学位論文要旨



No 115355
著者(漢字) 金,貞旻
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジョンミン
標題(和) 動物細胞Cdc7キネーゼの機能の遺伝学的解析
標題(洋) Genetic Analyses of Functions of Mammalian Cdc7 Kinase
報告番号 115355
報告番号 甲15355
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1541号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 斎藤,泉
 東京大学 助教授 中村,義一
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨 緒言

 出芽酵母CDC7はセリン/スレオニンキナーゼをコードし、G1/S移行に必須である。我々の研究室ではすでに,ヒトおよびカエルのCdc7類似キナーゼをコードするcDNAを単離し、高等動物の染色体複製が、Cdc7類似キナーゼにより、種を越えて保存された機構で制御される可能性を示唆してきた。本研究は、動物細胞Cdc7タンパク質の発現制御、および細胞周期制御におけるその機能を明らかにすることを目的としている。この目的のために、本研究では、遺伝学的解析が可能なマウスを用いることにした。細胞レベルおよび動物個体レベルにおいて遺伝学的解析を行った結果、動物細胞のCdc7類似キナーゼが細胞増殖、特にDNA複製に必須であることを証明した。また、本研究で用いた方法では、動物細胞の増殖に必須とされる増殖制御因子の細胞周期における機能を遺伝学的に解析することが可能であり、きわめて有用であると考えられる。

実験結果

 動物細胞のCdc7類似キナーゼの機能について遺伝学的解析を行うため、本研究では、最初にマウスのCdc7類似キナーゼ(muCdc7)をコードするcDNAと遺伝子を単離した。muCdc7をコードする最長のcDNAは564アミノ酸からなるタンパク質をコードし、そのアミノ酸配列は、キナーゼ保存ドメインにおいて出芽酵母、カエル、ヒトのCdc7類似キナーゼとそれぞれ、46%、77%、93%の同一性を有していた。PCRにより、複数のalternatively spliced formを同定した。そのうちの一つは、Cdc7ファミリーに特徴的なキナーゼ挿入配列内に32アミノ酸の欠失を有していた。また、キナーゼ保存ドメインVIII以後の配列を欠失し、キナーゼ活性を欠くと予想される誘導体も同定された。しかしながら、現在までにこれらの誘導体の機能的意義は不明である。

 muCdc7遺伝子はマウス染色体のバンド5E5に位置し、12エクンンから構成される。そのエクソン/イントロン構造は、CdkやcAMP依存性キナーゼ等、いくつかの他のセリン/スレオニンキナーゼと類似していた。muCdc7のmRNAは広範に発現し、特に胸腺、脾臓および精巣において高い発現量を示した。muCdc7の転写は370塩基対のブロモーター領域にわたって多数の部位から開始され、その転写量は休止期の細胞では低く抑制されており、血清や増殖因子などの添加により増殖を誘導するとG1/S期で増加し、さらにS期を通じて高く保たれた。muCdc7のプロモーター領域をルシフェラーゼ遺伝子の上流に連結したレポーターブラスミドを作製し、これを5’端もしくは3’端から部分的に欠失させた一連の変異体を用いてそれぞれの転写活性を検討した結果、増殖誘導にともなう転写の促進には、3箇所のE2F結合部位と1箇所のSp1結合部位を含む231塩基対のプロモーター領域が十分であることが示された。

 次に、動物細胞Cdc7キナーゼのin vivoにおける機能をより正確に解明するため、キナーゼ活性に必須とされるキナーゼ保存ドメインIおよびIIをneomycin耐性遺伝子(neo)に置換したtargeting vectorを作製し、これを用いて遺伝子欠損マウスを作製した。一方のmuCdc7遺伝子を欠損したmuCdc7+/-ヘテロマウスの表現型は野生型マウスのそれと同一であり、生殖能力も正常であった。このmuCdc7+/-ヘテロマウス同士の交配により得られたF2マウスの遺伝子型を解析した結果、199匹のうち64匹が+/+、135匹が+/-の遺伝子型を示し、-/-すなわち両方のアリルにおいてmuCdc7を欠失したマウスは1匹も存在しなかった。そこで、胎児の遺伝子型を経時的に解析したところ、胎生3.5日(blastocyst)の胎児においては、-/-の遺伝子型を持った個体の存在が確認され、その表現型も正常であった。しかしながら、胎生6.5日およびそれ以後においては、-/-の遺伝子型を持った胎児は検出されなかった。したがって、muCdc7欠損マウスは胎生3.5日から6.5日の間に死亡すると結論された。

 さらに、muCdc7の機能が細胞増殖自体に要求されるのが、あるいはマウスの初期発生に要求されるのかを調べるため、マウス胚性幹細胞(ES細胞)を用いて、muCdc7遺伝子の欠損が誘導可能な条件変異株を樹立した。まず、野生型muCdc7 cDNAをEF1プロモーターの下流にクローン化し、その下流に、PGKプロモーターの制御下にあるpuromycin耐性遺伝子(PGKPuro’)を組み込んだ。得られたmuCdc7-PGKPuroカセットの両側にloxP配列を付加し、この下流に、プロモーターを持たないGFP遺伝子を挿入した。これを+/-の遺伝子型を持つES細胞へ導入し、G418の濃度を通常の約10倍値まで上昇させることによりgene conversionを誘導し、残された野生型のCdc7遺伝子がneo’を含む変異体に置換された細胞株を得た。この細胞株は、Cre recombinaseを発現するアデノウィルスの感染にともない、ほぼ100%の効率でGFP陽性となり、Cre recombinaseの発現によりtransgeneが効率良く切り出されていることが確認された。感染後の増殖を検討した結果、増殖速度が野生型の1/3に、個々の細胞におけるチミジンの取り込みは野生型の1/10に低下しており、これらの変異細胞は感染3日目以後すみやかに死滅した。この結果はmuCdc7が細胞の増殖、特にDNA複製に必須であることを示唆している。

 さらに、前述のtransgeneが1コピー導入された、muCdc7+/-の遺伝子型を持つトランスジェニックマウスを作製した。これとmuCdc7+/-ヘテロマウスとの交配により、内在性のmuCdc7遺伝子を完全に欠損した、生育可能なmuCdc7条件欠損マウスが作製された。

考察

 近年、出芽酵母の細胞周期制御因子および複製制御因子の動物細胞におけるホモログであると考えられる因子が次々と同定されている。しかしながら、その機能が動物細胞の増殖に必須であることが証明されたものは、現在、皆無である。本研究において、動物細胞Cdc7タンパク質の機能がその細胞増殖に必須であることを証明したことの意義は大きい。

 また、本研究で樹立したmuCdc7条件欠損細胞株とレトロウィルスによる遺伝子導入との併用により、muCdc7の種々の変異体を用いた機能検定を動物細胞において行うことが可能となった。加えて、G1期制御因子や複製因子、およびそれらの変異体を過剰発現することにより、muCdc7の欠損を相補する因子を探索することも可能となった。これらの解析を通じて、動物細胞のG1/S期以降の制御機構について新たな知見を加えることができると考えている。

 さらに、今回作製したmuCdc7条件欠損マウスにおいて、組織特異的なmuCdc7の欠損を誘導することにより、特定の臓器、特に、高い発現レベルを示した精巣,および細胞増殖以外の機能が想定される脳におけるmuCdc7の機能を検討することが可能となった。また、このマウスのembryonic fibroblastを用いて、muCdc7の役割を細胞レベルで解析することも可能である。ES細胞では、G1期がきわめて短く、CDK4-CyclinD等の発現がほとんど見られないなど、その細胞周期は通常の体細胞とは異なる制御を受けていることが報告されており、本研究においてもその事実を確認している。今後、変異型muCdc7を発現するES細胞とembryonic fibroblastとを比較することにより、幹細胞と体細胞との間の細胞周期制御の違いについて重要な知見が得られるであろう。この知見は幹細胞の自己複製能、および全能性や多能性を可能にしている細胞内情報伝達系を理解する上でも重要な示唆を与えることが期待される。

審査要旨

 本研究の第一の目的は、構造上の相同性から動物細胞において単離されたCdc7様キナーゼの機能が、動物細胞の増殖、特にDNA複製に関与するかどぅかを決定することである。また、マウスを用いたこの研究の次の目標は、動物細胞Cdc7キナーゼが、種々の細胞系の増殖、臓器や組織の発生および機能発現において果たす役割を明らかにすることであり、以下の結果を得ている。

 1.マウスのCdc7類似キナーゼ(muCdc7)をコードするcDNAは564アミノ酸からなるタンパク質をコードし、そのアミノ酸配列は、キナーゼ保存ドメインにおいて出芽酵母、カエル、ヒトのCdc7類似キナーゼとそれぞれ、46%、77%、93%の同一性を有していた。また、muCdc7遺伝子は5番染色体上、全長23kbにわたって存在し、12のexonより構成されることが分かった。

 2.muCdc7には4種類のalternative splicing variantsが存在し、そのうちの一つは、Cdc7ファミリーに特徴的なキナーゼ挿入配列内に32アミノ酸の欠失を有していた。このcDNA variantはin vitroにおいて、正常なASKとの結合及びキナーゼ活性を示した。また、キナーゼ保存ドメインVIII下流の配列を欠失し、キナーゼ活性を欠く誘導体も同定された。これらを用いた解析から、C末端側の領域がその制御サブユニットであるASKとの結合、およびキナーゼ活性に必須であることが明らかとなった。

 3.成体マウスにおいて、muCdc7のmRNAは広範に発現し、特に胸腺、脾臓および精巣において高い発現量を示した。また、muCdc7の発現は、胎児の発生過程ですでに認められたが、この過程では、成体マウスにおいてみられた転写産物に加えて7.5kbの転写産物がみられた。

 4.muCdc7の転写は370塩基対のプロモーター領域にわたって多数の部位から開始され、その転写量は休止期の細胞では低く抑制されており、血清や増殖因子などの添加により増殖を誘導するとG1/S期で増加し、さらにS期を通じて高く保たれた。プロモーター領域の解析では、3箇所のE2F結合部位と1箇所のSp1結合部位を含む転写開始点近傍の231塩基対の領域が、増殖誘導に応じた転写の促進に必要十分であることが明らかとなった。

 5.動物細胞Cdc7のin vivoにおける機能をより正確に解明するため、ノックアウトマウスを作製した。キナーゼ活性に必須とされるキナーゼ保存ドメインIおよびIIを欠損したCdc7ホモ欠損マウスは1匹も存在しなかった。胎児の遺伝子型を経時的に解析したところ、胎生3.5日(blastocyst)の胎児においては、-/-の遺伝子型を持った個体の存在が正常な比率で確認され、その表現型も正常であった。胎生6.5日においては-/-の遺伝子型を持ち、形態が異常となる胎児が1匹のみ認められたが、その存在比は、非常に低いものであった。胎生7.5日およびそれ以後においては、-/-の遺伝子型を持った胎児は検出されなかった。以上の結果から、Cdc7ホモ欠損マウスは、胎生3.5日から6.5日の間に死亡すると結論した。また、gene conversionを用いてES細胞レベルでCdc7ホモ欠損ES細胞株を樹立しようと試みたが得られなかったことから、マウスCdc7はES細胞の増殖に必須であることが示唆された。

 6.muCdc7の機能が細胞増殖自体に要求されるのか、あるいはマウスの初期発生に要求されるのかを調べるため、muCdc7遺伝子の欠損が誘導可能な条件欠損ES細胞株、および条件欠損マウスを作製した。Cdc7のcDNAをPGKプロモーターの制御下にあるpuromycin耐性遺伝子とともに2つのloxP配列の間に挿入し、その上流にEF1プロモーターを、下流にはプロモーターを持たないGFP遺伝子をそれぞれ連結したトランスジーンを用いて、残された野生型のCdc7遺伝子がneomycin耐性遺伝子に置換された条件欠損ES細胞株を得ることができた。条件欠損ES細胞において、アデノウイルス感染後の増殖を検討した結果、細胞数の増加は全く認められなかった。一方、感染後のthymidineの取り込みは、ヘテロ欠損株に比べて著しく低くかった。また、アデノウイルス感染後の細胞のDNA含量を調べると、ホモ欠損株ではS期に相当するピークが増加した。この結果はmuCdc7が細胞の増殖、特にDNA複製に必須であることを示唆している。

 7.さらに、前述のtransgeneが1コピー導入されたCdc7条件欠損マウスを作製した。内在性のCdc7遺伝子を完全に欠損した2匹の条件欠損マウスが得られたが、その存在比は非常に低かった。また、胎児レベルでの遺伝子型を調べた結果、Cdc7条件欠損マウスは胎生17.5日までは正常な比率で存在するが、胎生17.5日以降の発育段階で死亡することが明らかとなった。

 一方、条件欠損ES細胞株を用いて作製したCdc7条件欠損マウスの場合は、胎児の発生過程には異常は見られなかったが、生後の発育は悪く、いずれも約2週間しか生存できなかった。このことから、ES細胞におけるCdc7の欠損はtransgeneとして用いたCdc7 cDNAの導入により相補されたが、個体レベルではその相補は完全ではないことが明らかとなった。この実験に用いたmuCdc7 cDNAはキナーゼ挿入配列IIに存在する32アミノ酸を欠質したvariantであり、以上の結果は個体の発生には正常な他のvariantの機能あるいは内在性のプロモーターによる発現制御が必要である可能性を示唆する。

 以上、本研究は細胞レベルおよび動物個体レベルにおいて遺伝学的解析を行った結果、動物細胞のCdc7類似キナーゼが細胞増殖、特にDNA複製に必須であることを証明した。また,本研究で用いた方法を応用することにより、一般的に動物細胞の増殖に必須とされる増殖制御因子の細胞周期における機能を遺伝学的に解析することが可能であり、きわめて有用であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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