学位論文要旨



No 115363
著者(漢字) 前田,仁士
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ヒトシ
標題(和) 内在性カルシウム結合蛋白質による小脳プルキンエ細胞の非線形的カルシウムシグナル
標題(洋) Supralinear Ca2+ Signaling by Cooperative and Mobile Ca2+ Buffering in Purkinje Neurons
報告番号 115363
報告番号 甲15363
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1549号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 三品,昌美
内容要旨

 【背景】細胞内カルシウムイオン(以下Ca2+)は多くの重要な細胞機能の調節に関わっており、その緩衝、拡散機構は細胞内情報伝達に大きな影響を与えると考えられる。一般に、細胞質のCa2+結合能は高く、比較的固定されているのでCa2+の拡散は遅くなり、Ca2+濃度上昇は局所的になりやすい。この様な非特異的Ca2+結合能に加えて、神経細胞では高親和性でかつ拡散性と推定されるCa2+結合蛋白質が種類特異的に発現されている。例えば小脳のプルキンエ細胞ではcalbindin-D28kやparvalbuminなどのCa2+結合蛋白質が高濃度に発現している。これらのCa2+結合蛋白質には神経細胞保護的な役割があると考えられて来た。これに加えて最近になり、calbindin-D28kの欠失動物において小脳失調や空間記憶の障害などが報告され、それらの神経細胞のCa2+結合蛋白質は神経において何らかの計算的な過程に関与することが推定されるに至った。しかし、神経細胞の高親和性Ca2+緩衝能はまだ定量的に測定されたことはなかった。そこで本研究ではプルキンエ細胞のCa2+緩衝能を定量化するために低親和性カルシウム蛍光指示薬BTC(benzothiazole coumarin)を用いカルシウム画像解析を行った。その結果、プルキンエ細胞には一般の細胞にも存在する低親和性で拡散し難いCa2+緩衝能に加えてcalbindin-D28kと生化学的特性の類似する、高親和性で協調的な結合部位をもち、拡散性のCa2+緩衝能が存在することが明らかとなった。このように極めて異なるCa2+結合特性をもった2種類のCa2+結合分子が存在する場合、Ca2+濃度変化の時間空間分布は非線形なケーブル方程式で現され、Ca2+結合能の飽和により複数のカルシウムシグナルの同期検知が可能であることがわかった。このような非線形的Ca2+動態は例えばHebb型学習の際に生じるシナプス同時入力の検出機構などの脳内計算過程に使われていることが推定される。

 【方法】胎生15-18日目のマウス小脳を摘出し、カバーガラス上に分散培養を行って3-5週間後に成熟したプルキンエ細胞を得た。また、牛副腎髄質から取り出したクロマフィン細胞は数日間培養した。これらの培養細胞を60倍の水浸対物レンズで観察し、ホールセルモードのパッチクランプ法で膜電位固定しておいて電流測定を行い、同時にカルシウム画像解析を行った。カルシウム画像解析はカルシウム蛍光指示薬BTCまたはFura-2をパッチピペットに細胞内注入液とともに充填し、ポリクロメーターから2波長の励起光(340nmと380nmまたは430nmと480nm)を細胞に照射して得られる1組の蛍光を冷却CCD(charge coupled device)カメラシステムで捉えて画像化し、背景蛍光を差し引いた後に蛍光比像を得た。この蛍光比像は細胞内Ca2+濃度の変化に対応するため、細胞内注入液を3種類のCa2+濃度に分けたものをそれぞれ直に対象細胞に導入することで蛍光指示薬のin vivo較正を行い、Ca2+濃度に換算した。さらにケイジドカルシウム化合物DMNPE-4(dimethoxynitrophenyl-EGTA-4)をパッチピペットから細胞内に注入しておき、一定時間紫外光を細胞に当てることにより部分破壊させ、細胞内のCa2+濃度を一定量ずつ高めた時の細胞内Ca2+濃度の上昇を定量的に解析した。

結果1.プルキンエ細胞は非線形なカルシウム応答を示す

 提出論文Fig.1で示されるようにプルキンエ細胞を-70mVに膜電位固定しておき、0.5秒間0mVに脱分極した。低親和性カルシウム蛍光指示薬BTCを用いて細胞内Ca2+濃度の上昇を定量すると約1Mを閾値としてシグモイダル、即ち2相に変化することがわかった。また一旦上昇したCa2+濃度が減衰する際にも同様に2相に経過することがわかった。このCa2+濃度上昇は膜電位依存性カルシウムチャンネル阻害剤AgaIVaを用いることでほぼ完全に阻害された。また、同様な非線形的なカルシウム応答はプルキンエ細胞の登上線維入力を模倣する低頻度(1-4Hz)の短い脱分極パルス(10-50ms)の繰り返し刺激でも見られた(Fig.2)。これらの非線形的なカルシウム応答は高親和性カルシウム蛍光指示薬Fura-2を用いても観察されるが、Fura-2のCa2+による飽和のために非線形応答の定量的測定は困難であることがわかった(Fig.3)。

2.細胞内に存在するCa2+緩衝能が非線形応答を作り出す

 この非線形的なカルシウム応答を検討した結果、繰り返し脱分極刺激の際にカルシウム電流が増えず(Fig.4A-D)、また細胞内ストアからの放出が寄与しているのでもないことがわかった(Fig.4E-H)。そこでCa2+で飽和した高親和性ケイジドカルシウム化合物DMNPE-4(KCa=19nM)を直接プルキンエ細胞に導入し、6%の破壊率で繰り返し紫外光を照射して一定量ずつのCa2+を細胞内に放出させてみたところ、繰り返し脱分極刺激のときと類似した非線形的Ca2+濃度の上昇が見られた(Fig.5)。これらのことから、脱分極刺激に対する非線形的カルシウム応答は高親和性のCa2緩衝能の存在によると考えられた。それらのデータを定量的に解析した結果、プルキンエ細胞には高親和性と低親和性の2種類のCa2+緩衝能が存在することがわかった。高親和性緩衝能(KCa=0.37M)はHill係数が2で現される協調的なCa2+結合部位をもち、高濃度(0.36mM)存在し、これが飽和することでCa2+濃度上昇の非線形性が起こる。このケイジド試薬を用いた方法論の有効性は、高親和性Ca2+結合蛋白質の発現していない牛副腎髄質細胞において検証された(Fig.7)。

3.高親和性Ca2+緩衝能は細胞内で拡散性である

 プルキンエ細胞を脱分極した際、マイクロモルレベルの細胞内Ca2+濃度の急峻な勾配が観察されることから、Ca2+の拡散は細胞内Ca2+濃度が高い時(>1M)には制限されていることが予想された。そこで細胞体において脱分極刺激直後のCa2+濃度の緩和過程を定量的に検討し、細胞内に内在する2種類のCa2+結合部位の拡散係数を求めた。その結果、細胞内Ca2+は濃度が1M以下の時はそれ以上の時に較べて圧倒的に拡散しやすいことがわかり、拡散係数は高親和性Ca2+結合部位が約80m2/s,低親和性のそれは15m2/s以下であることがわかった。

 【考察】小脳プルキンエ細胞には高親和性Ca2+結合蛋白質として特にcalbindin-D28kとparvalbuminの2つが発現していることが知られている。この中で、我々が観察したカルシウム応答の非線形性はcalbindin-D28kによると考えられた。その根拠としてcalbindin-D28kは(1)我々の実験から予想されたように高濃度存在することが知られており、(2)高親和性で協調的な結合部位を4つ持ち、(3)Ca2+結合が速く、(4)拡散性の蛋白質であり、(5)この蛋白質の欠失動物では、高親和性Ca2+緩衝能が著しく低下した、と考えるとそのカルシウム動態は極めてよく説明される、ことなどが挙げられる。

 最後にプルキンエ細胞におけるCa2+緩衝能の生理的意義を考察する。(1)まず細胞内Ca2+は濃度が1M以下の時は高親和性緩衝能が有効に働いてカルシウム動態に影響を及ぼす。高親和性緩衝能が存在することによりCa2+濃度変化の時定数が長くなり、またその緩衝部位が拡散することによりCa2+の見かけの拡散定数は大きくなり、拡散の長さ定数も増大する(Fig.9E)。即ちcalbindin-D28k発現細胞においてCa2+は例えばcAMP同様の拡散性のセカンドメッセンジャーとして働く。(2)そしてその高親和性Ca2+緩衝能が飽和するとカルシウムシグナルの非線形性が生じるが、高親和性Ca2+緩衝能の拡散はこの非線形効果も増強する。即ちある時間幅である部位に同時に2つのCa2+の動員があったとすると、単独で動員があった時に上昇する濃度の単純和以上に大きく上昇するが、さらに高親和性結合部位が拡散することを考慮に入れるとその増強効果がより大きくなるだけでなくより狭い時間幅でのみ起きることがわかった(Fig.9H,I)。(3)最後にCa2+濃度が1M以上の時は固定した低親和性Ca2+結合能が寄与し、空間的に限局した部位でカルシウム応答が生じるようになる。このようなカルシウムシグナルの特性はプルキンエ細胞における長期抑圧(LTD)のようなシナプスの同時入力を検出する機構に関与することが示唆された。以上のようにCa2+結合蛋白質はある種の神経細胞には特異的に発現することが知られていることから、今後それらの細胞のカルシウムシグナルや可塑性を考える際にはこの様なマイクロモルレベルのCa2+濃度上昇、2相性のカルシウム動態を考える必要がある。

審査要旨

 本研究は小脳プルキンエ細胞で長期抑圧(LTD)を誘発する非線形なCa2+濃度変化をCa2+緩衝作用の点から検討するため、Ca2+緩衝能の定量化を低親和性カルシウム蛍光指示薬と高親和性ケイジドカルシウム化合物を用いカルシウム画像解析を行うことで計ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.培養小脳プルキンエ細胞を-70mVに膜電位固定しておき、0.5秒間0mvに脱分極し、低親和性カルシウム蛍光指示薬BTCを用いて細胞内Ca2+濃度の上昇を定量した。すると約1Mを閾値としてシグモイダル、即ち2相に変化することがわかった。また一旦上昇したCa2+濃度が減衰する際にも同様に2相に経過することがわかった。このCa2+濃度上昇は膜電位依存性カルシウムチャンネル阻害剤AgalVaを用いることでほぼ完全に阻害された。また、同様な非線形的なカルシウム応答はプルキンエ細胞の登上線維入力を模倣する低頻度(1-4Hz)の短い脱分極パルス(10-50ms)の繰り返し刺激でも見られた。これらの非線形的なカルシウム応答は高親和性カルシウム蛍光指示薬Fura-2を用いても観察されるが、Fura-2のCa2+による飽和のために非線形応答の定量的測定は困難であることがわかった。

 2.繰り返し脱分極刺激の際にカルシウム電流の大きさには変化がないのに対し、[Ca2+]iは途中から大きく変化したため、非線形的なカルシウム応答は流入するカルシウム電流が増えるためではないことがわかった。

 3.細胞内ストアからのCa2+放出効果を除くため、細胞内ストアへのSERCA(Sarco-endoplasmic reticulum Ca2+)pumpの阻害剤であるCyclopiazonic acid(CPA)を還流液に加えにも拘わらず繰り返し脱分極刺激には大きな影響を受けることなくやはり非線形的に大きくCa2+濃度は上昇することがわかった。さらにRyRの阻害剤であるRuthenium redもパッチピペット内に加えておいてもカルシウム応答は変わらず、これは既に報告されているスライス標本の結果とは異なるため、非線形的なカルシウム応答には細胞内ストアからのCa2+放出はほとんど関係ないことがわかった。

 4.Ca2+で飽和した高親和性ケイジドカルシウム化合物DMNPE-4を直接プルキンエ細胞に導入し、6%の破壊率で繰り返し紫外光を照射して一定量ずつのCa2+を細胞内に放出させてみたところ、繰り返し脱分極刺激のときと類似した非線形的Ca2+濃度の上昇が見られた。

 5.上記で得られたデータを定量的に解析した結果、プルキンエ細胞には高親和性と低親和性の2種類のCa2+緩衝能が存在することがわかった。高親和性緩衝能(KCa=0.37M)はHill係数が2で現される協調的なCa2+結合部位をもち、高濃度(0.36mM)存在し、これが飽和することでCa2+濃度上昇の非線形性が起こると結論された。このケイジド試薬を用いた方法論の有効性は、高親和性Ca2+結合蛋白質の発現していない牛副腎髄質細胞において検証された。またこの高親和性緩衝能はこの細胞に多量に発現しているCa2+結合蛋白質であるcalbindin-D28kと生化学的特性が類似することもわかった。

 6.細胞体において脱分極刺激直後のCa2+濃度の緩和過程を定量的に検討し、細胞内に内在する2種類のCa2+結合部位の拡散係数を求めた。その結果、細胞内Ca2+は濃度が1M以下の時はそれ以上の時に較べて圧倒的に拡散しやすいことがわかり、拡散係数は高親和性Ca2+結合部位が約80m2/s,低親和性のそれは15m2/s以下であることがわかった。

 7.高親和性緩衝能が存在することによりCa2+濃度が1M以下の時にはCa2+濃度変化の時定数が長くなり、その緩衝部位が拡散することによりCa2+の見かけの拡散定数は大きくなることがわかった。即ち登上線維入力のような低頻度のシナプス入力刺激でも十分にCa2+が蓄積してプルキンエ細胞の機能調節には有効に働けることがわかり、Ca2+は例えばcAMP同様の拡散性のセカンドメッセンジャーとして働けることがわかった。

 8.高親和性Ca2+緩衝能が飽和するとカルシウムシグナルの非線形性が生じるが、さらに高親和性結合部位が拡散することを考慮に入れるとその効果がより強くなるだけでなくより狭い時間幅でのみ起きることがわかった。そしてCa2+濃度が1M以上になると固定した低親和性Ca2+結合能が寄与し、空間的に限局した部位でカルシウム応答が生じるようになるため、プルキンエ細胞における長期抑圧(LTD)を誘発する時のようなシナプスにおける複数のカルシウムシグナルの同期検知が可能であることがわかった。

 以上、本論文は小脳プルキンエ細胞のカルシウム画像解析から内在するCa2+緩衝能の定量化を試みたものであり、高親和性で且つ拡散性と低親和性で且つ固定性の2種類のCa2+結合分子が存在することを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった神経細胞に内在するCa2+結合分子の役割を明らかにした点で、今後Hebb型学習の際に生じるシナプス同時入力の検出機構などの脳内計算過程の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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