腸菌にて発現させ、精製したGST-CeCaM-KI融合タンパク質を用い、in vitroにて測定した。その結果、GST-CeCaM-KIはCa2+/CaM依存的にリン酸化酵素活性を示したが、COS-7細胞にて発現させCaMカラムを用い部分精製したCeCaM-KKによりリン酸化を受けると、その活性はCa2+/CaM存在下で約10倍増大した。また、CeCaM-KIの変異体を用いた解析により、Thr179がCeCaM-KKによるリン酸化部位であること、296番目のアミノ酸残基からカルボキシル末端側にCaM結合領域が存在していること、並びにCeCaM-KKの活性発現にもCa2+/CaMを必要とすることが示された。さらに、CeCaM-KKにより活性化されたCeCaM-KIと活性化されていないCeCaM-KIとの酵素活性の違いについて、基質の合成ペプチドとATPに対する反応速度論的解析を行ったところ、CeCaM-KIの活性増大はCeCaM-KKによるリン酸化が基質との親和性を増大させることにより引き起されることが示された。 4.CeCaM-KKとCeCaM-KIの細胞内局在を調べるために、それぞれのGFP融合タンパク質をCOS-7細胞に発現させ、蛍光顕微鏡下で観察した。その結果、CeCaM-KKは核と細胞質の両方に存在した。一方、CeCaM-KIは、高い相同性を示したラットCaM-KIが細胞質に存在することと異なり、核に局在することが示された。CeCaM-KIのアミノ末端に存在するリジン5-アルギニン6-アルギニン7を含む6アミノ酸残基を欠失させた変異体では、核に局在できなかったことから、このアミノ酸残基の中に核移行シグナルの存在が示唆された。さらに、CeCaM-KIの核局在についてはセンチュウ個体を用いた解析でも認められた。これらの結果は、センチュウにおいてCaM-Kカスケードが核での細胞機能に関与していることを示唆した。 5.哺乳類ではCaM-KIVが核に局在し、転写因子のcAMP response element(CRE)-binding protein(CREB)をリン酸化することが既に報告されている。そこで、センチュウにおけるCaM-Kカスケードが核に存在することからCREBをリン酸化し、転写を制御することが考えられた。しかし、センチュウでは樹立された細胞株や確立された初代培養の方法、あるいは転写活性の測定系などがないのでCOS-7細胞を用いた。CeCaM-KKとCeCaM-KIを共発現させたCOS-7細胞では、Ca2+刺激により内在性CREBのリン酸化とCREに依存した転写の活性化が顕著に誘導されることがウエスタンブロティングとレポーターアッセイにより示された。 6.センチュウにおいてCaM-KカスケードはCREBのリン酸化を介して転写を調節することが示唆されたので、センチュウ由来のCREB(CeCREB)のcDNAを既存の哺乳類、ハエなどのクローンとの相同性をもとにクローニングした。ヌクレオチド配列から予測されるアミノ酸配列では、CeCaM-KIによるリン酸化部位のSer54近傍、カルボキシル末端側の塩基性アミノ酸残基に富む領域、及びロイシンジッパーモチーフが他の種のCREBと高い相同性を有していることが示された。 7.センチュウにおいて、CeCREBがCaM-Kカスケードの標的として機能するかどうかを明らかにするために、CaM-KカスケードによるCeCREBのリン酸化とそれを介した転写の活性化についてin vitro、in vivoにて解析した。その結果、CaM-KカスケードはCeCREBのSer54のリン酸化を増強し、これに応じてCa2+刺激によりCeCREBを介した転写活性を増大させることが示された。また、恒常的活性化型CeCaM-KIのトランスジェニックセンチュウでは、内在性CeCREBのリン酸化が有意に誘導された。これらの結果は、センチュウにおいてCeCREBがCaM-Kカスケードの生理的な標的分子であることと同時に、このカスケードがCeCREBのリン酸化を介して転写を調節し得ることを示唆した。したがって、CaM-Kカスケードは哺乳類だけでなくセンチュウにおいても保存されていて、CeCaM-KK→CeCaM-KI→CeCREBというシグナル伝達経路がCa2+依存性の転写制御に機能することが推察された。 以上、本研究はセンチュウにおいて、CaM-Kカスケードの生化学的解析、遺伝学的解析から、その存在と機能を明らかにした。本論文は、これまで未知に等しかった、Ca2+シグナル伝達系で中心的に働くと考えられる、CaM-Kカスケードの生物学的意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |