学位論文要旨



No 115376
著者(漢字) 桑江,朝臣
著者(英字)
著者(カナ) クワエ,アサオミ
標題(和) 赤痢菌のマクロファージ感染機構とIpaC蛋白質の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 115376
報告番号 甲15376
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1562号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 森本,幾夫
 東京大学 助教授 増田,道明
 東京大学 講師 戸邊,亨
内容要旨

 赤痢菌は細菌性赤痢の起因菌であり、ヒトの大腸に分布する孤立リンパ小節上のM細胞に取り込まれ、その下部のポケットに存在するマクロファージに感染する。感染した菌は、マクロファージにIL-1の成熟を促すと同時に細胞死を誘導する。殺傷したマクロファージより離脱した菌は吸収上皮細胞の側底面側より細胞内に侵入し、増殖・拡散を繰り返すことにより上皮組織を破壊しつつ、炎症性の粘血性下痢を惹起する。赤痢菌の細胞侵入に関与するIpa蛋白質をはじめとする病原性蛋白質は、主に本菌の有する230kbの大プラスミド上の病原遺伝子塊(pathogenicity island)にコードされており、それらの因子と宿主細胞の相互作用が分子レベルで明らかになりつつある。しかしながら、赤痢菌がM細胞にトランスサイトーシスされた後、マクロファージに感染する機構およびそれに関わる赤痢菌の因子に関してこれまで全く明らかにされていない。そこで本研究では赤痢菌のマクロファージへの感染動態を明らかにすることを目的として以下の5つの点に関して解析をおこなった。(i)赤痢菌のマクロファージ細胞侵入性と赤痢菌感染に伴う細胞形態変化、(ii)赤痢菌のマクロファージ侵入と細胞内チロシンリン酸化蛋白質、(iii)赤痢菌のマクロファージ細胞侵入性因子の同定、(iv)赤痢菌IpaC蛋白質のマクロファージに対する作用、(v)IpaC蛋白質の機能領域、について解析をおこない以下の結果を得た。

 (i)赤痢菌のマクロファージに対する細胞侵入性の有無を明らかにする目的で、赤痢菌の株化マクロファージ細胞への細胞侵入効率を調べた。用いたいずれのマクロファージ細胞株においても、赤痢菌野生株は上皮細胞侵入性喪失変異株と比較して高い侵入効率を示した。即ち、赤痢菌はオプソニン非依存型貪食をマクロファージに誘導する能力を有することが示唆された。一方赤痢菌のマクロファージ細胞侵入による細胞形態変化を光学顕微鏡および走査型電子顕微鏡を用いて調べたところ、赤痢菌野生株においては菌接触部位を中心としたラッフル膜および葉状突起の形成を伴う細胞の伸展が誘導されたが、上皮細胞侵入性喪失変異株ではそれらの細胞形態変化が認められなかった。赤痢菌感染マクロファージを免疫染色した後、共焦点レーザー顕微鏡を用いて観察したところ侵入部位においてはF-アクチンおよび貪食受容体であるMac-1、FcRの凝集が認められた。これらのことから、赤痢菌の感染によりマクロファージ細胞内の細胞骨格蛋白質の再構築が誘導されていることが示唆された。

 (ii)赤痢菌のマクロファージ侵入に伴い、J774マクロファージ細胞内ではパキシリンを含む数種のチロシンリン酸化蛋白質の増加が認められた。一方上皮細胞侵入性喪失変異株の感染ではこれらチロシンリン酸化蛋白質の誘導が認められなかった。赤痢菌がJ774に誘導するチロシンリン酸化蛋白質は、サルモネラ感染、PMA処理、C3biやIgGを固定化したザイモサン貪食によって誘導されるチロシンリン酸化蛋白質と量比や分子量が異なっていた。したがって赤痢菌のマクロファージ侵入により誘導されるシグナル伝達の活性化は、赤痢菌に特異的なものであることが示唆された。

 (iii)赤痢菌感染によるマクロファージへの細胞伸展を伴ったマクロピノサイトーシスの誘導に関わる赤痢菌因子の同定をおこなった。上皮細胞への侵入に必要とされる病原性遺伝子を欠損した赤痢菌変異株を用いて、J774マクロファージへの感染に伴う細胞形態変化および細胞侵入効率を調べた。その結果、Ipa蛋白質の一つであるIpaC蛋白質の遺伝子ipaCを欠失させた変異株は、その他の分泌性病原蛋白因子(エフェクター)が正常に分泌されているにも関わらずマクロファージへの侵入および細胞伸展誘導能が野生株に比べ著しく低下していた。したがって少なくともIpaC蛋白質は赤痢菌のマクロファージへの感染において菌が侵入するために重要な因子であることが示唆された。

 (iv)赤痢菌がJ774マクロファージに侵入するために必要なIpaC蛋白質が、赤痢菌のJ774細胞への接触により細胞の外側と内側のいずれに分泌されているか調べた結果、IpaC蛋白質は細胞外に分泌されていた。そこでIpaC蛋白質を精製しJ774マクロファージの培養上清に添加したところ数分以内に葉状突起が形成され、さらにそれに続いて突起先端に大規模なラッフル膜が誘起された。細胞侵入性を示さないE.coli K-12株とIpaC蛋白質をJ774の培養液に同時に添加すると、J774に取り込まれるE.coliの菌数がIpaC蛋白質無添加の場合と比較して有意に増加していた。これらの結果から、IpaC蛋白質はJ774マクロファージに対し形態変化を誘導すると同時に貪食能を亢進させる能力を有することが示唆された。

 (v)IpaC蛋白質のマクロファージへの貪食能亢進作用に関与する領域を同定するために、組換え型IpaC蛋白質の種々部分欠失変異体を作成し、各変異体のJ774に対する結合能、細胞伸展誘導能および大腸菌貪食能亢進作用の有無を調べた。その結果、IpaC蛋白質のアミノ末端から約170アミノ酸に及ぶ領域が細胞との結合、細胞伸展、貪食能上昇の誘導に同時に必要であることが示された。これらの結果より、赤痢菌のマクロファージへの侵入において、IpaC蛋白質のアミノ末端部分の約170アミノ酸の領域が重要な役割をしていることが示唆された。

 以上の結果から、赤痢菌のマクロファージへの感染は本菌が非食細胞である上皮細胞に対し示すマクロピノサイトーシスの誘導に関わる機能を発揮しておこなわれていることが強く示唆された。また上皮細胞侵入において中心的な役割を果たしているIpa蛋白質の一つIpaC蛋白質が、赤痢菌のマクロファージへの侵入とそれに伴う細胞伸展および菌接触部位のラツフル膜誘導に重要であり、この活性はIpaC蛋白質の中央部に存在する仮想膜貫通疎水性領域の一部を含むアミノ末端から約170アミノ酸にコードされていることが示唆された。

審査要旨

 本研究では赤痢菌が宿主大腸上皮細胞層に散在するM細胞にトランスサイトーシスされた後、マクロファージに感染する機構およびそれに関わる赤痢菌の因子を明らかにするために、以下の5つの点に関して解析をおこなっている。

 (i)赤痢菌のマクロファージに対する細胞侵入性の有無を明らかにする目的で、赤痢菌の株化マクロファージ細胞への細胞侵入効率を調べた。用いたいずれのマクロファージ細胞株においても、赤痢菌野生株は上皮細胞侵入性喪失変異株と比較して高い侵入効率を示した。即ち、赤痢菌はオプソニン非依存型貪食をマクロファージに誘導する能力を有することが示唆された。一方赤痢菌のマクロファージ細胞侵入による細胞形態変化を光学顕微鏡および走査型電子顕微鏡を用いて調べたところ、赤痢菌野生株においては菌接触部位を中心としたラッフル膜および葉状突起の形成を伴う細胞の伸展が誘導されたが、上皮細胞侵入性喪失変異株ではそれらの細胞形態変化が認められなかった。赤痢菌感染マクロファージを免疫染色した後、共焦点レーザー顕微鏡を用いて観察したところ侵入部位においてはF-アクチンおよび貪食受容体であるMac-l、FcRの凝集が認められた。これらのことから、赤痢菌の感染によりマクロファージ細胞内の細胞骨格蛋白質の再構築が誘導されていることが示唆された。

 (ii)赤痢菌のマクロファージ侵入に伴い、J774マクロファージ細胞内ではパキシリンを含む数種のチロシンリン酸化蛋白質の増加が認められた。一方上皮細胞侵入性喪失変異株の感染ではこれらチロシンリン酸化蛋白質の誘導が認められなかった。赤痢菌がJ774に誘導するチロシンリン酸化蛋白質は、サルモネラ感染、PMA処理、C3biやIgGを固定化したザイモサン貪食によって誘導されるチロシンリン酸化蛋白質と量比や分子量が異なっていた。したがって赤痢菌のマクロファージ侵入により誘導されるシグナル伝達の活性化は、赤痢菌に特異的なものであることが示唆された。

 (iii)赤痢菌感染によるマクロファージへの細胞伸展を伴ったマクロピノサイトーシスの誘導に関わる赤痢菌因子の同定をおこなった。上皮細胞への侵入に必要とされる病原性遺伝子を欠損した赤痢菌変異株を用いて、J774マクロファージへの感染に伴う細胞形態変化および細胞侵入効率を調べた。その結果、Ipa蛋白質の一つであるIpaC蛋白質の遺伝子ipaCを欠失させた変異株は、その他の分泌性病原蛋白因子(エフェクター)が正常に分泌されているにも関わらずマクロファージへの侵入および細胞伸展誘導能が野生株に比べ著しく低下していた。したがって少なくともIpaC蛋白質は赤痢菌のマクロファージへの感染において菌が侵入するために重要な因子であることが示唆された。

 (iv)赤痢菌がJ774マクロファージに侵入するために必要なIpaC蛋白質が、赤痢菌のJ774細胞への接触により細胞の外側と内側のいずれに分泌されているか調べた結果、IpaC蛋白質は細胞外に分泌されていた。そこでIpaC蛋白質を精製しJ774マクロファージの培養上清に添加したところ数分以内に葉状突起が形成され、さらにそれに続いて突起先端に大規模なラッフル膜が誘起された。細胞侵入性を示さないE.coliK-12株とIpaC蛋白質をJ774の培養液に同時に添加すると、J774に取り込まれるE.coliの菌数がIpaC蛋白質無添加の場合と比較して有意に増加していた。これらの結果から、IpaC蛋白質はJ774マクロファージに対し形態変化を誘導すると同時に貪食能を亢進させる能力を有することが示唆された。

 (v)IpaC蛋白質のマクロファージへの貪食能亢進作用に関与する領域を同定するために、組換え型IpaC蛋白質の種々部分欠失変異体を作成し、各変異体のJ774に対する結合能、細胞伸展誘導能および大腸菌貪食能亢進作用の有無を調べた。その結果、IpaC蛋白質のアミノ末端から約170アミノ酸に及ぶ領域が細胞との結合、細胞伸展、貪食能上昇の誘導に同時に必要であることが示された。これらの結果より、赤痢菌のマクロファージへの侵入において、IpaC蛋白質のアミノ末端部分の約170アミノ酸の領域が重要な役割をしていることが示唆された。

 以上本論文は、赤痢菌のマクロファージへの感染について、本菌がマクロファージに受動的に貪食されるのではなく、むしろ上皮細胞に対して示す細胞侵入性を発揮して積極的に細胞侵入することを明らかにした。また上皮細胞侵入において中心的な役割を果たしているIpa蛋白質の一つIpaC蛋白質が、赤痢菌のマクロファージへの侵入とそれに伴う細胞伸展および菌接触部位のラッフル膜誘導に重要であり、この活性がIpaC蛋白質の中央部に存在する仮想膜貫通疎水性領域の一部を含むアミノ末端から約170アミノ酸にコードされていることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった赤痢菌のマクロファージへの感染機構に関して初めて詳細に検討された研究であり、赤痢菌の粘膜上皮細胞層感染初期過程における分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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