学位論文要旨



No 115370
著者(漢字) 清水,靖仁
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ヤスヒト
標題(和) Aryl hydrocarbon(Ah)受容体遺伝子欠損マウスを用いた発癌感受性の検討
標題(洋)
報告番号 115370
報告番号 甲15370
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1556号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 饗場,篤
内容要旨

 近年様々な環境汚染物質が問題とされることが多くなってきている。中でも、芳香族炭化水素化合物には、ダイオキシン・ベンツピレンなどが含まれており、大変重要な存在である。ベンツピレンは、排気ガス、工場の煤煙、煙草の煙、コールタール、石油ピッチなどに広く存在し、古くからその発がん性が知られる芳香族炭化水素化合物のひとつである。そしてこれまで、実験的にマウス・ラットなどに発がん性を有することが証明されている。当教室の先達である山極謄三郎・市川厚一らにより,ベンツピレンの同定以前にウサギの耳介にコールタールをくり返し塗布し発がん性を証明した実験は広く知られている。

 このベンツピレンを含む芳香旅炭化水素化合物が細胞内にとりこまれて結合する受容体が、芳香族炭化水素化合物(aryl hydrocarbon;Ah)受容体(aryl hydrocarbon receptor,AhR)である。

 これまでの他の研究により、Ahは、細胞質内で、細胞質内に存在するAh受容体(AhR)に結合し、核内へと移行し,AhR nucleartranslocator(Arnt)とヘテロ2量体を形成後、特定の遺伝子上流に存在するxenobiotic resposive element(XRE)を認識して結合することが知られている。例えば、CYP1A1遺伝子では、遺伝子のcoding領域上流に少なくと6ヵ所存在するXREを認識して結合する。一部詳細において不明な点も存在するが、こうして薬物代謝酵素群P450のCYP1A1などの転写促進を誘導することがわかってきている。

 1994年にマウスのAhRの全遺伝子のsequenceが、決定されて以降、これまで3つのグルーブによりAhR遺伝子欠損マウスが作製され報告されている。それぞれのphenotypeが一部異なる部分があるが、今回の研究で用いたAhR遺伝子欠損マウスでは、生後数週間の体重の相対的減少が認められるが、それ以外の明らかな発生異常・奇形などはなく生後数週間後以降の体重の差異はみとめられず、生殖性にも特に違いは認められていない。これまでにダイオキシンによる毒性に対しては、このAhR遺伝子欠損マウスは抵抗性、即ちダイオキシンによる毒性が出現しないということが報告されている。しかし、いままで、in vivoのwhole animalを用いての発がん感受性についての報告はなされていない。

 一方、ベンツピレンには、いくつかの代謝される経路があるが、高速液体クロマトグラフィ(HPLC)などを用いた代謝産物の解析により、代謝産物がDNAに付加体を形成する代謝経路がある。すなわち、monooxygenaseにより、ベンピレンは、ベンツピレン-7,8-オキシドへと代謝され、次にepoxidehydrolaseにより、ベンツピレン-7,8-ジヒドロジオールとなり、さらに、monooxygenaseによりベンツピレン-7,8-ジオール-9,10-エボキシド(BPDE)へと代謝され、これが、DNA中の主としてグアニン、一部はアデニンと結合しDNA付加体をつくる。この付加体の部位にDNA合成の際に不対合が生じここから遺伝子に点突然変異が生じ、これにより発がん性を生じると考えられている。この経路において、monooxygenaseとしてはたらくのがCYP1A1遺伝子の産物である。したがって,ベンツピレン投与した際に、CYP1A1が、AhRを介した系で活性化されるのであれば、AhR遺伝子ノックアウトマウスで,CYP1A1は活性化されず、また、発がん性が、生じないと予測される。しかし、AhRの非存在下でCYP1A1が活性化される、あるいはベンツピレンが、AhRを介することなく全く別の経路で発がん性を発揮することがあるのであれば、発がんするはずである。

 以上をふまえ本研究では、この芳香族炭化水素化合物受容体(AhR)遺伝子欠損マウスを用いて、このAhR遺伝子の有無がベンツピレンによる発がんにおいてどういう影響を及ぼすかを検討した。対照として、代謝活性化経路の異なる4-Nitroquinoline 1-oxide(4NQO)の投与も行った。

 本研究に用いたAhR遺伝子欠損マウスは、東北大学藤井義明教授らにより遺伝子ターゲット法を用いて作製・樹立されたもので、homologous recombination法により、AhR遺伝子のexonlからintrolの一部にG418耐性遺伝子座、およびLacZ遺伝子を含む配列が導入されている。なおマウスの遺伝的バッククラウンドは129系マウス由来ES細胞を用い、C57BL/6マウスblastocystに移植後、C57BL/6マウスと3代もどし交配したマウスどうしを交配して用いた。

 まず同遺伝子欠損マウスで、ベンツピレンの代謝的活性化にかかわる、CYP1A1遺伝子のmRNA発現について非誘導時ならびにベンツピレンによる誘導時について皮下投与時の投与部位の皮下および肝臓において調べた。

 結果は、CYP1A1遺伝子のmRNAはAhR遺伝子のAbR(-/-)マウスでは、非誘導時・ベンツピレンによる誘導時ともに皮下・肝臓ともに発現が全く見られなかったのに対し、AhR遺伝子が、欠損していないマウス(wildtype)では、非誘導時には認められなかったCYP1A1遺伝子のmRNA発現がベンツピレン投与により皮下・肝臓ともに、誘導されることが確認された。同時に検討したCYP1A2遺伝子のmRNAは、AhRの欠損の有無に関わらず肝臓において発現がみられた。また、ベンツピレンによる誘導により、AhR(+/+)、AhR(-/-)マウスではやや発現の増強が認められた。

 発がん実験は、同遺伝子欠損マウスで、ベンツピレンの皮下投与・皮膚塗布の2通りで行った。

 皮下投与実験は雄のマウス、AhR(-/-)16匹、(+/-)17匹及び(+/+)17匹、いずれも約15週齢のものを用いた。ベンツピレンは、2mgを0.2mLのオリーブオイルに懸濁しマウスの右側腹部の皮下に2回、1週間の間をおいて投与し、18週後まで観察した。

 ベンツピレン投与を行ったマウスの右側腹部の皮下に、12週頃より皮下の硬結として腫瘍の発生を認め、18週後にはAhR(+/-)及び(+/+)マウス共に100%皮下固形腫瘍の形成が認められた。しかし、それに対しAhR(-/-)マウスでは18週まで腫瘍の発生は全く観察されなかった。

 発生した腫瘍は、病理組織化学的検索を行った。また、腫瘍の発生しなかったAhR(-/-)マウスについても投与部位の組織を検索した。

 検索の結果、AhR(+/-)及び(+/+)マウス共に100%に皮下悪性腫瘍が認められた。AhR(+/+)マウスでは、17例中13例に線維肉腫(fibrosarcoma)、2例に横紋筋肉腫(rhabdomyosarcoma)、2例に扁平上皮癌(squamous cell carcinoma)合計して17例に悪性腫瘍の発生を認めた(100%)。AhR(+/-)マウスでは、17例中15例に線維肉腫(fibrosarcoma)1例に横紋筋肉腫(rhabdomyosarcoma)1例に扁平上皮癌(squamous cell carcinoma)合計して17例に悪性腫瘍の発生を認めた(100%)。一方これに対しAhR(-/-)マウスでは腫瘍の発生は1例も観察されなかった(0%)。また、発生した腫瘍については病理組織化学的検索と同時にヌードマウスに腫瘍を移植し移植部位での増殖を確認した。

 皮膚塗布実験は雌のマウス、AhR(-/-)10匹、(+/-)14匹及び(+/+)16匹、いずれも約15週齢のものを用いた。ベンツピレンは、0.2mgを0.2mLのアセトンに溶解しマウスの背部に週1回、毎週、投与し、25週後まで投与し、28週まで観察した。

 28週後に、皮下投与実験同様、組織学的検索を行ったところ、AhR(+/-)及び(+/+)マウスに高率に皮膚腫瘍の形成が認められた。AhR(+/+)マウスでは、16例中13例に扁平上皮癌(squamous cell carcinoma)、1例に乳頭腫(papilloma)、1例に角化棘細胞腫(keratoacanthoma)合計して15例に腫瘍の発生を認めた(93.8%)。AhR(+/-)マウスでは、14例中12例に扁平上皮癌(squamous cell carcinoma)、1例に乳頭腫(papilloma)合計して13例に腫瘍の発生を認めた(92.4%)。これに対しAhR(-/-)マウスでは、組織学的に腫瘍の発生は1例も観察されなかった(0%)。

 さらに対照として、同上のAhR遺伝子欠損マウスの雌のマウスに4-Nitroquinoline 1-oxid(4NQO)の皮膚塗布実験を行った。この結果では、AhR(-/-)マウスでも、AhR(+/-)及び(+/+)マウス同様に、一定の割合で皮膚腫瘍の発生を認めた。

 以上AhR遺伝子欠損マウスを用いて2通りの発がん実験を行ない、AhR遺伝子欠損マウスではベンツピレンによる発がんは生じないことが明らかとなった。すなわちマウス皮膚及び皮下でのベンツピレンによる発がんには、AhRが直接関与していることが明らかになった。この結果はAhRが動物での実際の発がんに関わるという最初の報告であり、またベンツピレンの発がんメカニズムの解明においても意義深いものである。

審査要旨

 本研究は芳香族炭化水素化合物(aryl hydrocarbon,Ah)の生体内での反応において重要な働きをになっていると考えられる芳香族炭化水素化合物受容体(aryl hydrocarbon receptor,AhR)の機能の解明のために、同受容体遺伝子の欠損マウスを用いて発がん実験を行い、下記の結果を得ている。

 1.同遺伝子欠損マウスで、ベンツピレンの代謝的活性化にかかわる、CYP1A1遺伝子のmRNA発現について非誘導時ならびにベンツピレンによる誘導時について皮下投与時の投与部位の皮下および肝臓において調べた。

 結果は、CYP1A1遺伝子のmRNAはAhR遺伝子のAhR(-/-)マウスでは、非誘導時・ベンツピレンによる誘導時ともに皮下・肝臓ともに発現が全く見られなかったのに対し、AhR遺伝子が、欠損していないマウス(wild type)では、非誘導時には認められなかったCYP1A1遺伝子のmRNA発現がベンツピレン投与により皮下・肝臓ともに、誘導されることが確認された。

 2.同遺伝子欠損マウスを用いて、AhR遺伝子の有無が芳香族炭化水素化合物であるベンツピレンによる発がんにおいてどういう影響を及ぼすかを皮下投与・皮膚塗布の2通りで検討した。対照として、代謝活性化経路の異なる4-Nitroquinoline 1-oxide(4NQO)の皮膚塗布投与も行った。

 皮下投与実験は雄のマウス約15週齢のものを用いた。ベンツピレンは、2mg/マウスを皮下に2回、1週間の間をおいて投与し、18週後まで観察した。AhR(+/-)及び(+/+)マウス共に100%皮下固形腫瘍の形成が認められた。AhR(-/-)マウスでは腫瘍の発生は1例も観察されなかった(0%)。

 皮膚塗布実験は雌のマウス約15週齢のものを用いた。ベンツピレンは、0.2mg/マウスを週1回、毎週、投与し、25週後まで投与し、28週まで観察した。AhR(+/+)及び(+/+)マウスに高率に皮膚腫瘍の形成が認められた。AhR(+/+)マウスでは、16例中15例に腫瘍の発生を認めた(93.8%)。AhR(+/-)マウスでは、14例中13例に腫瘍の発生を認めた(92.4%)。AhR(-/-)マウスでは、腫瘍の発生は1例も観察されなかった(0%)。

 さらに対照として行った、4-Nitroquinoline 1-oxide(4NQO)の皮膚塗布実験の結果では、AhR(-/-)マウスでも、AhR(+/-)及び(+/+)マウス同様に、皮膚腫瘍の発生を認めた。

 AhR遺伝子欠損マウスを用いて2通りの発がん実験を行ない、AhR遺伝子欠損マウスではベンツピレンによる発がんは生じないことが明らかとなった。すなわちマウス皮膚及び皮下でのベンツピレンによる発がんには、AhRが直接関与していることが明らかになった。この結果はAhRが動物での実際の発がんに関わるという最初の報告であり、またベンツピレンの発がんメカニズムの解明においても意義深いものである。

 以上、本論文はAhR遺伝子欠損マウスを用いて2通りの発がん実験を行ない、マウス皮膚及び皮下でのベンツピレンによる発がんには、AhRが直接関与していることが明らかにされた。本研究はAhR遺伝子の機能解明において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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