本研究は血管系の細胞における血流に起因する流れずり応力の情報伝達に重要な役割を果たしていると考えられるアデノシン三リン酸(ATP)の受容体であるP2Xレセプターが培養内皮細胞においてもつ機能の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.P2Xレセプターが各種の培養ヒト血管内皮細胞(臍帯静脈、大動脈、肺動脈、微小血管)に発現しており、特にP2X4サブタイプが優勢的に発現していることがノザーンブロット解析および競合PCR法により示された。 2.ATP刺激に反応を示さないヒト白血病細胞であるK562細胞にP2X4のcDNAを遺伝子導入した後、選別した安定発現細胞では細胞内カルシウムの上昇が観察された。細胞外カルシウムをキレートするとATP誘発性カルシウム反応がほぼ完全に抑制されたことから、P2X4レセプターはATP誘発性カルシウム流入を起こすチャネルを形成していることが確認された。この事実はホールセルクランプによりATP刺激に伴う内向き電流の観察においても支持された。 3.ヒト臍帯静脈内皮細胞にP2X4レセプター特異的なアンチセンスオリゴを作用させ、P2X4の発現レベルをmRNAおよびタンパク共に約25%以下に減少させると、ATP刺激に伴う細胞内カルシウム上昇の内、細胞外からの流入反応が顕著に抑制されることが確認された。従って、P2X4レセプターは培養ヒト内皮細胞において主にATP刺激に伴う細胞外カルシウムの流入反応を媒介していることが示された。 4.ヒト臍帯静脈内皮細胞において250nM ATPの存在下でハンクス平衡塩溶液(HBSS)の流れを負荷すると、細胞内カルシウムが上昇するが、その大きさは流速の大きさに比例し、流れを止めると細胞内カルシウム濃度はコントロールのレベルに復帰した。細胞外カルシウムをキレートするとこの反応は消失したことから、流れにより誘発されたカルシウム上昇反応には細胞外からの流入であり、血管内皮細胞には適当な濃度の細胞外ATP存在下で流速の変化に対応したカルシウムの流入を引き起こす機構が存在することが示された。 5.P2X4レセプターのアンチセンスオリゴをヒト臍帯静脈内皮細胞に作用させるとATP存在下での流れ誘発性カルシウム反応はほぼ抑制された。また一方、流れ刺激を作用させてもカルシウム流入をおこさないHEK293細胞にP2X4遺伝子を導入すると、2M ATP存在下で流速に依存したカルシウムの流入が確認された。これらの結果は流速依存的なカルシウム反応にP2X4レセプターが関与していることを意味していると考えられる。更に、細胞内カルシウム濃度の上昇率は流れずり速度ではなく流れずり応力に依存していることが灌流液(HBSS)の粘性を変化させた実験において確認された。 以上、本論文は血管内皮細胞においてP2X4レセプターが直接的、あるいは間接的に流れずり応力の情報をカルシウム・シグナリングを介して細胞内部に伝達する"トランスデューサー"として働いている可能性を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、機械的刺激の感知機構を分子レベルでの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |