学位論文要旨



No 115354
著者(漢字) 山田,正之
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,マサユキ
標題(和) ヒトCdc7キナーゼ活性制御サブユニットASKの発現調節と機能の解析
標題(洋) Analyses of expression and functions of ASK,the regulatory subunit of human Cdc7-related kinase
報告番号 115354
報告番号 甲15354
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1540号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 教授 横田,崇
 東京大学 助教授 井上,純一郎
 東京大学 助教授 田中,信之
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 背景および本研究の開始に至る経緯

 真核細胞の染色体DNA複製は1回の細胞周期につき1度だけ、M期に先立って起こる。この染色体複製開始と進行の制御機構は未だ完全には明らかにはなっていないが、出芽酵母において最も解析が進んでいる。細菌では複製開始点が単一であるのに対し、出芽酵母を始めとする真核細胞では個々の染色体上に複数の複製開始点が存在する。各複製開始点には、G1期にORC、Cdc6、MCMといったタンパク質からなる複製前複合体(prereplicative complex:preRC)が形成され、このpreRCを活性化し複製を開始するにはCyclin-Cdk、Cdc7-Dbf4という2つのキナーゼ活性が必要である。

 Cdc7-Dbf4キナーゼは触媒サブユニットであるCdc7タンパク質と活性制御サブユニットであるDbf4タンパク質からなり、そのキナーゼ活性はDbf4タンパク質との結合により正に制御されている。Cdc7タンパク質の量は細胞周期においてほぼ一定であるが、そのキナーゼ活性はG1/S境界域で上昇しS期からM期まで高く保たれ、次のG1期で急激に低下する。これはDbf4タンパク質の量が細胞周期依存性に変動するためと考えられている。このDbf4タンパク質の変動はG1/S期におけるDBF4遺伝子の転写量の上昇が関与している。DBF4遺伝子の上流にはG1/S境界域で転写を増加させるMCB(MulI cell cycle box)と呼ばれるACGCGTなる塩基配列が存在し、この領域にMBF(MCB binding factor)と呼ばれる転写因子が結合し、DBF4遺伝子の発現を制御している。このことから、DBF4遺伝子の細胞周期依存性の転写制御は染色体DNA複製開始の重要な役割を果たしていると考えられる。

 我々の研究室では、これまでに出芽酵母Cdc7キナーゼの相同遺伝子とその活性制御サブユニット遺伝子を様々な真核生物から単離してきた。ASK(Activator of Sphase Kinase)は酵母two-hybridスクリーニングにより、ヒトCdc7タンパク質と結合する674アミノ酸からなるタンパク質として単離された。ASKはヒトCdc7タンパク質と結合し、キナーゼ活性を示した。また、ヒト腫瘍由来の細胞株で高い発現が認められた。さらにASKタンパク質を特異的に認識する抗体をヒト正常線維芽細胞(KD cells)に微注入すると、S期への移行が阻害された。これらの結果は、ヒトCdc7-ASKキナーゼ複合体が細胞増殖、特にS期の開始、進行に重要な役割を果たしていることを示唆している。

 一方、動物細胞の細胞周期の研究は、さまざまなサイクリン依存性キナーゼ(Cdk)と、それらによってリン酸化されるRb(retinoblastoma)タンパク質、Rbのリン酸化後、Rbから解離することにより転写因子として働くE2Fを中心として進められている。E2Fは細胞周期や染色体複製を制御する多くの蛋白質(DNApolymerase 、thymidine kinase(TK)、cyclinE、E2F1、Orc1、Cdc6など)の遺伝子発現を制御していることがわかっている。また、E2Fの強制発現により静止期の線維芽細胞をS期に進行させることができ、このS期進行にはE2Fの転写活性化作用が必須である。しかし、E2FによるS期誘導の分子機構については、これまでに数多くのE2F標的遺伝子が同定されているにもかかわらず、どの標的遺伝子がS期誘導の中心的役割を果たしているかは、はっきりしていない。ASKタンパク質は先に述べたようにS期の開始、進行に重要な役割を果たしていると考えられることから、ASK遺伝子の発現がE2Fによって制御され、E2FによるS期誘導の中心的役割を果たしている可能性が高いと考えられる。

 そこで私はASK遺伝子のプロモーター領域を単離し、ASK遺伝子の発現調節機構をE2Fの関与を中心として解析するに至った。また、プロモーター解析の結果、E2Fの関与が強く示唆されたため、ASKタンパク質の細胞周期、特にS期の開始と進行における機能を明らかにするために、恒常的にASKタンパク質を発現する細胞株を樹立した。

実験の結果と考察(1)増殖刺激によるASK遺伝子の発現誘導

 ヒト正常線維芽細胞株であるWI-38細胞を血清飢餓によりG0期に同調させ、血清刺激により、細胞周期が進行するにつれてASK遺伝子のmRNA量がどのように変動するかをノーザンブロッティングにより調べた。ASK遺伝子のmRNA量はG0期では低く、S期に進行していくにつれて徐々に増加していくことがわかった。また、マウスインターロイキン3(muIL-3)依存性に増殖するpro-B cell株であるBa/F3でもmuIL-3によってmuASK遺伝子の発現が誘導されることをノーザンブロッティングにより確認した。

(2)サザンブロッティングによるASK遺伝子の解析

 ヒトT細胞株であるJurkat細胞のゲノムDNAを種々の制限酵素で切断し、サザンブロッティングによりASK遺伝子を解析した。プローブには全長のASKcDNAを用いた。メンブレンをhigh stringentな条件(0.1xSSC,0.1%SDS,68℃)で洗浄したにもかかわらず、弱いバンドが多数検出され、ASK遺伝子には疑遺伝子や類似遺伝子が存在することが示唆された。

(3)ASK遺伝子の5’領域の単離

 GenBankをサーチしたところ、ASKcDNA部分を含む2つのゲノムクローンを発見した。そのうちのRG060N22(GenBank accession No.AC003083)はASK遺伝子の5’領域を含んでいることがわかった。そこで私はこのクローンを入手し、KSベクターにサブクローニングし、ASK遺伝子の5’領域、約5kbのDNA断片を得た。

(4)ASK遺伝子のプロモーター領域の同定

 データベース(TFsearch)でこのASK遺伝子の5’領域に結合しうる転写因子の結合配列を検索したところ、5個のE2F結合モチーフと6個のSp1結合モチーフが密集する領域がみつかった。この領域を含む約1.5kbのDNA断片をルシフェラーゼ遺伝子の上流につないだレポータープラスミドを構築し、HeLa、NIH3T3、Ba/F3細胞に一過性にトランスフェクションしたところ、ASK遺伝子の5’領域を含まないルシフェラーゼ遺伝子のみのものをトランスフェクションしたときに比べ、極めて強いルシフェラーゼ活性を示した。また、このレポータープラスミドをNIH3T3細胞に一過性にトランスフェクションし、血清飢餓状態(G0期)から血清刺激により細胞周期を進行させたとき、ルシフェラーゼ活性が徐々に上昇し、これが内在性ASK遺伝子の増殖刺激による変化とほぼ一致することを確認した。これらの結果より、私が単離したASK遺伝子の上流約1.5kbのDNA断片はASK遺伝子の発現を制御するプロモーター領域だと判断した。

(5)E2F転写因子によるASK遺伝子の活性化

 ASK遺伝子の発現調節へのE2Fの関与を調べるため、Ba/F3細胞にレポータープラスミドとE2F1,2,3いずれかを発現するベクターを一過性に共発現させ、ルシフェラーゼ活性を測定した。トランスフェクション後、muIL-3を含まない培地で培養したにもかかわらず、E2F発現ベクターを共発現させると共発現しないものと比べ、極めて高いルシフェラーゼ活性を示した。また、E2Fの結合すると考えられる配列を持っていないレポータープラスミドもE2Fによって活性化された。この結果はこれまでに同定されたE2F結合配列以外の新規のE2F結合配列の存在、E2Fによる未知の転写活性化機構(他の転写因子等を介した)の存在を示唆する。さらに、E2F結合配列に変異を導入したレポータープラスミドでは血清刺激、外来性E2Fに対するプロモーター活性の上昇が抑えられた。

(6)E2F1を発現する組み換えアデノウイルスによる内在性ASK遺伝子の活性化

 E2F1タンパク質を発現する組み換えアデノウイルスを静止期のラット線維芽細胞株REF52に感染させ、E2F1により内在性のASK mRNAが誘導されることをノーザンブロッティングで確認した。

 以上の結果より、ASK遺伝子の発現調節にはE2F転写因子が関与していることが強く示唆された。出芽酵母のCdc7-Dbf4キナーゼに関する知見やASKタンパク質に対する特異的抗体の細胞内へのマイクロインジェクション実験の結果より、ASKはS期開始制御への関与が示唆される。これらのことより、ASKタンパク質はE2Fによる静止期細胞のS期導入へ中心的な役割を果たしている可能性がある。そこで、E2FによるS期誘導にASKタンパク質がどのように関与しているかを調べるため、ASKタンパク質を恒常的に高発現している細胞株を樹立した。

(7)ASKタンパク質を恒常的に高発現する細胞株の樹立とその解析

 N端にFlagタグを融合させたASKタンパク質を恒常的に発現するBa/F3細胞を樹立した。この細胞株を増殖因子(muIL3)非存在下で培養した時、親株より静止期の状態に入りにくい(S期の細胞の割合が高い)ことがわかった。このことは、一時的ではあるがASKタンパク質の高発現が増殖刺激なしに細胞をS期に進行させることができることを示唆する。

まとめ

 以上の結果より、私はつぎのように結論した。

 (1)ASK遺伝子の転写は増殖刺激により、G0/G1期からS期の開始、進行につれて徐々に誘導される。

 (2)ASK遺伝子には疑遺伝子または類似遺伝子が存在する可能性がある。

 (3)ASK遺伝子の上流領域にはE2F、Sp1転写因子が結合する可能性がある配列が密集する領域があり、ASK遺伝子の転写制御にE2Fが関与している。

 (4)ASKタンパク質は細胞をS期に進行させるための重要な因子である。

審査要旨

 本研究は高等真核生物の染色体DNA複製開始制御において重要な役割を果たしていると考えられるASK(Activator of S phase Kinase)タンパク質の機能を明らかにするために、ASK遺伝子のプロモーター領域を単離し、ASK遺伝子の転写制御機構の解析を行ったものであり,下記の結果を得ている。

 1.ヒト正常線維芽細胞株であるWI-38細胞、マウスインターロイキン3(muIL-3)依存性に増殖するpro-B cell株であるBa/F3において、ASK遺伝子の発現が増殖刺激によって誘導され、S期に進行していくにつれて徐々に上昇していくことがノーザンブロッティングにより示された。

 2.ヒトT細胞株であるJurkat細胞のゲノムDNAを種々の制限酵素で切断し、サザンブロッティングによりASK遺伝子を解析した結果、弱いバンドが多数検出され、ASK遺伝子には疑遺伝子や類似遺伝子が存在することが示唆された。

 3.ASK遺伝子の5’領域、約5kbのDNA断片を単離し、ASK遺伝子の5’領域に結合しうる転写因子の結合配列を検索したところ、5個のE2F結合モチーフと6個のSp1結合モチーフが密集する領域がみつかった。この領域を含む約1.5kbのDNA断片をルシフェラーゼ遺伝子の上流につないだレポータープラスミドを構築し、HeLa、NIH3T3、Ba/F3細胞に一過性にトランスフェクションしたところ、ASK遺伝子の5’領域を含まないルシフェラーゼ遺伝子のみのものをトランスフェクションしたときに比べ、極めて強いルシフェラーゼ活性を示した。また、このレポータープラスミドをNIH3T3細胞に一過性にトランスフェクションし、血清飢餓状態(G0期)から血清刺激により細胞周期を進行させたとき、ルシフェラーゼ活性が徐々に上昇し、これが内在性ASK遺伝子の増殖刺激による変化とほぼ一致すること示した。これらの結果より、ASK遺伝子の上流約1.5kbのDNA断片はASK遺伝子の発現を制御するプロモーター領域であることが示された。

 4.Ba/F3細胞にレポータープラスミドとE2F1,2,3いずれかを発現するベクターを一過性に共発現させ、ルシフェラーゼ活性を測定したところ、E2F発現ベクターを共発現させると共発現しないものと比べ、極めて高いルシフェラーゼ活性を示した。また、E2Fの結合すると考えられる配列を持っていないレポータープラスミドもE2Fによって活性化された。この結果はこれまでに同定されたE2F結合配列以外の新規のE2F結合配列の存在、E2Fによる未知の転写活性化機構(他の転写因子等を介した)の存在を示唆する。さらに、E2F結合配列に変異を導入したレポータープラスミドでは血清刺激、外来性E2Fによるプロモーター活性の上昇が抑えられた。

 5.E2F1タンパク質を発現する組み換えアデノウイルスを静止期のラット線維芽細胞株REF52に感染させ、E2F1により内在性のASK mRNAが誘導されることをノーザンブロッティングで示した。

 6.N端にFlagタグを融合させたASKタンパク質を恒常的に発現するBa/F3細胞を樹立し、この細胞株を増殖因子(muIL3)非存在下で培養した時、親株より静止期の状態に入りにくい(S期の細胞の割合が高い)ことを示した。このことは、一時的ではあるがASKタンパク質の高発現が増殖刺激なしに細胞をS期に進行させることができることを示唆している。

 以上,本論文は高等真核細胞のDNA複製開始制御に重要な役割を果たしていると考えられるASKの転写制御にはE2F転写因子が関与しており、ASKタンパク質の過剰発現が増殖刺激なしに細胞をS期に進行させることを示した。これまでにE2Fの強制発現により静止期の線維芽細胞をS期に進行させることができ、このS期進行にはE2Fの転写活性化作用が必須であることはわかっていたが、E2FによるS期誘導の分子機構については、数多くのE2F標的遺伝子が同定されているにもかかわらず、どの標的遺伝子がS期誘導の中心的役割を果たしているかは不明であった。本研究はASKタンパク質がE2FによるS期誘導の中心的役割を果たしている可能性を示唆しており,高等真核生物のDNA複製開始制御機構の解明に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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