c-kitは、血球系細胞の増殖因子である幹細胞因(stem cell factor;SCF)の受容体である。c-kitは血球系細胞のみならず、神経系細胞にも発現することが報告されており、SCF(Sl)、c-kit(W)の突然変異マウスの解析においてc-kitの異常は学習機能や記憶に障害をおよぼすことは観察されている。しかし血球系に比べて、神経細胞でのc-kit役割は未だ明かにはされていない。神経系におけるこのレセプターの発現は、胎生期から神経管に認められ、成人ではグリア細胞と一部の神経細胞に発現が認められる。グリアに属する星状膠細胞(アストロサイト)ではc-kitの発現が認められるが、腫瘍化した星状細胞腫(アストロサイトーマ)ではその発現は消失する事が報告され、アスロサイトの腫瘍化とc-kitの発現には何らかの関与がある可能性が示唆された。そこでアストロサイトーマ、及び初代培養アストロサイトにアデノウィルスベクター(AxCA-c-kit)を用いて、マウスc-kitを導入し、その変化を観察した。またコントロールにはGFPのみを発現するAxCA-GFPを作製し実験に用いた。 1)作製したAxCA-c-kitは高率にアストロサイトーマに感染し、c-kit陽性アストロサイトーマはSCFの添加により約40%がアポトーシスを起こすことが、Annexin Vを用いたFACS解析にて確認された。これに対し、血球系細胞であるBA/F3に持続的にc-kitを発現する細胞株では、SCFの添加は逆にアポトーシスを阻害する事が観察された。導入されたc-kitがリン酸化されていることがウェスタンブロットなどの解析から明かとなった。これはアストロサイトーマがc-kitのリガンドであるSCFを持続的に産生しており、オートクリンまたはパラクリンにc-kit発現細胞を活性化し、アポトーシスを誘導していることを明らかにした。 2)c-kitのキナーゼ活性サブユニットの機能を失った点変異体を、GFPをマーカーとしてレトロウイルスベクターを用いて導入した。このキナーゼ活性を失ったc-kitはSCFの添加によってもアポトーシスを誘導せず、さらに野生型c-kitの過剰発現によるアポトーシスを抑制した。すなわちc-kitの細胞内チロシンキナーゼの活性が、アストロサイトーマのアポトーシス誘導に必須であることが確かめられた。 3)p53およびカスパーゼファミリーは、いろいろな細胞系においてアポトーシスの誘導に中心的な役割を担っているが、c-kitの発現によるアポトーシスの誘導においてはp53は誘導されず、p53非依存的アポトーシスであった。一方、カスパーゼファミリーの中で、イニシエーター酵素と呼ばれるカスバーゼ1、2、8、9の抑制剤であるzVAD-FMKにより、c-kitによるアストロサイトーマのアポトーシスは抑制され、c-kitを介したシグナルによりカスパーゼが活性化されてアポトーシスが誘導される可能性が示唆された。 4)生後1日のマウス脳よりアストロサイトの初代培養を行った。アデノウイルスベクターを用いてc-kitを導入し、多数の細胞にc-kitを発現させたが、アストロサイトーマとは異なり、アポトーシスは観察されなかった。アストロサイト初代培養細胞も持続的にSCFを産生し、発現させたc-kitの自己リン酸化が見られたことからc-kitが活性化されていることは確認され、シグナル伝達系の下流が、アストロサイトーマと異なると考えられた。 以上本研究により、神経系を起源とするアストロサイトーマのような腫瘍細胞において、腫瘍化の過程においてc-kitを介するシグナルは、アポトーシスを誘導するシグナル伝達系を活性化するようになると考えられ、正常細胞や血液細胞系におけるc-kitの作用とは、全く異なる役割があることが明らかとなった。また脳腫瘍の中でも頻度が高く難治性であるアストロサイトーマの新しい治療法として、c-kitを遺伝子導入し腫瘍死をおこさせるという新たな遺伝子治療の可能性が開かれた。 |