学位論文要旨



No 115390
著者(漢字) 白勢,彩子
著者(英字)
著者(カナ) シロセ,アヤコ
標題(和) 言語発達におけるアクセントパタンの獲得過程
標題(洋)
報告番号 115390
報告番号 甲15390
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1576号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新美,成二
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 杉下,守弘
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 講師 榊原,洋一
内容要旨 1.はじめに

 人間は生後数年で高次な言語機能を獲得する。これを可能にしているのは、生物学的基盤に立った生得的機構の存在であるとされ、多くの言語に共通する普遍的な性質を持つ特徴が獲得のある一時期に優先するとの議論がなされている。これに関しては、文法や構音動作についての研究は多いが、韻律的側面についての研究は少ない。そこで、本研究では、韻律的側面のひとつであるアクセントに着目して、幼児にとって何らかの意味で「自然」で優先的に選好されるようなアクセントパタンがあるかどうか検討した。

 日本語では、単語に対するアクセントは恣意的で、語ごとに決まっている。これに対し、複合名詞や、よく知らない外来語や新規に作成した単語(ここでは新造語)に対しては、発話者は無意識にだが、かなりの程度規則的にアクセントを付けて発音している。この際、主に以下の要因が関与することが知られている。

 1.「penultimate foot」要因:語末から2番目のフットにアクセントを置く。フットとはリズムの単位で、日本語では2モーラとされているので、語末から数えて3モーラ目にアクセントが置かれる(ほぼ仮名一文字に対応する音の単位をモーラという)。多くの言語で観察される、言語普遍的要因。

 (例)

 2.「アクセント保存」要因:後部要素のアクセントを複合名詞のアクセントとして保存。

 (例)

 3.「語境界ひとつ後ろ」要因:語境界のひとつ後ろのモーラにアクセントを置く。

 4.「平板アクセント」要因:語を平板アクセントにする。単純なアクセントパタンなので最近このパタンに変化する語が多い。

 (例)

 本研究では、3〜5歳児を対象に、人工的な複合名詞と新造語を、対応する絵を見せて発音させ、そのアクセントパタンを分析した。上記の要因がどのように獲得されていくか検討した。主に、獲得過程における、「penultimate foot」要因と「アクセント保存」要因の相対関係と、平板アクセントが全般に優勢になることがあるかどうかという問題について検討した。

2.実験方法

 東京方言および京都方言地域に生育する幼児を対象とした。複合名詞実験は、2モーラ語と3モーラ語を組み合わせた、1)3+2モーラ、2)2+3モーラ、3)3+3モーラ、4)2+2モーラの語を検査語とした。更に、4モーラ語、5モーラ語の新造語実験を行なった。

成人のアクセント規則体系

 東京方言では、上記 1)、2)、3)の複合名詞のアクセントは、後部要素にアクセントがあるなら保存される。後部要素にアクセントがない場合には penultimate foot にアクセントが付与される。主にこの2種であるが、3+2モーラ複合名詞では、例外的に平板アクセントになるものもある。2+2モーラ複合名詞は、主に平板アクセントになる。新造語では、4モーラ語は主に平板アクセントになり、5モーラ以上の語は主に penultimate foot アクセントになる。

 京都方言では、3+2モーラ複合名詞では、後部要素のアクセント型によらずpenultimate footアクセントになるものと語境界ひとつ後ろのアクセントになるものと、両者とも現れうる。

検査語

 複合名詞実験では、単語単独では幼児によく知られている語(主に動物名)を選び、それらを組合わせて複合名詞(例えば「ウサギネコ」)を新規に作成し、検査語とした。新造語実験では、例えば「ノタカマモ」のような語を用い、国名として発音させた。

実験手続き

 被験者と実験者の1対1の面接調査として行なった。複合名詞実験では、検査語は絵で示し、発話を求めた。新造語実験では、検査語はかな文字で示し、発話を求めた。いずれの実験でも、発話はすべて録音し、後に聞き直してアクセントを判断した。

被験者

 分析対象とした被験者人数を実験別に示す。実験参加者のうち、実験を終了できた被験者の率は、東京方言では3歳児50%、4歳児70%、5歳児84%であった。京都方言では4歳児54%、5歳児62%であった。

図表
3.結果東京方言の3+2モーラ複合名詞実験

 3歳児では、penultimate footアクセントが正答となる検査語ではpenultimate footアクセントの回答率が92%と高かった。後部要素のアクセントを保存するパタンが正答となる検査語と平板アクセントが正答となる検査語では、penultimate footアクセントへの誤答がそれぞれ40%、100%、見られた。4歳児では、3歳児に比して、後部要素のアクセントを保存する回答、平板アクセントが正答となる検査語での平板アクセントの回答が増加し、相対的にpenultimate footアクセントの回答が減少した。加えて、語境界のひとつ後ろのアクセントをpenultimate footアクセントが正答となる検査語に過剰適用する回答が出現し、相対的にpenultimate footアクセントの回答が76%に減少した。5歳児では、語境界のひとつ後ろにアクセント核を置く誤答が減少した。いずれの年齢においても、誤答としての平板アクセントは殆ど生起しなかった。

東京方言の2+3モーラ複合名詞実験、3+3モーラ複合名詞実験

 3+2モーラ複合名詞に見られた現象と同様の傾向が観察された。

東京方言の2+2モーラ複合名詞実験

 平板アクセントの回答が4歳児では60%、5歳児では70%と主だった。

東京方言の新造語実験

 5、6歳児ともに、5モーラの新造語ではpenultmate footアクセント、4モーラの新造語では平板アクセントの回答が主なアクセントとなっていた。

京都方言の3+2モーラ複合名詞実験

 5歳児で、4歳児に比して、後部要素のアクセント型によらず、penultimate foot アクセントの回答率が増加した。

4.考察「penultimate foot」要因と「アクセント保存」要因の相対関係

 実験の結果、獲得のある段階で「penultimate foot」要因が優勢になる時期があることが確認された。具体的には、東京方言の3+2モーラ複合名詞実験の3歳児において、penultimate footアクセントが正答となる検査語ではpenultimate footアクセントの回答率が高く、penultimate foot アクセントが正答とならない検査語では penultimate foot アクセントへの誤答が見られた。3+3モーラ複合名詞実験でも同様の傾向が観察された。韻律的側面のひとつであるアクセントパタンの獲得過程においても、多くの言語に共通した言語普遍的要因が獲得のある一時期に優勢になることが新たに明らかとなった。

 一方、「アクセント保存」要因は、発達に伴い確立していくことが確認された。具体的には、東京方言の3+2モーラ複合名詞実験において3歳児から4歳児にかけて、後部要素のアクセントを保存する回答が増加した。3+3モーラ複合名詞実験でも同様の傾向が観察された。この結果は、言語普遍的とは考えにくい要因は発達に伴い確立していくことを示している。

「平板アクセント」要因の発達変化

 平板アクセントは4モーラの複合名詞に限定的で、発達に伴い確立していくことが示された。この結果は、アクセント核を付与することがより基本的で、ある条件下においてのみ平板アクセントにすることを獲得していくことを示唆している。

 平板アクセントは発音として単純で、ある意味、「自然」なアクセントという考えもある。しかし、言語学的に見て、アクセントは文の発話において必要な部分に音声的なプロミネンス(卓立)を与えるという、言語コミュニケーションの重要な役割を担っている。従って、上記を示唆する結果が得られたものと考えられる。

 言語普遍的とされている「penultimate foot」要因と比較すると、まず「penultimate foot」要因に基づいてアクセントを付与することが確立し、次いで「平板アクセント」要因が確立するものと捉えられた。

新造語のアクセントパタン

 4モーラ新造語では平板アクセント、5モーラ新造語ではpenultimate footアクセントが主であったことは、「penultimate foot」要因、「平板アクセント」要因が「自然」なものであることを裏付けている。

東京方言と京都方言の比較

 京都方言の実験では、5歳児で、4歳児に比してpenultimate footアクセントの回答率が増加した。この結果は、東京方言同様、獲得のある段階で、「penultimate foot」要因が優勢になる時期があることを示している。但し、優勢になる時期が、東京方言に比して、京都方言の方が遅かった。この理由としては、京都方言のアクセント規則の不明瞭さが考えられる。「penultimate foot」要因は言語普遍的特徴であると考えられているが、必ずしも生得的とはいえないことが示唆された。

「アクセント保存」要因の過剰適用

 言語獲得研究、主に語の形態変化規則の獲得研究において、規則の過剰適用の現象が指摘されている。例えば、獲得の一時期に、規則変化動詞の規則が不規則変化動詞に適用されることが知られている。今回のアクセント規則についての実験でも、「アクセント保存」要因の過剰適用とみなせる現象があった。

 但し、アクセント規則には、上記の例に見られるような、一般的な規則と個別的な規則といった、規則の明確な対比的な差がないと思われる。従って、アクセント規則については、「規則の一般性」に基づいた過剰適用が生じているとは考えにくい。この場合でも過剰適用とみなせる現象が生じたことは注目される。

まとめ

 「penultimate foot」要因は、多くの言語に観察される言語普遍的要因と考えられている。今回の実験結果では、この要因が獲得のある一時期に優先することが確認された。

 アクセントパタンとして単純と考えられる「平板アクセント」要因は、4モーラ語に限定され、発達に伴い確立することが確認された。アクセント核を付与することがより基本的で、ある条件下においてのみ平板アクセントにすることを獲得していくことが示唆された。言語学的に見て、アクセントは言語の重要な役割を担っており、従って、上記を示唆する結果が得られたと考えられた。

審査要旨

 幼児の言語発達には生物学的基盤に立った生得的機構が存在しているとされ、多くの言語に共通する普遍的な特徴が獲得のある一時期に優先するとの議論がなされている。これに関しては、文法や構音動作についての研究は多いが、韻律的側面についての研究は少ない。本研究は、韻律的側面のひとつであるアクセントに着目して、幼児にとって「自然」で優先的に選好されるようなアクセントパタンがあるかどうか検討したものである。

 日本語では、複合名詞や、よく知らない外来語や新規に作成した単語(ここでは新造語)のアクセントには、以下の要因が関与している。l.「penultimate foot」要因:語末から2番目のフット(リズムの単位で、日本語では2モーラ)にアクセントを置く。言語普遍的要因。2.「アクセント保存」要因:後部要素のアクセントを複合名詞のアクセントとして保存。3.「語境界ひとつ後ろ」要因:語境界のひとつ後ろのモーラにアクセントを置く。4.「平板アクセント」要因:語を平板アクセントにする。単純なアクセントパタンなので最近このパタンに変化する語が多い。

 本研究は、3〜5歳児を対象に、人工的な複合名詞と新造語を、対応する絵を見せて発音させ、上記の要因がどのように獲得されていくか検討したもので以下の結果を得た。

 (1)東京方言3+2モーラ複合名詞実験の結果、3歳児では、penultimate footアクセントが正答となる検査語では正答率が高かった。2+3モーラ複合名詞実験、3+3モーラ複合名詞実験でも、同様の傾向が観察された。これにより、獲得のある段階で「penultimate foot」要因が優勢になる時期があることが確認され、アクセントパタンの獲得過程においても、多くの言語に共通した言語普遍的要因が獲得のある一時期に優勢になることが新たに明らかとなった。

 (2)「アクセント保存」要因は、発達に伴い確立していくことが確認された。この結果は、言語普遍的とは考えにくい要因は発達に伴い確立していくことを示している。

 (3)平板アクセントは4モーラ複合名詞に限定的で、発達に伴い確立していくことが示された。平板アクセントは発音として単純で自然といわれている。しかし、言語学的に見て、アクセントは文の発話において必要な部分に音声的なプロミネンス(卓立)を与えるという、言語コミュニケーションの重要な役割を担っているので、上記結果が得られたものと考えられた。

 (4)京都方言の実験では、東京方言同様、獲得のある段階で、「penultimate foot」要因が優勢になる時期があることが示された。但し、優勢になる時期が、東京方言より京都方言の方が遅かった。この理由としては、京都方言のアクセント規則の不明瞭さが考えられる。「penultimate foot」要因は言語普遍的特徴であると考えられているが、必ずしも生得的とはいえないことが示された。

 以上、本論文では、幼児の言語発達において、自然で優先的に獲得されるアクセントパタンがあることが明らかとなった。本研究は、人間の言語の獲得機構の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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