学位論文要旨



No 115365
著者(漢字) 竹内,倫徳
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,トモノリ
標題(和) 情動行動におけるNMDA受容体2サブユニットの役割
標題(洋) Role of the NMDA receptor epsilon 2 subunit in the emotional behavior
報告番号 115365
報告番号 甲15365
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1551号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 講師 辻本,哲宏
内容要旨 序論

 NMDA受容体チャネルはグルタミン酸と電位の両方に依存して開口する性質より、連合スイッチとしてシナプス可塑性の分子的基盤を担っていると考えられている。cDNAクローニングによりNMDA受容体チャネルは4種のGluRサブユニット(1-4)と1種のGluRサブユニット(1)より構成されていることが明かとなった。記憶・学習に重要な役割を果たすと考えられている成熟脳の海馬、大脳皮質では、4種のサブユニットのうち1と2サブユニットが強く発現している。ノックアウトマウスの解析より1サブユニットは海馬における長期増強及び、文脈依存学習の閾値を規定していることが明らかとなった。一方、2サブユニットホモ欠損マウスは出生後死亡し、体性感覚地図の形成に異常が見られた。従って、2サブユニットの成体における生理機能は不明であった。

 2サブユニットヘテロ欠損(2(+/-))マウスは正常に発生、生育し、繁殖する。ウエスタン解析より、2(+/-)マウスでの2サブユニット蛋白の発現量は野生型(2(+/+)マウス)のほぼ半分に減少していることが明らかとなっている。また、2サブユニットは発生初期の海馬長期抑圧に関与することが示唆されているが、最近、成熟した脳においても神経可塑性に大きく影響していることが明らかとなってきた。2(+/-)マウスではfimbrial-CA3シナプス特異的にシナプス電流に占めるNMDA成分の比率が減少しており、更に長期増強の低下が観察された。海馬における長期増強は記憶・学習に重要な役割を果たしていることが示唆されている。そこで本研究では、2サブユニットの成体における生理機能を明らかにするために、海馬CA3における長期増強に異常が観察された2(+/-)マウスの学習能力の検討を行った。

方法と結果

 光学顕微鏡レベルでの組織学的解析の結果、2(+/-)マウスで形態学的異常は認められなかった。また、2ホモ欠損マウスで明らかとなった髭に対応した樽状神経パターン(バレレッテ構造)の異常は2(+/-)マウスでは見られなかった。よって2(+/-)マウスでは胎生期の分化・発生における大きな異常はないと考えられる。

 近年、マウスの遺伝的背景が行動解析に多大な影響を与えることが報告されている。マウス近交系の中でもC57BL/6系統(B6)は学習行動に優れた系統であることが示唆されている。我々の研究室で作製された2欠損マウスはB6とCBAのF1胚盤胞より樹立されたTT2細胞を使用しており、また、ターゲティングベクターはB6ゲノムを使用している。B6系統と繰り返し、戻し交配を行うことにより、遺伝的背景の99.9%がB6系統由来である2サブユニット欠損マウスラインの確立を行った。

 バッククロスを行ったNMDA受容体2(+/-)マウスを用いて文脈依存学習テストをおこなった。文脈呈示時間は3分で、電気刺激は1回、トレーニングを行った24時間後にテストした。驚くべきことに海馬CA3における長期増強の低下が観察された2(+/-)マウスは2(+/+)マウスと比較してトレーニング直後及び24時間後テストどちらにおいても有意に高いフリージングの割合を示した。このフリージング反応の亢進が文脈学習能力の向上であるかどうかを検討するために連合学習の成立しない文脈呈示時間0分でのテストを行った。2(+/-)マウスは文脈呈示時間0分においてもフリージングを示すことより、文脈呈示時間は3分でのフリージングの亢進は必ずしも文脈依存学習能力の亢進を表しているわけではないことが示唆された。電気ショックの閾値を測定した結果、2(+/-)マウスでは閾値が若干低下しているので、このようなフリージングの亢進の部分的な原因として痛覚閾値の低下が考えられる。また、文脈依存学習テストは恐怖の条件付けテストであるため、別の可能性として、情動性の異常が考えられる。

 2ヘテロ欠損マウスの情動性を検討するため恐怖条件付けによりその反応性が亢進することが知られている音による驚愕反射を測定した。120dBの音を60回聞かせたときの2(+/-)マウスの驚愕反射は2(+/+)マウスと比較して約2倍亢進していた。また、1、3、4ヘテロ欠損マウスでは異常が観察されなかったことより、驚愕反射の亢進は2(+/-)マウスに特異的に見られる現象であることが明らかとなった。このことは2サブユニットは成熟脳において特異的な働きを担っていることを示唆する。更に70〜120dBの間の9種類の音刺激による驚愕反射を測定した結果、2(+/-)マウスは、2(+/+)マウスが驚愕反射をほとんど起こさない90dB付近でも驚愕反射が生じていることが明らかとなった。即ち、驚愕反射の閾値が低下していることが示された。またPPIに関しても2(+/-)マウスで亢進していることが示された。

 2(+/-)マウスの情動行動について更に検討するため、明暗箱テストを行った。2(+/-)マウスは2(+/+)マウスと比較して明るい部屋での滞在時間が短いことが明らかとなった。即ち、野生型と比較して不安が亢進していることが示唆された。

考察

 バッククロスを行い高い遺伝的背景の均一性を有する2欠損マウスラインを確立したことにより、2遺伝子欠損による生理機能への影響をより明確に解析することが可能となった。

 文脈学習テストの解析より2(+/-)は2(+/+)マウスと比較してフリージング反応が亢進していることが明らかとなった。しかしながらこのフリージング反応の亢進は必ずしも文脈学習能力の亢進では無いことがコントロール実験より示唆された。文脈呈示時間0分トレーニング時においても2(+/-)マウスはフリージング反応を示すことより2(+/-)マウスは非条件刺激に対するフリージング反応が亢進していることが明らかとなった。即ち、2サブユニットは情動反応において重要な役割を担っていることが示唆された。

 以前の実験で、NMDA受容体1サブユニットは海馬LTPと文脈依存学習の閾値に関与していることが明らかとなっている。しかしながら今回の行動実験で2サブユニットは情動反応の制御に関与していることが示唆された。従って、NMDA受容体2サブユニットは脳機能において1サブユニットと異なる役割を担っていることが個体レベルで初めて明らかとなった。このような生理機能の違いを生み出すメカニズムとしては、1サブユニットと2サブユニットのチャネルの特性の違いやチャネルの制御機構の違い、あるいは発現時期、部位の違い等が考えられる。

 今回の行動解析の結果、2(+/-)マウスでは、音による驚愕反射の亢進、電気ショックによるフリージング反応の亢進、明暗箱での明所忌避性の亢進等が観察された。このような結果より2サブユニットの発現量の低下により外界の刺激(音刺激、光刺激、無条件刺激)に対する反応性が亢進したことが示唆される。恐怖・不安のよる驚愕反射の亢進には扁桃体が中心的役割を果たすことが知られている。もし、2サブユニットが通常、扁桃体を抑制する経路で重要な働きをしているならば、その欠失により扁桃体が恒常的に活性化し、驚愕反射が亢進する可能性が考えられる。2サブユニットによる驚愕反射の調節機構の一つの可能性として、扁桃体を抑制する経路で働いていることが示唆された。

 過剰な驚愕反応を示すヒトの精神疾患として外傷後ストレス傷害(PTSD)が知られている。2(+/-)マウスが示す行動異常の細胞レベル、行動学的メカニズムを解明することにより情動反応の分子機構が明確にされるものと考える。さらには外傷後ストレス傷害などの精神疾患の病態およびその発症メカニズムの解明の基盤となることが期待される。

審査要旨

 本研究は、NMDA受容体2サブユニットの成体における生理機能を明らかにするために、2サブユニットヘテロ欠損マウスを用いて種々の行動解析を試みたものである。行動解析の結果、下記の結果を得ている。

 1.光学顕微鏡レベルでの組織学的解析の結果、2(+/-)マウスで形態学的異常は認められなかった。また、2ホモ欠損マウスで明らかとなった髭に対応した樽状神経パターン(バレレッテ構造)の異常は2(+/-)マウスでは見られなかった。

 2.B6系統と繰り返し、戻し交配を行うことにより、遺伝的背景の99.9%がB6系統由来である2サブユニット欠損マウスラインの確立を行った。バッククロスを行い高い遺伝的背景の均一性を有する2欠損マウスラインを確立したことにより、2遺伝子欠損による生理機能への影響をより明確に解析することが可能となった。

 3.文脈依存学習テスト(文脈呈示時間3分)をおこなった結果、2(+/-)マウスは2(+/+)マウスと比較してトレーニング直後及び24時間後テストどちらにおいても有意に高いフリージングの割合を示した。しかしながらこのフリージング反応の亢進は必ずしも文脈学習能力の亢進ではないことがコントロール実験より示唆された。電気ショックの閾値を測定した結果、2(+/-)マウスでは閾値が若干低下しているので、このようなフリージングの亢進の部分的な原因として痛覚閾値の低下が考えられた。

 4.2ヘテロ欠損マウスの情動性を検討するため恐怖条件付けによりその反応性が亢進することが知られている音による驚愕反射を測定した。120dBの音を60回聞かせたときの2(+/-)マウスの驚愕反射は2(+/+)マウスと比較して約2倍亢進していた。また、1、3、4ヘテロ欠損マウスでは異常が観察されなかったことより、驚愕反射の亢進は2(+/-)マウスに特異的に見られる現象であることが明らかとなった。更に70〜120dBの間の9種類の音刺激による驚愕反射を測定した結果、2(+/-)マウスは、2(+/+)マウスが驚愕反射をほとんど起こさない90dB付近でも驚愕反射が生じていることが明らかとなった。即ち、驚愕反射の閾値が低下していることが示された。またPrepulse Inhibitionに関しても2(+/-)マウスで亢進していることが示された。

 5.2(+/-)マウスの情動行動について更に検討するため、明暗箱テストを行った。2(+/-)マウスは2(+/+)マウスと比較して明るい部屋での滞在時間が短いことが明らかとなった。即ち、野生型と比較して不安が亢進していることが示唆された。

 以上、本論文はNMDA受容体2サブユニットヘテロ欠損マウスの行動解析よりNMDA受容体2サブユニットは情動行動において重要な役割を果たしていることが示唆された。本研究では、これまで不明であった、2サブユニットの成体における生理機能を明らかにし、更に情動の分子メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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