背景と目的 放射線照射に応答して細胞は様々なタンパク質を発現することが知られている。近年、種々の接着分子、表面抗原の誘導も報告されているが、情報は少なく生理的意義についても未知である。そこで私は放射線ストレス応答を解析する上で、血清マーカー(腫瘍抗原)として臨床的に用いられており、またサイトカインや抗ガン剤等により発現が増加する分子であるMUC1ムチンに注目し、放射線(X線、炭素線)照射後の発現及びその発現メカニズムを調べることとした。 ムチンは粘膜上皮の粘液の主成分であり、上皮細胞の保護、潤滑に関与していると考えられている。MUC1ムチン(以下MUC1)は高分子量、高糖含量で、コアペプチードにアミノ酸20個からなる繰り返し構造(Tandem repeat構造)を含むというムチンの特徴構造がある。MUC1の対立遺伝子はTandem repeat構造の繰り返し数がしばしば異なる(遺伝的多型性)ため、大きさの異なる2種のMUC1が合成される。MUC1分子は小胞体で先ずコアペプチドが翻訳合成され、ゴルジ体でコアペプチド上に糖が転移され、次第に糖鎖の短い未成熟型MUC1から糖鎖の長い成熟型MUC1(ヒト大腸癌細胞株HT29細胞では390kDaと500kDa)が合成され、最終的に細胞表面或いは培養液に分泌される。ヒトではMUC1は乳腺、膵臓などの上皮細胞に分布し、大腸や小腸などには、MUC1mRNAが検出されるが、組織免疫染色では成熟したMUC1は低発現している。しかし癌化に伴い、様々な腫瘍細胞で高発現する。MUC1が高発現すると腫瘍細胞間の接着が抑制され、剥離しやすくなり、またNK細胞やマクロファージに対し抵抗性となることから、癌の進行度や転移性と相関があるとされている。MUC1産生の制御には結合組織内の液性因子(ホルモン、サイトカイン)が関与しているらしい。しかし、その発現の制御機構についてはまだ解明されていない。そこで本研究においては、1)放射線(X線、炭素線)照射後のHT29細胞におけるMUC1量の解析、2)X線照射後のHT29細胞におけるMUC1発現機構の解析、3)X線照射後の各種ヒト腺上皮癌細胞株におけるMUC1量の解析及びHT29細胞における他の各種糖鎖抗原の量の変化の解析を行った。 実験材料、装置と方法 1)細胞は主にヒト大腸癌細胞株HT29細胞を用いて行った。X線照射は島津深部治療用X線発生装置(200kV-20mA,0.5mmCu+1.0mmAlフィルター)より得られるX線(線量率1.4Gy/min)を用いた。炭素線照射は放医研HIMAC(290MeV/u,LET80KeV/mm,SOBP3Gy/min)より得られる炭素線を用いた。細胞の放射線(X線、炭素線)感受性については、コロニー形成法及び色素排除法で解析した。MUC1測定にあたっては、X線6Gy(炭素線3Gy)照射後1〜4日、又はX線1〜10Gy(炭素線0.5〜3Gy)照射4日後の細胞及び培養液を用いた。照射後HT29細胞培養液中に蓄積したMUC1量をELISA法で、細胞に結合しているMUC1量を蛍光免疫染色法、FCM法及びWestern法で、成熟型MUC1を認識するmAbMY.1E12を用いて調べた。またHT29細胞をヌードマウス(BALB/cAJcl-nu,雌)右下肢皮下に移植し、腫瘍(直径6-8mm)局部を40Gy照射後経時的に細胞のMUC1量をWestern法で調べた。 2)未成熟型MUC1を認識するmAbHMFG-2を用いて、X線照射後HT29細胞中の未成熟型MUC1量をWestern法で調べた。MUC1mRNAは半定量性のRT-PCR法を用いて測定した。また照射後の転写調節の変化については、レポータープラスミドP3C(-2800〜+33)をHT29細胞に導入し、X線6Gy照射後経時的に細胞中に蓄積したCATの活性を調べた。正常ヒト大腸組織の培養液(NCCM)に含まれる液性因子によりMUC1を調節することが報告されているので、NCCM応答エレメントとの異同を調べるため、MUC1遺伝子上流配列5’側をDeletionしたプラスミドsh4-CATY(-531〜+33)とsh9-CAT(-485〜+33)を作製し、細胞に導入した。 3)X線照射後各種ヒト腺上皮癌細胞株におけるMUC1量をELISA法、FCM法で調べた。またHT29細胞を用いて各種糖鎖抗原の量をFCM法で調べた。 結果と考察 1)HT29細胞の生存曲線は、X線照射に対しては肩のある曲線となり(D0=1.56Gy,Dq=2.6Gy)、炭素線照射に対しては肩のない直線となった(D0=0.8Gy)。放射線(X線、炭素線)照射による細胞生存率は線量及び時間に依存して減少した。HT29細胞培養液中のMUC1はX線、炭素線照射後、線量・時間依存的に増加した(ELISA法)。MUC1染色陽性細胞の割合は6Gy照射4日後では52±3.5%(n=6)、非照射では26±2.8%(n=6)(P<0.01)であった(蛍光免疫染色法)。X線、炭素線照射後、HT29細胞をmAbMY.1E12及びFITC標識二次抗体で染色したところ、平均蛍光強度が時間・線量依存的に増加した(FCM法)。X線を基準にした炭素線の生物効果比は約2であった。Western法で調べた結果、両方のアリル由来の成熟型MUC1(390kDa及び500kDa)がX線照射後、時間・線量依存的に増加した。ヌードマウスに移植したHT29細胞では非照射でもMUC1量が増加していたが、X線照射後さらに増加することが判明した。以上の結果よりHT29細胞のMUC1は放射線(X線、炭素線)照射により細胞の生存率の減少に応じて、in vitro、in vivoにおいて時間・線量依存的に増加することが判明した。 2)X線照射後未成熟型MUC1(240kDa及び350kDa)がmAbHMFG-2により検出された。その後blotしたメンブレンにシアル酸除去処理したところ、さらに成熟型MUC1(390kDa及び500kDa)がmAbHMFG-2により検出された。それらのMUC1は線量(1〜10Gy)に依存して増加した。以上よりMUC1量の増加は、コアペプチド増加が原因であることが示唆された。HT29細胞のMUC1mRNAの増加がX線6Gy照射後2日から認められることから、MUC1量の増加はmRNAレベルで調節されると考えられた。そこでレポータープラスミドP3C(-2800〜+33)を導入したHT29細胞にX線6Gy照射し、経時的に蓄積したCATの活性を調べた。その結果照射後2日以内に細胞中にCATの蓄積が見られた。このことからX線照射によるMUC1量の増加はMUC1遺伝子の転写の亢進によるものであることが明らかになった。NCCMによるMUC1の誘導が知られており、またその応答エレメント(-531〜-520)の同定の報告がある。そこで、NCCM応答エレメントとX線に応答するエレメントとの異同を調べた。その結果、Deletionしたプラスミドsh4-CAT(-531〜+33)及びsh9-CAT(-485〜+33)の活性が認められた。よって、X線応答領域はMUC1遺伝子上流配列(-485〜+1)に存在し、またNCCM刺激ではsh9-CAT(-485〜+33)の活性は全くでないことが報告されているという事実から、X線応答領域(-485〜+1)はNCCM応答エレメント(-531〜-520)と異なることが示唆された。 3)大腸癌細胞(HCCP2998、KM12C細胞等)、膵臓癌細胞Capanl、乳癌細胞(MRK-nu-1,ZR-75-1)におけるMUC1量の増加が認められたが、他の細胞(大腸癌細胞 、乳癌細胞T47D、胃癌細胞MKN45)ではMUC1量の増加は認められなかった。またHT29細胞においてMUC1分子上に存在する各種糖鎖抗原分子について調べたところ、sialyl-dimeric Lex、Sialyl-Lea、及びsialyl-Tnの量が増加したが、sulfomucinは量の変化は見られなかった。 まとめ ヒト大腸癌細胞株HT29細胞において、MUC1は放射線(X線、炭素線)照射により細胞の生存率の減少に応じて、in vitro、in vivoで時間・線量依存的に増加することが明らかになった。即ちMUC1は放射線照射に応答して誘導される分子であることが判明した。またMUC1量の増加は主にコアペプチド及びmRNAが増加していることがら、MUC1転写の亢進によるものであることが判明した。さらにX線応答エレメントはMUC1遺伝子上流配列(-485〜+1)に存在することが示された。このX線応答エレメントはNCCM応答エレメントと同一ではなく、新規の応答エレメントも含まれる可能性が示唆される。他の大腸癌、膵臓癌、乳癌細胞株でも照射後MUC1量の増加が認められるものがあった。 MUC1の増加の生物学的意義、およびMUC1の増加が放射線(X線、炭素線)照射の生物効果指標になりうるかについては、さらなる検討が必要である。 |