1.はじめに 1980年に世界で初めて発見されたヒトレトロウイルスであるHTLV-1の感染により発症する成人T細胞性白血病(Adult T-cell Leukemia/ATL)は、原因によって定義される唯一のヒト腫瘍であり、わが国ではウイルスの汚染地域である沖縄、九州地方において、日本以外ではカリブ地域、ラテンアメリカ、中央アフリカにおいて頻発する白血病である。腫瘍化するのはCD4陽性T細胞であり、その治療抵抗性のために極めて予後の悪い白血病として知られている。現在HTLV-1感染者の数は年々減少の傾向を示しているが、高齢で発症するATL患者の数は今後数十年にわたり変わらないと予測され、その発症機序の解明、および治療法の確立は依然急務であると考えられる。
ATLはHTLV-1感染後50年以上の潜伏期を経て発症するが、その発症率が疫学的にWeibullのモデルに適合することから、多段階発癌機構で発症するがんの典型例として位置づけることができる。また、HTLV-1の転写制御因子Taxは感染初期にTリンパ球を不死化するが、腫瘍化した細胞ではウイルス遺伝子の発現は認められず、半数以上の症例においてはプロウイルスそのものに欠損が見られる。従って、多段階発癌の後期の過程においてはTaxとは独立したプログレッションの機構が存在すると考えられる。
本研究においては前提として、ATL腫瘍化機構にこの多段階発癌モデルを適用し、腫瘍化に関与する遺伝子異常、特にTax不死化細胞のプログレッションに関わる遺伝子異常を同定することを目的とした。実験のデザインとして、まずはじめに腫瘍化の過程で生じた遺伝子の構造異常およびそれに付随する発現異常がATL細胞に集積していると考え、腫瘍細胞特異な発現動態を示す遺伝子群をDifferential Display法で同定した。つぎに得られた遺伝子の1つであるPKCIIの発現、活性を検証し、プログレッションへの関与の仮説を立てた。最後にこの遺伝子の活性化が引き起こす細胞生物学的な特徴について遺伝子導入を用いた方法で検討した。
3.結果 i)DDAで得られた結果について
DDAを用いてATL細胞と正常T細胞との間の遺伝子発現動態の分析を行った結果、50の発現量の異なる遺伝子群のcDNA断片が単離された。単離された遺伝子群のうち、既知遺伝子としてデータベースに登録済みで機能が調べられているものは19存在し、残りはESTと呼ばれる遺伝子の名称・機能は不明だが塩基配列が断片的に登録されているもの、あるいは登録のない全く未知のものであった。既知遺伝子のうち15はATLで発現の亢進しているもの、残りの4は発現の抑制されているものであった。
ATL細胞で発現が亢進している遺伝子としてCD4、L-セレクチンが同定されたが、ATL細胞が一般にCD4陽性T細胞であり対照群に比べてCD4発現が集団として亢進していることや、L-セレクチン発現亢進の報告が既になされている事実から、これらの検出結果は妥当であり、DDAが目的通りに機能していると判断された。
その他、PKCIIをはじめとするTCRシグナル伝達に関与する分子群が非常に高頻度に検出され、腫瘍細胞におけるこのシグナル伝達系の異常が示唆された。
ii)PKCII発現量および酵素活性の検証について
ノザンブロット法でT細胞株におけるこの遺伝子のmRNA発現を調べたところ、ATL由来の細胞株において非常に強い発現が認められたが、対照的に腫瘍化前のHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞株においては発現は認められなかった。次に、臨床検体における発現を同様に調べたところ、やはりATL細胞特異的な発現の亢進が認められた。
mRNA発現亢進が蛋白の発現亢進に相関しているかどうかをウェスタンブロットによってさらに検証した。蛋白一定量を含むホールセルライゼートを用いてウェスタンブロットを行ったところ、ATL由来細胞株で強度の発現が認められたが、対照的にHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞株においては発現は亢進していなかった。次に、臨床検体における発現を同様に調べたところ、強度の発現を示すATL細胞株と同程度の発現が新鮮ATL細胞においても認められた。さらに、この分子の発現亢進が酵素活性と相関しているかどうかを、無刺激の細胞由来の免疫沈降物を用いたin vitro kinase assayによって調べた。ここでもATL由来細胞株で対照群の50-100倍レベルの著明な活性が認められ、対照的にHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞株においてはほとんど活性は認められなかった。
以上のことから、PKCIIの過剰発現および構成的活性化が、腫瘍化したATL細胞と腫瘍化前のHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞とを明確に区別する現象であることが明らかになった。
iii)PKCIIの構成的活性化がTax不死化T細胞に与える影響について
上述の実験事実から、PKCIIの構成的活性化がTax不死化細胞のプログレッションに関与する遺伝子変化である可能性が考えられる。この仮説を検討するために、PKCII低発現のTax不死化細胞株へ、構成的活性型PKCII(PKCII)遺伝子を導入し、細胞株を樹立した。それらを用いて細胞の増殖を一定数から6日間24時間毎に解析したところ、PKCII遺伝子を構成的に発現する細胞では、からベクターを導入した対照群に比べて有意な増殖能の亢進が認められた。さらにIL-2依存性の細胞株である親株が、PKCII発現によってIL-2除去で誘導されるアポトーシスに対して抵抗性を示すかどうか調べたところ、対照群と比べて有意なアポトーシス抵抗性が認められた。
iv)PKCIIの活性阻害がATL細胞に与える影響について
最後に、PKCIIの活性化が腫瘍化したATL細胞の増殖あるいは生存に関与しているかどうかを細胞内の同分子活性を阻害することにより検討した。ATL細胞株に対して、リン酸化能を欠くMT-PKCIIを組み換えレトロウイルスにより導入し、生細胞数を一定数から6日間24時間毎に解析したところ、対照群の増殖とは逆に感染2日後にほぼ100%の細胞が死滅した。これらの細胞死は形態学的な解析の結果アポトーシスによるものであると判断された。