学位論文要旨



No 115373
著者(漢字) 福本,理作
著者(英字)
著者(カナ) フクモト,リサク
標題(和) 成人T細胞性白血病の発症機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 115373
報告番号 甲15373
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1559号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 谷,憲三朗
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 助教授 増田,道明
内容要旨 1.はじめに

 1980年に世界で初めて発見されたヒトレトロウイルスであるHTLV-1の感染により発症する成人T細胞性白血病(Adult T-cell Leukemia/ATL)は、原因によって定義される唯一のヒト腫瘍であり、わが国ではウイルスの汚染地域である沖縄、九州地方において、日本以外ではカリブ地域、ラテンアメリカ、中央アフリカにおいて頻発する白血病である。腫瘍化するのはCD4陽性T細胞であり、その治療抵抗性のために極めて予後の悪い白血病として知られている。現在HTLV-1感染者の数は年々減少の傾向を示しているが、高齢で発症するATL患者の数は今後数十年にわたり変わらないと予測され、その発症機序の解明、および治療法の確立は依然急務であると考えられる。

 ATLはHTLV-1感染後50年以上の潜伏期を経て発症するが、その発症率が疫学的にWeibullのモデルに適合することから、多段階発癌機構で発症するがんの典型例として位置づけることができる。また、HTLV-1の転写制御因子Taxは感染初期にTリンパ球を不死化するが、腫瘍化した細胞ではウイルス遺伝子の発現は認められず、半数以上の症例においてはプロウイルスそのものに欠損が見られる。従って、多段階発癌の後期の過程においてはTaxとは独立したプログレッションの機構が存在すると考えられる。

 本研究においては前提として、ATL腫瘍化機構にこの多段階発癌モデルを適用し、腫瘍化に関与する遺伝子異常、特にTax不死化細胞のプログレッションに関わる遺伝子異常を同定することを目的とした。実験のデザインとして、まずはじめに腫瘍化の過程で生じた遺伝子の構造異常およびそれに付随する発現異常がATL細胞に集積していると考え、腫瘍細胞特異な発現動態を示す遺伝子群をDifferential Display法で同定した。つぎに得られた遺伝子の1つであるPKCIIの発現、活性を検証し、プログレッションへの関与の仮説を立てた。最後にこの遺伝子の活性化が引き起こす細胞生物学的な特徴について遺伝子導入を用いた方法で検討した。

2.材料と方法i)Differential Display法による遺伝子発現動態の分析

 新鮮ATL細胞3例および対照群とした健常者PHA刺激PBMC2例よりtotalRNAを抽出し、それらを鋳型としてGT15MGの3’端特異プライマーにより選択的なRT反応を行った。得られたcDNAを鋳型としてTexas Red標識したGT15MGプライマーおよびランダム10merを使用した非特異的PCR増幅を行った。得られたPCR産物2lをpolyacrylamide denaturing gelにて1500V定電圧の条件で泳動した。泳動像はイメージ・アナライザー(TaKaRa)で分析し、結果をゲルと等身大に紙面に印刷することでDNA断片の位置を確認、発現量に差の見られるものについて切り出しおよび分析を行った。

ii)PKCII発現量および酵素活性の検証

 得られた遺伝子の一つであるPKCIIについて転写産物、蛋白の細胞内蓄積状況をATL検体およびそれに由来する細胞株を対象としたノザンブロット法、ウェスタンブロット法により検証した。また、酵素活性についても免疫沈降物を用いたin vitro kinase assayによって比較検討した。

iii)遺伝子導入

 PKII:PKCII分子の制御ドメインを人為的に欠失させることで、上流シグナルの状況如何にかかわらず分子の構成的な活性化が得られると言う報告を参考にPKCII、すなわちN端側に欠失を有する構成的活性型の分子を発現するコンストラクトを作製した。得られたコンストラクトはレトロウイルスベクターのMCSに組み込み、パッケージング細胞へのトランスフェクションによる組み換えレトロウイルスの産生およびヒト細胞への感染実験に用いた。

 MT-PKCII:PKCIIのリン酸転移ドメインにおいて、転移能を有すると考えられるアミノ酸を規定する塩基に点変異を導入し、リン酸化能を欠くことが期待されるMT-PKCIIを作成した。得られたコンストラクトは同様にレトロウイルスベクターのMCSに組み込み、組み換えレトロウイルスの産生、およびヒト細胞への感染実験に用いた。

3.結果

 i)DDAで得られた結果について

 DDAを用いてATL細胞と正常T細胞との間の遺伝子発現動態の分析を行った結果、50の発現量の異なる遺伝子群のcDNA断片が単離された。単離された遺伝子群のうち、既知遺伝子としてデータベースに登録済みで機能が調べられているものは19存在し、残りはESTと呼ばれる遺伝子の名称・機能は不明だが塩基配列が断片的に登録されているもの、あるいは登録のない全く未知のものであった。既知遺伝子のうち15はATLで発現の亢進しているもの、残りの4は発現の抑制されているものであった。

 ATL細胞で発現が亢進している遺伝子としてCD4、L-セレクチンが同定されたが、ATL細胞が一般にCD4陽性T細胞であり対照群に比べてCD4発現が集団として亢進していることや、L-セレクチン発現亢進の報告が既になされている事実から、これらの検出結果は妥当であり、DDAが目的通りに機能していると判断された。

 その他、PKCIIをはじめとするTCRシグナル伝達に関与する分子群が非常に高頻度に検出され、腫瘍細胞におけるこのシグナル伝達系の異常が示唆された。

 ii)PKCII発現量および酵素活性の検証について

 ノザンブロット法でT細胞株におけるこの遺伝子のmRNA発現を調べたところ、ATL由来の細胞株において非常に強い発現が認められたが、対照的に腫瘍化前のHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞株においては発現は認められなかった。次に、臨床検体における発現を同様に調べたところ、やはりATL細胞特異的な発現の亢進が認められた。

 mRNA発現亢進が蛋白の発現亢進に相関しているかどうかをウェスタンブロットによってさらに検証した。蛋白一定量を含むホールセルライゼートを用いてウェスタンブロットを行ったところ、ATL由来細胞株で強度の発現が認められたが、対照的にHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞株においては発現は亢進していなかった。次に、臨床検体における発現を同様に調べたところ、強度の発現を示すATL細胞株と同程度の発現が新鮮ATL細胞においても認められた。さらに、この分子の発現亢進が酵素活性と相関しているかどうかを、無刺激の細胞由来の免疫沈降物を用いたin vitro kinase assayによって調べた。ここでもATL由来細胞株で対照群の50-100倍レベルの著明な活性が認められ、対照的にHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞株においてはほとんど活性は認められなかった。

 以上のことから、PKCIIの過剰発現および構成的活性化が、腫瘍化したATL細胞と腫瘍化前のHTLV-1感染あるいはTax不死化細胞とを明確に区別する現象であることが明らかになった。

 iii)PKCIIの構成的活性化がTax不死化T細胞に与える影響について

 上述の実験事実から、PKCIIの構成的活性化がTax不死化細胞のプログレッションに関与する遺伝子変化である可能性が考えられる。この仮説を検討するために、PKCII低発現のTax不死化細胞株へ、構成的活性型PKCII(PKCII)遺伝子を導入し、細胞株を樹立した。それらを用いて細胞の増殖を一定数から6日間24時間毎に解析したところ、PKCII遺伝子を構成的に発現する細胞では、からベクターを導入した対照群に比べて有意な増殖能の亢進が認められた。さらにIL-2依存性の細胞株である親株が、PKCII発現によってIL-2除去で誘導されるアポトーシスに対して抵抗性を示すかどうか調べたところ、対照群と比べて有意なアポトーシス抵抗性が認められた。

 iv)PKCIIの活性阻害がATL細胞に与える影響について

 最後に、PKCIIの活性化が腫瘍化したATL細胞の増殖あるいは生存に関与しているかどうかを細胞内の同分子活性を阻害することにより検討した。ATL細胞株に対して、リン酸化能を欠くMT-PKCIIを組み換えレトロウイルスにより導入し、生細胞数を一定数から6日間24時間毎に解析したところ、対照群の増殖とは逆に感染2日後にほぼ100%の細胞が死滅した。これらの細胞死は形態学的な解析の結果アポトーシスによるものであると判断された。

4.結論

 ATLの腫瘍化機構に多段階発癌モデルを適用し、腫瘍化した細胞に特異な現象を同定、その意義を検討した結果、PKCII蛋白分子の構成的過剰発現と活性化が腫瘍化を構成するleukemogenic eventsの1つである可能性が示された。さらに、腫瘍細胞のこの分子活性依存的な生存、増殖が認められたことから明確な分子標的にもとづく臨床治療への応用が期待される。

審査要旨

 本研究は成人T細胞性白血病の発症機序に関する研究と題し、ATLの発症に多段階発癌モデルを適用し、腫瘍化に関わる遺伝子変化を同定することを目的としている。方法としては、新鮮ATL細胞で特異的な発現をみせる遺伝子群のDifferential Display Analysis(DDA)による同定を行い、腫瘍細胞で発現が亢進しているものとして得られた遺伝子の1つであるPKCII分子について、各細胞における発現および活性レベルの検証と、それらの腫瘍化への関与を遺伝子導入を用いた方法で検討している。その結果得られた知見として以下のものが挙げられる。

 1.新鮮ATL細胞およびATL由来の細胞株においてはPKCII遺伝子の発現がmRNAおよび蛋白レベルで亢進しており、さらにin vitro kinase assay による検証の結果、基質のリン酸化能に関しても50-100倍の著明な構成的活性化が認められた。これらの特徴は、HTLV-1感染あるいはTax発現によってin vitroで不死化されたT細胞群とin vivoで腫瘍化したATL細胞群とを明確に区別する現象であった。このことから、PKCIIの構成的な過剰発現と活性化がTax不死化細胞のプログレッションに関与する可能性が示唆された。

 2.1の可能性を生物学的に検討するために、in vitroで樹立したTax不死化細胞株に構成的に活性化しているPKCII分子をレトロウイルスベクターを用いて発現させ、細胞株を樹立した。それらを用いて細胞の増殖を一定数から6日間24時間毎に解析したところ、からベクターを導入した対照群に比べて有意な増殖能の亢進が認められた。さらにIL-2依存性の細胞株である親株が、遺伝子発現によってIL-2除去によるアポトーシス誘導に対して抵抗性を示すかどうかIL-2非存在下における生存率を6日間24時間毎に調べたところ、対照群と比べて有意なアポトーシス抵抗性が認められた。これらの結果からPKCII活性化のプログレッションへの関与の可能性が示された。

 3.逆に、腫瘍化したATL細胞の増殖あるいは生存がPKCIIの活性依存的であるかどうか調べるために、リン酸化能を欠くPKCII分子をレトロウイルスベクターを用いてATL細胞に発現させ、リン酸化活性をDominant Negativeに阻害する実験を施行した。組み換えレトロウイルス感染後の生細胞を一定数から6日間24時間毎に解析したところ、対照群の増殖とは逆に、感染2日後にほぼ100%の細胞が死滅した。これらの細胞死はDAPI染色による形態学的な解析の結果アポトーシスによるものであると判断された。

 ATLの腫瘍化機構に多段階発癌モデルを適用し、腫瘍化した細胞に特異な現象を同定、その意義を検討した結果、PKCII分子の構成的過剰発現と活性化が腫瘍化を構成するleukemogenic eventsの1つである可能性が示された。さらに、腫瘍細胞のこの分子活性依存的な生存、増殖が認められたことから明確な分子標的にもとづく腫瘍細胞特異的なアポトーシスの誘導の可能性が得られた。これらの実験事実は直接的に臨床の現場でATLの治療に結びつく可能性があり、その点でもおおいに期待できる研究であると言え、学位の授与に値するものと考えられる。

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