本研究の第一の目的は、構造上の相同性から動物細胞において単離されたCdc7様キナーゼの機能が、動物細胞の増殖、特にDNA複製に関与するかどぅかを決定することである。また、マウスを用いたこの研究の次の目標は、動物細胞Cdc7キナーゼが、種々の細胞系の増殖、臓器や組織の発生および機能発現において果たす役割を明らかにすることであり、以下の結果を得ている。 1.マウスのCdc7類似キナーゼ(muCdc7)をコードするcDNAは564アミノ酸からなるタンパク質をコードし、そのアミノ酸配列は、キナーゼ保存ドメインにおいて出芽酵母、カエル、ヒトのCdc7類似キナーゼとそれぞれ、46%、77%、93%の同一性を有していた。また、muCdc7遺伝子は5番染色体上、全長23kbにわたって存在し、12のexonより構成されることが分かった。 2.muCdc7には4種類のalternative splicing variantsが存在し、そのうちの一つは、Cdc7ファミリーに特徴的なキナーゼ挿入配列内に32アミノ酸の欠失を有していた。このcDNA variantはin vitroにおいて、正常なASKとの結合及びキナーゼ活性を示した。また、キナーゼ保存ドメインVIII下流の配列を欠失し、キナーゼ活性を欠く誘導体も同定された。これらを用いた解析から、C末端側の領域がその制御サブユニットであるASKとの結合、およびキナーゼ活性に必須であることが明らかとなった。 3.成体マウスにおいて、muCdc7のmRNAは広範に発現し、特に胸腺、脾臓および精巣において高い発現量を示した。また、muCdc7の発現は、胎児の発生過程ですでに認められたが、この過程では、成体マウスにおいてみられた転写産物に加えて7.5kbの転写産物がみられた。 4.muCdc7の転写は370塩基対のプロモーター領域にわたって多数の部位から開始され、その転写量は休止期の細胞では低く抑制されており、血清や増殖因子などの添加により増殖を誘導するとG1/S期で増加し、さらにS期を通じて高く保たれた。プロモーター領域の解析では、3箇所のE2F結合部位と1箇所のSp1結合部位を含む転写開始点近傍の231塩基対の領域が、増殖誘導に応じた転写の促進に必要十分であることが明らかとなった。 5.動物細胞Cdc7のin vivoにおける機能をより正確に解明するため、ノックアウトマウスを作製した。キナーゼ活性に必須とされるキナーゼ保存ドメインIおよびIIを欠損したCdc7ホモ欠損マウスは1匹も存在しなかった。胎児の遺伝子型を経時的に解析したところ、胎生3.5日(blastocyst)の胎児においては、-/-の遺伝子型を持った個体の存在が正常な比率で確認され、その表現型も正常であった。胎生6.5日においては-/-の遺伝子型を持ち、形態が異常となる胎児が1匹のみ認められたが、その存在比は、非常に低いものであった。胎生7.5日およびそれ以後においては、-/-の遺伝子型を持った胎児は検出されなかった。以上の結果から、Cdc7ホモ欠損マウスは、胎生3.5日から6.5日の間に死亡すると結論した。また、gene conversionを用いてES細胞レベルでCdc7ホモ欠損ES細胞株を樹立しようと試みたが得られなかったことから、マウスCdc7はES細胞の増殖に必須であることが示唆された。 6.muCdc7の機能が細胞増殖自体に要求されるのか、あるいはマウスの初期発生に要求されるのかを調べるため、muCdc7遺伝子の欠損が誘導可能な条件欠損ES細胞株、および条件欠損マウスを作製した。Cdc7のcDNAをPGKプロモーターの制御下にあるpuromycin耐性遺伝子とともに2つのloxP配列の間に挿入し、その上流にEF1 プロモーターを、下流にはプロモーターを持たないGFP遺伝子をそれぞれ連結したトランスジーンを用いて、残された野生型のCdc7遺伝子がneomycin耐性遺伝子に置換された条件欠損ES細胞株を得ることができた。条件欠損ES細胞において、アデノウイルス感染後の増殖を検討した結果、細胞数の増加は全く認められなかった。一方、感染後のthymidineの取り込みは、ヘテロ欠損株に比べて著しく低くかった。また、アデノウイルス感染後の細胞のDNA含量を調べると、ホモ欠損株ではS期に相当するピークが増加した。この結果はmuCdc7が細胞の増殖、特にDNA複製に必須であることを示唆している。 7.さらに、前述のtransgeneが1コピー導入されたCdc7条件欠損マウスを作製した。内在性のCdc7遺伝子を完全に欠損した2匹の条件欠損マウスが得られたが、その存在比は非常に低かった。また、胎児レベルでの遺伝子型を調べた結果、Cdc7条件欠損マウスは胎生17.5日までは正常な比率で存在するが、胎生17.5日以降の発育段階で死亡することが明らかとなった。 一方、条件欠損ES細胞株を用いて作製したCdc7条件欠損マウスの場合は、胎児の発生過程には異常は見られなかったが、生後の発育は悪く、いずれも約2週間しか生存できなかった。このことから、ES細胞におけるCdc7の欠損はtransgeneとして用いたCdc7 cDNAの導入により相補されたが、個体レベルではその相補は完全ではないことが明らかとなった。この実験に用いたmuCdc7 cDNAはキナーゼ挿入配列IIに存在する32アミノ酸を欠質したvariantであり、以上の結果は個体の発生には正常な他のvariantの機能あるいは内在性のプロモーターによる発現制御が必要である可能性を示唆する。 以上、本研究は細胞レベルおよび動物個体レベルにおいて遺伝学的解析を行った結果、動物細胞のCdc7類似キナーゼが細胞増殖、特にDNA複製に必須であることを証明した。また,本研究で用いた方法を応用することにより、一般的に動物細胞の増殖に必須とされる増殖制御因子の細胞周期における機能を遺伝学的に解析することが可能であり、きわめて有用であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |