学位論文要旨



No 115387
著者(漢字) 榎本,敦
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,アツシ
標題(和) ヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4の放射線誘発アポトーシスの分子機構の解析
標題(洋) Molecular mechanisms involved in radiation-induced apoptosis of human T-cell leukemia cell line MOLT-4
報告番号 115387
報告番号 甲15387
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1573号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,邦雄
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 伊良皆,啓二
 東京大学 講師 中川,恵一
 東京大学 講師 淺井,昭雄
内容要旨 背景と目的

 放射線照射に応答して細胞は、細胞分裂の遅延、細胞死、変異、ガン化などを引き起こす。細胞死はその形態学的特徴から細胞の膨化を伴うネクローシスと細胞の縮小や核の断片化を伴うアポトーシスに大別される。近年、放射線による速やかな細胞死(放射線誘発細胞死)は細胞が自ら死を誘導するアポトーシスで見られる現象に類似していることが分かってきた。

 放射線により細胞がDNAに傷害を受けると癌抑制遺伝子の1つであるp53が活性化し、多くの遺伝子の転写を促す。また細胞膜に傷害を受けたときには脂質セカンドメッセンジャーとして知られるセラミドの生成量が増加し、MAPK(mitogen-activated protein kinase)familyをはじめ様々な細胞内シグナル伝達経路が活性化される。このような核や細胞膜からのシグナルはアポトーシスの実行因子でシステインプロテアーゼの1種であるカスパーゼの活性化を誘導する。そのカスパーゼの活性化は細胞死抑制遺伝子bcl-2の過剰発現で抑制できることが知られている。しかしながら細胞内のシグナル伝達経路が複雑なゆえ、放射線誘発アポトーシスの詳細なメカニズムは依然として未知なところが多い。そこで本研究では放射線照射後に急速なviabilityの低下やDNA断片化などアポトーシス様の変化を示すヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4を用いて、1)セラミド生成を触媒する酸性スフィンゴミエリナーゼの阻害剤による放射線誘発アポトーシスへの影響や細胞膜透過性の合成セラミド誘発アポトーシスに対する感受性を調べ、2)MOLT-4細胞由来の放射線誘発アポトーシス抵抗性株や細胞死抑制遺伝子bcl-2を導入した形質転換株を樹立し、p53やSAPK/JNK,MEKl/2の放射線照射後の活性化を各細胞間で比較することにより、放射線誘発アポトーシスの分子機構を解析した。

材料と方法

 1)用いた細胞は主にヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4、マウス乳癌FM3A細胞である。X線照射は島津X線発生装置(200kV-20mA,0.5mm Cu+1.0mm Alフィルター)より得られるX線(1.46Gy/min)を用いた。酸性スフィンゴミエリナーゼ阻害剤(D609)やカスパーゼ阻害剤(Ac-DEVD-CHO,Ac-YVAD-CHO)は照射の直前あるいは直後に培地中に添加した。

 2)細胞融合は予め50Gy照射してDNAを断片化したFM3A細胞をドナーとして、MOLT-4細胞とPEG1500存在下で実施した(radiation-hybrid methods)。融合雑種の選択には計5回のX線3Gy反復照射を行い、軟寒天培地中に生育してきたクローンをX線抵抗性雑種(Rh-clones)とした。

 3)RT-PCR法により細胞死抑制遺伝子マウスbcl-2 cDNAをクローニングし、発現ベクターに連結後、MOLT-4細胞へ導入して、MOLT/mbcl-2形質転換株を作製した。

 4)アポトーシスの判定はエリスロシンB染色による色素排除試験、Western法によるPARPの切断、Comet法によるDNAの切断を指標として行った。シグナル伝達の解析は、p53の蓄積やSAPK/JNK,MEKl/2の活性化を指標にWestern法により行った。

結果と考察1)MOLT-4細胞におけるX線アポトーシス

 X線照射後、MOLT-4細胞では急速なviabilityの低下(75% viability at 24 h after 10Gy)が見られる。この急速なviabilityの低下は酸性スフィンゴミエリナーゼ阻害剤(D609)によって有意に抑制された(47.3% viability at 24 h after 10Gy)。カスバーゼ-3阻害剤(Ac-DEVD-CHO)やBcl-2の過剰発現によってもX線照射後のviabilityの低下は抑制された(40.8,81.2% viability at 24 h after 10 Gy)。X線照射後、p53の蓄積とそれに続くWAF-1の誘導が見られたが、C2-セラミド処理後には見られなかった。またD609はX線照射後のWAF-l誘導を阻害しないことも分かった。これらの結果はMOLT-4細胞のX線誘発アポトーシスには少なくともp53非依存性セラミド経路が含まれ、カスパーゼ-3活性化を経て細胞死に至ることを示唆する。

2)Radiation-hybrid clones、MOLT-4 transfectants of mouse bcl-2の樹立と性状解析

 共に野生型p53を持つがX線感受性が大きく異なるMOLT-4(D0=0.35 Gy)とFM3A細胞(D0,Dq=1.2,3.2 Gy)からRadiation-hybrid法により安定した2種の独立したX線抵抗性雑種(Rh-clones;Rh-1a,Rh-5a,D0=0.50,0.48Gy)を単離した。Rh-clonesではBcl-2タンパクの発現量やX線照射後のp53タンパクの蓄積パターンについてMOLT-4細胞との間に有意な差は認められなかったにも関わらず、MOLT-4細胞に比べてX線照射後のviabilityの低下が有意に抑制されており(31.2,38.0% viability at 24 h after 10 Gy,for Rh-1a,Rh-5a)、PARPやDNAの切断もMOLT-4細胞に比べてその出現に遅延が認められた。しかし,これらRh-clonesはC2-ceramide(50M)誘発アポトーシスに対して全く異なる感受性を示した(90.1vs.39.8 and 32.1%viability at 24 h after the treatment,for Rh-1a,MOLT-4 and Rh-5a)。Rh-1a細胞がセラミド誘発アポトーシスに対して高い交差抵抗性を示すことからもMOLT-4細胞におけるX線誘発アポトーシスではセラミド経路が重要な働きをしていることが示唆された。

 一方、MOLT/mbcl-2細胞は、MOLT-4細胞に比べて約1.5倍のX線抵抗性(D0=0.53Gy)を示すにすぎなかったが、X線、セラミド誘発アポトーシスに対しては強い抵抗性(81.2,91.2% viability after treatment with 10 Gy of X-rays or 50M of C2-ceramide)を示した。この結果はBcl-2がp53、セラミド依存的アポトーシスにおいてカスパーゼ-3の活性化を抑制するという報告と一致する。

3)X線、セラミド誘発アポトーシスにおけるSAPK/JNK,MEK1/2の活性化

 SAPK/JNKは多くのストレス刺激によって活性化することが知られている。そこでX線やセラミドによるSAPK/JNKの活性化を調べたところ、MOLT-4やRh-5a細胞ではX線(10 Gy)照射1時間後から4時間目までSAPK/JNKの活性化が続いた。一方、Bcl-2の過剰や酸性スフィンゴミエリナーゼ阻害剤で前処理したMOLT-4細胞ではX線照射後のSAPK/JNK活性化が抑制されており、またFM3A細胞においては全く活性化が見られなかった。Rh-1a細胞では、照射1時間後に一過性のSAPK/JNK活性化のみ認められ、2時間目には急速な減衰が見られた。これらの結果から、セラミド誘発アポトーシスに抵抗性を示す細胞(FM3A、MOLT/mbcl-2、Rh-1a)はX線照射によるSAPK/JNK活性化が抑制されていることがわがった。またC2-ceramideで処理した場合、MOLT-4やMOLT/mbcl-2細胞では1時間後から4時間目までSAPK/JNKの活性化が続いた。これはBcl-2がX線によるSAPK/JNKの活性化を抑制できるが、C2-ceramideによる活性化は抑制できないことを示しており、Bcl-2はカスパーゼの活性化以外にセラミド生成上流でシグナル伝達を阻害している可能性が示唆された。一方、Rh-1a細胞では一過性のSAPK/JNK活性化のみ見られた。このことからアポトーシスの誘導には一過性ではなく持続的で高いSAPK/JNK活性が必要であること、またRh-1a細胞ではセラミド生成後のSAPK/JNK活性化に至るシグナル伝達のプロセスが阻害されている可能性が示唆された。

 MEKl/2-MAPK pathwayは細胞増殖や分化に関係し、最近ではSAPK/JNKとMAPKのバランスが細胞の生死を決め得るという報告がなされている。そこでX線照射またはセラミド処理後のMEKl/2活性化について調べたところ,いずれの細胞でも活性化や抑制が認められなかった。非照射、照射の細胞でも活性化が見られないことから、Raf-MEKl/2-MAPKカスケードの不活性化がMOLT-4細胞のX線誘発アポトーシス高感受性の一因かもしれない。

 X線照射後のMAPK family、特にSAPK/JNKの制御機構とアポトーシスの関係について更なる検討が必要である。

審査要旨

 本研究はヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4細胞の放射線誘発アポトーシスの分子機構を解析するため、セラミド生成を触媒する酵素である酸性スフィンゴミエリナーゼの阻害剤やMOLT-4細胞由来のX線抵抗性雑種及び、細胞死抑制遺伝子bcl-2を導入した形質転換株を用いた系にて、放射線照射後の細胞死に至るメカニズムの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.MOLT-4細胞はX線に対して線量依存的にアポトーシスを起こす。セラミド生成を触媒する酸性スフィンゴミエリナーゼの阻害剤(D609)で細胞を前処理することにより、MOLT-4細胞のアポトーシスが有意に抑制された。またMOLT-4細胞は細胞膜透過性の合成セラミド(C2-セラミド)に対して濃度依存的にアポトーシスを起こした。さらにX線照射後、MOLT-4細胞ではp53の蓄積が起こるが、C2-セラミド処理後ではp53の蓄積が見られないこと、D609処理はX線照射後のp21/WAF-1の誘導は阻害しないことが明らかになった。これらのことは、X線照射後のアポトーシス誘発機構にセラミド生成及びp53非依存性のセラミドシグナル伝達経路の活性化が必要であることが示唆された。

 2.MOLT-4細胞、マウスFM3A細胞及びその両親株から作製したX線抵抗性放射線雑種(radiation-hybrid clones)、MOLT-4にbcl-2遺伝子を導入した形質転換株(MOLT/mbcl-2)を用い、X線やC2-セラミド誘発アポトーシスに対する感受性を解析したところ、radiation-hybrid clonesやMOLT/mbcl-2細胞はX線誘発アポトーシスに抵抗性を示し、さらにradiation-hybrid clonesの1つは、FM3AやMOLT/mbcl-2細胞と同様に高いセラミド抵抗性を示した。またradiation-hybrid clones、MOLT/mbcl-2の各細胞におけるX線照射後のp53の蓄積は親株であるMOLT-4細胞と同様に見られた。したがって、C2-セラミド誘発アポトーシスにも交差抵抗性を示すradiation-hybrid cloneの結果からも、X線照射誘発アポトーシスにおいてセラミド伝達経路が重要な働きをしていることが示唆された。

 3.X線照射後のstress-activated protein kinase(SAPK/JNK)の活性化について調べたところ、MOLT-4細胞では刺激後、持続的で高い活性が見られた。一方、酸性スフィンゴミエリナーゼの阻害剤(D609)で前処理またはBcl-2過剰発現したMOLT-4細胞ではX線照射後のSAPK/JNKの活性化が抑制されていた。セラミド誘発アポトーシスに交差抵抗性を示すradiation-hybrid cloneでは照射後、一過性の活性化しか見られなかった。C2-セミド処理後、MOLT-4やBcl-2過剰発現したMOLT-4細胞では持続的で高い活性が見られたのに対し、セラミド誘発アポトーシスに交差抵抗性を示すradiation-hybrid cloneでは一過性の活性化のみ見られた。これらのことはBcl-2はX線誘発SAPK/JNK活性化は抑制できるが、C2-セラミド誘発SAPK/JNK活性化は抑制できない、つまりBcl-2はセラミド生成より上流でシグナル伝達経路を阻害していることが示唆された。さらに、X線、セラミド誘発アポトーシス抵抗性を示すradiation-hybrid cloneでは一過性のSAPK/JNK活性化しか見れらなかったことから、アポトーシスを起こすには持続的で高いSAPK/JNK活性化の活性化が必要であること、このクローンではX線照射後セラミド生成後のシグナル伝達経路が阻害されていることが示唆された。

 以上、本論文はヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4の放射線誘発アポトーシスの分子機構において、セラミドSAPK/JNK経路が重要な働きをしていることを示した。さらにアポトーシスには一過性ではなく、持続的で高いSAPK/JNK活性が必要であること、Bcl-2はcaspase以外にセラミド生成上流でもシグナル伝達経路を阻害しうることが初めて示唆された。本研究は放射線誘発アポトーシスの分子機構、特にセラミドシグナル伝達経路の解明を通して、細胞の放射線(X線)照射に対する応答の解明について重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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