学位論文要旨



No 115386
著者(漢字) 山本,希美子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,キミコ
標題(和) 内皮細胞における流れ刺激のCa2+を介した情報伝達に果たすATP作動性イオンチャネル(P2X)の役割
標題(洋)
報告番号 115386
報告番号 甲15386
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1572号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 助教授 重松,宏
内容要旨

 血管の内面を一層に覆う血管内皮細胞は血流に起因する流れずり応力に常にさらされている。粥状動脈硬化症巣は比較的太い血管の湾曲部や分岐部に好発するが、そこは局所的に血流の停滞や渦巻流が起こり、内皮細胞には乱流性で比較的低い流れずり応力が作用している。この様に、血行力学因子が血管細胞の機能を障害し、動脈硬化、内膜肥厚、動脈瘤、血栓形成といった病的状態に関与することが知られている。この様な背景から、機械的刺激である流れずり応力と血管内皮細胞機能との関係を明らかにするために、流体力学的に設計した流れ負荷装置内で培養細胞に定量的な流れずり応力を作用させる生体工学的研究が行われてきた。その結果、流れずり応力が内皮細胞に作用すると、その形態が血流方向に伸展・配向する他、様々な内皮細胞機能が修飾を受けることが明らかにされた。流れずり応力は血管拡張物質である一酸化窒素(NO)やプロスタサイクリンの内皮細胞からの放出を航亢進させ、抗血栓活性のあるトロンボモデュリンの発現や、細胞増殖因子である血小板由来増殖因子やトランスフォーミング増殖因子などの産生を促進する。更に、流れずり応力は内皮の機能に関連した遺伝子の発現にも影響し、その分子機構として流れずり応力で活性化される転写因子とそれが結合する遺伝子プロモータにある流れずり応力応答配列が関与する転写制御やmRNAの安定化を介する転写後調節が指摘されている。以上の結果は内皮細胞に流れずり応力を感知する機能が存在することを示唆しているが、そのセンサー分子及び流れずり応力情報の細胞内部への伝達機構は未だ明らかにされていない。安藤らは内皮細胞に低濃度のアデノシン三リン酸(ATP)の存在下で流れずり応力を作用させると、応力の強さに依存的にCa2+流入が起きることを見出した。しかしATPと流れずり応力依存的に起こるCa2+流入に関わるイオンチャネルの本体など、その分子機構は不明であった。そこで本研究では、Ca2+を介した流れずり応力の情報伝達に関わる分子機構を明らかにすることを目的に、ATP受容性カチオンチャネルであるP2Xレセプターに着目し、P2Xレセプターが血管内皮細胞に発現しているかどうか、そして発現している場合、どのサプタイプが優勢かを検討した。更に、ATP存在下における流れずり応力のCa2+を介する情報伝達に於けるP2Xレセブターの役割を検討した。

1.ヒト血管内皮細胞cDNAライブラリーからのP2X4遺伝子のクローニング

 ヒトさい帯静脈内皮細胞のcDNAlibraryから、ヒトの肺のtRNAを鋳型にしてRT-PCR増幅したDNAをプローブとして、P2X4遺伝子をクローニングした。DNA塩基配列を決定し、GenBankに登録した(#AF000234)。

2.P2X4cDNAをプローブとしたノーザンブロット

 血管内皮細胞におけるP2X遺伝子の発現を確認するためにノーザンブロットを行った。その結果、臍帯静脈(HUVECs)、大動脈(HAECs)、肺動脈(HPAECs)及び、微小血管(HMVECs)から培養した内皮細胞の全てにP2X4のmRNAが発現している事が判明した(図1)。P2Xの他のサブタイプであるP2X1はこれらのどの内皮細胞にも発現していなかった。

図1.培養血管内皮細胞でのP2X4のノーザンブロット
3.競合PCR法によるP2Xサブタイプの発現量の比較

 競合PCR法を用いて、内皮細胞でのP2XのサブタイプのmRNAの発現を比較した。HUVECsとHAECsの両方でP2X4が顕著に発現していることが確認された。一方、P2X7の発現は低く、P2X1、P2X3及びP2X5の発現はほとんど検出できなかった(図2)。以上の結果はヒト血管内皮細胞はP2X4レセプターを優勢的に発現することを示した。

図2.競合PCR法によるP2XサブタイプのmRNAレベルの解析
4.P2X4レセプターを安定発現するK562とHEK293細胞株の樹立

 P2X4遺伝子をヒト白血病細胞であるK562細胞とヒト胎児腎臓であるHEK2932細胞に遺伝子導入しネオマイシンにより発現細胞を選別した。mRNA及びタンパクのレベルをRT-PCR及びウエスタンブロットで分析したところwild typeと比べ約数十倍増加した細胞株を得た。K562細胞は2M ATP刺激に対して細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)は全く変化しないが、P2X4遺伝子を導入するとATP刺激により[Ca2+]iが上昇した。この反応は細胞外のCa2+をキレートすると消失した。また、ホールセルクランプにおいてATP刺激を与えると内向き電流が観察されたことからP2X4がATP誘発性Ca2+流入反応に寄与するチャネルであることを確認した。

5.P2X4レセプターの発現をノックアウトするAS-oligosの作製

 内皮細胞でのP2X4レセプターの生理学的な役割を評価するために、P2X4レセプターの機能を特異的にノックアウトするアンチセンスオリゴ(AS-oligos)を作製した。HUVECsにAS-0ligosを作用させると、P2X4のmRNAとタンパクのレベルがコントロールレベルの約25%に減少した。一方、スクランブルオリゴ(S-oligos)を作用させても、それらに変化は起きなかった(図3)。AS-oligosはP2X4以外のP2X1、3、5、7、P2Y1、P2Y2のmRNAの発現に全く影響しなかったことからAS-oligosが特異的にP2X4の発現を阻害することを示した。

図3.HUVECsでのAS-oligosによるP2X4発現の阻害効果
6.流れ誘発性Ca2+反応におけるP2X4の役割6-1.ATP存在下における流れ誘発性Ca2+反応

 HUVECsに250nM ATPの存在下でHBSSの流れを負荷すると、[Ca2+]i上昇反応が出現するが、その大きさは流速の上昇に比例し、流れを止めると、[Ca2+]iはコントロールのレベルに復帰した。細胞外Ca2+をキレートするとこの反応は消失した(図4)。このことから、250nM ATPの存在下で、流れにより誘発された[Ca2+]i上昇反応に動員されるCa2+は細胞外Ca2+の流入であり、HUVECsには適当な細胞外ATP濃度で流速の変化に対応したCa2+の流入を引き起こす機構が存在することが示唆された。

図4.HUVECsのATP存在下での流れ誘発性Ca2+応答
6-2.流れ誘発性Ca2+流入のずり応力依存性

 ATP存在下で観察された流速依存性の[Ca2+]i上昇反応が物理的刺激である流れずり応力に依存しているのか、あるいは内皮細胞表面に到達するATPの供給量を規定する流れずり速度に依存しているかについて灌流液の粘性を変化させる実験で検討した。5%dextran含有HBSS(約4倍の粘性)の流れ刺激を細胞に負荷すると流れの増大に伴い[Ca2+]iの上昇反応が起きるが、常に粘性の高い液の流れ、すなわち流れずり応力の大きい刺激のときに、[Ca2+]i上昇がより大きく応答した(図5)。[Ca2+]iの上昇率を流れずり速度に対してプロットすると粘性の違いにより二本の曲線に別れたが、流れずり応力に対してプロットすると粘性に関係なく、全てのデータは一本の曲線を示した(図6)。これは流れ誘発性Ca2+流入がずり応力依存性であることを意味する。

図5.ATP存在下での流れ誘発性Ca2+応答図6.ずり応力と細胞内Ca2+濃度上昇率
6-3.流れずり応力依存性Ca2+流入におけるP2X4の役割

 HUVECsにP2X4のAS-oligosを作用させ、250nM ATP存在下での流れ誘発性[Ca2+]i応答を測定したところ、流れによる[Ca2+]i上昇反応は抑制された(図7)。更に、HEK293細胞にP2X4遺伝子を安定発現させた細胞株を用いて[Ca2+]i応答を測定した。ベクターのみを導入したコントロールの細胞に、2M ATPを含有したHBSSの流れを負荷しても[Ca2+]i上昇は観察されなかったのに対して、P2X4を安定発現した細胞では[Ca2+]i上昇が流れずり応力依存的に発生した。

図7.HUVECsでのずり応力依存性Ca2+流入のAS-oligosによる阻害
結論

 血管内皮細胞ではP2Xレセプターのサブタイプの中でP2X4が優勢的に発現していることが確認された。内皮細胞に比較的低い濃度(250nM)のATPの存在下で流れずり応力を作用させると、その強さに依存した細胞内Ca2+濃度が上昇する反応が生じた。内皮細胞のP2X4の発現をAS-oligosでノックアウトすると、このずり応力依存性Ca2+流入反応は著明に抑制され、また、P2X4遺伝子を導入し、過剰発現させたHEK293細胞ではwild typeで見られないずり応力依存性Ca2+流入反応が生じた。以上の結果から、P2X4レセプターは直接的、あるいは間接的に、流れずり応力の情報をCa2+シグナリングを介して細胞内部に伝達する働きのある分子である可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究は血管系の細胞における血流に起因する流れずり応力の情報伝達に重要な役割を果たしていると考えられるアデノシン三リン酸(ATP)の受容体であるP2Xレセプターが培養内皮細胞においてもつ機能の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.P2Xレセプターが各種の培養ヒト血管内皮細胞(臍帯静脈、大動脈、肺動脈、微小血管)に発現しており、特にP2X4サブタイプが優勢的に発現していることがノザーンブロット解析および競合PCR法により示された。

 2.ATP刺激に反応を示さないヒト白血病細胞であるK562細胞にP2X4のcDNAを遺伝子導入した後、選別した安定発現細胞では細胞内カルシウムの上昇が観察された。細胞外カルシウムをキレートするとATP誘発性カルシウム反応がほぼ完全に抑制されたことから、P2X4レセプターはATP誘発性カルシウム流入を起こすチャネルを形成していることが確認された。この事実はホールセルクランプによりATP刺激に伴う内向き電流の観察においても支持された。

 3.ヒト臍帯静脈内皮細胞にP2X4レセプター特異的なアンチセンスオリゴを作用させ、P2X4の発現レベルをmRNAおよびタンパク共に約25%以下に減少させると、ATP刺激に伴う細胞内カルシウム上昇の内、細胞外からの流入反応が顕著に抑制されることが確認された。従って、P2X4レセプターは培養ヒト内皮細胞において主にATP刺激に伴う細胞外カルシウムの流入反応を媒介していることが示された。

 4.ヒト臍帯静脈内皮細胞において250nM ATPの存在下でハンクス平衡塩溶液(HBSS)の流れを負荷すると、細胞内カルシウムが上昇するが、その大きさは流速の大きさに比例し、流れを止めると細胞内カルシウム濃度はコントロールのレベルに復帰した。細胞外カルシウムをキレートするとこの反応は消失したことから、流れにより誘発されたカルシウム上昇反応には細胞外からの流入であり、血管内皮細胞には適当な濃度の細胞外ATP存在下で流速の変化に対応したカルシウムの流入を引き起こす機構が存在することが示された。

 5.P2X4レセプターのアンチセンスオリゴをヒト臍帯静脈内皮細胞に作用させるとATP存在下での流れ誘発性カルシウム反応はほぼ抑制された。また一方、流れ刺激を作用させてもカルシウム流入をおこさないHEK293細胞にP2X4遺伝子を導入すると、2M ATP存在下で流速に依存したカルシウムの流入が確認された。これらの結果は流速依存的なカルシウム反応にP2X4レセプターが関与していることを意味していると考えられる。更に、細胞内カルシウム濃度の上昇率は流れずり速度ではなく流れずり応力に依存していることが灌流液(HBSS)の粘性を変化させた実験において確認された。

 以上、本論文は血管内皮細胞においてP2X4レセプターが直接的、あるいは間接的に流れずり応力の情報をカルシウム・シグナリングを介して細胞内部に伝達する"トランスデューサー"として働いている可能性を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、機械的刺激の感知機構を分子レベルでの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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