内容要旨 | | 真核細胞内では,タンパク質や脂質はさまざまな速度で動く細胞内小器官あるいはタンパク複合体として正しい場所へ分別・輸送されている。キネシンスーパーファミリー(KIFs)はこの過程にかかわる微小管系モータータンパク質の一群で,そのうちKIF3AとKIF3Bは,結合タンパクKAP3とともにヘテロ3量体のKIF3複合体を形成する。これまでの研究により,マウスのKIF3複合体は神経軸索内でシナプス小胞とは異なるある種の膜小胞を微小管の+端方向に運ぶことがわかっている。一方クラミドモナスや線虫のKIF3ホモログは線毛・鞭毛内の微小管に沿ってraftと呼ばれるタンパク複合体の粒子を運んでいて,この輸送は線毛・鞭毛発生に必須であることが示されている。 私はKIF3複合体のin vivoでの機能およびKIF3によって行われる輸送の意義を調べるため,KIF3Bのノックアウトマウスを作成した。そのホモ接合体は胎生12.5日までにすべて死亡し,胚は体の左右性のランダム化,心臓周囲の浮腫,成長遅延,神経管閉鎖不全,波打った形状の神経管など多岐にわたる異常を示した。これらの表現型のうち私達は左右性の問題に注目し解析を行った。 哺乳類の発生において左右非対称が形態上明らかになるのは心臓ループ形成で,マウスでは胎生9.0日頃にあたる。それ以前,胎生8.0日の体節形成期に既にnodalやlefty-1,lefty-2など左右非対称に発現する遺伝子群がみられ,これらのカスケードがその後の非対称な発生を決めていることがわかっている。最初に左右が区別されるカスケードの起点はまだ不明だが,胚の子宮外培養実験において培養する胚のステージと内臓逆位が起きる頻度の関係から,時期としては神経板形成早期(early neural plate stage,胎生7.5日頃)だろうと示唆されている。この時期は原腸陥入の時期でもあり,陥入部位にはノードという原口と相同な構造がみられる。ノードが左右決定に重要な働きを果たすことは多くの研究が示している。一方,ヒトのカルタゲナー症候群に代表される遺伝性の線毛運動異常では左右性がランダムになりその半数の個体に内臓逆位を引き起こすことから,線毛運動が左右決定に重要であることも古くから予想されていた。実はノード腹側表面は哺乳類や鳥類の発生で最初に線毛ができる場所である。しかしこの線毛は細胞1個につき1本だけ生える,中心微小管を欠いた9+0構造であるなど,気管や卵管の線毛とは異なる特殊な線毛,一次線毛(primary cilium)に分類される特徴を持っている。一次線毛は運動能力を持たず何の役にも立たないものと広く信じられてきたため,それが左右決定に関与している可能性は殆ど無視されてきた。 私はまず左右決定の遺伝子発現カスケードにおけるKIF3Bの位置を決定するため,lefty-2の発現を調べた。lefty-2は正常胚では左側板中胚葉に発現するが,ノックアウト胚では両側性に発現するか,どちらにも発現しなかった。つまりKIF3Bはlefty-2よりも上流の過程で働いていることが示された。 続いて,ノードの線毛を観察した。走査電顕・透過電顕の観察により,ノックアウト胚は基底小体を除くすべての線毛構造を欠いていることがわかった。つまりKIF3Bは線毛発生に必須であることが示された。一方,抗体を用いて正常胚のノード線毛におけるKIF3Bの局在を調べると,観察したすべての線毛に点状の局在が見られた。よって,KIF3Bもクラミドモナスや線虫のホモログと同様にraftを運ぶことで線毛形成に関与していることが強く示唆された。 さらに,ノード線毛と左右決定の直接的な関係を調べるため,生きた胚のノードをビデオ顕微鏡法により観察したところ,線毛は回転運動をすることがわかった。胚を浸している培養液に直径70nmの蛍光ラテックスビーズを加え線毛の作る水流を可視化したところ,ノード上の領域にのみ胚の右側から左側へ向かう流れ「ノード流」がみられた。ノード流は,線毛のないノックアウト胚では観察されなかった。 以上まとめると,私は従来動くとは思われていなかったノード線毛が実は運動していて,哺乳類の発生においてもっとも早い左右非対称,ノード流をつくることを発見した。そしてKIF3Bはこの時期に起こる左右決定と線毛形成の両方に必須であることを明らかにした。この結果と他の知見と併せ,私は体の左右が決定される機構として革新的なモデルを提唱する。つまり,分泌性の因子がノード流によってノードの左側に濃縮され,それが体の左側を定義する遺伝子カスケードへの引き金を引くというものである。 |
審査要旨 | | 本研究は微小管系モータータンパク質のひとつKIF3Bのin vivoでの機能を知るためそのノックアウトマウスを作成し,そのホモ接合体の胚にみられる異常を解析したもので,下記の結果を得ている。 1.KIF3B欠失胚は胎生12.5日までにすべて死亡し,体の左右性のランダム化,心臓周囲の浮腫,成長遅延,神経管閉鎖不全,波打った形状の神経管など多岐にわたる形態異常を示した。 2.体の左側を定義する最初期の遺伝子のひとつlefty-2は,正常胚では体節形成期の左側板中胚葉に発現するが,KIF3B欠失胚では両側性に発現するか,あるいはまったく発現していなかった。つまり左右決定過程においてKIF3Bはlefty-2よりも上流に位置することが示された。 3.左右決定過程に重要と考えられているノードと呼ばれる部位において,KIF3B欠失胚は基底小体より先の線毛構造を全く欠いていることを走査電顕・透過電顕の観察により見いだした。 4.蛍光抗体法によって,KIF3Bが正常胚のノードの線毛上に点状に局在することを見いだした。この結果からKIF3Bは他生物種のホモログ同様,線毛の構成成分として線毛発生に直接関与していることが強く示唆された。 5.正常なノードをビデオ顕微鏡法により観察し,その線毛が通説に反し回転運動していることを見いだした。さらに胚を浸している培養液に微小な蛍光ラテックスビーズを加え線毛の作る水流を可視化し,ノード上の領域にのみ胚の右側から左側へ向かうビーズの定常的な流れ「ノード流」を見いだした。 6.線毛を欠くKIF3B欠失胚についても同様の観察を行い,これらがノード流を欠くことを見いだした。つまり,ノード流が線毛運動の結果であることを明らかにした。 以上,本論文はKIF3B欠失胚の解析を通して,この遺伝子が線毛発生と左右決定の両方に必須であることを明らかにし,この線毛の運動による水流「ノード流」が左右決定の最初の引き金となる可能性を示唆した。本研究は哺乳類の左右決定のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。 |