近年、高齢化が進むのに伴い、アルツハイマー病の克服は社会的課題となっている。アルツハイマー病は神経細胞の病的な脱落として特色づけられる。現在ではアルツハイマー病の分子レベルでの解析は家族性アルツハイマー病の遺伝学的解析により発見された原因遺伝子や、神経原線維変化の主成分のタウ蛋白を中心に展開されているものの、その発症メカニズムは未だに不明な点が多い。そこで本研究室ではアルツハイマー病発症に関与する更なる分子を見出すことが重要と考え、アルツハイマー病脳を対象として、その発現が著しく変化する遺伝子をDNAアレイ法の一種である高密度cDNAフィルター法(HDCFA)及びディファレンシャルディスプレイ法(DD)を用いて探索した。その結果、アルツハイマー病患者にて発現が劇的に減少している遺伝子が単離された。 この遺伝子産物は1128アミノ酸残基からなり、これと最も高いホモロジーを示した分子は、既にラットで報告されているNap1(Nck associated protein1)であり、97.3%ものホモロジーが認められた。そこでこの遺伝子をhNap1(NCKAP1)と名付けた。hNap1(NCKAP1)の転写産物ば約4.2kbであり、血球系以外の全ての組織でユビキタスに発現していた。Nap1はシグナル伝達系におけるアダプター蛋白質であるNckの1st SH3 domainと結合する125kDの分子として単離された。Nap1はNck以外に、細胞骨格・細胞接着制御のシグナル伝達系にてアクチン重合に関わるProfilin II,細胞周期の進行、DNA合成、JNK活性化、小脳における軸索伸長制御、細胞骨格・細胞接着制御のシグナル伝達系にて機能するRac1と相互作用することが報告されている。従って、hNap1(NCKAP1)はシグナル伝達系で機能する可能性が高い。 我々はhNap1(NCKAP1)のアンチセンスを神経芽細胞腫であるLA-N-5に導入すると、アポトーシスを引き起こしたという、Nap1の新たな機能を発見したが、これが本研究の発端である。そこで、私はhNap1(NCKAP1)が神経細胞死に関与する分子メカニズムを解明することを目的として以下の解析を進めた。 まず、Nap1との相互作用が報告されているNck,Profilin II,Rac1と、hNap1(NCKAP1)との相互作用をin vitroの系であるpull down assay法にて調べた結果、hNap1(NCKAP1)とNckとの結合は認められたが、Profilin II及びRac1との結合は私の行った実験系においては検出されなかった。hNap1(NCKAP1)が更に別の分子と相互作用し、シグナル伝達経路を形成していることは十分に考えられる。そこで、yeast two-hybrid systemを用いてhuman brain cDNA libraryをスクリーニングした。その結果、hNap1(NCKAP1)と相互作用する蛋白質を新たに見出した。この蛋白質をhNap1BP(hNap1 Binding Protein)と名付けた。 hNap1BP遺伝子の転写産物は2.3kbで、hNap1(NCKAP1)と同様に様々な組織でユビキタスに発現していた。また、予想されるアミノ酸の一次構造は452アミノ酸残基から成る。FASTA programにてホモロジー検索した結果、Abl interactor protein familyに属するAblBP4と最も高いホモロジーを示した。hNap1BPは、AblBP4より蛋白レベルで1アミノ酸残基多く、DNAレベルでは97%のホモロジーを有する。AblBP4はAbl interactor proteinとして、活性化T細胞からyeast two-hybrid systemによるスクリーニングで得られた分子である。その構造的特徴として、SH3 domain,SH3 domainが結合するPXXP motif,蛋白の迅速な分解に関与するPEST sequenceが含まれることが挙げられる。 次にhNap1(NCKAP1)の欠失変異体を作成し、yeast two-hybrid systemにてhNap1(NCKAP1)とhNap1BPとの結合部位を調べた。その結果、hNap1(NCKAP1)のアミノ酸残基498-844が結合に必要であることが示唆された。更に、in vitroの系にて、35S-MetでラベルしたhNap1(NCKAP1)とNIH3T3にhNap1BPを一過的発現させた細胞のライセートと免疫沈降して両者の結合を確認した後、35S-MetでラベルしたhNap1BPと293T及びNIH3T3にhNap1(NCKAP1)の欠失変異体を一過的発現させた細胞のライセートと免疫沈降した結果、hNap1BPとの結合に必要なhNap1(NCKAP1)の部位はアミノ酸残基498-865であることが分かった。この結果はin vivoの系であるtwo-hybrid systemを用いた結果と殆ど一致した。そして興味深いことに、hNap1(NCKAP1)のNckとhNap1BPとの相互作用の差異を、免疫沈降法にて比較すると、hNap1BPとの結合の方が強いことが示唆された。 次にAblBP4との最も高いホモロジーを示したことから、hNap1BPがAblBP4が結合するc-Ablと結合するか否かをin vitroの系であるpull down assay法を用いて調べた結果、c-AblのSH3 domainを介して結合することが確認できた。また、興味深いことにhNap1BPはNck 1st SH3 domainとも直接結合することも見出した。以上から、hNap1(NCKAP1)が新たにhNap1BPを介してc-Ablにつながっている可能性が強く示唆された。 c-Ablは、p53非依存的なメカニズムによるアポトーシス誘導、p73を制御することにより、p73のアポトーシス誘導機能を強める作用、また、アポトーシスの誘導に関係しているSAPK/JNKとp38MAPKを活性化することが分かっている。このことを考えると、我々が先に見出したhNap1(NCKAP1)の発現抑制で生じるアポトーシスは、NckからhNap1BPを介してc-Ablに伝達されるシグナルの何らかの異常によって引き起こされることが可能性の1つとして考えられる。 また、マウスにおいて、hNap1(NCKAP1)及びhNap1BPのホモログが存在するので、マウス脳に対してin situ hybridizationを行ったところ、両者共、神経細胞が多く存在しているhippocampusにて強く発現していることが分かった。この部位はアルツハイマー病に特異的な神経細胞脱落が認められる部位と一致している。 昨今、モデル生物であるC.elegansの全ゲノム配列が決定されたことにより、reverse geneticsを用いた遺伝子の機能解析が隆盛となっている。hNap1(NCKAP1),hNap1BPはC.elegansに各々similarityが69%,64%あるホモログが存在することが判った。これはhNap1(NCKAP1),hNap1BPの機能が進化的に保存されていることを示唆するものである。そこでhNap1(NCKAP1),hNap1BPの生体内での機能を推定する目的で、RNAiにより遺伝子破壊を行ったところ、両遺伝子共表現型が胚致死であった。このことは哺乳類においてもhNap1(NCKAP1),hNap1BPが発生段階等で重要な役割を果たしている可能性を示唆している。 |